第六節 回向 (6)
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成人の儀は、日没と共に始まる。儀礼用の装束を身に纏い、剣術の試験が行われることとなったVR室に入る。次にあの扉が開かれるのは、俺が認められたか、動けなくなった時だ。
俺と同じく儀礼用の装束を纏った間沙の右頬に、いつもは隠れている傷痕が見える。
間沙の話してくれた、彼の成人の儀での出来事を思い出してしまう。自らの奥底にある影が、伸びてくるような気がした。それを、深呼吸で押し込める。
間沙の動作に合わせ、少し遅れて動く。右手で刀を抜き、相手に刃が向いた状態で水平に保つ。左足を斜め後ろに少し下げ、半身で左手の鞘を自らの背後に置く。立ち上がり、足を戻して正対、右腕を下げ、さらに剣先を下げる。
心臓音が、耳の奥から響いている。
互いに間合いをはかる。緊張が詰まっていく。
息を吐いた。
その瞬間、刃が目の前に迫っていた。
右に去なし距離を取るが、すぐに詰められる。間沙の刀を受け止めきれず、腕が弾かれる。追撃は体を捻って交わし、離れた剣先の代わりに、柄で鍔元を叩く。
躱される──
動きの途中で直感したことは当たり、体勢が僅かに前に倒れた。視界に映っていない頭上の間沙の刀を、手首を返して受け止める。刃がぶつかり合った高い音と、一太刀の重さが、体に響く。
間沙の目は、今までのトレーニングのそれとは違う。相手を見定めるための、真剣勝負。相手が不適格であれば、その命を絶つことも厭わない。1部隊が立っているのは、そういう世界だ。そして、同じ場所に立ちたいのであれば、この関門を突破しなければならない。
鍔迫りのまま、力で押し通されそうになる。力を逃したが、逆にそれを利用され、横に崩される。
右から返って来る刀を飛び退って避けた。が、すぐに詰められる。応戦した刀が難なく止められ、右足が飛んでくる。
「っ……!」
蹴りを受け流しきれず、壁まで飛ばされる。腹部への衝撃の後、壁に背中が叩きつけられる。体の中の空気が、全て絞り出されたような感覚。
それでもなんとか構えつつ、相手を認識するより前に、左下へ体を縮める。
こめかみのすぐ右上に、刀が突かれる。
右手を斜め上に突き出す。
最小限の動きで躱した間沙は、俺の右腕を左手で掴み、右手の刀を俺の首に向かって振り抜く。
更に身をかがめて刀を避け、振り抜けた間沙の右腕を左手で掴む。そのまま投げ飛ばそうとしたが、俺が後手だった。間沙の方が早く動作に入り、俺を投げ飛ばす。
仰向けの状態で地面に叩きつけられる前に、体を捻り、着地と同時に左手をバネにして避ける。
避ける前の場所には間沙が刀を突き立て、その目は既に俺を捉えていた。
今度は刀を持った右手も使い、体を瞬時に起こす。その勢いを生かし、右から迫っていた刀を上に弾く。
間沙の体で死角に入っていた左拳が、視界の端に映った。
ほとんど衝撃を吸収できずに、拳が体にめり込む。嫌な音が内から響き、体はまた壁に打ち付けられる。先ほどよりも強い衝撃に、体が固まる。その一瞬に、間沙の刀が斬り込まれる。
左上からの斬撃を避けきれず、左腕を刀が掠める。液体が伝う感覚があり、白い床に血痕が落ちる。
心臓が、波打つ。
紫石が震えるような感覚。まるで、封印を破ろうと蠢いているようだ。
斬り合いの中で、刀が巻き上げられる。少し下がって防御を間に合わせたものの、体勢が大きく崩れる。間沙の拳が、俺の顎を捉える。
「くっ……あ……」
ぐらりと視界が歪み、体の力が抜ける。
この数秒は、長すぎる。
追撃は……来なかった。
「________」
紫石が、大きく波打つ。間沙の発する言葉ではない音に、聞き覚えがあった。
これは、覚醒の秘文!?
