第一節 躓石 (1)

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 静かにため息をつく。苦手な人混みに半日も揺られたせいか、気疲れしてしまった。

「疲れちゃった?」

前を歩く母さんは、やけに楽しそうだ。進学を控えた俺の買い物に付いていくと言って、聞かなかった。それ自体は良いが、こうなると、買う物の半分以上が母さんの要り物になる。

本当に必要かは知らないけど。

「荷物が多いからかな。」

俺たちの両手にある買い物袋には、母さんの好奇心を刺激したものたちが詰まっていた。

「家までもう少しだから、ね?」

「はいはい。危ないから、前向いて。」

俺に注意され、母さんはくるりと背を向ける。

本当に、元気な人だ。父親がいない分、苦労も多かったはずだ。だからこそか、いつも明るく強く優しい。

交差点の人の波の中、そんな母親の背中を追いかける。

 青信号が点滅する。俺に振り返った母さんの表情が、曇った。

『待て。』

無機質な声が背後からする。

振り向けない。動けない。息が、できない。あまりにも冷たい声に貫かれて、凍ってしまったようだ。

真人まこと!」

温かい手に掴まれる。両手の荷物が手放され、地面に落ちる。恐怖しながらも、後ろを振り返った。白い服を着た人物が、交差点の中に立っている。

クラクションと人々の騒めきが、耳障りだ。

動けない俺を、母さんが背に隠す。

「真人、逃げて。あなたには、生きていてほしいの。もう……家族を失いたくない。」

心臓が、波打つ。

この感覚は、なんだ?

『〝真人〟?お前がその名を呼ぶことも、お前の子がそう名乗ることも……相応しくない。』

なんなんだ、あいつは。母さんを、どうするつもりだ?

心の底で、何かが蠢く。

「この子は真人よ!あなたは」

『________』

白服が何か言っている。言葉かどうかもわからない、聞いたことのない音。

その音に共鳴するように、心の底の蠢きが、形を成していく。

母さんが振り向き、俺を見る。その目には、驚きと悲しみが満ちていた。

白服が動く。ローブの奥から、腰に差した刀を抜いた。

刀?

異質さに気付いた時には、その刃が目の前にあった。

「あ……」

目の前が真っ赤に染まる。

それが母親の血であると理解するのに、時間がかかった。

どさり、と足元に体が崩れる。

「……母さん?」

俺の中で、声がする。

──……セ、

母さんを殺した、

──仇ヲ取レ。

奴を許せナイ。

──斬リ裂き、

殺サナケレバ、

──叩き伏せろ。

殺サレ

──殺せ!

「ああああああああ!!」

右手に刀を持っていた。それを奴に叩きつける。

母さんの最期の表情が、頭から離れないでいた。



(同時刻)


 赤信号に差しかかり、バイクを止める。

まったく、無駄足だったな。

つい、不満を心の中で呟く。

警察ならともかく、JSOこっちに誤報とは、珍しい……何もないに越したことはないか。

待機中の俺とはやとに出動命令が出たのがおよそ2時間前。すぐに現場に向かったものの異常は見られず、3班に引き継ぎ。本部に帰還命令、帰ってもまた待機か。

なぜだ、嫌な予感がする。

右頬の傷痕を、テープ越しに撫でる。とうに塞ぎきったはずの斬り口から、血が滴るような寒気がした。

 信号が青に変わることを確認し、発進させようとした、その時。

心臓が、波打つ。

これは……!

横に目をやると、はやともこちらを見て頷いた。

同じく感じたのだろう。自らの内に宿すものと、同質の波長を。

後方からのクラクションに急かされ、通信を本部に繋ぎ、バイクを走らせる。

「至急、実働2から本部。」

『実働2、どうぞ。』

紫石しせきの波長を確認。1434、現場付近へ先導できます。」

『ほ、本部了解。現場に急行ねがいます。』

サイレンを鳴らす。感覚を頼りに、波長の源へとバイクを走らせる。

『本部から実働2。実働2の現在地を確認。現場の方角と距離はわかりますか?』

急激に波長が強く、鮮明になる。

「北北西の方角、1キロ以内。」

この紫石には、宿主がいる。ただ、制御ができているとは思えない。紫石に、呑まれている。

『総指揮官から本部及び実働2。非常事態により、総指揮官に指示系統を集約。状況381、開始。本部、実働2のモニターを開始。実働2、現場に急行し、紫石の回収、もしくは紫石保有者を捕縛。実働4も現場周辺に向かわせる。2部隊の面々は対象に近づきすぎないこと。1部隊の2人も、十分に気をつけてくれ。』

「実働2、了解。」

 交差点を左折しようとすると、多くの車が停止していた。あちらこちらからクラクションが鳴り、怒号も聞こえる。車が詰まっている方向と、波長の発生源は一致している。

「実働2から総指揮官。この先が現場だと思われます。」

『1部隊は現場に急行。2部隊は避難誘導を開始。実働4、指定ルートで西側から現場へ。到着次第、避難誘導を開始。』

バイクを路肩に止め、クラクションが重なる車道を走る。

この先は大きな交差点になっていたはずだ。街頭ビジョンの映像が、乱れたまま止まっている。未調整の電子機器は、紫石の波長の影響で上手く作動しない。

この先で間違いなさそうだな。

人々のどよめきが大きくなり、止まった。静寂の後、大勢の悲鳴が届く。歩道の人の波が後ろに流れていく。前の車から慌てて出てきた人を跳び越えると、広い交差点が見えた。

そこには、3人の人物。刀を持った白いローブの人物、紫石の宿主であろう青年、そして、大量の血を流して倒れた女性。

「実働2、対象を確認!」

『……負傷者の保護を優先。その後、他2人を捕縛。実働1部制約の特例解除条件第2項を、JSO総指揮官の権限で適用。1434および1435の第4種戦闘を許可。本部、対象3人の身体状況を解析──』

