第六節 回向 (3)
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1ヶ月後に迫った成人の儀に向け、準備が進んでいた。
机と椅子がしまわれた会議室には、俺と
「真人、苦しくない?」
今日は、儀礼用の装束の完成品が渡された。
「大丈夫だよ。」
宏文の問いかけに応える。
薄い黄褐色の上衣と袴。鞢と甲手、足袋と脛当と草鞋。それに、口元まで覆える少し変わった形状の羽織。儀礼用のためか生地は少し重いが、目立った装飾品はなく、動きやすい。
「この羽織、1部隊の制服に似てるね。」
「あれは、夜霧の装束を基に作ってあるからね。」
「そうなんだ。」
成人の儀を乗り越えれば、1部隊への仮加入が認められる。そして、トレーニングと並行して、1部隊が扱う装備品についての研修も行われている。本来であれば正式加入まで1年をかけるが、俺自身の要望と諸条件を満たしていること、1年というのは事務的に設けられた期間であることから、4月の年度替わりに合わせて正式加入できるよう、指揮官が調整してくれている。
とは言っても、まずは成人の儀で認められなければならない。
目の前のことに集中しよう。
「少し動いてみようか。」
宏文の提案で、修練場に向かうことにした。
中に入ると、間沙とはやとが休憩していた。
「お!真人、キまってるねー。」
はやとが飛び起きて近づいてくる。
「ちょっと着られてる感はあるけど。」
「ゔ……やっぱり?」
鏡を見た第一印象は、〝似合わない〟だった。
「大丈夫だ、はやとよりは似合ってる。」
間沙が座ったまま俺を見て、はやとを見た後に、顔を背けて笑いを堪える。
「なっ!?人が気にしてることを!」
今年ももう終わりだが、正月の稽古初めに見たはやとの装束姿を思い出す。
「啓太が〝コスプレ〟って言ってたね。」
宏景さんが真顔で発した単語に、間沙と宏文が吹き出す。おそらく宏景さんは、言葉の意味はわかっていても、ニュアンスまではよくわかっていない。
「それは良いとして」
「良くない!」
宏文の言葉をはやとが遮る。そのはやとの脹脛を、間沙が手刀で叩く。
「のほぉ!?」
その場に崩れ落ちたはやとを無視して、宏文が続ける。
「はやとか間沙に、真人の相手をしてほしいんだ。」
「おい、どうする。」
「はいはーい!俺やるー!今日は間沙に圧勝したからね!」
珍しい。2人の勝負は、俺の知る限りいつも接戦だ。どちらかが圧勝することはなかなかない、と
間沙の表情を盗み見る。
やっぱり、本調子じゃなさそうだよね……
気になるのは、天野家の当主についてだ。顧問の4人に稽古をつけてもらう機会があったが、やはり天野はいなかった。しかし、それに関して璃奈が口籠った様子から、聞くのも躊躇われる。
そういえば間沙の右頬に、いつも付けている傷テープとは別に、処置をした跡がある。何かあったのだろうか。
「ん?俺の方がいいか?」
間沙は、俺の視線をそう受け取ったらしい。
「え!?」
その言葉に、はやとがショックを受けて固まる。
「そうなの、真人くん……」
「ち、違うよ!よろしくお願いします、はやと大先輩!」
なんとかはやとのやる気を取り戻し、コートへと降りた。
コートの一部を空けてもらい、はやとと相対する。
「軽くで良いからねー!」
宏文の声に送られ、構える。軽く息を吐き、集中。
「いくよ。」
はやとが打ち込んでくる。本気ではないだろうが、最初の頃はこの程度も捌けなかった。そう思うと、自分の成長を感じる。
去なし、刃を返す。狙いは左の脇腹。
後ろに飛び退って避けたはやとは、すぐに踏み込んでくる。俺の喉元を狙って木刀を突き出される。
横に避ける。はやとの動きを予測し、大きく屈む。
頭上を木刀が通り過ぎる。
両足に力を込め、はやとの鳩尾に向けて木刀を突き出す。
はやとは振り抜いた木刀の勢いを利用して避けながら、俺の後ろへ回り込む。
狙いは首か、心臓か、手か。
振り返らずに、勢いのまま前に進む。
背後で風切り音がした。振り返る途中で、はやとの追撃が見える。心臓を狙った突き。
それをはたき落とす。はやとの体勢がやや崩れる。
前傾になりながらも距離を取ろうとするはやとに、思いっきり飛び込む。
届け……!