「な──」
なぜ、と口にするより前に、腹部に衝撃が走る。
この感覚は、あの時と、同じ……
痛みによって薄められた理性を、紫石によって高められた本能が呑み込んでいく。
──アノ日ノ雪辱ヲ、
視界が、掠れる。
──母さンノ仇を、
身体が、痺れる。
──こノ復讐を、
意識が、遠のく。
──阻ませはしない。
(同日)
真人と間沙がVR室に入ってから、1時間が経っていた。
「指揮官、報告に参りました。」
儀式の間、全体の指揮を任せている
「ありがとう。」
報告書に目を通し、ファイルを返す。
「状況はどうですか?」
「開始直後に、真人の紫石は覚醒された。そのまま紫石に呑まれ、今もまだ、制御はできていない。」
副官が声を潜める。横で儀式を見ている顧問の耳には、あまり入れたくないのだろう。
「ご承知かとは思いますが、現在の状態が長く続けば、過負荷により再起不能になる恐れがあります。中止の判断を躊躇うことのないよう、お願いいたします。」
彼女にしては珍しい忠告の仕方だ。それだけ心配しているのだろう。
「大丈夫だ。真人ならきっと、戻ってこれる。」
「そうよ、彼らを信じてあげて。」
「2人のことは、あなたの方がよく知っているでしょう?」
「私は、成人の儀については詳しくありませんので、無事に終えられるかどうかは判断できません。」
「そんなに難しく考えなくて良いわ。仮に危険な状況になっても、間沙が止めるでしょ?だから、2人がこの試練を乗り越えられると信じる。私たちにできるのは、それだけよ。」
「止められない状況になることは無いと?」
「無いわ。間沙が〝親役〟であるなら、ね。」
この成人の儀は真人に課せられた試練だが、同時に、間沙にとっての試練でもある。顧問方は、間沙に命の危険が生じても、おそらく止めないだろう。しかし、こちらとしては、彼に死なれては困る。副官も言った通り、必要な判断を躊躇してはいけない。
VR室に視線を戻す。紫石に呑まれた真人は、休むことなく刀を振るう。
間沙にはまだ余裕がありそうだが、長く続けば……いや、今は2人を信じよう。
かの花咲くその道に、彼らが帰ることを。
(同日)
目の前の誰かに、刀を振り下ろす。手応えは返ってこない。
距離を取った相手を追う。
見覚えのある動き、突きがくる。躱せるはずだ。刀は相手に向けたままで良い。
刀が左目のすぐ側を通り抜け、自らの刃が相手の腕を掠める。左回りに避けつつ間合いを取る相手を目で追うが、何かが垂れてくる。
邪魔だ。
一時的に奪われた視界の先に、息遣いがある。そこにめがけて、刀を振るう。高い音が聞こえる。手応えを振り払い、突き出す。刃の擦れ合う音。刀が絡め取られ、大きく弾かれる。手から柄の感触が離れる。蹴りが飛んでくるのが見えた。
衝撃に耐えつつ、その足を掴む。
右手に刀を持っていた。それを叩きつける。
防がれた。しかし、片足で立つ相手はバランスを崩す。
投げ飛ばし、相手の着地より早く、突きを放つ。
相手は首を傾けて急所から外す。
着地するところに追撃。
去なされ、右からの一撃を飛び退って避ける。
刀が落ちていた。
自らの右手にあるものとは別の、先ほど弾かれた刀だ。
どうして、自分はそれを使っていたのだろう。
刀なら、持っている。淡い紫を帯びた、よく手に馴染んだ刀が。刃の先端から、血が一滴、床に落ちる。その赤は、刀によく映える。
昂揚する。
──恐怖する。
奴を倒せバ、
──俺はいったい、
復讐ニ近づク。
──何をしようと……?
「真人!」
相手が何か言っている。右頬から血を滴らせた、誰かが。言葉だろうが、理解できない。しかし、幾度も聞いた音。
〝真人!〟
大切な誰かの、もう聞くことのない誰かの声が、俺を呼んでいる。その音に共振するように、心の底の震えが、形を成していく。
刀が鳴る。手が震えている。動けない。息ができない。心の奥底が、あまりにも冷たい。
忘れられない、忘れてはいけない光景。その背は、ずっと俺を支えてくれたその人。たった1人の家族。いつも笑顔で、暖かい母親。
その先に、刀を携えた白服が立っている。
──母さんを殺した、
仇を取レ。
──奴を許せない。
左目を反射的に瞑る。液体が滴り落ちてきた。それを拭い、相手を見る。
殺サなけレバ。
──……彼は、誰だ?
