第四節 尊尚 (2)
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JSOに戻ってすぐ、トレーニングルームに向かうと言う璃奈を見送り、啓太と共に資料室に入る。
「啓太、あれはダメだよ……」
「何がだ。」
さして気にもしていないようで、啓太は資料室の端末を起動した。
「ただ食べるだけだったら太る一方だろうけど、璃奈もちゃんと体の管理はしてるし。食べる時くらい、ただ楽しみたいでしょ?」
「さっきの璃奈を見ただろ?俺の言葉のおかげで、トレーニングへのモチベーションが高まっていたじゃないか。太るのは本当のことだしな。」
「モチベって……本当のことでも、言葉にされるとカチンとくるじゃん?一応さ、璃奈も女の子なわけだし。」
「〝一応〟って言ったことについては伝えておく。」
「ごめんなさい!……いや、じゃなくて!」
「〝女の子〟なんて歳でもないけどな。」
「たしか、24だっけ。」
啓太は端末の操作しながら、ああ、と軽く返事をした。
「そんなことより、さっきの話の続きだ。
「啓穂さん、だっけ?」
「そう。
「えっ……紫石が原因ってこと?」
「そういうことだ。」
いつかの座学で見た資料が、モニターに映される。
「啓穂は次期当主の長子でありながら、香川の紫石との親和性が低かった。俺たちの母親に問題は見られなかったんだが、その更に父親、一族外の男性から引き継いだ潜性遺伝子が発現したらしい。」
一族を表すの枠の外、祖父にあたる人物を、啓太はカーソルで差し示した。
「そういうのって、婿に入る時にわからないの?」
「紫石の欠片はもともと1つだったくせに、それぞれ固有の波長を出している。あくまで
「えっと……」
紫石の波長と相性の悪い体質。それを持ってしまった子が産まれるかどうかはわからない。放っておけば、紫石が原因で死んでしまう。それを治療したり、緩和したりは……あれ?でも、啓穂さんが亡くなったのは9年前、って言ってたよな。ということは、産まれてすぐに亡くなったわけじゃない。
「啓穂さん、入院はしなかったの?それとも、突然……ってこと?」
「良い質問だ。紫石の波長によって引き起こされる疾患は、潜行性で非特異的だ。つまり、産まれた時から徐々に進行するが、すぐに判明するわけじゃない。一方で、突然死でもない。実際に啓穂は、亡くなる3年ほど前から症状が現れた。村の外の医者に診てもらったことはあったが、結局のところ、入院はしなかった。」
「なんで?」
「その理由が、さっきの問題の答えだ。夜霧は紫石を管理するという役割を第一に考え、かつ秘密主義だ。当主に近い人間であるほど、その役割を重く見る傾向にある。それこそ、自分の命よりもな。加えて周りの人間も、一族の外に人間を出すことを嫌う。そんな環境の中で、村の外に長期間出ることを、啓穂は選択しなかった。」
啓太は淡々と話している。感情は読み取れない。
「でも、啓太は村を離れてここにいる。JSOに加入することと、何が違うの?」
「〝夜霧が満ちる。そこに
夜霧に伝わる教えだ。より良い世のため、誰に助力するかを見極める。〝夜霧〟は、そういう忍びだったらしい。
「その〝為すべき事〟を、JSOに協力することだと、香川家は考えた。つまり俺は今、長期間任務中ってわけだ。協力している他の家も、大筋の理由は同じ。逆に非協力的な家は、そうは考えていない。おそらくは、同じ組織に使われ続けること、次期当主の身が長く村から離れることが、容認できないんだろう。」
「つまり、啓太は〝為すべき事〟のためだから良くて、啓穂さんはそうじゃないからダメ、ってこと?」
「まぁ、そうだな。最終的に決断したのは啓穂自身だったが、一族の環境がそうさせたと、俺は思う。」
眼鏡越しの啓太の目が、窓の外に向けられる。晴れた空のずっと向こうに、薄黒い雲が見えた。
「現代において、本来の一族の在り方は、既に保たれていない。本質に固執するあまり、失われた命があるんだ。適応するべき時は来ている。1部隊の親族では他に、
そうだったんだ……
安置室で、感情のままに拳を向けた自分の情けなさが、思い出される。
「啓太はさ、紫石が嫌いになったりしないの?」
「嫌いって……俺たちは管理者、もしくは利用者だ。嫌いも何もない。言いたいことはわかるがな。母上にも同じようなことを言われた。父上や紫石そのものに、恨みを抱かないでほしい、って。」
「なんて、答えたの?」
「……啓穂のことは悲しいが、恨みなんてない。父親は当主として為すべきことをしていて、紫石と刀もあるべき場所にある。啓穂自身も、それを理解した上での選択だった。〝俺の敬愛するドジな姉上は、恨みなんて、山にでも落としてきたんでしょう。〟ってな。だから、俺が恨むなんてのは筋違いだ。そう答えた。」
俺は、紫石を恨んでいるのかもしれない。これがなければ、と思ったこともある。その紫石をもって、俺は……啓穂さんが聞いたら、なんて思われるんだろうか。
「まぁ、啓穂は頭の中が年中お花畑みたいな人だったからな。大小はあれど、人間ってのは、恨み辛み抱えて当然。真人が啓穂を倣う必要はない。」
啓太は端末の電源を落とした。暗くなったディスプレイに、俺の顔が映る。
「真人は、1部隊に早く入りたいか?」
