第二節 協心 (2)

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 終了を告げるブザーの音を聞き、その場に倒れ込む。

「はい、今日はここまで。おつかれさまー!」

トレーニング終わりはいつも、立てない・話せない・酸素足りない、の3拍子だ。

「大丈夫、じゃないよね。」

薄茶色の髪に、男から見ても端整な顔立ちの青年。今日のトレーニング担当、佐藤さとう はやと。はやとも俺に合わせて動いていたのに、あまり息が上がっていない。この1ヶ月、1部隊のメンバーが交替でトレーニングの相手をしてくれているが、スタミナだけで言えばはやとが一番だ。

「ホント、間沙ってば鬼畜すぎだよねー。こんなメニュー考えるなんてさ。眼つき悪いし。」

周りではやとの言葉を聞いていた人たちが笑う。修練場には、2部隊を中心に利用者がそこそこいるが、周りの目を気にしていられる余裕など、俺にはない。

「だよなー、すぐサボってるって決めつけるしな。眼つき悪いし。」

もろさん、またいたんだ……

この人は師岡もろおか 芳樹よしき。2部隊でも古参のメンバー。昔は研究部に所属していたとかいう信じ難い事実を最近知った。よくサボっていて、クマのぬいぐるみを利用して逃走を図る人。

「師さんのサボりはいつも真実でしょ。」

「そんなことないさ!なぁクマさん!」

「そうだヨ!師さんいつも、お仕事頑張ってるヨ!たまには休んだ方が良イ!クマさんのお告げだヨ!」

師さんがクマの人形を顔の前に掲げ、まったく可愛くない裏声で喋らせる。

やっとの事で壁際まで移動すると、一段高いところからクマさんが謎のダンスを踊り、こちらを見ている。

「オ!ツ!カ!レ!」

不意に苛立ちを覚え、最後の力を振り絞り、手に持っていた竹刀を突き上げる。

「うぉわ!?」

ちっ、避けられたか。

「うん、今のは良い剣筋だった!当たれば良かったのに!」

「あっっっっぶないだろ!当たったら大変なことに!主にクマさんの中の飴が!」

あのクマは実はお菓子入れになっていて、たまに尻部分から出されたチョコを渡される。はっきり言って最低だ。もらうけど。

「なにバカなことやってんのよ。」

師さんのさらに奥から声がした。

「あ、仁美もおつかれさまー。」

仁美は修練場の奥にあるVR室にいたようだ。

仮想戦闘演習室、通称VR室。見た目はただの広い部屋だが、部屋全体と演習する人間が身につける専用の服とゴーグル、そして装置のついた模擬刀で、あたかも目の前の敵と交戦しているように錯覚させる。啓太けいたに仕組みを詳しく説明されたが、途中から考えるのをやめた。本来は1部隊と許可された2部隊員しか使用できないが、一度だけ体験させてもらったことがある。本当に相手が目の前にいるようで、正直少し怖かった。大して動けず、1分と経たずに戦闘不能と判定されてしまった。1部隊のメンバーだと、制限時間いっぱいの1時間、戦闘不能にならないこともあるらしい。