「俺が2人を足止めする。負傷者を2部隊に引き渡してくれ。」

「了解!」

女性は、2人のすぐ足元に倒れていた。

「ああああああああ!」

青年は刀を召喚し、叫んだ。ローブもそれに応戦するため動き出しているが、こちらに気付いたようだ。

自らの紫石に、意識を集中させる。

右手に紫の淡い光が灯る。光の束を握ると、刀の柄が手の中にある。そのまま振り抜き、加速して2人に近づく。

ローブによって軌道を逸らされた青年の刀を躱し、青年の脇腹に届く寸前のローブの刀を弾く。そのままの勢いで青年を蹴り飛ばし、身体を捻って背後に斬りかかると、ローブは後ろに飛び退った。

すぐにはやとが女性を抱き上げて離脱したのを確認し、2人が同時に見える位置まで下がる。

さすがに、1人で紫石持ち2人の捕縛は難しい。はやとが戻るまでの数十秒、足止めに専念した方が良いな。

「うっ、ぐ……」

青年は立ち上がろうとするが、まだ動き出すことはできないようだ。

感じた紫石の波長はあいつからだ。身体が紫石に見合っていない。太刀筋も、甘いなんてものじゃない。紫石を正しく継いだ者とは考えられない。

白いローブの人物、体格からして男だろうか。顔は殆どが覆われていて、見ることができない。人間味を感じないほど微動だにせず、ただ俺と青年を見据えている。

こちらからも波長は感じる。だが、微弱だ。青年の紫石が強かったこともあり、かなり接近するまでわからなかった。それに、波長が単一すぎる。こんなことがあり得るのか?

「おい、」

ローブに話しかけた声が掻き消される。

「っ、うぁあああああああ!!」

青年がローブに向かい突進する。

くそっ!

紫石から与えられる力がどれほど大きくとも、青年ではローブに勝てない。女性を斬ったのも、ローブの方だろう。刀が血で濡れている。

ローブに近づかれる前に、青年の前に立ちはだかる。

「どけ!」

そう叫ぶ青年の刀を受け流しつつ、背後のローブにも意識を向ける。逃げる様子も、襲ってくる様子もない。

機を伺っているのか?それにしては妙だ。あいつは、俺に仲間がいることを知っている。もし逃げるつもりなら、今が好機なことくらいわかるだろう。もし青年を襲うつもりなら、俺たちが介入する前にできたはずだ。もしくは、他に狙いがあるのか?

はやとが戻ってくるのが見える。

「もう1人を頼む!」

刀を手放す。手から離れたそれは、紫の光の中に消えた。

青年はなおも手を休める様子はない。

上から振り下ろされる刀を右に避け、下に振り抜けた相手の腕を左手で掴む。掴んだ腕を引き、左膝で鳩尾を強打する。

「ゔっ……」

呻き声を出し、青年の体から力が抜ける。刀は手から滑り落ち、光の中へと消えた。そのまま抱き上げ、ローブと距離を取る。地面にうつ伏せに下ろし、拘束。

ローブの方を見ると、はやとは捕縛に苦戦しているようだ。ローブは自分から仕掛けることはなく、はやとも誤って斬ってしまわないよう、大きくは動けない。

「離せ!この!」

青年が暴れる。手錠を掛けてはいるが、紫石持ちを2部隊に引き渡すのは危険だ。このままでは、はやとを手助けすることはできない。

『これは……』

本部に1部隊員の出動を要請しようとした時、絶え間なく続いていた通信の中から、指揮官の驚愕した声が聞こえる。

『総指揮官から実働2。戦闘中の対象は人間じゃない。人型の機械だ。』

人間じゃない?機械に、紫石が宿るのか?

『捕縛する必要はない。直ちに対象を、破壊。』

「了解!」

はやとが動く。捕縛する必要がなくなったのなら、おそらく問題ないだろう。

「お前、名前は?」

背中に体重をかけたまま、青年に聞く。

「離せ!俺は、あいつを!あいつを殺す!」

「あれは俺たちが処理する。質問に答えろ。」

「うるさい!邪魔をするな!」

ダメだ、話にならない。

虹彩が紫を帯びていた。覚醒状態である時の特徴だ。そして紫石を制御しきれず、呑まれてしまったのだろう。

はやとの刀が、ローブの首に届くのが見えた。刀が振り抜かれ、切り離された頭部と胴体の間から、液体が吹き出す。

血液だ。

地面とはやとに、大量の返り血がかかる。頭部と胴体は地面に倒れて、動かない。

「人間じゃ、ないんだよな?」

いつかの、朧げな記憶が頭を過る。真っ赤に染まった、炎と、自分と、刀。泣きながら声をかける──

通信が入り、赤い記憶を振り払う。

『総指揮官から本部および実働2、実働4。状況381、終了。負傷した女性は実働2の救護車両にて本部へと搬送中。拘束中の男性は、現場に残っている実働2の2部隊と1434で本部へ連行。人型の機械は停止を確認。1435は現場で、実働5と調査部の到着まで待機。実働4──』

青年を見ると、気絶していた。手錠を外し、仰向けにする。大きな怪我はなく、心拍も呼吸も問題は見られない。こげ茶の髪、それと頬に、血が付着している。あの女性のものだろうか。振り払ったはずの光景が、また脳裏にこびりつく。青年の表情が、泣いているように見えた。

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