32. 理解しがたいゼロの距離

 日曜日、風香と立ち寄った雑貨屋で可愛いピアスを見つけた。

 気づけばそれを手にレジへ向かっていて、あれ、私ピアス開けてないしそもそも開けられないじゃん、と我に返ったのは、会計を済ませた後だった。

 包んでもらった袋を受け取り、どうしようかな、と少し眉根を寄せる。


「何買ったのー?」

「……ピアス」


 私の答えに、風香は不思議そうに目を瞬いた。


「え、まなかピアス開けるの? どうした優等生」

「いや、開けないよ」

「じゃあ誰かのプレゼント……あっ、由良くんか! ほほー、なるほどね」


 にこにこし始めた風香には申し訳ないが、由良くんにあげるというのはこれっぽっちも考えていなかった。だって――これ、由良くんがすでに持ってるピアスにめちゃくちゃ似てるし。

 花のようにも見える、十字架の形のピアス。夏休みの勉強会初日に由良くんがつけてきたピアスとそっくりで、だから衝動的に買ってしまったのだ。

 ……ピアスを開けるとしたら大学生になってからだけど、開けたくはないんだよなぁ。なんとなく怖いし。イヤリングよりピアスの方が可愛いデザインのものが多いから、憧れはあるけど。


 せっかく買ったのだから使ってあげたいが、ピアスを開けている友達は今のところ由良くんしかいないから人にあげることもできない。いつかピアスをつけている友達ができるまではしまっておくかなぁ。

 と思っていたのだけど、家に帰ってからみなちゃんに話せば、「イヤリングに変えてあげよっか?」と提案してくれた。


「えっ、できるの!?」

「うん、できるよー。明日部品とか買ってきて、やっといてあげるね」


 微笑むみなちゃんが天使に見えた。いや、みなちゃんはいつでも天使みたいに可愛いけども。

 それにしてもピアスってイヤリングに変えられるのか! そのこと自体知らなかったのに、みなちゃんはやり方も知ってるんだから流石だ。みなちゃんがイヤリングをつけていることはたまにあるけど、あの中にも元がピアスのものがあったりするのかな。

 みなちゃんは「でも」と不思議そうに首をかしげる。


「急にピアスなんて買って、どうしたの? うっかりしちゃった?」

「……うっかり、っていうか……由良くんが前つけてたのに似てるなぁって思ったら、つい」

「…………そっかぁ」


 不自然な間が気になったが、みなちゃんはそこにふれてほしくなさそうに見えたので黙っておく。

 私はソファ、みなちゃんはベッド。それが私の部屋で話すときの定位置のようなものだったけど、みなちゃんはシロクマの抱き枕を抱えたまま、私の隣へ移動してきた。

 少しだけ、みなちゃんが私の肩に寄りかかってくる。


「ねぇまな」

「なに、みなちゃん」


「由良くんと私、どっちが大事?」


 びっくり、してしまった。

 似たような問いは、昔はよくされていた。そのたびに私は「みなちゃんに決まってるでしょ」と返し続けた。けれど白山くんという彼氏を作ってからは、みなちゃんはぱたりとそんな質問をしてこなくなった。