奴ニ復讐ヲ。
──違う。
復讐ヲ!
「違う!」
刀を持った右手を、壁に叩きつけていた。
呼吸をする。心臓が凍っていたかのように、ぎこちなく動く。
揺らぐ視界の中で、彼を見る。
──仇ヲ取ルンダ。
その為に俺はここまで来た。
──復讐ヲ果タスタメニ。
母さんが死んでもなお、しがみついている。
──ソレデモ前ニ、進メルノデアレバ。
憎しみも、怒りも、哀しみも、俺には必要だ。
「でも──」
彼らと共に、進むのであれば。
真に必要なものは、復讐じゃない。
「間沙、」
彼の名前だ。俺の成人の儀の〝親役〟で、俺に剣を、志を、義を、教えてくれた。間沙だけじゃない。璃奈も、はやとも、宏文も、啓太も、仁美も。俺の師だ。
「俺は、」
皆それぞれ、何かを抱えている。それでも逃げずに、どうにか前に。
「この道を!」
たとえこの冷たい激情を、捨てることができなくとも。
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目を覚ますと見慣れない天井があった。身体は重く、頭も働いていない。眠気、というよりは疲労を感じる。
……終わったんだ。
体を起こす気にもなれずベッドに横たわったまま天井を眺めていると、何か音がした。
「おはよう、真人。」
璃奈が俺に声をかける。
「い"っ!」
体を起こそうとすると、全身筋肉痛だ。
「ふふっ、大丈夫?」
璃奈の支えで体を起こす。右には医療機器がいくつか。左には棚と椅子。窓のない部屋には、分厚い扉が付いている。
なんか、懐かしいな。この部屋。
俺がJSOでの最初の1週間を過ごした隔離病室だ。
紫石に呑まれている時のことは、やはり覚えてない。そこから抜け出した後も、成人の儀は続いた。剣術の試験が終わった頃には、心身共に限界をとっくに超えていたため、それはそれで記憶が曖昧だ。意識を保っていただけ褒めてほしい。
「よかった……」
安堵に涙が滲んでくる。
「本当によく頑張ったわ。顧問の方々も驚いていたわよ。」
「皆のおかげだよ。ありがとう。」
「どういたしまして。おめでとう、真人。」
「うん。でも、これからだ。いつか璃奈たちと、並んで闘えるようになる。」
「これで真人は1部隊に入れるんだから、その〝いつか〟は数ヶ月後よ?」
璃奈が可笑しそうに言う。
「いや、まだなんだ。まだ俺は、皆と並べない。」
俺じゃ、皆の足元にも及ばない。手を引いてもらっている。一緒に走るなんて、まだまだ先の話だ。
「あぁ、そういうことね。」
璃奈は俺の言葉を理解したらしい。
「それじゃあ、追いつかれないように私たちも頑張らないと。ね?」
開いたままのドアの先で、足音が遠のいていく。
璃奈と顔を見合わせ、2人で笑った。
(同日)
隔離病室から自室に戻り、デスクに向かう。昨日受けた右頬の傷を、テープ越しに撫でる。わずかな痛みが走る。
「追いつかれないように……そうだな。」
一番下の引き出しを開け、便箋と封筒を取り出す。8年前に1組使ったきり、奥底に眠っていたものだ。別の引き出しからひと回り大きい封筒を選び、ペンを手に取る。宛先を綴るペン先が、わずかに震えていた。
自らの情けなさに、思わず失笑する。
ふと、力んでしまっていた右腕に、誰かが触れたような気がした。
あの夢を思い出す。記憶の中の泣き顔は、8年前のまま。
息を吐き、ペンを持ち直す。ひどく懐かしい宛先を綴る。
宛名は……
『天野──』
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