「え?うん、まぁ……」
「どうして?」
どうして、だろう?真実を確かめたい。それだけであれば、忙ぐ必要はない。でも、俺は……自分の目で確かめたい。俺がもたついている間に、この件は終息するかもしれない。そう考えるもどかしい日々は、早く終わってほしい。
「答える必要はない。真人の中で考えがまとまれば、俺の質問に意味はある。あまり無理はするな。」
啓太にしては、珍しい言葉を口にする。一方で、らしくない、とは感じなかった。
(同時刻)
トレーニングルームに入ると、中には多くの人がいた。夕食前のこの時間は、混んでいることが多い。機器の種類や数はそこそこ充実していると思うが、お目当てのランニングマシーンは先客で埋まっていた。近くのベンチ前で準備運動をしながら、順番を待つ。
「璃奈、おつかれさま。」
そう声を掛けてきたのは、
「おつかれさま。準待機、今日は何もなかった?」
宏文が座る。シャンプーの香りがふんわりと届く。
「うん、出動なし。璃奈は?映画、どうだった?」
「やっぱり私はちょっと苦手。ミステリーだけなら良いのだけど、どうしてあんなにグロテスクなのかしら……」
思い出しただけで鳥肌が立つ。
「はは、ファンにとってはそれが良いんじゃない?」
「たしかに、啓太はご機嫌だったわね。」
映画もだけど、たぶん啓太は、変に勘ぐった真人を面白がっている。
「真人も楽しめてた?」
「そうだと良いけど……たぶん、勘違いしてるわ。」
「勘違い?」
「私と啓太を……もう、口に出したくもない。」
「あー……」
宏文は苦笑いを浮かべた。
察しが良くて助かるわ。わかっているのに、わざと聞いてくるような誰かさんもいるけど。
「早めに言っておいた方が良いんじゃない?啓太にとっては、つまらないと思うけど。」
「それは良いわね。次に真人と顔を合わせたら、絶対に言っておくわ。」
つい口調が険しくなる。
「……啓太に何か言われた?」
宏文が控えめに聞いてくる。
「要らないことを言ってきたの。」
「通常運転だね……」
宏文は困ったように笑った。彼が姿勢を変えた拍子に、長袖のインナーが少しめくれる。左の前腕に、痣が覗く。かなり大きいように見えた。
「どうしたの、それ?」
私の指摘に、宏文はインナーを手首まで戻した。
「ちょっと、稽古でね。」
そんな痣ができるほど、深く打ち込まれた?
1部隊の誰かが、そこまでするとは思えない。
年越しに、篁家に戻った時かしら……
「大丈夫?」
「大丈夫だって。ちょっと稽古でヘマしちゃっただけだよ。」
そう言うと、宏文は立ち上がった。
「それじゃ俺、先に行くね。おつかれさま。」
「ええ、おつかれさま。」
宏文が出ていくのを見送る。ちょうどランニングマシーンが空いた。使っていた2部隊員と軽く言葉を交わし、設定を決め、走り出す。
宏文は、特定の話題を避けているような気がする。それが何かは、よくわからない。妹や弟、父親である宏景さんについては、普通に話すのに。それを自分が知ったところで、何かできるとは思えない。おそらくは、篁家内部の問題だからだ。
速度が少し上がる。スピードに体を慣らし、走り続ける。
ただの自己満足かもしれない。皆が抱えているものを暴いて、わかったように口を出して。それでも私は、彼らを支えたい。啓穂さんがそうだったように。そんな彼女が私に託した想いを、なんとか形にしていきたい。
走る、走る……
私に、すべてを救い上げる力はない。山辺の剣は、常に後手だ。〝護る〟ことに特化したこの剣自体が、悪いわけではない。でも、どうしても、この刃先が届かない領域がある。この指先が掴めない好機がある。
速度を上げる。置いていかれないように。
そんな私の役目は、きっと──
〝だから、啓太を護ってほしいの。私には、〝姉上〟じゃなくなった私には、できないから。〟
──力ある彼らを、自分の傷なんて〝お構いなし〟な彼らを、護ることだ。
(同日)
資料室を出た後、真人と共に夕食を済ませ、自室に戻る。
コーヒーを淹れ、椅子に体を預ける。眼鏡をスタンドに掛け、ぼやけた視界の中で、真人の表情を思い出す。
おそらく真人が訓練を急ぐ理由は、必要であるからではなく、単なる心持ちの問題だ。指揮官の言う通り、か。
真人の訓練の計画を立てたのは
では、なぜ急かすのか。
〝本人が急いでいるのなら、それに合わせた方が良い。下手に
つまりは、真人の気持ちだけが先行して、周りも体も付いてこないと、JSOの枠に大人しく収まっていてくれない。それを指揮官は危惧している。
未熟とはいえ、紫石持ちだ。油断はできない。
少し疲れを感じた。目を閉じ、深呼吸をする。
人が多いところは苦手だ。真人も苦手だと言っていたが、あれは人とのトラブルが嫌なんだろう。俺の場合は、人が多い分、大量の情報が入ってくることだ。
目が良すぎるというのも、困りものだな。
もう癖になってしまっていて、ほとんど意識せずとも、周りのあらゆる情報が入ってくる。故郷の村では、それで良かった。人や自然の変化の全てが、俺に関係のあることだった。
〝今日はきっと、寒椿が咲いているよ。〟
そういえば、この時期だったか。
白い雪の中、赤い花が咲く。
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