第二節 協心 (4)
(8年前)
次の日、稽古場で準備をしていると、兄上が姿を見せた。
「おはようございます、兄上。」
「おはよう、仁美。昨日は悪かった。俺も驚いて、取り乱してしまって。」
いつもの兄上に戻った、のかな?
「いえ、今日もよろしくお願いします。」
「あぁ、よろしく。」
外から姉上の足音がする。
「おはよう、路仁、仁美。」
「おはようございます。」
2人分の返答を聞き、姉上が座る。兄上に続いて、私も座る。
「黙想。」
姉上の号令で、目を閉じる。
〝自分のことをよく見て稽古に臨んでみなさい。〟
姉上の言葉の意味は、まだよくわからない。
まずは姉上と稽古をする。昨日は驚いたけど、今日はいつもの姉上の剣だ。
姉上の木刀を弾く。空いた胴に斬り込む。
剣先は、届かなかった。姉上の上体が、後ろに引いた。体勢が崩れたのではなく、先に足で
振り抜かれる木刀を止め切れず、隙ができる。
姉上が見逃すはずもなく、木刀が額に付く。
私の大好きな、優美な剣だ。
兄上が立ち上がり、相対する。やはりまだ、少し怖い。兄上の剣は、姉上とは雰囲気が違う。力強くて……
違和感を覚える。
兄上の一撃が、いつにも増して重い。それだけじゃない。重い太刀が多い。これは、防ぎ切れない。
上からの一撃を後ろに下がって避ける。兄上の木刀が、床にぶつかる。
こんなこと、今までに1度もなかった。決めの一撃でない限り、力を込めすぎれば、避けられた時が危ない。
驚きで動きが遅れる。そこに兄上の木刀が突かれる。防いだものの、真正面から受けてしまい、後ろに倒れる。尻餅をついた私の眉間に、兄上が木刀を付ける。
「ま、参りました……」
「大丈夫か?少し力が入りすぎたようだ。」
兄上から手を差し出される。それを借り、立ち上がった。なぜか寒気が走る。怖い。兄上が、怖い。
「姉上、お願いします。」
兄上と姉上が向かい合う。
やはり、兄上はいつもと違う。姉上も、少し。
空気がピリピリと肌を伝う。
兄上の剣を、姉上は受け流す。速さも重さも、兄上の方が上だ。でも、姉上は最短の動きで、最小の力で、そのすべてを捌いている。
兄上の木刀を、姉上は躱す。そのまま跳び退る。その動きを疑問に思った。
どうして打ち込まないのだろう。いつもだったら動くところで、動かない。勝ちの一手を、なぜか投じない。今日の兄上は、いつもより捨て切った一撃が多い。まただ、今の隙に……
……そっか。
私は、弱い部分を見ていない。
兄上は、自分を鍛えることに集中した。だから、姉上よりも速くて重い一撃が繰り出せる。
姉上は、相手をよく見ている。だから、動きを予測して捌くことができる。
それが、2人それぞれの強さだ。
逆に言えば、だ。
姉上は兄上の剣を正面から受けることができない。それは、兄上の方が身体的に強いから。
兄上は姉上の予測を越えられない。それは、姉上の方が観察眼に優れているから。
兄上の木刀をすり抜け、姉上の木刀が首元につく。
〝同じようで、真逆。〟
兄上は、弱い部分しか見ていない。だから兄上の剣は、姉上のそれに似なかったのかもしれない。
「……もう一度、お願いします。」
「少し休憩してからにしましょう。」
「……はい。」
私にも、兄上にも、見えていない部分がある。でも、私が見えている部分は、兄上には見えていない。その逆もそう。
「仁美?」
顔を上げると、姉上の顔が目の前にあった。
「随分と難しい顔をしていたから、珍しいと思って。」
「姉上、私、わかったかもしれないです。」
「そう。路仁、悪いのだけど、先に仁美と稽古をしても良いかしら?」
「えぇ、構わないですけど……」
「仁美、できそう?」
そもそも私が、弱い部分を見ていなかった理由。私は、2人に勝ちたいと思ったことがない。勝つ必要を、感じたことがない。尊敬する2人の背を、ずっと追っていたい。私を導いてくれる、大好きな背中を。でも、兄上に気付いてもらうためには、勝たないといけない。勝って、私の気付いたことを聞いてもらいたい。だって兄上は、私よりずっと立派な当主になってくれる。
「はい、姉上。私は、姉上に勝ちます。」
2人の驚いた顔が見える。やはり今までの私に、勝ちへの拘りはなかったのだろう。
姉上と向き合い、木刀を構える。
いきなり決めにいく必要はない。兄上のように、決めの一撃のために土台をつくる。
姉上の意識が偏ったら、虚の太刀。
左肩に斬りかかる。姉上はこれを右に流す。
私の体ごと流され、姉上の木刀が右下から返ってくる──
──はずだ。
流されたフリをする。予測通り、姉上の剣が返る。私の木刀の上を滑りながら、首筋に迫る。
手首の角度を変え、自らの剣先を下に。鍔元で姉上の木刀を逸らす。
手首を返して、自らの剣先を上に。勢いの削がれた姉上の木刀を、思いっきり上に弾く。手から離れはしなかったものの、至近距離で胴が空く。
そのまま詰め切り、木刀を姉上の腹部に付けた。
「……参った。」
息を吐く。心臓がうるさい。息をすることも、鼓動を感じることも忘れるほどに、集中していた。
「気付いたのね?」
「はい……!」
「なら、今度は路仁とやってみなさい。」
兄上が立ち上がる。
いつもの兄上だったら、勝つことに集中できたと思う。でも今の兄上は、怖い。
怖れを振り払い、相手の動きに集中する。相手をよく見れば、受け流すことも、押し通すことも、できるはず。
兄上が打ち込んでくる。
速い、そして重い。正面から受けないように注意しながら、捌いていく。
姉上のような余裕はないけど、よく見ていれば──
木刀が振り抜かれ、兄上の体勢が崩れる。
──ここだ!
