39. 好きをなぞり、なぞられる

 いつどんなふうに告白しようか、と一晩考えて、とりあえず告白方法は決めた。……それはずばり、ラブレターである。

 いや、私の字は猛烈に、超絶に汚いわけだが、何ヶ月も由良くんに教えてもらったおかげで、多少は見れる字を書けるようになっている。その成果を見てもらいたいなぁ、なんて思ったわけだ。解読できないような字はもう書かない自信がある。

 問題は文面。

 由良くんがいくら私のことを好きでも、きったない字でつらつらと書かれていたらドン引きだろう。ここはシンプルに、好きですの一言にしておく。シンプルすぎる気もしたが、四文字ならひたすらそれを練習すればかなり綺麗な字を書ける、はずだ。はず。自分の力を信じる。


「あのね由良くん、ちょっと教えてほしい字があるんだけど」


 今日の勉強会を始める前に、そう切り出す。

 今までに教えてもらった字は、全部そのときのルーズリーフを取ってある。由良くんがポイントを赤ペンで書いてくれたりしているので、家ではそれを見て復習することもよくあった。

 しかし、ひらがなは最初に全部教えてもらったからいいにしても、『好』の字は探しても見つからなかった。女偏の漢字も子という漢字も教えてもらってはいるから、それを組み合わせて自分なりに練習するか、活字を参考にしてもいいだろう。けれどなんとなく……告白に手紙という方法を選んだのなら、由良くんにちゃんと教わってからにしたかった。


「ん、いーけど、なに?」


 もうすっかり挙動不審じゃなくなった由良くんが、首をかしげる。今考えれば、あの挙動不審は私のことを意識してのことだったんだろう。なぜ今通常運転なのかはわからないが……まあ、由良くんのことだ。昨日の今日で、何もきっかけがなく私のことを好きじゃなくなったりはしないだろうし、私は安心していていいはずだ。

 ……う、うう、由良くんが私のこと好きっていう前提で考えるの、はっずかしいな!? なんだこのこそばゆい感じ!? みなちゃんにあそこまで言われたからには信じないわけにはいかないけど、それはそれとして恥ずかしすぎる。


 無表情を取り繕いつつ、由良くんのことをじっと見つめる。

 ……今日もかっこいいし可愛いんだよな、ほんと。自然とそう思ってしまう自分が恥ずかしい。自覚したばかりだから、という理由であることを願うばかりだ。これからもずっと常にこんな思考をしてしまうとか、バカップル一直線じゃないか。それは嫌だ。

 見つめすぎたのか、由良くんが戸惑ったような表情で更に首をかしげる。「しーなさん?」とちょっと私から視線を外した由良くんに、お、と思う。……このまま見続けてたらどうなるかな。

 何も答えずにじーっと見続けていると、由良くんの目がさまよい始め、その顔はじわじわ赤くなっていく。……照れてる、のかな、可愛い。


「あー、なんでもない。えっと、教えてほしい字の話だったよね」


 私から切り出したことなのに、黙ったままでいるのも申し訳ない。それにこのままだと、私まで顔が赤くなってしまいそうだった。


「好きっていう字が綺麗に書けるようになりたい」

「…………なんで?」


 きょとんとした後、なぜか顔を引きつらせて由良くんは尋ねてくる。


「え、なんでって……」


 まさか理由を訊かれるとは思っていなかったので、目を瞬いてしまう。今まではこれを教えて、と言ったらすんなり教えてくれていたのに。

 もっともらしい理由をひねり出すために頭を回す。告白する前にばれるわけにはいかなかった。


「えっとね、みなちゃんに日頃の感謝を伝えようと思って」


 みなちゃんは今日も、私が家を出るときに「大好きだよ」と言って見送ってくれた。もちろん私だって大好きだとは返したけど、うん、そうだな。本当にみなちゃんに手紙を書いてもいいかもしれない。

 私の字に関しては、みなちゃんも匙を投げた過去がある。由良くんに字を教わるようになってからの字はみなちゃんに見せたことがないから、これだけ綺麗に書けるようになったんだよ、という意味でも書きたくなってきた。

 となると、「これまでもこれからも、ずっと大好きだよ」とかかなぁ。ひらがなは全部教わったし、大も教わった。好きさえ教えてもらったらもう書けるだろう。


「手紙書くっつーこと?」

「うん。せっかく由良くんに今まで字教えてもらったんだし」


 もっともな理由付けだと思うし、実行する気もある。だから納得してくれるだろうと思っていれば、案の定、「そっか」とうなずいてくれた。なんだかその表情はほっとしているようにも見える。