木刀が頭に届く直前に、はやとが左手だけで俺の両手首をつかむ。
「うお!?」
はやとは体を反転させて、俺を背負うように投げ飛ばす。
仰向けで床に落ちる。受け身をとって顔を上げた時には、はやとの木刀が目の前にあった。
「っ……参りました。」
はやとが俺に手を差し出す。それを借り、立ち上がった。
「うん、良かったよ。これなら、成人の儀も大丈夫そうだね。」
「本当?」
俺を鼓舞するために言っているのだろうが、その言葉は素直に嬉しい。
扉前のスペースに上がると、宏文が俺の羽織を整える。
「どう?着心地は。」
「動きやすいよ。ありがとうございます。」
宏景さんにもお礼を言う。
「どういたしまして。成人の儀、がんばってね。」
「はい!」
俺の返事に、宏景さんは笑顔を返した。
着替えを終えると、宏景さんと宏文は、既に客人用の部屋に向かった後だった。
3人で自室のある別棟に戻る。勤務時間中は、休みでも別棟に残っている人は少ない。年末の休暇に入った今なら、なおさらだ。
はやとと間沙の会話が途切れる。静かな廊下に、靴音が響く。
……そうだ、言わないと。
「あ、あのさ、」
前を進む2人に声をかける。
「間沙、はやと、その……ありがとう。」
「どうしたの、改まって。」
足を止めたはやとが聞き返す。
「いろんな人にたくさん面倒を見てもらって、すごく感謝してる。でも、それ以前に2人は、俺の命を助けてくれた。今更だけど、お礼が言いたいんだ。あの時は、とにかく余裕がなくて、伝えなきゃいけないことなのに、そこまで頭が回らなかったんだ。助けてくれて、ありがとぅお!?」
言い終わる前に、はやとに抱きしめられれる。
「本当にっ、ぐすっ、良い子に育って……」
泣き真似をするのは、はやとなりの照れ隠しだろう。
「はやと、そろそろ離れて?」
大人しく離れるはやとの向こうで、間沙は複雑な表情を湛えていた。
「真人、俺は……真人の母親を助けられなかった。」
「……状況からして、母さんが助かる可能性は、なかったと思うよ。たまたま出動してた2人が近くにいたから、すぐに現場に到着できた。俺が助かったのだって、幸運だった。」
間沙は黙って俯いた。
「もし母さんを助ける道があったとしたら、それはきっと、俺にしかできなかった。」
間沙が自らの拳を強く握る。言葉を詰まらせる間沙の肩を、はやとが叩く。
「もー、感謝くらい素直に受け取っときなよー。」
はやとの言葉にも、間沙は頷かなかった。
「俺もさ、真人の母親を助けられなかったことに、責任は感じてる。どう足掻いても避けられなかった結果だとしても、目の前で命が奪われた。それは、忘れていいことじゃない。でも、彼女が護った命に、俺たちの手は届いた。真人を助けられて、本当に良かったよ。ね、間沙?」
「……そうだな。」
間沙はそう言うと、歩き出してしまう。
頭を押さえたはやとと目が合う。はやとは困ったように笑った。
「あ、そうだ!」
はやとはわざとらしく声を上げると、前を行く間沙の肩を掴み、足を止めさせる。
「なんだよ。」
「装衣の畳み方、もう一回教えてあげれば?」
「さっき教えたばかりだろ。」
こちらを向かされた間沙は、鬱陶しそうに振り解こうとする。だが、後ろをとったはやとはなかなか離れない。
「真人、ちゃんと覚えてる?」
「た、たぶん?」
「あれ難しいよねー。」
当然だが、普段着とはわけが違う。部屋に帰って復習しようと考えていたのだが、間沙が見てくれるのならありがたい。
「確認のために見てくれると嬉しい、かな。」
俺の言葉を聞いて、間沙はなぜかはやとを睨んだ。
「……わかった。荷物を置いたら、真人の部屋に行く。良いか?」
「うん、お願い。」
はやとの手を振り解いた間沙は、何か言いたげな目線をはやとに送った。
数十分前の記憶を頼りに、装衣を畳んでいく。止められることなく畳み終え、横に座る間沙を見る。
「どう?」
「完璧だ。さすがだな。」
俺を褒める声は、いつもより硬い。
「……さっきのことだけどさ、本当に、間沙は悪くないと思ってるよ。感謝しかない。」
