一人分の砂漠

沫月 祭

一人分の砂漠

膝から下が溶けていく。骨が、肉が、皮膚が、脂肪が全て解け、溶けるように砂へと変化していく。それはサラリとした細かい砂で、砂漠を思わせる。そしてそれは膝上、腰、腹と進んでいく。やがて男は細い悲鳴をあげながら、小さな砂漠を作り上げた。

「………」

口元に手を当て、慌ててその場を去った。先程まで楽しく話していた相手は、ものの数秒で砂と化してしまった。あんなに、あんなに呆気なく人は死ぬのか。家族や愛しいものとあうどころか、遺体を残すことも、遺灰となることもできずに、ただ何も無かったかのように砂と化す。

近頃流行っている奇病は、細菌の影響なのか、磁場の影響なのか、はたまた他の原因があるのか、一切わかっていない。ただ、私自身もこれを見るのは二度目だった。大抵の人が一度は目にしているだろう。故に、日本中がパニックに陥っている。初めに砂と化した人が現れたのは一か月前。その当時は嘘だろうと思われたためか、全国的に問題となったのはつい二週間前だ。何件か同じような事例がバラバラの地域で発生したのである。各所で原因究明が行われ、砂も研究されたが、その成分はどれも同じ。個人のDNAなども含まれておらず、ただ無害な砂だという。今では最重要の問題とされ、どこもかしこも砂塵病と呼び特集している。テレビも新聞もその話題一色であった。

慌てて離れてから、上司へと連絡を取る。✕✕さんが砂に、そう伝えると、一息飲むような音がした後「…もう三人目か」と力のない言葉が聞こえた。それから、こちらで対処をおこなうため近づくことのないように、と伝えられ、電話は切れた。

砂になった人のもとには、何故かなにものこらない。体だけでなく、所持品までもが砂になるのだ。それ故に家族が亡くなったことをみとめない遺族も多いらしい。当然だ、あまりにも理不尽で、冗談としか思えない。

仕事を終え、帰宅する。玄関にランドセルが落ちていた。またか、とため息をつく。

「風夜!ただいま!もう、またランドセル投げ捨てたでしょう」

声をかけながら部屋の前を通る。特に返事はない、いつもの事だ。食事時になれば勝手に出てくるだろう。はぁ、と溜息をつきながらランドセルを今のソファの上に置いた。ものを放る癖の直らない息子だ、今度しっかりと叱らねばなるまい。

さて、食事をつくろう。そんな意気込みをしたところで、インターホンが軽快に来訪者を知らせてきた。はぁい、と声を上げながらぱたぱたと小走りで玄関に行き、覗き穴をみる。一人はよく見知った顔、もう一人は見知らぬ顔。

「…久しぶりね」

「ああ、沙良、久しぶり。…中に入れてもらってもいいかな」

「いいけど…」

困ったように、以前より深まったくまが酷い目を細めながら、夫が微笑む。ちら、と夫の隣をみやると、この方は今から紹介するよ、と言われた。そう、ととりあえず中へと招く。

「風夜、お客様が来たから静かにね」

部屋の前を通りながら声をかける。返事はやはりない、これもいつもの事だ。

夫を見やると、疲れたように笑っている。

「あなた、クマがより酷くなったね」

「そうかな…君は相変わらず綺麗だね」

「そういうところは本当に変わらないね」

そう笑うと、少しだけ嬉しそうに夫は笑った。二人を居間に招き、お茶を出す。

「……風夜は元気?」

「ええ、勿論。会う?」

「うん。そうしようかな」

少し話したあと、そう切り出した夫に、笑顔で頷く。夫は隣の、まだ紹介いただいていない人を誘導するように歩き出した。

息子の部屋の前に立ち、声をかける。

「風夜、お父さんよ。お父さんの、お友達もあなたにあいたいみたい。入るね」

ノックしてから、ドアを開ける。綺麗とは言い難い子ども部屋だ。その部屋の一角にはテレビがあり、ゲームが繋がれている。その前に息子は座っていた。息子はこちらをちらりとみて、またテレビに向かう。

