第三節 而今 (3)

(6年前)


 間髪入れずに打ち込んでいく。捌かれたことで、俺に隙ができる。しかし、間沙はそれを拾わない。

だったら!

隙を見逃した間沙の動きが鈍る。そこを狙って、木刀を振るう。反応した間沙がそれを防ぐが、体勢を崩し、壁まで吹っ飛ぶ。

「まだだ!」

間沙に向かって木刀を突く。左に避けた間沙を追い、木刀が壁を滑る。

間沙の右頬、まだ新しい縫合痕が目に入る。

……だから、なんだ。

構わず木刀を振り抜いた。

「くっ……」

地面に転がった間沙から、呻めき声が漏れる。さらに追撃──

「やめろ!」

木刀が、割り入った腕で止められる。立ちはだかったのは、宏文だった。

「はやと、もう勝負はついてるだろ!」

宏文の言葉を、鼻で笑う。

「勝負?勝負なんてしてない。間沙は俺なんて、相手にしないそうだよ。」

「違う。俺は」

「別にいいよ。夜霧の中でも強い家系の次期当主様が、俺みたいなただの容れ物の相手をしなくたって、おかしくないでしょ?」

「そんなこと、誰も思っていない!」

宏文は悲しそうにそう言った。その表情を、不快に感じる。

「どうだか。宏文たちはさ、家のために、名のために、ときには命まで張って、何かを護るために戦う。でも、俺には何もない。家も名も、自分すらも。たまたま拾い上げられたサンプルの1つだ。そんな奴、相手にする価値もないか!」

「だからそんなことは」

「お前は何に苛立ってる。」

宏文の言葉を遮って、間沙が口を開く。木刀を打ち付けた右頬の傷が、赤く腫れている。

「は?」

「……また相手してくれ。」

間沙が立ち上がり、出口に向かって行く。

「ちょっと、間沙!」

宏文が俺と間沙を交互に見る。

「行ってよ、1人になりたい。」

「……ごめん。」

宏文が間沙を追う。

なんだよ、ごめん、って。

〝お前は何に苛立ってる。〟

間沙の言葉が響く。やはり俺ではない何かが、視線の先に映っているようだった。苛立ちは残る。ただ別の感情の影が、見えた気がした。


 VR室に入って、40分ほどが経っていた。ブザーが鳴る。戦闘不能と判定され、目の前にいた敵が消えていく。心の乱れを吐き出すために始めたが、剣を振るえば振るうほど、それは増していくようだった。

 感情を言葉にしてしまうのを抑え込みながらVR室を出ると、外の椅子に仁孝よしたかさんが座っていた。

見られてたか……

「おつかれさまです。」

「おつかれさま。はやと。」

足早にシャワー室に向かおうとすると、呼び止められる。無視するわけにもいかず、立ち止まる。

「なんですか?」

失礼だとは思ったが、わずかしか振り向けなかった。仁孝さんの足先だけを、視界に入れる。

「間沙のことだが、少し待ってあげてくれ。」

聞きたくない名前を出され、苛立ちが増す。それをねじ伏せ、言葉を返す。

「待つ?どういうことですか?」

「彼も悩んでいる、君と同じようにな。正しい道がわからないまま、その場に留まりたくがないゆえに、闇の中を走っている。」

「俺は悩んでなどいませんよ。間沙がどうして監視対象になったかは知りませんし、何に悩もうが、俺には関係ありません。」

「……そうか。たしかに君と彼とはまったく違う人間だ。ただな、はやと。君は紫石を宿している。君が望んでいなくとも、それだけで管理する者としての義務が生まれる。その義務を果たすためには、己を知り、相手を知り、仲間を知る必要がある。そのことから逃げてはいけない。」