「りょーかい、好きな、好きか」


 ……由良くんから好きって単語が出るだけでどきっとしてしまう。なんか悪いことをしてる気分。言わせるのが目的だったわけじゃないんだ、本当に。

 平静を装いながら、由良くんがルーズリーフに文字を書くのを眺める。女偏ってすごいバランス難しいんだよな……未だにコツがつかめない。


「好き……ん、こんな感じかな。じゃあ今日は久しぶりになぞりから練習しよっか?」


 最近は見ながら何度も書いていくのが主で、なぞりの練習はしばらくしていなかった。けれどなぞりの練習をしてから書いたほうが上達感があるのも確かなので、「そうだね」とうなずいて意気揚々とシャーペンを握る。

 ルーズリーフにルーズリーフを重ね、うっすらと写る『好』の一画目にシャーペンの芯を当て。

 ……由良くんの書いた『好き』をなぞるって、なんか。すごい、恥ずかしい、気持ちが、ぞわぞわと、して、思わずシャーペンを置いてしまった。


「どーした?」

「……いや、ううん、大丈夫」


 今まで由良くんの字をなぞることに特に何も思わなかった、のはまあ、自覚してなかったから当然なのだけど。それでも『好』という字になった途端、ここまで恥ずかしさが生まれてしまうのはびっくりだった。

 ……いや、別に、恥ずかしいことじゃないし。こんなの全然恥ずかしくないし。

 心の中でもにょもにょと虚勢を張って、気合いを入れて一画目をなぞり出す。

 と、急に由良くんが「あー……」と呻くような声を出した。


「なんかこう、その字だと、ちょいハズいな」

「……いちいち言わなくていいんだよそういうのは!!」


 文句を言って何度かなぞり練習をし、それから一度自分だけで書いてみる。もちろん見ながらだからそう汚くはないが、ん、んん……これはどこをどうすればいいんだろうな。

 助けを求めるように由良くんを見れば、由良くんは立ち上がって私のすぐ横で教えてくれる。


「しーなさん、女偏のくの部分がすげぇでっばっちゃうんだよな。ほぼ縦くらいに思ったほーがいいかも。角度よく見てな。ノも一画目と交わるまではこことほぼ角度変わんねぇ。一の部分は長いほうがバランス取れるから、もうちょい伸ばしてみて。子に繋がる感じで斜め上に払ったら、うん、子はいいんじゃねーかな? キレーだよ。あとは編と作りを近づけたら完璧! 今のままだと好きっつーよりは女子に見えちゃうから」


 私が書いた字の隣に綺麗な字を書いて、ポイントとなるところを赤ペンで書いてくれた。……やっぱり教えるの上手いんだよなぁ、としみじみと感じる。私のあんまりにもあんまりな字を、ここまで見られる字にしてくれたのは本当にすごい。由良くんのおかげで、数学の授業で宿題を当てられてもびくびくすることがなくなった。

 由良くんに言われたことを受けて、もう一度書いてみる。


「おー、上手い上手い! よくできました」

「……可愛い」

「え、いきなり何?」


 にこにこしながら「よくできました」とか言っちゃうきみが可愛いって話だよちくしょう。こんなすぐ隣でそんな顔されたらきゅんってしちゃうだろ。私が大変よくできましたって言ったときに「わーい!」って返されたのも可愛かったけど、これもこれで可愛い。惚れた欲目って恐ろしいな。

 ……もしかして私、由良くんのこと想像以上に好きだったりするのか? ここまで可愛いって思っちゃうのは異常な気がしてきた。いや、まあ可愛いものは可愛いんだから仕方ないんだけど。


「……んーん。とりあえずこれでみなちゃんに手紙書けそう! ありがとう」

「どーいたしまして? 妹ちゃんすっげぇ喜ぶだろうなぁ。あ、妹ちゃんの後でいいから、オレにもなんか手紙くれねぇ? しーなさんの手紙、オレもほしい!」

「へっ!?」


 思いきりぎくっとした私に、由良くんが不思議そうな顔をする。


「ダメ?」

「いやいやダメじゃないけどダメじゃないんだけど」


 まさかそんな本人からお願いされるなんて思っていなかった。

 みなちゃんにも手紙をあげるのは確定にしても、順番としては由良くんが先のほうがいいだろう。みなちゃんは私に早く告白してほしいと思っているだろうし……今日帰ってから書いて、明日さくっと告白するくらいがちょうどいい気がする。


「……どんな手紙がいい?」


 好きです、という一言だけのシンプルなものにする予定だったけど、本人に希望が聞けるのならできるだけそれを反映したい。

 由良くんはちょっと考え込む。


「これからもよろしく、的な? もしクラス離れちゃっても、大学離れちゃっても、しーなさんとは友達でいてぇし……」


 ……ともだち。

 何気なく放たれた言葉に、思わず固まってしまう。

 みなちゃんが言うからには、きっと……絶対、由良くんは私のことが好きなはずだ。それなのに友達でいたい、というのは、由良くんにはこの関係性を変えるつもりがない、ということなんだろうか。変えるつもりはない、くらいならまだしも、変えたくない、と思われていたらどうしよう。

