第四節 尊尚 (4)

(12年前)


 次の日の早朝、吹雪の音ではなく、部屋の外の騒がしさで目が覚める。部屋を出ると、ちょうど使用人の1人が、廊下を小走りに駆けていこうとする。

「あの……」

「ああ、おはようございます。」

「何かあったんですか?」

「それが、啓太様のお姿がなくて。」

「啓太が?」

「はい。先ほどお部屋に伺ったのですが、〝すぐに戻る〟と書き置きがあるだけで。今、探しに出るところです。璃奈さんは、家の中にいてください。」

そう言って、また小走りに去っていった。

啓穂さんの耳にも、入っているのかしら?

 啓穂さんの様子が気になり、部屋に向かう。ちょうど、使用人が出ていくところが見える。

「啓穂さん。」

「璃奈、ちゃん?」

啓穂さんの声は震えていた。部屋に入ると、啓穂さんは泣きそうに顔を歪めていた。

「璃奈ちゃん、啓太が!」

「うん、今から探しに出るって。」

「なんで、抜け出したりなんか……」

啓太が、昨日の啓穂さんの様子を見て、放っておくはずがない。

「手袋を、探しに行ったんだと思います。」

「なん、で……」

「……啓穂さん。啓太には、あなたが必要だと思う。」

「……私も、そういう存在になろうと思ってたよ。たとえ本来の役目が果たせなくても、何か力になろうって。でも結局、私は……」

啓穂さんの目から涙が溢れる。

「それは違うわ。」

目元を擦る彼女の手を取る。

「ずっと昔から、啓穂さんは、啓太にとって必要な存在なの。香川家の後継ぎとしてではなく、家族として。あなたが側で笑っていることが、啓太にとって大切なことだと、私は思うわ。」

「そんなこと……」

「だってそうじゃなかったら、こんな朝早くから抜け出す理由がないでしょ?」

啓穂さんは家族の名をか細く呟くと、窓の外に目を移した。まだ日の昇りきっていない空に、薄黒い雲は見えなくなっていた。

「大丈夫、すぐに戻ってくるわ。」

啓穂さんの前では隠していても、彼女のために必死で行動していたのを、私は知っている。啓太の中で、〝姉上〟が〝啓穂〟になった理由。それは彼にとって、啓穂さんが大切な存在だからに他ならない。

互いの想いが伝わるようにと、窓から望む煌めく雪山に、願いをかけた。



(同時刻)


 日がまだ山の向こうにある頃、俺は家を抜け出していた。雪は止んだが、空気は肺の奥まで震えるような冷たさだ。

 雪を踏み分け、小屋を通り過ぎる。啓穂が転んだ場所を見ると、道の脇には大木があった。

根で盛り上がった部分にでも足を取られて、雪で滑った、ってところか。


 寒椿の元までたどり着くと、赤と緑は白に埋もれていた。手袋のまま雪を払い落とすと、花びらがひとつ、雪と共に落ちる。吹雪のせいか、雪の上に落ちた花びらが、昨日よりも相当増えていた。

雪を掻き分ける。積もった分、少し掘らなければいけない。

溶けて重くなる前に来たのは、正解だったな。


 30分ほど探したが、目当ての赤は見つからない。

書き置きはしておいたが、寝床を抜け出したのは良くなかったか。今頃、探されているかもしれない。

赤色を見つけ周りの雪を払うが、花びらだった。

「くそっ……」

寒椿を背に腰を下ろすと、ぐらっ、と雪が沈む。

驚いて寒椿の周りをよく見る。雪の積もり方が一律ではない。

窪みがあったところに雪が積もっているのか。

不自然な部分にゆっくりと足を乗せると、他の場所よりも簡単に沈んでいく。

ここに来るまで、啓穂は手袋を付けていた。雪は散らつく程度だったから、少し見渡せば見つかったはずだ。でも、窪みに落としたのなら、見失ってもおかしくはない。

しばらく雪を掘っていると、赤い色が見えた。

「あった……!」

近くを掘ると、もう片方も出てきた。安堵し、つい木にもたれかかると、雪の塊が落ちてくる。

「うわっ!」

視界を奪われ、バランスを崩した。そのまま雪の上を転がり落ちる。少し下の木にぶつかり、またもや雪が覆い被さって止まった。

「ぶはっ!」

雪から脱出し、寝転がる。

「ふぅ……ははっ。何やってんだ、俺……」

手袋なんて、新しいものを買えばいい。新調しても、父上はそれほど気に留めないだろう。でも、昨日の啓穂を見ていたら──

〝なんで私っ、何も、できないんだろう……〟

──悲しくなった。啓穂が俺に劣等感を抱いていたことにではない。啓穂自身を、何もできないと言ったことに対してだ。

俺には、寒椿が咲くのを予測することはできない。山の些細な変化に気づくことも、花を優しく扱うことも、命を削ってまで側にいることも。必要ないと言われるかもしれない。でも、俺はそうは思わない。少なくとも、啓穂が居なければ、今の俺はいない。