間沙は、身体をこちらに向けた。
「真人……すまない。お前のことを考えれば、俺は親役を引き受けるべきじゃなかったのかもしれない。」
「え?どういうこと?」
「……役目を果たせるか、自信がない。」
間沙の発言に驚く。彼の弱気な言葉を聞いたのは、初めてだった。
「顧問や指揮官は、俺にとってこの経験が必要だと言った。そして俺は、それを承諾した。前に進み出すために、真人の成人の儀を利用することにしたんだ。」
「それは、悪いことなの?俺は、間沙のためになるなら、良いと思うよ。」
間沙は不安げに笑った。そして長く、静かに息を吐く。
「顧問に、天野家の当主がいないことは、わかっているよな?」
気になっていたことを間沙は口にする。少し緊張しつつ、頷いた。
「今の天野家には、正式な当主がいない。」
「そうなの?」
「臨時の当主が村を仕切っている。前の当主、俺の父親である
間沙の声がわずかに震える。それを抑えるように奥歯を噛み締めた後、言葉を続けた。
「俺が殺した。」
「えっ……」
間沙が、父親を、殺した……?
「間接的に、ってことだよね?何か、その、原因になったとか……」
「いや。俺がこの手で、間義様を斬った。それが、成人の儀でのことだったんだ。」
絶句、してしまう。
「正確には、」
間沙が言葉を続ける。
聞きたくない。でも、間沙が話すべきだと決断したのなら、俺はそれを受け入れるべきだ。それほどの恩義が、彼にはある。
「おそらく俺が殺した。成人の儀の最後、紫石の欠片の移譲がなされた直後に、間義様が俺に宿った紫石を覚醒させた。そして俺は、そのまま紫石に呑まれた。だから、その時のことは覚えていないんだ。」
紫石に呑まれると、その間の記憶に障害が発生すると習った。
……俺も、母さんの遺体を見るまで、事件のことを思い出せなかった。
「妹に起こされた時には外にいて、稽古場は燃えていた。俺と、俺の持っていた刀に、多量の血液が付着していた。その血が間義様のもので、焼け跡から出てきた死体も、間義様だと判断された。」
「その傷も……?」
「ああ。」
テープで隠された右頬の傷痕が、あまりに痛々しく思え、目を伏せた。
「正当防衛、だよね?移した直後の紫石を覚醒させて襲ってくるなんて、悪意があるようにしか思えないよ。」
「……見方は人に依る。その後、俺は村から追放された。紫石を俺から移さないあたり、期限付きだろうがな。情けない話だが、意識せずにはいられない。考えただけで、手が震えそうになる。心も剣も、紫石も、不安定になる。それでも俺は、進み出さないといけない。だから、自分自身のためにも、親役として真人の前に立つと決めた。」
その目に、不安が揺らぐ。
……あぁ、そうか。間沙は──
「そんな俺を、母親を助けられなかった俺を、〝親役〟として認めてくれるか?」
「もちろんだよ。俺の親役は、間沙しかいないと思う。」
「……ありがとう。」
そう言って間沙は立ち上がると、部屋を出ていく。
扉が閉まる音を聞き、ベッドに倒れ込んだ。なんとか誤魔化した自身への嫌悪感が、鉛のように重い。
見ないようにしていた、心の奥底にあるものを、引き摺り出す。
俺は、復讐を望んでいる。母さんが殺されていい理由なんて、あるはずがない。その真相をこの目で見て、その元凶をこの手で討つ。それが俺の原動力だった。私怨のために紫石を利用するべきではない。それを理解しているからこそ、奥底にしまっている。それでも、この欲求は確かに俺の中にある。
──間沙は、復讐される側だ。
俺の奥底にあるものを分かった上で、間沙はあらゆることを教えてくれた。
〝ありがとう〟という彼の言葉が、辛うじて俺を救い上げる。
不安だったのだろう。母さんを助けられなかったことに、責任を感じていた。成人の儀で父親を殺めた過去があった。俺が感謝を伝えたことで、間沙の助けになったのなら……買い被りすぎか。誰かの助けになるには、俺は未熟すぎる。自分の身だって、ままならないのに。
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