兄上の喉元に、私の木刀が付く。
「は──」
勝負あった。身体の緊張を解いた、直後──
「っ!?」
──振り抜かれた兄上の木刀が返り、私の肩を捉える。気の抜けた身体は衝撃をまともに受けてしまい、派手に飛ぶ。体が当たった扉が外れ、稽古場の外の廊下へと倒れ込む。
「仁美!」
痛みの中、姉上が駆け寄ってくるのが見える。視界が回り、そのまま暗くなった。
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いつかは、真人にも自分のことを話さなきゃいけない。それはわかっていた。でも、実際に口にしようとすると、躊躇いは拭えない。それをなんとか隠しながら、話を進めた。
「その後、仁孝様が兄上を説得して、兄上は私に次期当主の座を譲った。本意ではなかったでしょうけどね。私は既に、紫石を継いでしまった。だから兄上にも、誰にも負けられない。強くあり続けることだけが、私が認められる唯一の道なの。」
真人は黙っている。私は、なんと言ってほしいのだろう。どう思われているか必要以上に気にするのに、自分の気持ちがよくわからない。
「別に、気にしなくていいわ。忘れて。」
「いや、忘れないよ。俺も、強くなりたい。仁美が話してくれたこと、参考にしてみるよ。」
なんだろう、この感情は。私は、真人に──
「参考になんてならないわ。こんなの、なんの解決にもならないもの。」
自分の言葉が刺さる。
私が強くあることが必要なのは、正しいと思う。でも、それだけじゃ足りない。足りないことは、強くあり続けると決めたその日から、感じていたことだ。でも、何が足りないのか、わからずにいた。
「真人は機械兵を造った人間に、復讐するつもりなの?」
「そ、れは……」
「別に私は止めないわ。でも、目を逸らしちゃダメ。」
「……何から?」
「全部よ、全部。自分も、相手も、それまでも、その先も。全部受け止められるのなら、復讐でもなんでもすれば良いわ。」
はぁ、どの口が言ってるんだか……
「はい、座学は終わり。午後のトレーニング、間沙が担当なんでしょ?死ぬ気でやらないと、本当に死ぬわよ?」
「ゔっ、頑張ります……」
私は、真人にあんな思いをしてほしくない。何かに囚われて、何かに蓋をして、自分の中に閉じ籠るなんて。
遅めの昼食を1人で摂っていると、テーブルの越しに、トレイを持った誰が立ち止まった。
「空いてる?」
「……見ればわかるでしょ。」
「それじゃあ失礼して。」
そう言って座ったのは、宏文だ。
「今日の座学、仁美が担当だったんでしょ?夜霧の話、真人はわかってそうだった?」
「できる限り説明はしたつもりだけど、御伽噺か何かだと思われていないか心ぱ……知らない。どう捉えたかなんて、私の知るところじゃないわ。」
「ふふ、そうだね。真人にとっては、なかなか現実味のない話かもね。」
いただきます、と食事を始めた宏文を盗み見る。彼ならば、もっと上手く話せただろうか、どう説明するだろうか。そんなことを考える。
「それにしても、真人が良い子で良かったね。仁美も話しやすそうだし。」
「……そうかしら。特段、話しやすいとか、そういうのはないけど。」
「そう?俺なんて、仁美が仮加入したての頃は碌に口も聞いて」
「わ、悪かったわよ!私なりに、その……いろいろ考えてたの!」
味噌汁を飲んで、顔を隠す。耳が赤くなっている気がする。熱かったことにしよう。
宏文を見ると、魚の骨を相手に集中していた。
「私って、まだまだね……」
つい言葉が漏れる。
「ん?なに?」
「な、なんでもない!」
本当に聞こえていなかったようで、宏文はまた手元に視線を戻した。
〝いきなりお兄さんと向き合うのは大変でしょ?だから、俺たちで練習しよう。分かち合って、支え合う練習。〟
宏文の言ったこと、忘れてないわ。あなたは……忘れていてもおかしくないわね。そういう人だから。でも、何度でも同じ言葉をかけてくれる。何度でも手を差し伸べてくれる。そうでしょ?
人を見る目と、受け入れる心。それだけじゃ足りないことを、皆に教わった。大切な人と分かち合って、支え合うことを。私はまだ、それを兄上に伝えられていない。
私にできるかな?姉上……
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