第四節 尊尚 (1)

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 朝食時の食堂で、俺の前にはたいへん面倒な状態のはやとが座っていた。

「はぁ……」

盛大に溜息をつきながら、焼かれたシャケの皮を剥がしている。

「シャケでも着飾る時代なのに……」

「いや、シャケの皮は別に着飾ってるわけじゃないと思うんだけど。」

昨日は世に言う成人の日。それに参加できないことを、朝から嘆いているのだ。

俺が思うに、本当に嘆かわしいのはそこじゃない。はやとは今18歳だが、成人式に参加するのなら去年だ。そして、当人はそのことに気づいていない。

言わなくても、良いかな……

さらに面倒なことになる未来が見え、適当に相槌を打つことにした。

「いや、いいんだよ?別に。久しぶりに会う同級生がいるわけでもないし、袴なんて着ようと思えばいつでも着れるし、そもそも成人のタイミング自体が俺らは違うし。でもさー、なんかさー、テレビの向こうでみーんなきゃっきゃうふふと楽しそうじゃん?それ見てるとさー、なんかさー……」

3月生まれの成人男性は、追い剥ぎを受けたシャケをちまちま食べる。

実は、最近のはやとは運が悪い。

実働部は常に誰かが待機している必要がある。基本的には、いつでも出動できる待機組に加え、必要に応じて出動する準待機組がいる。待機組は待機室にいる必要があるが、準待機組はその必要がない。施設内にいれば、特に問題はないそうだ。

最近のはやとはというと、待機組の時には任務が入らず待機室でデスクワークに徹し、準待機組の時に限って出動要請が入る。俺のトレーニングも中断したことがあった。つまりは、自由な時間が減っていて鬱憤が溜まっているのだ。

「おはよう、2人とも。」

俺たちに声をかけたのは、トレイを持った璃奈りなだった。

「おはよう。」

はやとはか細い声で、はよー……、と漏らした。魂まで抜けていそうな声だ。

「どうしたの、はやと?」

璃奈はそう聞きながら、はやとの隣に座った。

「ゔゔっ、良いんだ。俺は働き者だから……」

はやとが泣き真似をする。

「どうしちゃったの?」

璃奈が今度は俺に聞いてくる。

「成人式が羨ましいんだって。」

「違うよ!いや、楽しそうだなーとは思うけどね?つまりは息抜きがしたいの!どっか行きたーい!」

「昨日は休みだったじゃん。」

「いやねー、こうも仕事が立て込むと、いざ休みの日になっても外出する気が起きないっていうかぁ……」

「たしかに、最近のはやとは忙しそうよね。休みの日は、ゆっくり疲れを取ることに使っても良いんじゃないかしら?」

「仕事がほどほどになって、休みの日に遊ぶ気力が残っていますように……!」

はやとが先ほど追い剥ぎをしたシャケに祈りを捧げる。効果は薄そうだ。

真人まことはどう?」

「え、成人式?」

「そっちじゃなくて、息抜き。JSOに入ってから外出したのって、数えるほどでしょ?」

「んー、あんまり外に出たいとは思わないかな。人混みとか苦手だし、やりたいこととかも特にないし。それに、1部隊の誰かを連れ出すことになるし。」

俺の外出には1部隊の護衛がつく。気にせず連れ出してくれて良いと皆は言うが、申し訳なさを感じずにはいられない。

「気にしなくて良いのに。あっ、そうだ。明後日は真人のトレーニングもお休みでしょ?その日、映画を見に行かない?」

「映画?なんの?」

「あまり話題にはなっていないけど、ミステリー小説を映画化したものよ。啓太けいたと観に行く予定なんだけど、真人もどう?」

啓太と璃奈と自分が3人で映画を観に行くというシチュエーションは、なかなか想像がつかない。

でも、ずっと施設の中に引きこもってるのは、良くないのかな?自分の用事で外に出るよりは、付いていった方が気も楽だし。

「じゃあ、行こうかな。」

「決まりね。ふふっ、今から楽しみ。」

前から気になっていたのだが、啓太と璃奈はどういう関係なのだろうか。もしかして、その、親密な……?いや、啓太を見る限りないとは思うけど。かなり仲が良いというか。他の人と接する時より、互いに心理的な距離が近いというか。というか、2人で映画を観に行くところに、俺はついて行って良かったのか!?

悶々と1人苦悩する俺は、納豆をひたすらにかき混ぜた。

「2人とも、その……大丈夫?」

片や追い剥ぎシャケへ祈祷し、片や納豆で心頭滅却を試みる。そんな様子を、璃奈は心底心配そうに見つめていたそうだ。



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 外出手続きを終え、久方ぶりに施設外へ出る。外出するのとベランダに出るのとでは、やはり違う。雲ひとつない冬晴れの下を、3人で歩く。母さんと出かけた時のことを、思い出してしまう。陽の暖かさに照らされると同時に、吸い込んだ空気が身体の内側を冷やしていく。

「思ったよりも寒いな。」

啓太がマフラーを耳まで上げながら、そう言った。


 ショッピングモールに着き、映画施設のある4階まで上がる。

「あと10分くらいで開場ね。飲み物でも買いましょう。」

璃奈の口数がいつもより多い。

楽しみにしてたのかな?

