第8話 覚醒 [前編]
ノイアは急いで部屋から飛び出た。
狭い通路を抜けると正面には空間が広がっている。アイネとシオンと三人で落ち合う約束をしていた踊り場だった。
この騒動で二人がここで待っててくれるのではないかと淡い期待を抱いていたノイアだったが、しかし、二人の姿はどこにも見当たらない。
恐怖からかノイアの呼吸が荒くなる。
背後から人の気配を感じる。
振り返らなくてもわかった。部屋に飛び込んできたあの男。一度見たら忘れられない嫌悪感を醸し出す顔。
ノイアが振り返った時には、その男は目と鼻の先にいた。
身の毛がよだち、嫌な汗が噴き出してくるのがわかった。
「逃げるなってぇ」
カースはそう言うと右足を振りぬいた。ノイアの脇腹にねじ込まれたかと思うと、華奢な体が大きく吹き飛んだ。
壁に打ち付けられ、ノイアの息が一瞬止まる。
カースは舌なめずりをし、腰に携帯していた黒い棒を抜き取り光り輝く刀身を出現させた。
シオンとアイネは階段を駆け下りた。
広い空間に出た。
窓からは空に立ち上る排煙が見え、徐々に火の手が回ってくるのが感じられた。
「ノイアの部屋ってこの正面だった?」
アイネが確認する。
現在、二人のいる場所は病棟の中央広間に繋がる階段を降りてきたところに位置している。他にも似たような場所がこの病棟にある。二人が今いる中央以外にも、東側、西側の広間や踊り場にはそれぞれ上階と下階を繋ぐ階段があった。
ノイアの部屋は東端部屋であったためシオンは首を振り、顎で右側を見るよう促す。
アイネは息をのんだ。
数十メートル先でノイアが壁に吹き飛ばされたかと思うと、ドセロイン帝国の紺色の軍服を着た男がエターナルサーベルを片手に歩み寄っているところだった。
アイネは思わず助けに入ろうと走り出す。
が、しかしそれを制するようにシオンが腕をつかむ。
「何してるの、離して!」
「だめだ。丸腰の俺たちが突っ込んでっても死ぬぞ」
「だったら、ノイアを見殺しにしろっていうの!?」
アイネが握られた手を振りはらう。
シオンは一瞬だったがその考えが頭をよぎっていた。
何せ相手は軍人。
子供の自分たちが立ち向かっても歯が立たないのは自明の理だった。
合理的に考えたら、より多くの命が助かるのはノイアを置いて二人で逃げること。
だが、そんなことをしてもアイネはシオンの制止を振り切って助けに行くだろうし、シオンもまた見捨てる気などさらさらなかった。
「そうじゃない。ただ突っ込むにしても、もうちょい工夫するべきだ」
そういってアイネに耳打ちする。
端的に素早く説明した後
「……どうだ、今よりは多少はマシになるだろ」
といった。
アイネは頷いた。
「よし、決まりだ。急ぐぞ!」
壁に打ち付けられたノイアは、一瞬息が止まり世界が歪んだようにすら感じた。
咳き込み気道を確保したのも束の間、光り輝く剣を持った男―――カースが近づいてくるのが分かった。
カースはサーベルの切れ味を確かめるように、何度も振り回し近くの壁や鉄パイプを切断する。
肩慣らしがすんだのか、ようやく素振りをやめる。
壁に背をつけ座り込んでいるノイアを見下ろす。
「あぁ~、久しぶりに虐められるぞ」
そういったカースの目は恐ろしいほどに濁っていた。
サーベルを持った右手を振り上げ、ノイアを切り付けようとしたその時だった。
「ノイア! 息止めて、目つぶりなさい!」
カースは思わず声のした方を見る。
質素な身なりをした黒髪の少女―――アイネがそこにいた。
何かを重そうに抱えながらこちらに何か向けているのが分かった。
その瞬間、彼女の手にしていたノズルから勢いよく液体が放出されたかと思うと、辺り一面に極小の粒子が大量に空間にひろがる。
視界が一気に白に染まる。
今、まさに加虐趣味を堪能しようとしていたカースにとっては、アイネの妨害は目障りこの上ないことだった。
カースは怒りを爆発させる。
「いたぶろう思ったが、やめだ! ガキども、二人まとめてあの世に送ってくれるわ!」
視界こそ遮られたものの、目の前にノイアがいるであろう場所は把握していた。
