40. 「喜んで、お付き合いさせていただきます」

 なんだその声、と思わず吹き出せば、由良くんは真っ赤になって口をぱくぱくとする。それ以上声が出ないほどに動揺している様を見て、やっぱりみなちゃんの言ったことは正しかったんだな、と確信を深めた。


「で、どうなの? 私が由良くんに書くラブレターならなんも問題ないよね?」

「はっ、い、え、うえっ!?」

「由良くんなら、私がどんだけ丁寧に書いたかわかってくれるんでしょ? ならもったいなくないよね?」

「し、しーなさん、さん、さん! しーなさん!」

「愉快なことになってんぞ由良くん」


 椎名さんさんさんってなんだ。

 由良くんがしばらく正気に戻りそうになかったので、新しいルーズリーフを数枚と、由良くんがお手本を書いてくれた『き』『て』『す』が含まれたルーズリーフを鞄から取り出す。念のため持ち歩いておいてよかった。ここに今日教わった『好』を加えれば、『好きです』の完成だ。

 はわわ、状態の由良くんを尻目に、丁寧に丁寧に一画ずつ書いていく。『好』はさっき言われたとおりに。……うん、ちょっと違うな。もうちょっと練習しよう。

 五回ほど練習をして、ようやく一画目のいい角度が掴めた。よし、このルーズリーフに後の三文字も練習して、と。


 き、は一画目と二画目の方向性をほぼ揃える。二画目のほうがほんのすこーし右上がりが強いイメージで書いた方がそれっぽい。三画目は、一画目二画目からあまり離れない位置でハネ。その流れを受けて、最後はなめらかな線を。ん、いい感じ。

 で。横画を少し重なるように戻り、曲線に入ったら中心線を意識して、あまり丸みを強くしすぎないように。濁点は……コツと言えるほどのコツはないし本番勝負かなぁ……。角度と離れ具合を気をつけよう。

 す。実はめちゃくちゃ苦手なひらがなだ。まず横画……は、このくらいの長さ、で。由良くんのお手本を見ながら、同じくらいの長さで止めておく。そしたら苦手な二画目。丸、というか三角に近いこの部分がどうにも上手く書けない。なぞりで数回練習後、なぞらずに書いてみる。……うん、まあこれくらいで妥協していいだろう。どうせ後日やり直すんだから。


 練習を終えたら、本番(仮)に挑む。ルーズリーフでラブレターなんて渡したくないから、これは仮である。あまり気負わずに、それでも丁寧に丁寧に書いていく。

 練習と本番(仮)を合わせ、およそ十分ほど。その間、由良くんは一言も発さなかった。

 書き終えた『好きです』を眺め、私の中の合格点に達していることを確認して、そのルーズリーフを半分に折りたたむ。


「由良くん」


 顔を上げ、名前を呼ぶ。由良くんはびくりと震えた。その顔は未だに赤くて……そしてあんまりにも可愛い、嬉しそうな困った表情をしていたので、真顔を保つのも一苦労だった。くっそかわいい。


「これ、読んでください」

「…………み、見てたから、わかってます」

「あ? 読めっつってんだけど」

「こわい……」


 ぷるぷるしながら受け取ってくれた由良くんは、目をぎゅっとつぶり、たたんであったルーズリーフを勢いよく開ける。そのまま数秒が経ち。

 目を開けることなく、たたみ直した。


「……え、何? 何してんの由良くん」


 完全に想定外の行動だった。見られることなくたたまれた私のラブレター(仮)が可哀想だとは思わないのか!? いやそりゃあ目の前で書いたんだから実質もう見られてるんだけど、それはそれとして! 私は今! 読んでほしかったんだけど!?

 思いきり眉根を寄せれば、由良くんは赤い顔のままおろおろとする。もはや赤い顔がデフォルトになりそう。


「ま、待って、まだ心の準備が……いやその、あの、あのね、椎名さん待って、待ってね」

「待つのはいいけど私は短気なんだぞ……」


 暗にそんなに待てるわけないんだから早くしてと伝えると、由良くんが泣きそうになる。

 待って。私のほうこそ待って。なんか私がいじめてるみたいになってる。告白しようとしてるのになんでこんなことになってんの!? 私が悪いのか!?

 ……た、確かにちょーっと、強気でいきすぎてる気がするな。由良くんからの好意を確信しているからって、強気すぎる態度だった。そこは反省しよう。


「うん、よしわかった。わかりました。それじゃあお望みどおり、直接口で言ってやるわ」

「待って!!」

「うっさい! 見てたからわかってるって言ったのは自分じゃん!」

「そ、そうだけど、う、うぅぅ、待って……おれこのままじゃかっこ悪すぎるじゃん……」

「大丈夫、由良くんは基本いつでも可愛いから、かっこいいのは外見くらいだよ」

「なにそれ!?」


 正直な気持ちをぽろっと漏らしたら、心外です、という顔をされた。えー、いやだって……可愛いものは可愛いんだから仕方ないじゃん。かっこいいことをしてから言ってほしい。……ナンパから助けてくれたのとかはかっこよかったけど。

