35. 言い訳に重ねられた嘘

 土曜日は家でゆっくり休んで、日曜日はみなちゃんと美味しい物を食べたり服を買ったりして過ごした。

 そして迎えた月曜日。たぶん由良くんは、この土日で私にくれるものを用意したはずだ。何をくれるんだろう……よりは、どう話しかけてくるんだろう、という意味でそわそわしっぱなしだった。風香にも新開くんにも、由良くんと何かあったのか訊かれてしまったので、きっとそれだけわかりやすい態度を取ってしまっていたのだろう。

 ……そもそも、今日は一日由良くんのことを視界に入れられなかった。ちらりと見ただけで金曜日のことを思い出してしまって、慌てて目を逸らす、ということを何度も繰り返した。

 そんなわけで、講義室Eへ向かうのもばらばらだったし、着いて二人っきりになってもしばらく顔を見れなかった。


「……しーな、さん」


 とてつもなく気まずそうな声に、私の体も硬くなる。き、緊張する。何も今日じゃなくてもよかったんじゃないか、と今更ながらに思った。今日の勉強会をどうするかは何も言っていなくて、自然と二人ともここに来てしまったのだけど、この教室に二人きりって、つまり状況的には金曜日と何も変わらないのだ。

 ま、まあまたあんなことになる可能性はないし、今日は安心していてもいいだろう。二つの机を向かい合わせて座ってる、っていう距離感がめちゃくちゃ緊張を助長させているが。なんで私たちいつもみたいに準備しちゃったんだろうな!? 癖って怖いな!?


「なんで、しょうか」

「あの、ですね」

「はい」

「言われていたもの、を、用意、しまして」


 ここ最近で一番ぎこちない会話だった。こんなときじゃなかったら笑えるのに。

 がさりと小さな音を立てて由良くんが差し出してきたのは、すごく小さな紙袋だった。……アクセサリー、っぽいな。

 顔を見ずに無言で受け取って、袋のテープを剥がし、そうっと中身を確認する。


「……かわいい」


 思わず漏れた声に、前にいる由良くんからあからさまにほっとした気配が伝わってきた。

 入っていたのは、水色のレジンや石、つやりとした黒猫型の石が組み合わさったバレッタだった。きらきらしたレジンは色味の違う青や金で模様が入っていて、黒猫も金色の小さな石が首輪のようについていて、一体感がある。首輪は右端が花の形をしていた。

 ……すっごく可愛い。

 由良くんが選んでくれたものなら何だっていい、なんて思っていたけど、これなら本当に文句なしだった。考えてみれば由良くんはセンスがいいし、私のこともよくわかっている。『私が喜びそうなもの』なんて簡単すぎるお題だったのかもしれない。


「すごい! 私の好みドンピシャなんだけど……!?」

「はぁぁぁ、よかったぁ……。しーなさん、猫モチーフのもんいっぱい持ってんじゃん。だからこーゆうの好きかなって」


 なんてことのないように言っているが、猫モチーフのものが好きだと言ったことは一度もない。確かに好きで、傘とかアクセサリーとかも猫のいっぱい持ってるけど……。普通はよく見ていないと気づかないだろう。

 簪のときも思ったが、さすが由良くんは観察眼が鋭い。


「うん、好き」


 よかった、これで心置きなく由良くんを許すことができる。というか、許す言い訳にこのバレッタを使うことができる。

 それが嬉しくてほっとすると、由良くんが「んっ」と変な声を出した。


「え、なに」

「……なんでもねぇ」

「そ? よし、とにかくありがとう! これをもって昨日の件は不問にしてやりましょう!」


 正直、好きな人をまともに見れないってつらい。早いところ仲直りをして気まずさも解消して、また以前のように仲良くしたかった。


「……ありがと。でもしーなさん、もっと怒っていいと思う」


 許してあげたというのに、由良くんは不満げな顔だった。


「怒ってほしいなら怒るけど? 言いたいことは山ほどある」

「う……怖いけど、いーよ、言って」

「不問にするって言ったでしょ、言わないよ」

「でも、」

「でもじゃありません」


 由良くんの言葉を遮って、今日初めて由良くんと目を合わせる。……合わせてしまった。合ってしまった。

 途端に体の熱が上がりかけて、落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせる。この距離だとそりゃあ簡単にキスできるよなとか思っちゃいけない。私も寝ぼけたふりすればキスしても許されるかなとか考えてない。考えてません。