啓太はいつも通りだ。

「原作の小説って、啓太も読んだことあるの?」

「あぁ。この作者の小説はすべて読破済みだ。」

「全部!?もしかして大ファン?」

「なかなかに面白いんだ。犯人を推理するまでは俺にもできるんだが、いつも1つか2つ、腑に落ちない言動が残る。最後まで読まないと、なぜその言動をしたのかがわからないんだ。なんせその理由が、犯人がネクロフィリアだとか、被害者が重度の振動アレルギーだったとか。確かにその片鱗はあるんだが、普通はそんなこと選択肢から外すか、そもそも知らないだろ?作者は相当に性格が悪いな。」

「ねく……なに?」

「ネクロフィリア、屍体愛好者のことだ。それ自体は個人の自由だが、トリックに使うには趣味が悪すぎる。」

啓太は本当にこの作者の作品が好きなのだろうか……

「璃奈も全部読んでるの?」

「いいえ、私は全然。グロテスクなのが多いから。」

「あれ、璃奈が映画観ようって提案したのかと思ってた。」

「提案したのは私よ。啓太が珍しく気になっていたみたいだから、誘ったの。たまには映像として楽しんだら、って。」

「まぁな。そういえば、なんで観に行こうか考えてたことがわかったんだ?」

「小説の栞、この映画の広告が載ったものだったから。いつもはブックカバーのスピンを使っているでしょ?」

「すぴん?」

「カバーについてる栞代わりの紐だよ。なんでそんなところ見てるんだよ……」

「意識して見ていたわけじゃないけど、ずっとそうだったから。」

んー、いよいよ2人の関係が怪しい。普通、そんなこと気付くか?たしかに璃奈はものすごく気配りができるし、すぐに人の変化にも気付く。それにしても啓太のことに詳しいというか……もし仮に、仮にそういうことがあったのなら、俺って本当に邪魔じゃない?え、どうしよう……

「真人、開場したから入るぞ。」

「あ、うん……」


 映画の内容は、かなり難しかった。俺も観ながら推理してみたが、容疑者全員が怪しく見えてしまい、もう皆で寄ってたかってやってしまったんじゃないかと思考放棄した。結局、容疑者5人のうち3人が共犯で、他2人を犯人に仕立てあげようとしていた、ということがわかった時には、作者の意地の悪さを感じた。とても感じた。


 映画施設を出た後、ショッピングモール内のカフェに入った。

「つまり、帰国子女の被害者がピーナッツバター恐怖症だと知っていた犯人たちは、それを利用して被害者の進路を絞った、というわけだ。朝食の時に友人の女性から目を背けたのは、前日にフラれたからではなく、ジャムと共にピーナッツバターを持っていたからだ。こんなの、わかるわけない。」

「ピーナッツバターに恐怖症があること自体、初めて知ったよ。」

「俺も原作読むまでは知らなかった。屁理屈みたいで面白いだろ?」

「それ、面白いと思ってる?」

お待たせしましたー、と店員がパンケーキを持ってくる。

璃奈が頼んだやつだ。美味しそう……

「真人も食べる?」

やば、見すぎてたか。

「ちょっと欲しい。」

「ふふっ、取り分けるわね。」

璃奈が皿にパンケーキの3分の1を乗せる。

そういえば、追加のお皿も頼んでたっけ。さすがだ。

「啓太は?」

「要らない。」

「本当に?」

「……お前、なんか啓穂あきほに似てきたよな。」

啓穂、さん?誰だろう?

「そう?啓穂さんなら、要らないって言っても取り分けるでしょ。私は啓太が要らないなら、食べちゃうから。」

「太るぞ。」

い、言ってはいけないことを!クリームとフルーツてんこ盛りでけっこう大きいな?とは思ったけどね!

「そんな性格だと、跡取りができなくて香川家が潰えるわよ?」

「それは問題だな。香川家の食卓にも、クリームを塗りたくったパンケーキでも並べるか。」

結局、この2人はどうなんだろうか。聞いて良いのか?聞くとしてどう聞く?

無難な質問の仕方を探し、糖分を補給する。

「どうした、真人。クリームが喉に詰まったか?」

「どういう状況だよ、それ。いやぁ……そういえば2人とも後継ぎだったなー、と思って。その……結婚する相手とかって、親が決めるの?」

微妙だ。無難だが、核心から遠すぎる。先ほどの映画で見た探偵の手腕が羨ましい。

「自分で決めることもあるらしいが、だいたいは家同士で取り決める。配偶者関連の話は、前の座学でしただろ?」

そうだった。たしか、当主の配偶者は一族内の他の家から取る。でもその人の親のどちらかは、一族以外の人であることが条件、だっけ。紫石への親和性と近親交配のバランスがどうとか。そのあたりで難しすぎてギブアップした。

「詳しく説明してやろうか?」

啓太が意地悪そうに笑う。

「思い出したので大丈夫です!」

啓太があの作者の作品を好むのは、シンパシー的なものを感じているからではなかろうか。

「啓穂さんも、草葉の陰から心配しているわよ?」

……その人、亡くなってるのか。

「どうだかな。自然のない都会になんて、付いてこなさそうだが。」

啓太の親族の人かな?

「……あぁ、そうだ。この話も補足でして悪くないな。真人、帰ったら食べたパンケーキ分、頭を働かせろ。」

啓太座学警報が俺の中で高らかに鳴る。

「どっちかっていうと、映画を見て消費した分を補給したと言いますか……!」

「安心しろ。パンケーキには糖質がたっぷりと入っている。間食として食べられることもあるが、実は1日の糖質摂取目安量の3分の1が1人前に含まれる。更にこの店のパンケーキは、通常のものよりクリームもシロップもフルーツも多い。糖質も通常の1.5倍と見た。ちなみにカロリーは1000キロオーバーだろう。それでも美味しいのならしょうがないな。消費しろ。」

俺より璃奈にグサグサと刺さっている。明らかにわざとだ。

「啓太って後継ぎで良かったわよね。もし取り決めがなかったら、絶対結婚できない。」

今まで聞いた中で、一番低い璃奈の声であった。

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