 結局読むのか読まないのかどっちなんだ、とちょっと憤慨しながら由良くんを見つめていると、薄目になった由良くんがそうっとそうっとルーズリーフを開いていった。薄目でもかっこいいんだからイケメンはずるい。

 ルーズリーフを完全に開き、また数秒。由良くんはがんっと机に突っ伏した。


「いたい……」

「だろうね!? 思いっきりおでこぶつけたよね!?」

「う、だって椎名さんが……」

「私は悪くねーよ!」

「椎名さんさっきから口調崩れすぎだよ……」

「それ言うなら由良くんだって素が出てますけど!?」


 指摘されるまで私は気づいていなかったから、自分でも知らないうちに緊張していたのかもしれない。なんて冷静に考えながらも、どきどきし始めた心臓を落ち着かせようと深呼吸する。

 この反応、なら。みなちゃんに言われたことも合わせて、答えは決まっているようなものだけど。

 それでもちょっとだけ怖かった。もしもこれで、由良くんが私との関係を変えることを望んでいなかったら?

 私はこんなことをしてまで、友達のままでいられる気がしない。もちろん由良くんからお願いされれば友達でいる努力はするけど、いつかはきっと破綻してしまう努力だ。友達でさえもいられなくなったら――それが、怖かった。


「椎名さんに先越されたのがすっごい情けなくて……」


 けれど。

 返された言葉に、その恐怖も緊張も、何もかも忘れて固まった。


「昨日、六日待っててほしいって言ったのに」


 拗ねたように言われて、え、え、と慌ててしまう。

 確かに言われた。あっ、うわ、ほんとだ。言われてた。挙動不審の理由を教えてくれるって。言われてたな!? みなちゃんに話したことで答えがわかってしまったから、すっかりその約束が頭からすっぽ抜けていた。

 こ、これは、私が、悪い……のかもしれない……。

 六日、と言われたのが昨日だから、つまりあとは五日で。私が何もしなければ、五日後には由良くんから告白を受けていたわけで。

 ……そりゃあ拗ねもするな!


「ごめんね!? 忘れてた!」

「忘れてたの!?」

「や、だって、うん、ごめん! みなちゃんから、由良くんは絶対私のこと好きだって聞いたから……」

「妹ちゃああああん!」


 由良くんの叫びに、ものすごく申し訳なくなってくる。少女漫画が好きなら、男の子側から告白したいとかそういう憧れとかを持っていたのかもしれない。本当に申し訳ないことをした。


「うぅぅ……まあ、すぐに告んなかったオレがわりぃし……つーかなんかもう全部オレが悪いんだよな、ごめん……」

「いや、そこまでは……!」


 けれど否定はしきれなくて、「そ、そもそも!」と話の流れを変える。


「なんであと六日……五日とかって話になってたの?」

「新開くんが、椎名さんが絶対おれのこと好きだから、早いとこ告れって。でも勇気がいるだろうから、って期限付けてくれた……」

「新開くんが!?」


 えっ、なに!? なんで私の気持ちが新開くんにばれてんの!? 意味わかんねーんだけど!? みなちゃんが私の気持ちも由良くんの気持ちも知ってたのは納得だけど、新開くんはなんで!?


「新開くんこっわ……」

「妹ちゃんにはおれがそれっぽいこと言ってたんだけど、新開くんは何にも知らなかったはずなのに……」

「言ってたの!? 言ってたからあんなに自信満々だったのかみなちゃん!?」

「や、言う前から知ってたから、おれは妹ちゃんもやっぱり怖い」

「みなちゃんだからね……。でもちょっと見透かされすぎてて怖いよねぇ。私は新開くんのほうが怖いけど」

「どっちもこわい」


 二人してこわいこわい言いまくって、一息つく。告白の余韻なんてあったもんじゃなかった。

 そしてふと気づく。私、由良くんから何にも返事もらってない。

 これはもう一回、ちゃんと口で言ったほうがいいのか……? それとも由良くんから何か言われるのを待ったほうがいいのかな。

 そんなことを思っていたら、由良くんが姿勢を正して真剣な顔をする。


「……告白自体は椎名さんに先越されちゃったけど」

「う、うん」

「口では、おれに先に言わせてほしい」


 あっ、よかった。口でまで私が先に言ってたら、由良くん絶対また拗ねちゃってたパターンだ。

 はい、と私も真剣な顔を作ってうなずく。ここまで何度も待ってと言ってきた由良くんだし、告白は五日後にしようと思っていたのなら、まだ覚悟ができていないかもしれない。とりあえず最終下校時刻までは待つぞ……なんて構えていたら、由良くんはあっさり口を開いた。


「おれも、椎名さんのことが好きです。大好きです」

「んぅ……」


 威力が高すぎた。一瞬にして顔が熱くなる。

 そんな私に由良くんは嬉しそうにふにゃっと笑って、「可愛い」なんてつぶやく。やめ、やめて、やめろや!!! 殺す気じゃないよな!? 何してくれてんだ!? そっちこそ可愛くていい加減キレるぞ!?