「……あ、でも訊きたいことは一つある、かな」

「……どうぞ」


 また顔に緊張を滲ませる由良くんに、私も少し緊張してしまう。その緊張を気取られないように、なんてない顔でちょっと笑顔を浮かべる。イメージは私と由良くんを見ている風香。


「由良くんって好きな子、いるの?」

「……へっ!?」


 目を見開いた由良くんの表情には、明らかに図星ですと書かれていた。


「そっかぁ、いるんだ」

「い、いな、な……いねーし! いねーから! マジで!」

「私の知ってる人?」

「しって……いやだからいねぇんだって」

「知ってる人かぁ……」

「好きな人いません!!!」


 そんな顔をしておいて何を言うのか。

 ……いる、のか。ってことはやっぱり、私とその人を間違えてキスした、ってことなのかな。寝ぼけて。……寝ぼけすぎじゃない? そんなことってある? いや、うん、由良くんだからありえなくもないんだよな……。

 知ってる人、となるとクラスの人か、それともうらら先輩か。でもうらら先輩のことはそういう意味じゃない、って言ってたし、それは嘘ではなさそうだった。


「あの、しーなさん、ほんと、いないから……」

「ほんとに?」


 いかにも疑ってます、という顔で見つめてみれば、由良くんは視線をさまよわせる。じーっと見つめるほどにその顔は赤くなっていって、説得力がないことこの上なかった。


「いるんでしょ」

「なんでそんな言い切れんの……」

「顔にそう書いてある」

「マジか……」

「マジだよ」


 ……もっと由良くんが、嘘が上手かったらよかったのにな。

 心がずきりと痛んでも、私は由良くんの友達だから、彼の恋を応援しなければならない。


「私に何かできることあったら言ってね。っていうか言え。その人と間違えてキスまでされたんだから、せめて手伝いくらいさせてもらわないと割に合わない」

「え、え、おかしくね? その理屈おかしくね?」

「おかしくねぇよ、さっさと吐け」

「こわい……」


 若干涙目になる由良くんだが、泣きたいのはこっちだ。


「好きな人、名前は言わなくていいから、どんな子かくらい教えてよ」


 ……室崎のときは、悔しさから優等生になろうと決めた。

 けれど今、この答え次第では、私はまた、別の物になろうとするのかもしれない。これからも由良くんとは友達でいたいから、由良くんがきっかけで変わろうとしたというのが気づかれない程度に、になるだろうけど。


「いや、それは……」

「教えてくれたら私も教える」

「…………うん?」


 さまよっていた由良くんの目が、ばっとこちらを向く。


「し、しーなさん、好きな人……いんの?」

「……あ。今の、そういうことに、なっちゃうか」


 口が滑った。必死になりすぎた。

 まずった……と顔を引きつらせる私に、なぜか由良くんも顔を引きつらせる。


「い、いたんだ」

「いたっていうか、その、できたっていうか、気づいたのがつい最近っていうか……」

「さいきん……」

「と、とにかく、先に由良くんのほうから教えてください!」


 もうここは強引にいくしかない、と勢いよく訊けば、由良くんも「そもそも!」と勢いよく返してくる。


「間違えたわけじゃねーから!」

「寝ぼけてたって言ったじゃん」

「……うん、寝ぼけてた、めっちゃ寝ぼけてた。ほんっとマジで、超寝ぼけてたから、なんかこう、無意識にっつーか! 好きな奴がいるとかじゃなくて、ほんと、ただ寝ぼけてただけだから!」


 焦り丸出しの顔で、由良くんが主張する。

 ……スマホ越しだったら納得してあげたかもしれないけど。こうして顔を合わせている今、納得なんて到底できなかった。

 しかし、更に問い詰めたい気持ちをぐっとこらえる。


 バレッタをもらった。私の好みをわかっていてくれたことも含めて、嬉しかった。だから許して、不問にすると言った。――これ以上しつこく訊いたら、その前言を撤回することになる。

 結局私に好きな人がいるってことがバレただけになったのが釈然としないけど、うん、仕方ない。由良くんと友達でいることに、由良くんに好きな人がいるか否かは関係ないわけだし、いつか自分から話してくれるのを待てばいいだろう。


