第五節 鳴噪 (4)
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ひと通りの精密検査が終わり、隔離病室に戻る。ベッド脇の椅子には、指揮官が座っていた。
「おつかれさま、宏文。」
指揮官は立ち上がり、俺をベッドに促した。
「おつかれさまです。」
軽く頭を下げ、ベッドに入る。
「その様子だと、特に問題はなさそうだね。」
上体を起こしたまま、話を聞く。
「といっても、経過観察、兼、違反行為への罰則として、あと6日は隔離病室にいてもらうよ。」
「すみません。」
指揮官は、しかたない、と言うように苦笑した。
「罰則は1週間の謹慎、その後、さらに1週間の研修だ。まずはゆっくり体を休めてくれ。」
実働1部には制約がかけられている。紫石という未知の物質を宿し、人並外れた能力を持つ者たちを、安全に役立てるための手綱だ。許可のない刀の召喚や紫石の覚醒は、もちろん違反行為だ。加えて、紫石の力を引き出しすぎることも、許可がない限りは禁止されている。
「本当にそれだけで良いんですか?」
罰則は事前に通達された通りの内容だった。
「機械兵の急襲、そして、それに対する君の対応を考えれば、妥当だと思うよ。」
指揮官は笑ってそう答えた。
「ありがとうございます。」
それを鑑みても軽い罰則だと思ったのだが、素直に受け取る。軽くなるよう、指揮官が掛け合ってくれたのだろう。
「お礼を言うのはこっちの方だ。機械兵との接触は、これでまだ2回目。しかも、前回から1年と3ヶ月も期間が空いていた。突然の交戦にも関わらず被害が軽微だったのは、宏文のおかげだよ。ありがとう。」
指揮官は頭を下げた。
「ただ、気をつけてね。次期当主である君には言うまでもないだろうけど、
「はい、気をつけます。」
「といっても、そんなことを考えている場合じゃなかっただろう。宏文を含め、1部隊員が紫石に呑まれることも、力を悪用することもないと、僕は信じている。機械兵のこともあって、実1制約を緩和したいんだけど、なかなか難しくてね。」
指揮官はため息混じりにそう言うと、席を立った。
「ともかく、今は安静に。今日の準待機は啓太とはやとだから、自室に物を取りに行く時には、付き添いを頼んでね。」
「わかりました。ありがとうございます。」
最後に笑顔を見せると、指揮官は病室を出て行った。
「ふぅ……」
ベッドに沈み込む。耳の奥で、脈動と波長が響く。
紫石が昂まる感覚は、今でも苦手だ。指揮官も言ってくれた通り、相当なことがない限り、呑まれはしないだろう。それでも考えてしまう、最悪の事態。
俺が紫石に負け、誰かを殺す。そんな俺を、誰かに殺させる。
〝声〟が聞こえる。寝返りを打って誤魔化す。
目を瞑ると、浮かんでくるのは、大きな夕日だ。
〝宏文なら大丈夫だ。〟
「ごめん……」
その言葉をもらった時と、同じ言葉を返す。だが、言葉に込めた意味は違った。あの時は、彼の励ましを素直に受け取れないことへの謝罪だった。今は──
紫の光を帯びた刀。それを持つ彼の手。血で濡れた刀が、俺に差し出される。
〝後悔させるな、宏文。〟
その光景を振り払うように、起き上がる。頭の傷が痛んだ。
啓太に通信を入れる。
『啓太だ。』
「宏文だよ。自室に荷物を取りに行きたいんだけど、付き添いをお願いしても良い?」
『ああ、今からそっちに行く。』
「ありがとう。」
今は、彼に相対できないことへの、逃避への謝罪だ。俺は、彼にさせてしまった選択に、応えなければならない。わかっている。わかっているからこそ、彼の前に本気で立つことができない。もし俺のすべてをぶつけても、彼が選択を〝後悔〟したならば。俺はもう、自分を認めることができない。
しばらくして、隔離病室の扉が開く。
「おつかれ、調子はどうだ?」
「大丈夫だよ。ごめんね、呼び出して。」
「いや、ちょうど自室にこれを置きに行こうと思ってたんだ。」
2人で病室を出ながら、啓太は手に持った資料を軽く上げた。
「昨日の事件の?」
隔離病室のある3階には、研究部の区画もある。そこから貰ってきたのだろう。
「ああ。結局、機械兵について新たに得られたことはあまりなさそうだ。ただ、映像を見た限りでは、明らかに手強くなっていた。機構そのものに変化はそれほど見られない。であれば、操作性の改善があったんだな。機械兵と、それを操作している人間とのズレが、大幅に減ったんだろう。そうだお前、機械兵に向かって蹴り入れただろ。」
「あはは……後から考えたら、馬鹿だよね。」
ひん曲がった脛当てを思い出しながら、笑って誤魔化す。
「気をつけろよ。そこまで硬度はないが、運が悪ければ骨折くらいはする。あとは、2部隊用に装備品を新しくつくるとか言ってたな。」
「装備品?」
「機械兵が現れた時に、防御できるようなシールドをつくるらしい。常に装備していても邪魔にならない構造で、それこそ、俺たちが斬っても耐えられるようなものを作ろうとしている。」
紫石の宿主が喚び出せる刀は、普通の刀よりも強度と斬れ味が高い。その特性は、紫石の宿主が普通の刀を持った場合にも見られる。もちろん、召喚した刀には劣るが。つまり、紫石のエネルギーが流れる機械兵が持つ刀にも、その特性が見られる可能性はある。
「たしかに、少しでも身を守る術はあった方が良いね。どう動かれるかわからないし。」
「相手の目的がハッキリしない限り、俺たちは後手に回らざるをえない。まったく、嫌な状況だ。」
「本当に、何が目的なんだろうね。」
機械兵がその問いに答えることはなかった。
真人が保護されてから昨日まで、機械兵に動きはなかった。改良を施していたのかもしれないが、1年3ヶ月もの間、まったく目撃されなかったというのは、少し引っかかる。そして、なぜ今になって姿を現したのか。
考えなければいけないのに、やけに〝声〟がうるさい。
〝お前は、紫石が憎いと思ったことはあるか。〟
やはり意図はよくわからない。
──紫石ガナケレバ、
〝憎い〟なんて大それた感情を、
──真東ノ大木デ、
機械兵を操る人物は抱えているのか?
