第三節 而今 (1)

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 俺はかれこれ、1時間は指揮官室にいる。俺の他に、指揮官と下野しものさん、それに──

「聞いてるのか、真人まこと。」

──香川かがわ 啓太けいた。黒髪メガネのいかにもインテリなのに1部隊。実際、頭はかなり良いようで、研究部の職員と意見を交わしている様子も見たことがある。それだけならなんと平和だったことだろう。啓太は絶妙に性格をしている。

「聞いてるけど、わからないデス……」

「もっと頭回せ。それとも、隔離病室に戻りたいのか?」

指揮官が割って入る。

「ま、まぁまぁ啓太。ほら、真人はたしかに物覚えが良いけど、僕と違って天才じゃないし……」

それ、自分で言うんだ……

昨日、間沙まさからトレーニングの段階を進めると言われた。そして、その説明を啓太から受けるように、と。嫌な予感はしていたが、やはり内容が難しすぎて、途中で思考が止まってしまう。

「つまり、紫石しせきを意識して身体を動かせ、ってことだよね?」

「うん、まぁ良いんじゃない、それで。やっていく中で徐々に慣れていけば……」

「指揮官、真人は覚醒直後に紫石に呑まれています。細心の注意を払う必要がある。紫石によって高められる本能を制御するのは理性です。理性は正しい知識と理解から。違いますか?」

「いやぁ、それはぁ、そうなんだけどぉ……」

指揮官がんばって!このまま啓太の説明を聞き続けたら、俺の脳が焼き切れる!気がする!

 指揮官と俺の脳ミソへの助け舟は、ノックの音だった。

「はいどうぞ!入ってー!」

「失礼しまーす。」

入ってきたのは、なにやら書類を持ったはやとだった。

「あれ、まだ説明してたの?啓太ってば下手くそー。」

「そうか、ならお前も聞いていけ。どこが悪いのか教えてくれよ。」

「嫌だよ!そんなの脳ミソがいくつあっても足りないだろ!」

はやとの意見にこんなにも同意したくなったのは初めてだ。

「俺は書類出しに来ただけだから。はい、指揮官。」

「おつかれさま。ついでに説明に付き合ってくれない?」

「えー、俺はフィーリング派なんで。というか、真人もなんじゃないですか?」

はやと寄り?俺もフィーリング派ってことか?

「そう言われるとたしかに。ね、啓太!」

「……一理ありますね。」

啓太が折れた!はやとのふわっとした意見でまさかの展開!

「わかった。今は最低限だけを教える。リスクは残るが、たまにははやとの感覚を信じてみよう。」

 その後、その最低限とやらに追加で1時間を要すのであった……


 昼のピーク時を避け、食堂で昼食を済ませる。啓太からの話を、もう一度整理する。

紫石は宿しているだけでも、心身に影響を与えている。ただ、紫石を意識して利用することによって、身体能力を更に上げることができる。加えて、紫石に刻まれた感覚をなぞる……俺はあの時、その感覚を元に刀を召喚し、振るった。身体能力の向上と、紫石の感覚をなぞること。これらによって、ごく短期間で腕を上げる。ただ、闘争に関する感情の増大も起きやすくなる。俺は紫石が覚醒させられた時、それに呑まれてしまった。今はないが、正式な封印を施すまでは、紫石を意識したことによって、精神的に不安定になったこともあった。

トレーニングには1部隊の誰かが必ず付くから、大丈夫だとは思うけど……

「はぁ……」

「どうした、ため息なんかついて?」

聞き慣れた声がして、机に突っ伏したまま目線だけを上げる。

「またサボってるの、もろさん。」

「ついに真人までそんなこと言って!違うよな、クマさん!」

「そうだヨ!師さんお休ミ!もっとみんな師さんを労うべシ!クマさんからのお告げだヨ!」

ツッコむ元気もない。元気というか、脳が働くことを拒否している。

「師さん、チョコ。」

「クマさん印のチョコが欲しいのかイ?だったら師さんの良いところを10コ」

無反応でクマさんの両足を外側に引っ張る。

「やめテ!痛いヨ!ちょッ、マジでやめてください!壊れちゃうから!」

裏声をやめたところで手を離す。

「ほら。」

目の前に一口チョコが2つ置かれる。

「トレーニング、進むんだって?」

1つを口に放り込む。甘さが沁みる。

「そ。その説明を受けたんだよ、啓太に。」

「あー、そりゃなんというか……災難だったな。」

チョコがもう1つ追加された。クマさんのお慈悲か。

「ちゃんとわかってた方が良いとは思うんだけど、俺には難しすぎるよ……そういえば、師さんって前は研究部だったんでしょ?頭良いの?」

「おう!俺はインテリだからな!」

「マジで信じられない。」

「なんでだよ!知性が形をもった姿、って感じだろ?」

「どこが!2部隊の方が向いてるよ。」

「なんだと!と言いたいところだが、それは自分でも思うな……だから移ったわけだし。午後はトレーニングあるのか?」

「今日は新しいトレーニングのガイダンスだって。」

「担当は?」

「間沙とはやと。」

そういえば、食堂で2人が言い争っているのを何度か見たことがある。

「ねぇ、あの2人って仲悪いの?」

「間沙とはやとが?なんで?」

「いや、間沙ってはやとに当たり強い気がするし、はやとも逆撫でするようなこと言うから。」

「あーそれは、喧嘩するほどなんとやら、ってやつだ。仲が良いってのとは少し違うが、良きライバル、ってとこか?あの2人はな、面白いくらいに全然違う人間なんだ。考え方、戦い方、出自に立ち位置。だからこそ、どっちかが悩んでる時に、もう片方が思いつかないような解決策を提示できる。ただ、2人とも頑固なところは同じでな。殴りつけるぐらいしないと、お互いの話聞かないんだよ。本っ当、バカだよなー!」