「逃げてなどいませんよ。」

「まずは己を知ることだ。」

「自分のことぐらい、わかっています。」

「では聞こう。その苛立ちはなんだ?」

バレているとは思ったが、踏み込んでくるとは思わなかった。

「いま答えを出す必要はない。考えると良い。そして、分かち合うことだ。」

仁孝さんが立ち上がる。視界に入れていた足は、こちらに踵を向けた。

「ただ──」

ゾクリと背筋が凍る。刀を向けられたわけではない。睨まれたわけでもない。仁孝さんは、背を向けている。

「──逃げ出せば、僕は君を斬らねばならない。管理する者として相応しくない人間を、放っておくわけにはいかないからな。」

身体が殺気から解放される。本心かはわからないが、彼の言葉は、胸に残らざるをえなかった。


 間沙との立会いを何度かした。毎回同じ。間沙は決まり手が見えると動きが鈍る。そこを俺が叩いて、追い詰めたところで周りに止められる。なぜ間沙は本気にならないのか。まだ出会って日は浅いが、相手を軽視するような人間ではないと感じる。結局、確信は得られなかった。そして、なぜ自分が苛立ちを感じているのかも、わからないままだ。


 ある日の夜。修練場に残っていたのは俺だけだった。そこへ、扉の開く音が聞こえてくる。目を向けると、入ってきたのは間沙だった。

この日、間沙の様子がおかしかった。正確には、紫石の波長が、だ。いつもより乱れがあった。

「はやと、少しいいか。」

真っ直ぐ俺の元へ近づいてくる。昼間に感じた乱れは、もうないようだ。

「……なに?」

「立会いを、お願いしたい。」

間沙から申し込まれたのは初めてだった。

「どっちかって言うと、俺が頼む側だと思うんだけど。」

「いつも負けてるのは俺だろ?」

「はっ、手抜きの間違いでしょ。」

「頼む。」

「……いいよ。」

 間沙と相対する。

今までと雰囲気が違った。静かに、しかし覇気がある。間義さんに似た、気を抜けば呑まれてしまいそうな空気。

間沙が動く。いつもより隙がない。いや、迷いがないのか。

一度、間合いを切る。

「どうしたの、今日はやけにやる気だね?」

「……はやと、お前はなぜ闘う?」

「急に何?疲れたからって、禅問答で休憩でもしようっての?」

「答えろ。」

思考が霞む。考えないようにしてきた領域に、目の前の男は斬り込んできた。その答えが、自分の中の矛盾を暴いてしまう。漠然と、そんな怖れがあった。

「……さぁね。」

「なぜお前は認めない?」

「なんの話だ。」

「闘う理由だ。お前の中に、答えはあるはずだ。俺がわからないのは、それを認めようとしないことだ。」

湧き出たのは、飽き飽きした苛立ちだ。

「そりゃわからないでしょ。俺とあんたじゃ、何もかも違う!」

自身から放たれるすべてが、粗雑だと感じた。

そうさせているのは、目の前の男か、それとも──

左肩を狙い、斬り下げる。

間沙はそれを木刀で受け、立ち替わるように力を逃す。同時に、俺の木刀を下に弾いた。

体勢が崩れ、隙ができる。間沙の動きが鈍ることを予測し、防御せずに次の一撃へ──

「っ!?」

間沙の木刀が、喉元に付く。その動きに、迷いも鈍りもなかった。

「はやと、お前が何に苛立っているのか、前はわからなかった。でも、今はわかる。お前が苛立っているのは、お前自身だ。」

「……はぁ?ムカついてるのは、真剣に勝負しない間沙にだよ。」

「それなら、なぜ何度も勝負を申し込んだ。」

「それは……」

「お前は自分に何もないと言った。ならば、なんのために闘っている。」

「……知るかよ!」

間沙の木刀を弾き、斬りかかる。しかし捌かれ、後ろに回られる。振り向くより先に、俺の背中に剣先の感触がある。

「家がなくとも、名がなくとも、お前は紫石を宿し、この道に立った。そこに自分の意志すらないと言うのなら、なぜ剣を置かない。」

「黙れ!」