──彼ガ待ッテイルノダロウカ。
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朝からデスクに向きっぱなしの体を伸ばす。おそらく、明日から1年は、ここを離れることになる。なので、できる限りのことをしておきたかった。もう1度確認しようかと姿勢を戻すと、ドアが開いた。
「
湯呑みと砂糖菓子が乗った盆を持った
「ああ、ちょうど一区切りついたところだ。」
俺の返答に笑顔を見せた燈夜は、椅子に座った。その様子を見守ってから、自らも対面の椅子に座る。
「けっこう疲れているみたいだね。」
淡紫色の目に、相手の表情を捉えるほどの視力はない。それでも燈夜は、相手の心身の状態をよく見ている。
「ありがとう。いただきます。」
緑茶を啜り、ふぅ、と息を吐く。身体から、余計な力が抜けていく。砂糖菓子を1つ口に含む。歯を立てると、かなり硬い感触が返ってくる。燈夜が砂糖菓子を摘んだのを見て、すぐに制止する。
「かなり硬いから、やめた方が良いんじゃないか?」
「噛まなければ大丈夫だよ。」
そう言って口に入れると、幸せそうな声を漏らしながら、目を細めた。
舌の上で、甘さがゆっくりと沁みていく。
静かに味わっていると、さまざまな思考が浮かぶ。
「あ、また考えごとしてるでしょ。」
その癖を、燈夜はすぐに見抜いた。
「僕との休憩中は、難しいこと考えちゃダメ。」
今までも、幾度となくそう言われた。彼なりに、俺のことを案じているのだろう。
「しばらく一希とは会えないのかー、淋しいなぁ。」
「父上のこと、よろしく頼むよ。」
「えー?先生に僕からできることなんて、それこそお茶を淹れるくらいじゃないかな?先生には、お世話になりっぱなしなのにね。」
「そんなことはない。燈夜がいなければ、人形はつくれなかった。」
「それは代金を支払っているだけだし、厳密には僕の力じゃないよ。」
自虐的ではなく、単なる事実と捉えて、彼はそう言った。
「僕も一希みたいに、先生のサポートができれば良いんだけど。そこまで頭良くないしなー。」
「頭の良さはともかく、そもそも、長時間モニターの前に座ることを許されないだろう。」
「そうだよね。んー……疲れが吹き飛ぶくらい美味しいお茶を淹れられるようになる?」
湯呑みを顔の前に掲げ、真剣にそう言う燈夜を見て、口元が綻ぶ。
「燈夜はそのままで良い。でも、お茶がもっと美味しくなるのは悪くないな。」
「じゃあ一希が戻ってくるまでに、びっくりするくらい美味しいお茶を淹れられるよう、修行しておくね!」
笑顔でそう宣言する燈夜を見ていると、活力が湧いてくる。
ここを離れることに、不安はある。しかし、必要なことだ。父上は俺を信頼して、この役目を任せてくださった。必ず、成功させなくてはならない。
「一希。」
湯呑みに落としていた視線を、対面に座った燈夜に向ける。彼は優しく微笑んでいた。
初めて出会った時も、彼は同じように微笑んでいた。
突然現れた彼に、俺は刀を突きつけた。剣先が触れた首元から、一筋の赤が、白い肌を滑り落ちていく。
彼の事情を知った今では、自分の行動が恨めしい。
再び視線を外した俺を見て、燈夜は立ち上がった。座ったままの俺を、横から抱きしめる。
「きっとできるよ。」
優しい声と腕の中で、頷く。
「燈夜……俺と父上で、夜霧一族を、紫石の在り方を変える。悪習に縛られて命が危険に晒されることも、尊大な力が弄ばれることも、この代で根絶する。」
燈夜は黙っている。
彼の白い腕に、そっと触れる。紫石などとは無縁であるべき、繊細な体。彼の視界を、自由を奪ったのは、紛れもなく〝夜霧〟だ。
「だから、もう少しだけ協力してくれるか?」
小さな笑い声が、耳にかかる。
「言ったでしょ?僕は先生に対価を支払っているだけ。たとえ何年かかっても、僕は君たちに協力する。この体とは、一生付き合っていかなくちゃならないからね。」
彼の言葉に、胸が痛む。その痛みに叩かれて、決意は強固になる。
「必ず成し遂げる。」
淡紫色の目に、そう誓った。
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