「こら、風夜。ちゃんと挨拶なさい、それに久しぶりのお父さんよ」

「……………こんばんは」

「ごめんなさい、人見知りで」

そう言うと、隣の人は曖昧に笑っている。夫の顔は何故か随分と強張り、目をそらしていた。それからこちらをみて、口を開く。

「………沙良、風夜は」

「風夜がどうかしたの?」

「風夜はもう、砂になったんだよ」

「何言ってるの、おかしなこというのね。いくら流行っているとはいえ」

ね、とテレビの前でゲームに興じる息子を見る。息子がこちらを見ることはないが、たしかにここにいるではないか。息子の頭を撫でながら、夫に笑いかける。

「子どもの前でよくそんな酷い冗談がいえるものね」

「…沙良!これをみて、いい加減夢から覚めてくれ」

そう言って夫が差し出したのは、木箱のようなもの。その中には、砂漠のような砂が入っていた。それが、どうしたというのだろう。

すると、隣の人がこちらに近寄り、挨拶をしてきた。

「はじめまして、精神科医の渡部と申します。旦那さんとは旧知で…奥様の状態を聞いて来たんです」

「はぁ…精神科医の方ですか。私の状態?精神科医の方がなにかするような状態ではないですが…」

そう不思議に思い、問うと、難しげな顔をした男は、少し考えたあと口を開いた。

「…奥様、本当にそこに息子さんはいらっしゃいますか?どのような格好でしょうか」

「変なことをお聞きになるのですね。いますよ。青い長袖のTシャツに、ベージュのズボンを穿いています」

「…息子さんとは毎日お話をされていますか?」

「ええ。言葉は少ないですが」

「…沙良さん、息子さんは、本当に今、触ることが出来ていますか?」

そう精神科医は問う。ええ、と頷きながら、頭を撫でた。柔らかい、手触りの良い髪の毛だ。にこり、と笑うと、夫は疲れたようにうなだれる。精神科医は、目を細めていた。

「さぁ、あんまりここにいると、息子もゲームしたいでしょうから。あ、風夜、玄関にランドセル投げちゃダメだよ」

2人を部屋から出しながら息子に言うけれど、相変わらず返事はなかった。

居間に行き、二人と向かい合う。

「沙良さん、私の病院がここにあります。ご予定が開く時間にお尋ねいただけませんか」

「どうしてですか?」

「…少し、お話しなければならないことがあります。」

「…わかりました」

おかしな人だ。急に訪ねてきて、病院にこいだなんて。しかし夫は少し安心したように頷いている。そうして二人は帰ることにしたようで、立ち上がった。今夫は、実家で寝泊まりしている。そのような気分なのだと話していた。それもまた不思議なのだけれど。特に仲が悪い訳でもない。風夜はもう死んでいる、だなんて悪趣味な冗談を言うところ以外は好きなのだが。

では失礼しました、と精神科医は言った。

「う」

「…え?」

いきなりそう呟いたのに驚いて精神科医を見ると、驚愕したような表情を浮かべている。そして呻き声をあげ、背を縮ませていった。文字通り、ゆっくりと小さくなっていった。

「義則!?」

夫が叫びながら駆け寄る。既に足元は砂。精神科医はうめき声と嗚咽を漏らしながら、砂となっていった。

「………そんな」

「……今日で二人も見るなんて。…電話しなきゃいけないわね、警察に」

一人分の砂漠ができた所をみやり、電話を手に取る。夫は静かにくず折れていた。

恐ろしい、人とはあっけなく死ぬものだ。こんなにも、こんなにも。精神科医にも家族はいるだろう、どれほど悲しむだろうか。

怖い、私の家族でなくてよかった。

そんなふうに、思ってしまった。

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