「どう、真人の様子は?」

クマさんのいたところから、今度は仁美が俺を見下みおろす。

「本人がいるんだから、直接聞いたら?」

「喋れる?」

「しゃべ……れる……」

「今のが遺言になりそうね。食堂で居合わせたら、話くらいは聞いてあげるわ。」

そう言うと、仁美は修練場から出て行った。

「随分と気に入られてるじゃんかー。」

師さんがニヤニヤしている。

「ふぅ……師さんキモい。」

「息整って第一声がそれか!?」

はやとの手を借り、段差の上へと腰掛ける。

「自分より年下が入ってきて、嬉しかったんでしょ。」

「仁美が一番年下なの?」

「そうだよ、真人の2つ上。その次が俺で、仁美の1つ上ね。でも経歴としては俺が一番先輩だから、敬ってよね!」

「え?威厳ないね。」

「突然の辛辣コメント!?」

「歳だったら宏文が1番上かな?」

「そうそう、やっぱ老け顔だよね!長男体質、っていうの?宏文、5人兄弟の一番上なんだ。」

「あー、そんなイメージある……」

「さ、早くシャワー浴びてご飯にしよ!」

「お!じゃあ俺も」

「師さんは仕事に戻って。」

「いやほら、クマさんが」

「2部隊員に告ぐ!賊を連行せよ!」

はやとの号令で師さんが強制送還されたところで、俺たちも一度部屋に戻った後、食堂へと向かった。


 まだピークではないこの時間だが、食堂にはそれなりに人がいた。仁美はまだいないみたいだ。

職員証をかざして端末から注文し、料理を受け取って席に着く。

ちょうど、仁美が食堂に入ってくるのが見えた。向こうもこちらに気付いたようだ。はやとが手を振る。仁美は振り返さず、注文端末の方へと早足で歩いていった。いつものことだ。

 仁美も席に着き、話をしながら食事を進める。

そういえば──

「仁美って兄弟いるの?」

「え?」

「さっきはやとがね、宏文は5人兄弟の一番上だって言ってて、仁美には上がいそうだなー、って思って。」

仁美は黙っている。はやとですら、何も言葉を発さない。

え、なんか聞いちゃいけないことだった?

「いや、答えなくても良いんだけど」

「いるわよ、兄と姉が、1人ずつ。」

「そうなんだ……」

今の間、なんだったんだろう?