師さんがガハハと笑う。

「実際、最初の頃とかそれはまぁ仲悪かったんだぜ?勝負だーって言ってはやとは本気で倒しにいくし、逆に間沙は本気になれなかったから、余計にはやとの機嫌が悪くなってな。いつも止めるのは宏文ひろふみだったなー。」

「宏文って苦労人だよね。」

「だから老け顔なんだよな!」

「師さんは若く見えるよね。指揮官と同じだから……47だっけ?」

「なんだよ、まるで俺が苦労してないみたいな言い草じゃねぇか。許さないゾ!クマさんパーンチ!」

クマさんの右ストレートが、俺の鼻をムニッと潰す。

「そこまでは言ってないよ。今この瞬間に思ったけど。」

お返しに、クマさんの鼻を人差し指で押す。飴が入っているせいか、予想よりも硬い感触が返ってくる。

「俺が指揮官と違って若く見えるのは、ちゃんと動いてるから。というわけで、修練場に行こうかな!」

「仕事は?」

「今日はお休み!」

「本当?」

「本当だって!今日は正規の休みだ。真人は?まだトレーニングまで時間あるだろ?」

「んー、でも1時間半じゃ何もできないし、ゆっくりストレッチでもしようかな。」

「いいねー、勤勉なのは良いことだ。」

師さんの発したたいそう似合わない言葉を聞き流し、もらったチョコをもう1つ食べる。残りの1つをカバンのポケットに入れた。

ストレッチ中にでも食べよう。


 一度自室に寄り、必要なものを持って師さんと修練場に向かう。

 エレベーターを出ると、修練場の扉の中がなにやら騒がしい。

「なんだ?だいぶ盛り上がってるな。」

師さんが扉を開けて中に入り、それに続く。

「はぁ、今のさっき話したばっかで。何やってんだ、あいつら。」

修練場は、1メートルほど床が低くなっている場所にコートなどが作られ、扉を入ってすぐの高い場所で、安全に観戦できるようになっている。修練場内の職員は、2人を除いて高い方にいた。低い方では、間沙とはやとが立会いをしている。

「何があったんだ?」

師さんが2部隊員の1人に話しかける。

「いつものですよ。なんか意見が食い違ったみたいで。今日はどっちが勝つと思います?」

「んー……今日ははやとかな!」

「でも今、2勝差らしいですよ?」

「じゃあ間沙だ!」

観ている職員は皆、楽しそうに話している。

「ねぇ、師さん。止めないで良いの?」

「ん?あぁ、さっきの話か?大丈夫だよ。今はちゃんと限度を守って勝負してるからな。」

俺からすれば、2人ともだいぶ本気に見えるんだけど……これで抑えてるってことなのか?

「あと、2勝差って?」

「勝敗数がな、間沙のリードが2勝から縮まったことがないんだと。ジンクス、ってやつだな。今ちょうど2勝差らしいから、今回は間沙が勝つぞー!」

「ちょっとそこ!人が勝負してる時にそういうこと言わない!」

間沙から距離を取ったはやとがこちらを見て叫ぶ。

聞こえてたんだ!?

その距離を間沙が素早く詰め、はやとに打ち込む。はやとはギリギリで防いだようだ。

「人と勝負してる時に余所見するなよ?」

「またまたー、そういう華のないことする。これだから脳筋ゴリゴリの堅物は!」

「脳筋はお前だ!とりあえずやればなんとかなるなんて、無責任なこと言いやがって!」

「結局やる事は変わんないだろ!理論捏ねてるだけの石頭のくせに!」

よく喋りながらあんなに動けるな……

そのスタミナはたしかに凄い。ただ、交わされる言葉を聞いていると、なんだか凄さが目減りしている。


 結局、勝負がついたのはそれから1時間近く経ってからだった。

「あ、相変わらず……間沙はねちっこい勝負して……」

「はぁ?負けた奴が何言ってんだ……はやとには、緻密さが足りないんだよ……」

2人とも息絶え絶えだが、この後のトレーニングはどうなるのだろうか。


 30分後、ある程度の回復が見られる2人と共に、VR室に入る。

「午前中に啓太から説明があった通り、紫石を意識してトレーニングにあたれ。おそらく、真人の状態に1番近いのははやとだ。参考にすると良い。だが鵜呑みにはするな。こいつの言うことの大半はあてにならないからな。」

「そんなことないって!バシバシ頼って!」

「始めるぞ。」

間沙の説明にはやとが口を挟みながら、紫石を利用する方法を教えられる。

紫石は心臓の近くにあるらしい。木刀を構えた状態で、紫石の波長を感じ取る。意識を集中させ、呼吸を、鼓動を、全身を、紫石に合わせていく。

「その調子だ。紫石は身体の一部だ。よく理解すれば、指先と同じように扱える。」

間沙の声が聞こえる。

間沙は、紫石の波長の状態を詳しく感じ取れるらしい。たしか、啓太もだったかな。

「そのまま、血管に沿ってスーッと流していく感じだよ。ゆっくりね。」

はやとの助言で、イメージを掴む。

2人の言っていることは違うけど、矛盾はしていないと思う。師さんの言っていたことが、少しだけわかった気がした。

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