第10話

 子供のいない成人に対して高い税金を課す法律――いわゆる杉田法――が撤廃されたのはもう随分昔のはずだ。

 昔のはずなのであるが今でも田舎に行くと私のような三十代で子なしの女は白い目で見られたりする。

 いや田舎などに行かなくとも、もしインターネットなどというものが生き残っていたら私みたいな女は

「生産性の低い女www」

 などと嘲笑されていただろう。あの例のwとか(笑) とかの記号を文尾に付けられて。いい歳をしたおじさんおばさんで一日中スマホを覗き込んでいる方や、無職の方や、低学歴の方から笑われていただろう。

 資料の中で見るネットの世界は嘲笑に溢れている。

 私たちは他人の欠点や弱点やミスを愛している。

「劣等者」を笑うことを愛しているのだ。

 それはもう熱烈なまでに。

 毒々しいまでに。

 インターネットも杉田法も滅んで、そのような毒は薄まり、住みよい世の中になったはずなのだが、現実はそうとも言い切れない。目に見えない差別というものは一朝一夕で撤廃できるものではないからだ。そういう差別が本能に根差したものである以上なおさらである。

 子供は作るべきである。

 全くそれは大正義だ。

 そうしてどういうわけだか、正義というものはそれを振りかざされた相手に必ず嫌悪感を催させるのは何故か。

 それはその正義の正体が生臭い優越本能に過ぎないことを実はみんな知っているからではないか。

 私には確かに子供がいない。けれども私は劣等者ではない。私には私の優越本能があり、私は私を嘲笑する者を決して許さない。

 かくして自動的に人生は戦いになる。

 この戦いとはダーウィンのいう生存競争とは少し意味合いが違うのだが、しかし目に見える形の現象としては全く同じものだろう。私は人間であるのに人間を憎むこととなる。そうしてもしかしたら、この戦いに勝つためならば、私はありとあらゆる醜い手段を選ぶことに躊躇しないかも知れない。例の「評論家」になってしまう癖も、私のそういう醜い一面の表れなのであろう。私は私の醜さを直したいと思っているのだが、かといって勝利を諦めたくはない。

 さあ……どうすればいいのだろう?

 


 獣は実験台の上に拘束されたままだった。時折苦しげに喉を反らせ、或いは憎々しげに仁科研究員を睨み、唸り声を漏らし、そうしつつもいつの間にか「M136」の赤い乳首は塔のように立ち上がっていた。

(人間の女と同じ反応だな……)

 と私はその現象を科学者の目で見ていた。仁科研究員は嫌らしい揶揄の言葉を投げかけつつ、その先端から指を離し、また哺乳瓶を手にした。

 わざと高めの位置から愚弄するように血液を垂らすと「M136」は大きく口を広げて受け入れた。

 よく見れば「M136」の目の縁からは涙みたいな物がこぼれ落ちている。舌は空中に長く伸ばされて、まるで行為の継続を求める娼婦のようだ。……もう誇りも何も失ってしまった獣を私は軽蔑的に見ていた。あの裸体の獣の内側には生臭い本能みたいなものしか残っていないのだ。食欲とか、それから「生産」欲とか。仁科研究員はそんな獣の姿に満足げな笑い声を上げると自らの服を脱ぎ始めた。

 白いシャツに灰色のズボン、そして靴も靴下も脱いで仁科研究員はパンツ一枚の姿となってしまった。二十四歳の若い男の裸身に私は目のやり場がなくなった。彼はその最後の一枚の下着も脱ごうとしたのだが、私が一つ咳払いをするとこちらの方にニヤリと流し目を送った。

「レディーお二人の前で大変失礼です。恐縮します」

 などと悪びれずに言う。一応下着を脱ぐのは中断したようだが一ミリも恐縮などしていないかのようだ。私の右隣の諏訪研究員は俯いてしまっていた。

「おい仁科、まさか二時間ぐらいかけるつもりじゃないだろうな。ここはラブホじゃないんだぞ」

 私の左隣に座っていた吉沢研究員が不機嫌そうに声を上げた。半分ぐらい冷やかしが混ざっている声音だった。

「いえいえ安心して下さい。いざ行為が始まるとものの五分も持ちませんから、ははは何の自慢なんだか」

 などと若い男は屈託のない笑顔を見せる。痩せ型の体は以外に筋肉質で、下着に包まれた股間の膨らみが生々しかった。

「えーと、それでですね、チーフちょっとお願いがあるのですが」

「はい?」

 仁科研究員のわざとらしい笑顔に私は不穏なものを感じた。愛想のいい仮面の下から明らかに何らかの下心が滲み出ている。もし同じ研究チームの仲間でなく見知らぬ男が街中でこんな顔をして近づいていたならば、私はその男を詐欺師か変態と断定していただろう。

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