「で、トレーニングの方はどうなのよ。」

「え、うん……キツいデス。」

「そんなの見てれば誰でもわかるわよ。そうじゃなくて、手応えとかあるの?」

「うーん?筋肉痛くらい?」

はっきり言って、毎日のメニューをこなすので精一杯だ。

「ま、そんなものよね。焦る必要はないわ。この時期から実感できるほど力が付くはずもないし。」

「うん、ありがとう。」

「別にっ……なによ、はやと。」

「んー?なーんでも?仁美は後輩くんに優しいなーと思って?」

「ふ、普通よ、普通!それよりも明日の座学、私の担当だから遅刻しないでよね!」

ごちそうさま、と席を立ち、仁美は食堂から出て行った。

「仁美も真面目だねー。休みの日くらい休めば良いのに。」

「仁美、今日は休みだったの?」

「そ、仕事はね。でも間沙と仁美は年中無休で動いてるよ。変態だよ、変たい"っ!?」

「悪かったな。」

はやとの頭に乗った手が締まっていく。間沙も食事に来ていたようだ。

「割れる!頭割れる!」

間沙が料理の乗ったトレイを置き、はやとの隣に座った。

「はやと、お前も少しは見習え。」

「俺は脳筋2人と違って、クレバーに体調管理してるの。」

「師さんみたいなこと言いやがって。」

いただきます、と間沙が食事を始める。

「仁美とは1回目のトレーニングの時に初めて会ったけど、最初の印象とちょっと違うなー。」

「あー、俺も。間沙は?」

「仁美の印象?最初とほとんど変わらないな。」

「わー、変態シンパシーだあ"っ!?」

テーブルの下からゴスッ!という音がした。はやとが痛みに悶えている。

「もっとさ、天才型っていうの?こんなに努力家気質だとは思わなかった。」

「あれは天才型の努力家だ。俺たちの中で1番剣術センスがあるのも、それを1番磨いているのも仁美だ。」

「いったた……ついでに、1番純粋に強さを求めてるのもね。強くなること自体は手段だけど、仁美の場合は、それが目的に近いんだよ。」

「どうして?」

「それは」

「それは本人に聞け。」

はやとの言葉を間沙が遮る。

「でも仁美、答えなさそうだよ?」

「だったらそれで良いだろ。」

間沙の口調が少し強い。

「はぁ、出たよ。」

「なんだよ。」

「知らないで地雷踏むのが本人にとって一番ダメだって。」

「それでも、話したくないことを勝手に他人が話すのはどうなんだ。」

「自分で話し出せるならいいよ?でも仁美は、たぶんそうしない。」

「……必要な時が来れば、あいつだって話すだろ。」

「なに?そうやって仁美の背に隠れて自分も」

はやとが間沙の手首を掴んだ。間沙の手がはやとの胸倉に飛び、それを止めたのだ。どちらも速く、そして静かだった。

「間沙、お前が言ったんだろ。真人が紫石の管理者として確立するためには、俺たちの経験が必要だって。何をもって今の仁美があるのか、それは重要じゃないってわけ?」

「……わかってる、わかってるよ。」

はやとが間沙の手を離す。

「あまり話しすぎるなよ。部外者があれこれ簡単に言って良いことじゃない。仁美も、具体的なことを聞かれたら答えるだろ。」

「……仁美はね、もともとんだ。」



(同日)


 本を閉じる。明日の座学に備え、知識を整理していた。

自分が教える立場になるのは、まだ先のことだと思っていた。

「やっぱり、向いてないわよね。」

ふと呟く。思い浮かんだのは、姉と兄の顔だ。

私はまだ、兄上に──

私用の携帯が鳴る。画面を見ると、〝姉上〟の文字が表示されていた。

「もしもし?」

仁榮ひとはよ、こんばんは。』

「こんばんは、姉上。」

『ちょっと遅い時間だけど、大丈夫?』

「はい。」

つい顔が緩む。姉上は私を気遣って、定期的に連絡をしてくれる。

『久しぶりね。もしかして忙しいんじゃないかって、連絡するか悩んだわ。でも、声は元気そう。』

「たしかに忙しいですね……1ヶ月半前のこと、仁孝よしたか様から聞かれましたか?」

『ええ、驚いたわ。あんな事件が起きたことも、紫石の宿主が見つかったことも。』

「その時に保護された紫石の宿主が、1部隊への加入を希望したんです。その訓練が始まっていて。明日は、私が座学の担当なんですよ。」

『なんだか楽しそうね。』

「そ、そうですか?」

楽しい……そうかもしれない。真人は素直だし、頭も悪くない。教えがいはある。

『少しね、心配だったの。何も知らない紫石の宿主がもし、相応しくない人間だったら。あなたはもちろん、他の家の次期当主も負けるはずはないけど、その人のせいで、仁美に負担がかかっていないか、って。でも、要らない心配だったみたいね。』

「大丈夫です。真人は、少なくとも悪い人ではないですよ。今日も……天野の次期当主の話、しましたよね?」

『間沙くん、だったかしら。』

「そうです。その間沙が鬼のようなトレーニングメニューを組んでいて、真人はそれをほぼ毎日こなしています。見てるこっちが心配になっちゃうくらい、必死に。それだけ本気だし、真面目なんです。」

『そうなのね、安心したわ。いつか真人くんや、1部隊の皆にも会ってみたいわね。仁美を送り出す時は、本当に不安だったの。でも、仲間の話をするあなたは、とても明るくて。きっと皆、素敵な人たちなのね。』

なんだか恥ずかしくなって、言葉に詰まる。

「喧しくて敵わない時とか、けっこうありますよ?今日だって、はやとが茶化してきたし……」

『ふふっ、良い仲間じゃない。あなたが次期当主になって1番良かったことは、JSOに加入したことかもしれないわね。』

姉上の言葉に、少しだけ弱気になる。

〝どうして、父上の後を継がなかったのですか?〟

いつかの自分が、姉上に向けた言葉が甦る。

本来、ここにいるはずだったのは──

「兄上は、お変わりないですか?」

『それが、前にも増して難しい顔をしているわ。機械兵の事件が、かなり衝撃的だったみたいね。暇さえあれば、書庫や自室で何か考えごとよ。』

ダメだ、こんな心持ちじゃ。次期当主は私だ。ここにいるべきなのは私であると、自分にも他人にも、証明し続けると決めた。

『明日も仕事があるのよね。そろそろ切るわ。何かあったら、仁美からも連絡して?』

「はい、ありがとうございます。おやすみなさい、姉上。」

『おやすみなさい。』

電話が切れる。1人の部屋で、自分の音だけが残る。記憶の中、兄上の目が、私を睨んでいる気がした。

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