「……わかった」


 本音を言えばここで話を終わらせたくはない、が。しぶしぶうなずけば、由良くんは「わかってくれた!」と安心したような、嬉しそうな声を上げる。思わずむっとしてしまったが、由良くんからもらったバレッタを見てなんとか気持ちを落ち着かせる。そのついでに、バレッタをつけてしまうことにした。派手すぎるヘアアクセサリーに関しては校則で禁止されているが、今ここでつけるくらいなら、優等生として何の問題もないだろう。

 ……このバレッタだと、これだけで髪全体をまとめるのは難しいかなぁ。

 後ろの髪を少しすくって、ハーフアップのようにして髪を留める。自分では見えないけど、上手くつけられているだろうか。


「どう? ……似合ってるかな?」


 バレッタで留めた部分を見せるようにして訊けば、由良くんは目を輝かせて、うんうんうなずいた。


「似合ってる! めっちゃ可愛い!」

「そ、そっか」


 いつものことだが、何のてらいもなく言われたので照れてしまった。……私ってもしかしてチョロいんじゃない? いやでも、私を可愛いって言ってくれる由良くんの方が可愛いのが悪いと思うのだ。これもたぶん、惚れた欲目、というやつだけど。

 にこにこ笑顔の可愛い由良くんは、さっきまでとは打って変わって弾んだ口調で話し始める。


「あんま女物のアクセサリーってじっくり探したことなかったんだけど、猫モチーフのって意外とけっこーあんのな。色々見たんだけど、ぜってぇどれも似合うだろうなって思っちゃってムズかった」

「ふーーん」

「しーなさん可愛いからなんでも似合うじゃん? 簪のときも思ったけど、プレゼント選ぶの逆にムズいんだよなぁ」

「へーー」


 …………簪のときも思ってたんですかぁ。

 あーもうやだこれだけで顔がにやけそう情緒不安定かよ! さっきまでの思考どこ行った!? どっか行きやがった! 嬉しい!!

 恋ってこんな感じになるもんだっけな……。室崎のときとはなんだか違って、やっぱりあのときの恋とは別物なんだな、とはっきり自覚する。


「……これも一生、大事にするね」


 これで、簪とバレッタの二つ。羊のぬいぐるみも合わせれば三つか。対して私が由良くんにあげたものはネックレスとトイプードルのぬいぐるみの二つだから、由良くんが嫌じゃなければ、もっと何か渡したい。……私にとっての由良くんにもらったものみたいに、由良くんも私があげたものを見る度に私を思い出してほしかった。

 みなちゃんという大切な妹がいる時点でわかっていたことだけど、やっぱり私って独占欲強いな!


「それは嬉しい、んだけど……。あげてからこーうのもアレなんだけど、オレがあげた簪とかバレッタとかつけてたら、好きなヤツにバレたとき困るんじゃね?」


 おそるおそる言ってきた由良くんに、確かに、とうなずく。……確かに、私の好きな人が由良くんじゃなければ困っていただろう。


「困らないから大丈夫だよ」


 友達でいると決めても、これくらいは言ってもいいかな、なんて。

 そう判断して微笑めば、案の定由良くんには伝わらなかったみたいだった。「困ん……ねーの……?」と、クエスチョンマークを浮かべていた。


「でもそれを言うなら、由良くんだって私があげたネックレス、つけないほうがいいんじゃない?」


 あれから由良くんは学校にはつけてこないようにしているが、出かけるときはよくつけるのだと言っていた。気に入ってくれたのは嬉しいが、由良くんの好きな人にだって誤解される可能性はあるだろう。


「……あー、いや、オレも困んねーから大丈夫」

「……困んないの?」

「ん。から、これからもいっぱいつける!」


 言い方がいちいち可愛いんだよな。

 ……しかし、好きな人にバレても困らないのか。私の『困らない』は、言うまでもなく好きな人というのが由良くん本人だから、という意味だけど、由良くんのそれはどういう意味だろう。