 可愛い顔のまま、由良くんが語っていく。


「気持ちに気づくの自体すっごい遅くなっちゃったけど、たぶん大分前から、椎名さんのこと好きだった」

「……」

「椎名さんに笑っててほしいし、椎名さんが可愛いのはおれだけが知ってればいいなって思っちゃうし、幸せになってほしい……幸せにしたいなぁ、って思う」


 ハズい。ハズい。何がハズいって、私も由良くんに対して同じような感情を抱いてしまっているところだ。あまりにも同類という感じで恥ずかしすぎる。


「だから、」


 するすると言葉を紡いでいた由良くんがそこで止めて、それから私とまっすぐに目を合わせ、照れたように笑う。


「もしよければ、おれと付き合ってくだしゃ……」

「……」

「……」

「……」

「……」



 無言で見つめ合った。

 ぶほっと先に吹き出したのは私で、続けて由良くんまで笑い出す。


「ふ、あははは、はは、噛んだー! 大事な、ふふっ、大事なとこで! さすが由良くん!」

「あっははは、はー、まさかここで!? ふはっ、噛むかおれ!?」


 二人で息が苦しくなるまで笑い転げ、ふー、とほぼ同時に息を整える。

 ……くだしゃ。くだしゃ。あーほんっと可愛いな由良くん。かっこつかないところが最高に可愛い。言い直さずに黙っちゃって、私と一緒に笑ってしまうところも可愛い。とにかく可愛い。

 笑いは収まったけど、それでも少し残っていて、ふふふ、と軽く笑ってしまう。


「もう一回やらせてくれる?」


 笑いをこらえながら訊いてきた由良くんに、うーん、と考える。


「……じゃあ、五日後ね。私も五日後、ちゃんと綺麗な手紙用意するから」

「二人で五日後にやり直し?」

「そうそう。やり直し」

「それじゃーそれまで、お付き合いはナシっつーこと?」


 このタイミングで口調がエセ不良に戻ったのがなんだか面白い。駄目だ、今はもう箸が転んでもおかし……くないな。箸を落としたみなちゃんを思い出しちゃうから今のは前言撤回で。とにかく、ちょっとしたことでも爆笑してしまいそうだった。


「いや、お付き合いは今この瞬間から始めよう」

「なのに告白はやり直し?」


 笑いながら首をかしげる由良くん。


「だって五日後まで私たちの関係って何? 状態になっちゃうじゃん」

「そりゃそーだけど、それって別に、五日後じゃなくてもいんじゃね?」

「私、五日後楽しみにしてたんだよ」

「約束忘れてたのに?」

「忘れてましたけどー、でも楽しみだったの! だから五日後で!」


 強引にそういうことにすれば、由良くんは「りょーかい」と返事をしてくれた。なんとなく顔を見合わせて、同時に小さく笑い出す。

 今日告白する羽目になるなんて思わなかったけど。うん、結果オーライだ。


「私たちにはこれくらいぐっだぐだな告白がちょうどいいよね」


 なんせ、エセ優等生とエセ不良だ。存在そのものがぐだぐだだと言っても過言ではない。

 確かに、と笑う由良くんに、「でしょ?」と私も笑う。


「まあ、じゃー正式なやり直しは五日後っつーことにしといて。今はとりあえず、最後のところだけやり直しで」

「おお?」

「だって今この瞬間から付き合うことになんのに、最後のを五日後にやり直しはおかしーじゃん」


 なるほど、それはそうだ。

 本当は私から言わせてほしかったけど、にこにこしている由良くんが可愛かったのでぐっと我慢する。拗ねる由良くんも可愛いけど、ご機嫌な由良くんのほうがもっと可愛いのだ。

 由良くんは、すっと私の手を取った。その熱さにほんの少し驚いてしまったが、目立たない程度ではあるけど、彼の顔は今も赤い。それなら手がこんなに熱いのも納得だった。


「椎名まなかさん」

「……うん」

「おれと、付き合ってくれますか?」


 喜んで、とすぐに返事をしようとして。

 ちょっと思いついたことがあって、掴まれた手をそのままに、椅子から腰を浮かせる。きょとんとする由良くん。さすがには緊張するけど、きっと可愛い由良くんが見られるだろう。

 小さく息を吐く。

 ん、覚悟は決めた。


 何かを察したのか由良くんが手を離そうとしたのを、引き留めるようにぎゅっと握って。

 それを引っ張って――由良くんの顔に、自分の顔を近づけた。目をつぶるのがマナー、なんて聞いたことがあるけど、さすがに初心者にそれは厳しいから、目は開けたまま。

 唇を由良くんのそれに押し当てる。見開かれた目に喉の奥で笑って、数秒経ってから静かに離れると、ぼふんと赤くなる由良くん。……私も今、絶対赤い。


「喜んで、お付き合いさせていただきます」


 それでもなんとか微笑んで答えれば、由良くんの目からどばっと涙が……えっ、涙が!? 泣かせた!? えっ!? 私が泣かせた!?

 あわあわとしていれば、由良くんが「ありがとぉぉ……」と泣きながら言ってきたので、よくわからないけど思いきり笑ってしまった。

 ……それなのに、なんだか私も、泣いてしまいそうだった。




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