第六節 回向 (4)
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年末年始は、JSOが最も静かになる期間だ。多くの職員が実家に帰るなどしており、残っている人数の方が少ない。
普段は賑わう午後の修練場にも、静寂が満ちる。自分の存在だけが、空間にわずかな波紋をつくる。
扉の開く音が、よく響く。
「おつかれ、間沙。」
「おつかれ。」
はやとは俺の隣に座り、静かに目を閉じる。
「真人に、話したの?」
凪いだ空間を乱さない声で、はやとはそう呟いた。
「成人の儀で、紫石を覚醒させること以外は。」
静かに返したつもりの声に、揺らぎが乗ってしまう。
「それは、そうだね。さすがに事前に伝えたら、呑まれることもないだろうし。」
痛みにも似た不快感が、整えたはずの心身を乱す。
「真人は──」
自分の声が、弱々しく聞こえる。
「──間義様の行動には、悪意があるようにしか思えない、そう言っていた。」
「はは、キツいね、それ。」
「まさか、同じことをされるとは思ってもいないだろうな。」
「違うと思うよ。」
はやとの声が、修練場に響く。
「間義さんの考えはわからなかったけど、たぶん、間沙とは違うよ。」
しばらくの静寂の後、はやとが立ち上がる。
「さて、稽古納め、する?断っても良いよ。今の間沙には負ける気しないから。」
「馬鹿言え。」
はやとに続いて、笑って立ち上がる。
「ついに2勝差のジンクスが破れるね。」
「調子に乗って負けるのは、はやとの十八番だろ。」
「そんなことないしー?」
はやとが指揮官に通信を入れる。
俺たちの稽古納めは、刀の召喚して行うことが恒例となっている。夜霧での稽古納めに倣って、というのは建前で、真剣勝負をしたいというだけだ。
「許可とったよ。」
木刀を壁際に置き、コートへと降りる。刀を召喚し、身体を軽く慣らす。
準備を終え、向かい合って座礼し、立ち上がる。夜霧の儀礼に倣い、刀を召喚する。同じように動いていたはやとと目が合い、同時に3歩近づく。
静寂。しかし、穏やかさはない。乱せば斬撃がすかさず飛んでくる、張り詰めた空気。それが心地良く感じるのは、相手を信頼しているからだ。己を高めるための、正すための負荷。
思えば、稽古相手ははやとであることが1番多い。反りが合っているのかいないのか、事あるごとに剣を交えてきた。俺が悩んでいる時に容赦なく刀を振るうのは、こいつだけだ。俺にとってはその方が気が楽だが、はやとが意図しているのかはわからないし、聞く気もない。ただ相対してくれるだけで、充分だ。
靴底が床を擦る音が、わずかに鳴った。
ほぼ同時に踏み込み、刀がかち合う。高い音が、2人だけの空間に響く。
立ち位置が入れ替わるように鍔迫り合いを解く。刀同士が離れる直前に、はやとの刀が俺の刀を弾く。
間合いを切らせず、刀を返し、左へ振る。避けたはやとの重心が前に移った瞬間に、左足を踏ん張り、刀の勢いを抑えて、剣先を向けた状態の構えに移る。
予測が外れたのか、はやとの動きが鈍った。
その隙に間合いを詰め切り、首を狙って突き出す。
お互いに構え直す。
JSOに来て、8年。正直なところ、ここは居心地が良い。〝追放〟という事実を、曇らせてくれる。このまま時間が解決してくれることを、願っている自分がいる。
はやとが素早く間合いを詰めてくる。
横薙ぎを下がって避け、突きを去なし、刀を返す。はやとは半歩引いて躱し、すぐに斬りかかってくる。
刀で受け止め、鍔迫り合いになる。
今の俺に、天野の状況を変える手立てはない。少なくとも、俺が天野の人間であり続ける限り、強引な手段は取れない。話をしようにも、今の天野は、JSOとの関係を絶っている。
力づくで崩される。はやとの刀は胴体へと迫る。
剣先を下に向けて、刀で右半身を守りつつ、はやとの目線を追う。
わずかに刃が触れ合ったかと思うと、視界の端で、はやとの刀が軌道を変える。
上から刃が迫る。体勢を低く保ち、右に添えていた刀を左へ回す。
はやとは一瞬だけ、動きを止めた。その向こうで、悪い笑みを浮かべている。
まずい……!
俺の刀は、はやとの刀を捉えることなく、左へと流れる。振り上げられたままのはやとの刀を撃ち落とすには、間に合わない。
全速で下がる。
振り下ろされた刀が、前髪を裂く。続けて、右肩に向けて刀が突き出される。牽制だろうが、防がざるを得ない。
左から蹴りが飛んできている。
右の刃を諸手で押し返し、やや身を逃すが、脇腹にはやとの足が叩き込まれる。
衝撃に逆らわず、床を転がる。回転の勢いで起き上がり、追撃を大きく下がって避け、構える。
はやとは追撃を諦めたようで、構え直した。
はやとには、どう見えているのだろうか。進み出せない俺は、その目にどう映る?