 さくっと告白しよう、なんて考えていた心が、しゅるしゅるとしぼんでいく。


「そう、だね」

「……あっ、いや、今のナシ!」


 慌てて首をぶんぶん振る由良くん。


「友達じゃなくて、あー、えっと、友達でいたくねぇわけでもねーんだけど、とにかく友達じゃなくても、仲良くしてぇなって」

「……友達じゃなくても?」

「と……友達じゃなくても」


 顔を赤らめ、由良くんはそっと私から視線を外す。そして私の向かいの席に座り直した。

 単純なことに、たったそれだけで私の勇気は復活した。友達じゃなくても仲良くしたいって、つまりそういうことだろう! たぶん!


「じゃあさ、由良くん、手紙で告白することについて、由良くんはどう思う?」


 調子に乗ってそんな質問をすれば、由良くんが「え」と目を見開く。赤かった顔色は元通りになる、どころかむしろ悪くなっているような気までする。……その反応はどういうことだろう。


「……しーなさんが手紙で、告白すんの?」

「誰かに限定するんじゃなくて、一般論? として。由良くん的に、って話だから、一般論とはちょっと違うかもだけど」

「……ラブレターはずっと残しておけるし、丁寧に書いた字はそれだけ心に届くから、いーんじゃねぇかな」

「ふんふん、そっか!」


 由良くん相手へのラブレター、やっぱり告白方法として正解だな。ずっと残しておかれるのは恥ずかしいが、見返してもらえるのなら嬉しい。

 となると、今日は帰りに雑貨屋とか文房具屋に寄ってー、便せん買ってー、それから練習だな! 明日の予習はすでに終わっているので、帰ってからの時間全部を手紙にあてても問題ない。なんだかちょっとウキウキしてきた。

 そんなご機嫌な私とは対照的に、なぜか由良くんの表情は暗い。


「やっぱしーなさんが、誰かにラブレター渡すっつー話だよな?」


 肯定したほうがいいのか、嘘をついたほうがいいのか、咄嗟に判断できずに言葉に詰まってしまう。どうせ渡すのは明日なんだし、ここで嘘をつく必要もない、んだろうか。でも由良くんは私の気持ちを知らないんだから、ここで肯定したら、由良くんじゃない人に告白するつもりだと勘違いされてしまう可能性もある。それは避けたい。

 なんて考えているうちに、由良くんがおそるおそる、というふうに言葉を続ける。


「しーなさんなら手紙より、直接告ったほうがいい気がすっけど」

「……字が下手だから?」


 むっとして訊けば、由良くんは首を横に振る。


「そーゆうことじゃなくて。しーなさん自身がそう思ってるっつーのが問題なんだよ。たぶんしーなさん、長い文章は書かねぇつもりっしょ? そんくらいなら、直接告って、思ってること全部言っちゃったほうがいんじゃね?」

「……それは、確かにそうかもしれないけど」

「それにオレならちゃんと、その字がどんくらい丁寧に書いてあるかわかっけど、他のヤツだとわかんねぇかもしんねーし。そんなんもったいねぇじゃん」


 私が手紙渡すのはきみなのでなんも問題ないんですけど。

 っていうかこれ、やっぱり私の字が下手だからって話じゃないの? 私がどんだけ丁寧に書いても、由良くん以外だとそれがわかんないかもしれないっていうことじゃ?


「から、しーなさんなら手紙より直接のほうがいーと思うな」

「へぇ。私の下手な字じゃ、丁寧さが伝わらないもんね」

「……そーゆうことじゃねぇって言ったじゃん」

「そういうことにしか聞こえなかったけど」

「ちげぇってば」

「じゃあなんなの」

「いや……それはさっき言ったとーり、で」

「それがそうとしか聞こえなかったって言ってんの」


 言いよどむ由良くんに、次第にイライラしてきてしまった。……こんな短気な奴のこと、由良くんはほんとに好きなんだろうか。疑いたくないのに疑ってしまう。

 険悪なムードをどうにかするために、とりあえず深いため息をつく。

 ……何が原因って、由良くんが『自分が告白される』って思ってないことだよな。明日告白するとか悠長に考えてた私がいけなかったか。


「じゃあさ」


 落ち着いたつもりだったのに、声にはまだ苛立ちが残っていた。そのせいか、由良くんがどこか怯えた様子で私を窺ってくる。



「――私が由良くんに告白すんなら、ラブレターでもいいんでしょ」



 一拍遅れて、「ひょっ!?」と変な声を出し、由良くんが固まった。




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