振り向きながら木刀を振る。間沙はそれを避け、飛び退る。

「はやと。お前は、闘っているんだろ?」

「……違う。」

苛立ちと共に、不快感が溢れる。

「違う、俺は……JSOのために戦っている。俺は、JSOここで使われるために生まれてきた。何もない自分のために?そんなこと……!」

自らの紫石に集中する。右手に柄の感触が宿る。

「刀を抜け!間沙!」

斬りかかる。間沙の右手にも紫の光の束が現れ、俺の刀とぶつかり、高い音が出る。

「はやと、お前は自分のために闘っている。なぜそれを否定する?」

「否定もなにも、違うって言ってるだろ?お前になにがわかる!」

「わかるさ、同じだからな。」

「は?」

修練場のドアが勢い良く開く。

「何してるんだ、2人とも!」

宏文が叫ぶ。

鍔迫り合いを解き、間合いをはかる。

「宏文、邪魔しないで。俺は間沙と話してるから。」

「あぁ、大丈夫だ。すぐに終わる。」

「いいから、刀を……はぁ!?正気ですか、指揮官!このままだなんて……」

宏文は今にも飛び込んできそうだが、近づいてはこなかった。

「それで、同じってなに?俺と間沙が?」

「そうだ。」

「はっ、バカにしてるの?」

「俺だけじゃない。誰だって、自分のために闘っている。家を護るのも、名を護るのも、誰かを護るのも、自分が自分であるためだ。」

「じゃあ、俺は!護るもののない俺を、俺足らしめるものはなんだ!」

間沙に突進する。去なされ、去なし、また鍔迫り合いになる。間沙は、笑っていた。

「知るかよ、そんなの。自分で見つけろ。人のお守りができるほど、俺は余裕のある人間じゃない。」

その笑みは、自虐的に見えた。

「なんだよ、それ……」

苛立ちの背後でちらついていたのは、妬みだった。存在を確立させる家や名があることへの羨望。だが間沙は、悩んでいた。自分を証明できるものがあるにも関わらず、俺の見えない何かに揺らいでいた。そんな姿に、何もない自分を見つけてしまった。組織のために生まれたのに、己を捨てきれない自分。間沙の言う通り、俺が苛立っていたのは自分自身だ。それをこいつはなんと言った?自分のために闘うのが普通で、護るものは自分で決めろ?そんなの──

「ない……俺には、何もないって言っただろ。」

自分の言葉が、胸の奥を突き刺す。誤魔化すように、乱暴に鍔迫り合いを解く。

「あるだろ、が。」

「は?」

「お前が言ったんだろ。JSOのために闘う、って。組織に使われるだけじゃなくて、自分が使ってやれば良い。自分であるためにな。」

……滅茶苦茶だ。間義さんと同じ、滅茶苦茶な癖に、どこか芯が通っている。苦手な男だ。

「ははっ……」

笑えてきた。こんなことを理論立てて考えるくせに、殴り合わないと伝えられない。自分が悩んでいるくせに、人の悩みに口を出す。結論が出ていないくせに、思ったことをぶつけてくる。

「はぁ……決めた。ここを護りたいとは、今のところ思わない。でも1つ、闘う理由ができた。」

今思えば、間沙と剣を交えた瞬間から、既に闘う理由となっていたのだろう。だから、この男との勝負にこだわった。

「お前にそんな口効かせなくしてやる。気に入らない。エリートだかなんだか知らないが、ここで叩きのめせば、少なくともお前は、俺を忘れない。」

何もない俺を、自分で自分を認められない俺を、認めてくれる存在。ありのまま自分を曝け出すまでもなく、こいつは踏み入ってきた。ならば、遠慮はいらないだろう。

間沙が俺の言葉に少し驚き、笑った。先ほどとは違う、挑発的な笑みだ。

「望むところだ。ただし、粘らないと忘れるからな?」

この立会いが、俺の1敗目となった。その後、あの日の間沙に何があったのかを知り、2敗目を喫した。この2勝差が埋まる時、俺は何を思うのだろうか。

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