 起き上がり、坂を登る。寒椿の咲く場所まで戻る。

ありがとう、教えてくれて。

手袋を外し、花を覆う雪を払う。

赤い花と緑の葉は、白い雪の中で、身を寄せ合っているようだった。


 山道さんどうの入り口で俺を探していた使用人と出会い、共に家へ戻る。玄関近くで不安げに待つ人の中に、璃奈もいた。俺を見つけると、駆け寄ってくる。

「啓太!」

「朝食を済ませたら、早いうちに帰れよ。」

「言えば私も行ったのに。」

「だったら言うわけないだろ。」

「もう……啓穂さんも、心配していたわよ。」

「ああ。」


 母上に謝った後、啓穂の部屋へ行く。

「啓穂?」

「啓太!?ちょっと、痛っ……」

「開けるぞ。」

啓穂は布団から立ち上がろうとしていた。

「起きるな、悪化するぞ。」

「啓太、どうして」

「ほら。」

手袋を渡しながら、啓穂の体勢を戻させる。

「探してくきてくれたの?」

「放っておいたら、啓穂が自分で探しに行く気がしてな。そうしたら、また負ぶって帰る羽目になりそうだ。」

「嘘つき。」

「何がだ。」

「私、啓太が嘘つくとすぐわかるから。」

啓穂は、泣きそうになりながら笑う。

「ありがとう、啓太。昨日は、本当にごめんなさい。迷惑かけちゃったこともだけど、私、八つ当たりしちゃった。啓太が私のことわかってないなんて、そんなはずないのに。本当に、ありがとう。」

啓穂は手袋を大事そうに握りしめ、涙をひとつ零した。



X28 1/19


 夕食時の食堂で、俺と真人の前にはたいへん愉快な状態のはやとが座っていた。

「はぁ……」

盛大に溜息をつきながら、グラタンのチーズを剥がしている。

「グラタンでも着飾る時代なのに……」

「いや、グラタンのチーズは別に着飾ってるわけじゃないと思うんだけど……なんか前にも言ったよね、これ。」

「なんだ、まだリフレッシュできてないのか。」

「2人は昨日、璃奈とお出かけしたんでしょ?いいなー、俺もオシャレして出かけたーい!」

「出かければいいだろ。」

「次の休みって、誰と被ってるの?」

真人の問いかけに、はやとはムギュッ!と顔を限界まで顰めた。

「あー、間沙か。」

はやとの反応から察した答えは、どうやら当たりだったようだ。限界かと思われた顔を更に顰ませたはやとを見て、思わず鼻で笑う。

「なんでよりによって間沙なのー!?」

「嫌なの?」

「だってー……間沙はオシャレとか興味ないし。そのくせ無難な服をあのスタイルで着るから、普通にカッコよくなるし。頑張っちゃってる俺がなんか浮くし。でも攻めないのは性に合わないしなんか悔しいし!」

「サラッとスタイルで負けてることを認めたな。」

「か、顔は勝ってる……」

「自分で言ってる時点でなんか負けてない?」

「ゔっ……」

「はい、論破。」

ホント、面白すぎ。

「くぅーっ!黙れリア充め!」

「はいはい、泣かないではやと。」

はやとの言葉に真人が反応している。そろそろネタばらししてやるか。

「どうした、真人。タルタルが喉に詰まったか?」

「どういう状況だよ、それ。あれ、これも前に言ったよね?」

「そういえば、昨日はやけに探りを入れていたようだったが?」

「え!?いやぁ、えーっと……」

「なになに、なんかあったの?」

はやとが食いついてくる。早くグラタンも食ってやれ、と心の中で警告する。

「そのー……啓太は璃奈のこと、どう思ってるの?」

「ぶふっ!」

はやとも真人の勘違いに気付いたのか、下を向いて笑いを堪える。

「どうって?」

「なんか、距離感が近いなーって?」

机に突っ伏した状態になったはやとは、もはや笑いを堪えきれていない。

備え付けの緑のタバスコの蓋を開け、追い剥ぎを食らったチーズに染み込ませる。

「……い、許嫁、みたいな?」

はやとが噴き出す。

赤のタバスコも追加でトッピングしてやろう。

「実はな、香川家の人口が減っていて、近くにある山辺と合併することになってるんだ。だから、俺と璃奈は特例でな。」

「そうなの!?」

「嘘だ。」

「ちょっと!」

〝あっはははっ!〟と盛大に笑いながら、はやとが勢いよく顔を上げる。タバスコたちは何事もなかったかのように、元の位置に鎮座している。

「真顔で言うから信じちゃったじゃん!」

「まぁ、村が近いっていうのは本当だ。小さい頃から会ってたから、姉弟みたいなもんだ。」

「あ、だから璃奈は啓穂さんのことも知ってたんだね。」

「そういうこと。」

「啓太が弟とか、絶対に嫌だけどね。」

はやとがフォークを手に取る。今度は俺が笑いそうになるのを堪える。

「俺ははやとが弟でも良いけどな。」

「はやとが弟か……なんで?」

「わからないか?」

「啓太の弟になるくらいなら、兄の方がまだマシ。」

そう言ったはやとは、追い剥ぎチーズをフォークで畳んで一口で食べる。

「あっ、それ」

「んーーーー!?!?」

はやとが水を一口で飲み干し、新たな水を求めてダッシュする。

「からかい甲斐がある。」

「やっぱ啓太はシンパシーを感じて……」

「ん?」

「なんでもない。そっかー、幼馴染だったんだ。なんか俺1人でソワソワしちゃった。」

「なかなか面白かったぞ。」

「気付いてたんなら教えてよ!ホント、啓太って優しいんだか意地悪なんだか……」

優しい、ね。まぁ、高評価なのは悪いことじゃないだろう。良くも悪くも、真人を気にかけていたのは事実だしな。

家族を早くに亡くした。そんな細い共通点でも、真人をJSOに縛りつけるための鎖になればと、最初は思っていた。でも、違う。啓穂と真人の母親では、最期も、残された者の想いも、まったく違う。俺はきっと、見たくないんだ。復讐に燃える、いつか消えるその火だけを頼り、灰になってしまう彼を。真っ白に呑まれてしまう前に、手を掴んでやりたい。そうしないと俺は、との最期の約束を、破ることになるだろ。

「あ、雪降ってる。」

真人に釣られて後ろの窓を見ると、雪が散らついていた。冷たいガラスに指先で触れる。啓穂の輝く目を想う。掌は、暖かく感じた。

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