 きっと、何か思うところがあったんだろう。みなちゃんからの問いを負担に思ったことはなかったけど、みなちゃんはそうは感じなかったのかもしれない。

 だからびっくりした。


 最後にその質問を受けてから、二年以上が経っているから。

 ――みなちゃんに決まってるでしょ、と。そう、即答できなかったから。


 みなちゃんは「あ」と口元を押さえた。

 そして青ざめた顔で、違うの、と怯えたように首を振る。


「ごめん、ごめんね、まなにとって由良くんが大切だっていうのは知ってるから、こんなの訊くつもりなくて、ごめん、答えられないよね、ごめん!」


 無理やりに浮かべた笑顔。

 たまらなくなって、私はみなちゃんの体を抱きしめた。びく、と震えた背中を、手でできるだけ優しくなでる。


「大丈夫だよ」


 みなちゃんが何に怯えているのかはわからない。

 みなちゃんがどうして白山くんと付き合うようになったのかも。

 みなちゃんが、どうして質問してこなくなったのかも。


 私は何もわからない。だって私たちは双子でも、紛れもなく他人なのだ。私はみなちゃんではなくて、みなちゃんも私ではない。

 何もわからない。わからない、けれど。

 たぶんそのことに――私たちが確かに違う存在であるということに、先に気づいたのは私だったのだろう。


 ただ、それだけの話だった。


「まな、大好き」

「うん、私も大好きだよ」

「……ごめんね」

「大丈夫だよ」


 だから私は、大丈夫だよ、と言うしかなかった。

 みなちゃんの背中に回していた手を下ろす。体を離して、みなちゃんの顔を覗き込む。私とよく似た、けれどまったく違う、みなちゃんの顔。その綺麗な目に映る私は、どう見えているんだろう。


「……うん、私はもう大丈夫。ごめん、変なとこ見せちゃった」


 そう言ったみなちゃんは、いつも通りの笑顔を浮かべていた。


「あのね、みなちゃん」


 彼女にそんな顔をさせてしまったら。

 もう、気づかないふりはやめなくてはいけない。


 向き合う覚悟ができていないなんて、言っていられなかった。


「私、由良くんが好きだよ」


 普段からよく口にしていた言葉。そこに『友達として』という意味を付加させなかったのは、初めてだった。初めてだったのに、やけに口に馴染む。それがなんだかおかしくて、同じ言葉を繰り返したくなったけど、みなちゃんから何か言われるまではこらえよう、と口を閉ざしておく。

 みなちゃんは笑みを浮かべたまま、ふっと息を吐く。


「知ってたよ」

「……知られちゃってたか」

「まなが気づくより、ずっとずっと前から知ってたし、予想もしてたよ」

「さすがだね」

「でしょ?」


 自慢げに笑ったみなちゃんが、私の左手をそっと両手で包んだ。


「……まなが由良くんと結婚して、幸せになってくれますように」

「けっ……結婚は気が早すぎない!?」

「結婚を前提としたお付き合いしか、まなにはしてほしくないなぁ」

「高校生でそんなお付き合い、重すぎるよ……」

「重いくらいでちょうどいいの!」


 何とちょうどいいのか、みなちゃんは言わなかった。

 ただ、にっと、あまり見たことのない明るく晴れ晴れとした笑顔を浮かべていたから。それだけでもういいかな、なんて思ってしまった。


「……っていうかそもそも、まだ付き合ってもないし、私の片思いだし。やっぱり結婚は気が早すぎだよ」

「えー、あー、うーん……うん、そうだね」

「それに、」


 今の距離感を崩すくらいなら、友達のままでいたかった。

 しかし、それに? と続きを促すみなちゃんにはなんだか言ってはいけない気がして、「なんでもない」とごまかす。


 私が由良くんに向けていた気持ちが恋だとは、自覚した。きっと恋にも色々あって、うらら先輩が「恋って案外強かった!」と言えるような、そんな恋もあるんだろう。

 室崎のときみたいに、唐突に終わらされてしまうものじゃないなら、それだけでいいのだ。

 この恋を実らせる必要はないし、友達としての距離感で楽しむこともできるはずだ。もし由良くんに彼女ができたらそりゃあつらいだろうけど、由良くんが選ぶような子なら素敵な女の子にちがいないし、納得のうえでこの恋を終わらせられるのなら何の不満もない。