蹴られた脇腹の痛みが遅れてやってくる。じりじりと、衝撃の伝った痕が、主張してくる。
はやとは不快感を顔に滲ませた。おそらく、俺が集中しきれていないことに気付いたのだろう。今となっては珍しいその表情に、反省をする。
「悪い、大丈夫だ。」
構えたままそう伝え、呼吸を整える。
はやとは構えを緩め、軽く笑った。
「別に?間沙が上の空なら、俺が楽できるってだけだし。でも──」
はやとは剣先を、真っ直ぐこちらに向けた。
「──斬られても、文句言わないでね。」
(8年前)
トレーニングルームの扉が荒々しく開けられる。
「おい、間沙!」
怒鳴り声を上げながら入ってきたのは、はやとだった。
「なんだ。」
「なんだじゃない!お前、ふざけてるのか!?」
はやとを止めようとする周りの職員を制止し、聞き返す。
「何かしたか?」
「俺なんかに突っかかってる場合じゃないだろ!」
「何を──」
途中で、はやとの発言の意図がわかった。
〝臨時の当主から連絡があった。君を、村から追放するそうだ。〟
自分が妹に宛てて出したはずの便箋を返されながら、指揮官からそう伝えられた。
はやとに夜霧の血は流れていない。複数いた被験体の中で、紫石との相性が良かったために、それを宿した。そんな不安定な立場の彼には、今の俺を理解できないのかもしれない。
「そんなことを言いにきたのか。」
「そんなことって……」
師である父親を殺した。
護るべき家から追い出された。
1度は継いだ次期当主の座も危うい。
自分の存在を確立させていたものの大半を失った。残ったのはこの身と、移されてしまった紫石だけ。
「しばらく村に戻れないだけだ。本当に俺を天野家から排除するなら、紫石を移させるはずだ。」
「だけど、これからはわからないだろ?完全に追い出すべきだって考えてる人も、いないとは限らない。」
「それでも良い。」
「なっ……」
「紫石は家全体で管理するものだ。俺が紫石の〝容れ物〟として相応しくないと判断されたのなら、俺はそれに従うだけだ。」
はやとが顔を歪める。
なんでお前が悔しそうなんだ。
「お前こそ、俺に突っかかってる暇なんてあるのか?もうすぐ成人の儀だろ。」
「……外に出ろ。」
「は?」
「立合いだよ、早くしろ。」
そう言い、はやとがトレーニングルームを出る。
俺は、その場に留まりたくないという理由だけで、暗闇の中を走っていた……つもりだった。だが、指揮官から処遇を伝えられた時に、気付いてしまった。自分が、1歩足りとも進めていないことに。そして俺は、足を止めた。今のままでは、進むことすらできないと知った。だが、逃げることは許されない。何度も、何度も、過ちに殺される。それでも、立ち上がることを止めてはいけない。紫石が俺に宿る以上、相応しくなくてはならない。
なぜ俺は、紫石を手放さないのだろう。
麻痺してしまった感覚では、その答えがわからない。
トレーニングルームを出ると、はやとが職員に頼み、修練場のコートの一部を開けてもらっていた。先程まで声を荒げていたのが嘘のように、はやとは静かに木刀を構える。自らも構え、間合いをはかる。
あの日から1ヶ月、はやとは少し手強くなった。技術や基礎的な身体能力が上がったわけではない。なぜ剣を振るうのか、その答えを掴みかけているのだろう。
僅かに木刀が触れ合う。はやとの呼吸音が、変わった。
木刀が俺の脳天へと伸びる。
相手の鍔元を剣先で押さえ、軌道をずらす。
軌道を逸らされてなお首筋に向かう木刀を、半身になって避ける。
自らの木刀を相手の鍔元まで滑らせ、左下で動きを止めさせる。そのまま体当たりをし、はやとを突き飛ばす。手首を返ながら突進し、上から斬り込む。
はやとは擦り上げて捌いた。木刀が上から迫る。
左手を木刀から離し、はやとの右手首を掴む。勢いを活かし、投げ飛ばす。
はやとは頭から落ちる前に床に手をつき、体を押し上げる。反転し着地したところに、追撃。木刀が受けられ、鍔迫りになる。
「なんでっ……!」
はやとが俺を睨む。少し、悲しそうに。
「平気でいられるんだ!」
はやとの木刀を弾き距離を取るが、すかさず打ち込んでくる。力強い一撃を正面から受けてしまい、ビリビリと重さが伝わる。
「元から無いより、失くす方が辛いってことくらい、俺にだってわかる。どうして逃げ出さない?」
「俺は紫石の管理者だ。紫石を宿している限り、相応しい者であり続ける必要がある。」
「この先、その紫石すら失うかもしれないのに?」
「そうだ。」
「……やっと、やっと理解してきたのに。お前のせいで、またわからなくなった。」
鍔越しに、はやとの手に力がこもるのがわかった。
「どうして間沙は闘える?理由をほとんど失って、最後に残った紫石も、奪われるかもしれない。」
それは──
体勢を崩される。右からの斬撃を飛び退って避ける。はやとは木刀を高く保ち、すかさず飛び込んでくる。
俺だって──
迫る木刀の軌道が変わる。予測できていたはずの、左から斬撃。しかし、反応が遅れた。防御は間に合うが、無理のある体勢になる。
目が合う。その目には、俺が写っている。
はやとの動きが鈍る。反射的に防御の形から剣先を振り、木刀を弾く。
その拍子にはやとの手から木刀が離れ、弾き上げられた後、地面に落ちる。床と木刀が接触する音が何度か響き、止まった。
「……人のことを散々に言っておいて、なんだそれは。〝バカにしてるのか〟?」
「……お前が──」
はやとは悔しそうに眉をひそめる。
「──そんな顔するからだろ。」
木刀を拾ったはやとは、俺に背を向けた。
「泣くなら涙ぐらい流せ。気持ち悪い。」
言葉の意味がわからず、自らの目元に触れる。濡れている様子はない。
「おい、どういう意味だ?」
「知るか!」
はやとはそう言い放ち、修練場を出ていった。
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