手始めに、と思ったのだろう。目の前にいたノイアめがけてサーベルを振り下ろした。
しかし、手ごたえはなかった。
刀身が地面に突き刺さった感触だけが伝わってきた。
白煙の中、カースは移動している二人分の足音が聞こえてきた。
サーベルの出力をオフにし腰に戻した。
音を立てないよう素早く足音のした方に向かう。
もともとそこまで広い範囲に白煙が拡散されていたわけではなかったため、少し移動したとこですぐに視界が元に戻った。
カースのすぐ先には、アイネとノイアが急いで走っているのが確認できた。
二人の向かう先には、踊り場に繋がっている階段があった。
「逃がすと思ってんのかぁ! ガキども!!」
不意にカースの視界が揺れた。
背後からもう一人の人影が現れ、勢いづけたままカースに飛び蹴りをかましたのだった。
カースはそのまま体勢を崩し、無様に地面に転がる。
「シオン!」
ノイアがうれしそうな声を上げる。
「感動の再会は後だ!! 逃げるぞ!」
シオンは二人に追いつきそのまま階段に向かう。
後ろを向くとカースとの距離が開いていくのが分かった。
逃げ切れる! シオンがそう思ったその時だった。
三人の頭上をレーザーが何発も通り過ぎた。
その軌道は天井を打ち抜いた。
噴煙が舞ったかと思うと、三階の底が抜け大量の瓦礫が三人の行く先を完全に塞いだ。
シオンの頬にいやな汗が流れ、左の首筋に焼けるような痛みが走る。
「……ッ。レーザー銃、……そんなんありかよ」
一瞬にして希望の道を塞いだ目の前の瓦礫をなぐる。
後ろから聞く人すべてを不快にさせる高笑いが聞こえてくる。
地面に伏したままではあったが、手に握られた銃はしっかりと天井に狙いが定められていた。
カースが笑い続けながらゆらりと立ち上がる。
「逃げられると思ったか? ん? 惜しかった、ほんとに惜しかった。消火器を使うのはいいアイディアだったぞ。……だがお前たちの運命はもう決まった。俺を地面に這いつくばらせた罪は重いぞ、ガキども!!」
そう言い放ち、再び腰からサーベルを抜き取り光らせる。
一歩、また一歩と三人に近づく。
カースの唇がめくれ上がり、不均等に並んだ歯が見えた。
「時間をかけてタップリいたぶってやる。つま先から徐々に千切りに刻んで、意識が飛ぶたび、死なない程度にこのサーベルを腕に、腹に、顔に突き立ててやろう。俺に逆らったことを死ぬその時まで後悔しながら泣きさけべ」
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バーキロンは足早に目的地に向かう。
雑草に囲まれた砂利道を通り抜け、アダルット地区に入った頃にはすでに戦闘は始まっていた。
四方八方に火の手があがり、小型爆弾が炸裂しそれに伴い誘爆がおこる。
連鎖的に、ドミノ倒しのように建物が崩壊していく。
上層部からあった指示とは異なる場所にも攻撃していることは明らかだった。
バーキロンは下唇をかみしめ拳をこれでもかというぐらい強く握った。
カース。
あの男が命令したに違いない、バーキロンはそう思った。
崩壊していく光景を尻目に、作戦であらかじめ決めてあった仮指令拠点地に足を運ぶ。
そこに隊長のカースがいるはずだった。
「カース隊長はいるか?」
バーキロンは周囲を見渡して聞いた。
「あぁ? 隊長なら突っ込んでいっちまったよ!」
本来隊長のカースがつけておくべきヘッドセットで指示を出しながら隊員が答える。
戦争において司令官が職場を放棄して突っ込んでいくなど普通ならば考えられないことだった。
カースの利己的行動は今回に限った話ではなかった。
以前からその立ち振る舞いには隊長としての責任が問われたことがあったが、そのたびに部下に責任を取らせ難を逃れてきた。
「あー、くそ! これで俺も無事お役御免ってか!」
今度は自分に責任が擦り付けられることを悟ったのか、兵士の口調が荒くなる。
その様子を見て、バーキロンはその男に囁くようにいった。
「……僕に、いい考えがあるのですが」
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