 ……そうなると、私が由良くんと幸せになることを願ってくれたみなちゃんには申し訳ないけど。


「私は早く、みなちゃんと白山くんが結婚するとこが見たいかなぁ」


 ウェディングドレスを着たみなちゃんは、この世の何よりも綺麗だろう。

 きょとんとしたみなちゃんは、ほんの少しずつ、首をかしげていった。


「けっこん? 私と、あおくんが?」


 思ってもみなかった、という反応がどうにも可愛くて、思わずぷっと吹き出してしまった。


「私には結婚を前提としたお付き合いしか認めたくないって言ってたのに、自分のほうは考えてなかったんだ?」

「……だ、だって、そんなの……そう、私たちまだ高一だし、早すぎるよ。中学から付き合って結婚までするカップルなんてほぼいないし!」

「うん、そうだね」


 あわあわとするみなちゃんの顔は、ほんのり赤い。

 ……可愛いなぁ。


「ね、みなちゃん。私と白山くん、どっちが大切?」


 微笑みながら尋ねれば、みなちゃんは赤い顔のまま、拗ねたように答えた。


「まなに決まってるでしょ。……あおくんのことも、大切だけど」

「うんうん」

「もー、そんな顔してるとイヤリングに直してあげないんだからね!」

「うん、ごめんね」


     * * *


 自覚したからといって、何か変わるわけではない。……いや、変わった、というなら、すでに何か変わっていたのかもしれない。

 というのもこの頃由良くんがちょっと挙動不審なのだ。私がお見舞いに行ってしばらくしてから、急におかしくなった。目が合うとばっと逸らされることがあったり、一緒に帰るときの距離が遠くなったり。

 もしかして、自覚前の私の気持ちが漏れちゃってたのかなぁ、とも思ったが、そういう感じはしなかった。様子がおかしいのもいつもというわけではなくて、ふとしたときに急に、だ。タイミングが掴めない。


 ……まあ私も、人のことは言えなかったりする。自覚してしまうとちょっと気まずいというか、二人っきりのときに静かになるとなんだかすごく気恥ずかしいというか。自覚前のように過ごせなくなっているのは確かだった。

 それでも今日も今日とて、放課後の勉強会は中止にはしない。

 狭い講義室Eで、机を合わせて向かい合わせで座る。この距離がすでに恥ずかしい。自覚前にはよく平気な顔でいられたな……と思うが、今も平気な顔を頑張って作っているのでそう変わらないだろう。


「……この前ね、由良くんが前につけてたピアスと似てるやつ見つけたんだ」


 日本史の用語を書きながら、そんな話をする。

 最近は日本史の勉強がてらに字を練習しようと、日本史の用語を書いて由良くんに添削してもらっている。教科書の適当なページを開いて読みつつ、用語をピックアップしていくだけなので、由良くんが教える字を考えてくる負担を少し減らすことができるというわけだ。

 なんとなくコツのようなものがわかってきたので、今ではもう、話しながらでもそれなりの字が書けるようになった。それでも由良くんの字の足下にも及ばないのだが。


「前につけてたヤツ? ……どれだろ」

「夏休みに最初に会ったときにつけてた、十字架のやつ」

「あー、あれか」

「それでつい買っちゃってさ」

「……ピアスを?」

「うん、買ってから、そういえばピアス開けられないやって気づいたんだけど、そしたらみなちゃんがイヤリングに直してくれたんだよ! すごくない!?」


 直してあげないんだからね! なんて拗ねていたみなちゃんだったけど、その二日後にはちゃんとイヤリングにしてくれた。さすがみなちゃん、完璧な仕事だった。ピアスのときとは少し印象が変わってしまったのだが、それは仕方ない。

 部屋でつけてみたが、私にもなかなか似合っていたので、いつか由良くんと出かけるときにでもおそろいっぽくつけた、い……っていや待て、それってもしかしてものすごく恥ずかしいことなんじゃないか?

 ……そもそも今、由良くんのピアスに似てるピアス見つけたから買ったーって話をしたこと自体恥ずかしいことなんじゃないか!?

 そう気づいて、慌ててごまかす。


「あは、は、前見たときにすごい可愛いなって思ってて! 似たイヤリングあったらほしいなって思ってたんだけど! 間違えちゃったんだー! みなちゃんがいてくれてほんとよかった!」

「……あ、うん」


 な、なんだその返事……やっぱりごまかしきれなかったかな……。

 続ける言葉を悩んでいると、由良くんがはっとしたように笑顔を浮かべた。


「さ、さすが妹ちゃんだな!」

「……でしょ!?」

「似てるっつーんなら、今度どっか行くときおそろいでつけねぇ?」


 ぴし、と思わず表情が固まる。

 以前までならこの発言に対しても、純粋に可愛いと思えていたのだけど。いやもちろん今だって、は? 可愛い、って思ってはいるけど。

 片思いを自覚してしまった今では、たったこれだけで舞い上がってキャパオーバーになってしまった。

 同じようなことを同じようなタイミングで考えたことも嬉しいし、それを由良くんから提案してくれたことも嬉しい。うわぁぁ、室崎を好きだった頃を思い出す! 思い出すけど、今のほうが嬉しさ具合が何倍も上の気がする……。