 私と同じ意味だと嬉しいな、とは思う。ありえないだろうけど、思うだけならタダだ。……思うだけで嬉しいし、実質タダ以上の価値がありそう。


「……なんかもう、今日はこれでもうやりきった感があるので、帰りたいなーって感じがするんですが」

「オレも。今日一日いちんち中、許してもらえなかったらどうしよーって思ってたから……オレの一日ここで終わりでいいやって感じ」

「お、じゃあどっか寄って帰ったり?」

「しちゃう?」

「しちゃうかー。あっ、私肉まん食べたい!」


 放課後に誰かとコンビニで中華まんを買って食べる、ってなんとなく憧れがある。最近寒くなってきたし、今日も割と気温は低いから絶対美味しい。


「オレはピザまんかなー」

「ピザまんもいいな……」

「……半分こする?」

「する!」


 よし帰ろう、ということになったので、職員室に二人で鍵を返しに行く。鍵をかけているところの近くの先生に「今日は随分早いのね」なんて言われて、ちょっと内心びくっとしてしまった。……私と由良くんの放課後の勉強会、たぶんもうほとんどの先生がなんとなくは知ってるんだよな。なんかはっずい。

 学校の外に出れば、もう今まで通り、普段通りに由良くんと話すことができた。お互いの謎のぎこちなさも消えていたのでほっとする。


 由良くんと半分こして食べた肉まんとピザまんは、すごく美味しくて。

 これからもこうやって、何かを半分こして食べられるような関係が続けばいいな、と思った。


     * * *


 帰ってから事の顛末をみなちゃんに話したら、みなちゃんがまたぶち切れた。「寝ぼけてたって? そう言ったの?」と微笑むみなちゃん、超怖い。


「ふーん、そっか。そうなったんだ」

「ご、ごめんなさい……?」

「なんでまなが謝るの? 悪いのは由良くんでしょう?」

「いや、そうなんだけど」


 なるべく早く、由良くんへの悪感情がなくなってほしいな……。好きな人たちにはやっぱり仲良くしていてほしい。

 みなちゃんはにっこり笑って、「ちょっと待っててね」と私の部屋を出て行った。向かいのみなちゃんの部屋に入って、何かを持って程なくして戻ってくる。


「これ。こんなこともあろうかと、買っておいたの」


 こんなこと、という今の状況にふさわしいものなのかは、私には判断がつかなかった。

 みなちゃんが差し出してきたのは、遊園地のペアチケットだった。この遊園地は確か、うちから一時間半ほどの所にあった気がする。

 ……なぜに遊園地のペアチケット?

 困惑する私に、みなちゃんは笑みを深めた。


「由良くんとデートしておいで」

「デっ……!?」

「もう何回もデートしてるんだから、そんなにびっくりすることでもないでしょ」

「何回も!? えっいつ!?」

「好きな人と二人で会うのはいつでもデートだよ」


 ……それを基準にして考えると、確かに今までのことは色々デートに含まれるだろう。由良くんをいつ好きになったかはっきりとはわからないが、ほぼ最初から好ましいと思っていたし、夏休み前までには大好きな友達として認識していたから、少なくとも夏休みに入ってからのあれそれはデートと言える……のかもしれない。

 みなちゃんは「いい? まな」と真面目な顔で語り出す。


「由良くんは少女漫画が好きなんだよね」

「そ、そこまで好きってわけでもないとは思うよ」


 私いつの間にそんなところまで話したっけ。みなちゃんはよく由良くんの話を聞きたがるから、何を話して何を話していないかぶっちゃけ把握できていない。


「でも読むし、話にも出すんでしょ。だったらやっぱり、ここは王道を攻めていくべきだと思うんだ」


 遊園地って王道なのかな。……そもそもなんの王道だろう。


「それにせっかくぎこちなくなくなったんだし、今ぱーっと遊んじゃって本当に元通りになっておいたほうがいいと思うな」

「今も割と元通り仲いいんだけど……」

「それでもちょっと、びくびくしてるでしょ」


 鋭い指摘に、う、と声が出てしまう。

 気持ちがバレたらどうしよう、とか、こういうとき前ならどう反応してたっけ、とか、そういうことを考えてしまうのは確かだった。


「まだまなは、由良くんへの気持ちを自覚したばっかりで、どうなりたいとかよく考えられないかもしれないけど。そういう意味でも、今デートしておくのはいいと思うよ?」


 ね? と可愛く言われれば、「そうだね」とうなずくほかなかった。

 みなちゃんにせっつかれて、そのままアプリで由良くんを遊園地に誘ったら、既読がついてしばらくしてからおっけーとの返事がきた。お、おっけーなんだ……?

 というわけで、次の日曜日に、由良くんと遊園地に行くことになったのだった。どうしよう。




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