「あ、うん」


 結局、さっきの由良くんと同じ返答しかできなかった。

 結果生まれるのは、少し変な感じの沈黙。……う、うーん、自覚するだけでこんなにぎこちなくなるなんて思わなかったな。友達としての距離感を崩したくない、なんて考えていたというのに情けない。

 たぶん自覚したばかりだから余計に意識してしまうんだろう。もう少しすれば、きっと以前のような自然なやり取りができるはずだ。


 沈黙の時間を、私たちは無理に壊そうとはしない。それは自覚前からそうだった。

 だから何も言わず、とりあえず字を書くことに集中することにする。それにどうせ、今話したってまたぎこちなくなるだけだ。

 最近は私が字の練習をしている間、由良くんは授業の予習復習をやるようになった。一通り私が書いた後に添削してもらう形である。どうもこの前のテストのとき、まとめて勉強したせいでその期間中私に字を教えられなかったのが申し訳なかったらしい。

 ……ほぼ毎日予習復習する不良なんていないんですけど。

 不良であることより私を優先してくれるというのが、申し訳なさもあり、むずがゆさもある。


「……なー、しーなさん」

「ん、なに」

「なんとなく呼んだだけ」

「んっ……」


 唐突な可愛さ発揮はやめてほしいものだマジで。


「結局由良くん、私のことずっと椎名さん呼びだよね」


 呼び捨てしように頑張っていた由良くんは、いつのまにか消えていた。あれはあれで可愛かったからちょっと残念だ。

 ちょっと無言になった由良くんは、そーっと上目遣いで窺うように見てきた。


「……まなちゃん?」

「うえっ……」

「えっなにその声!?」

「いや、ごめん、その、そう来られるとは思わず、う、ごめ……」


 不意打ちにも程があった。まなかちゃんではなくまなちゃんなのは、きっと私がみなちゃんのことをみなちゃんと呼んでいる影響かな、なんて。

 好きな人からのまなちゃん呼び、想像以上の威力だった。みるみるうちに顔が赤くなっていくのが自分でもわかる。ふ、不覚。でもこれはテロかましてきた由良くんが悪いと思うのだ。

 十一月になってそろそろ寒くなってきていて、日当たりの悪いこの教室は余計に寒い。だというのに、急に暑くなってしまった。


 ここで赤面するの、おかしく思われないだろうか。由良くんは天然だし、こういうことにおいては察しが悪そうだから、たぶん伝わらないだろうなという気はするのだけど。

 由良くんから顔を逸らして、ん、ん、と喉の奥を鳴らす。胸のどきどきがやばい。心臓の平穏のためにも、やっぱりこれは友達の距離感をキープしなくては。

 ――なんて決心したのだが。


「……可愛い」


 思わず、といったふうにぽつりとこぼされた言葉は、私にとどめを刺すのに十分だった。

 完全に言葉を失って、うろうろと視線をさまよわせる。可愛いなんて、自覚前からよく言われてたのにどうしてこんな過剰に反応してしまうのか。顔が熱くて、もはや泣きそうだった。由良くんがどんな顔をしているのか、怖くて見れない。



 がたりと何かが音を立てる。椅子が動いた音だった。

 さまよっていた目が、由良くんの目と合う。近かった。近づいてきた。

 近づいてきて、近づいてきて。


 そのまま。


 距離が、

 ゼロに、




「……は?」


 私の声に、遅れて由良くんも「……え?」と声を出す。心底びっくりした、というような顔が、すぐ近くにあった。

 今、何か。

 理解できない、ことが、起きた、ような。


「…………ごめん!」


 顔を一瞬にして真っ赤に染め上げた由良くんが、荷物をひっつかんで教室を飛び出していった。

 ……唇に手を当てる。

 はっきりと残ったその感触は、紛れもなく。


 ……え?



 …………は!?




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