30. エセ不良の姉は常識派である

 真先輩が引退し、うらら先輩が来なくなっても、由良くんは変わらず週に一回、火曜日には部活に行っていた。……やっぱ寂しいから、と私も連れて。文化祭が終わってからは、広い美術室で由良くんと二人、特に話もせずに思い思いに過ごす火曜日を続けていた、のだが。

 十月最後の火曜日。今日はそうじゃなかった。


「ごめん、体調悪りぃから今日帰る……」


 朝から顔色が悪いな、と思ってはいたのだ。心配しながら授業中もちらちら由良くんの方を確認していたのだが、放課後になると更に悪化していた。

 六時間目が終わってすぐ、蒼白な顔でそう言ってきた由良くんは、よろよろと教室を出て行こうとする。


「保健室寄って、お母さんとかに迎えにきてもらったほうがいいんじゃないの……!?」


 慌てて私も荷物をひっつかんで後を追う。どうせ帰り道はほぼ同じなのだ。由良くんのほうが私より一駅先だが、このまま帰るというなら心配だし送っていこう。


「お母さんは仕事、お姉ちゃんは……あー、車の免許、とか、持ってねーし……迎えにきてもらっても……あんま……」

「そ、そっか……ごめんね、話さなくていいからゆっくり帰ろ。きつかったら私に寄っかかっていいから」


 力なく首を振って歩いていく由良くんは、いつもの半分くらいの速度だった。これは駅に着くまでも相当かかりそう……。

 はらはらしながら隣を歩き、案内されるまでに自宅へ送り届け、一駅分電車に乗って家に帰った。送り届ける際にちょっと手に触ってみた感じ、かなり熱かったから心配だ。……大丈夫かなぁ。




 その心配のとおり、翌日の由良くんは休みだった。欠席がわかった時点で『大丈夫?』とメッセージを送ったのだが、放課後になってもまだ既読がつかなかった。

 由良くんがいないのなら、放課後学校に残る必要もない。

 由良くんとのトーク画面を閉じ、今日は部活が休みの風香と帰ろうかな、と帰り支度を始めた途端通知音が鳴った。風香に「おやー?」とにやにやされてしまうくらいのスピードでがばっと確認すれば、由良くんからの返信。


『ごめん、今見た』


 ……寝てたなら、わざわざ返信させちゃって申し訳ないなぁ。

 ちょっと風香に待ってもらうように言うと、風香は「了解です」とにっこりと笑った。めちゃくちゃ輝かしい笑顔が怖いが、ひとまずスルーしておく。 


『なんか、すげぇ椎名さんの顔見たい』


 げほ、っと思わず咳き込んでしまった。

 ……心細くなるくらい、熱が高いんだろうか。怖いのは、これが高熱による発言なのか、それとも普通に通常運転なのか判断がつかないところだ。

 昨日送り届けたばかりだから、幸い教えてもらわなくても由良くんの家は知っている。この後は特に予定もないし、風香は私とは反対方向の電車だから駅で別れることになる。

 少し考えてから、今から行くね、と返信して顔を上げる。

 にっこにこした風香と目が合った。


「……なに?」

「いやぁ。由良くん?」

「そう」

「お見舞いにでも行くの?」


 なんで今決めたばっかりのことがばれてるんだ。おかしくない?

 言葉に詰まる私に何を思ったか、風香はうんうんうなずいて、「なら早く帰ろー」と言ってきた。全てわかっています、とでも言いたげな様子にちょっとむっとして、学校を出てしばらくしてから、周りに知り合いがいないことを確認して眼鏡を外す。

 急に眼鏡を外した私を見て、風香は目をぱちくりとさせた。


「おお? もしかして伊達眼鏡の秘密、教えてくれる感じ?」

「……秘密ってほどのものじゃないけどね」


 少しだけ、緊張した。私がこの眼鏡をしているのは、優等生になりたかったのは、他人から見ればきっと馬鹿みたいな理由だ。風香のことだから馬鹿にすることはないとはいえ、それでも言いにくいことは確かだった。

 風香が私の手から、そっと眼鏡を奪い去る。そして以前のようにそれを自分の耳にかけて、「どうぞ」と真面目な顔で促した。


「そ、そんな真面目な話じゃないんだけど……」

「わかってるわかってる。だから、ほら、どうぞ? タイムリミットは駅に着くまででしょ」


 からから笑う風香に、少し心が軽くなる。きっと私が言いやすくなるように、という気遣いだろう。小さくお礼を言えばすっとぼけた顔で首をかしげられたので、そういうところがすごいな、と思う。


「人ってさ、眼鏡かけけてたほうが大人っぽく……っていうか頭良く見えるじゃん?」

「おっとー。想定外の切り込み方だ。はい、続けてください」

「……私、優等生になりたくて」

「へぇ!?」


 もしかして気遣いとかじゃなかったんじゃないか、と思ってしまったが、とりあえず続ける。


「だから口調に気をつけたり、勉強頑張ったり、色々したんだけど、やっぱり外見も大事だよなって思ってさ。高校入ってから、眼鏡かけるようになったんだよね。そのほうが優等生っぽく見えるでしょ?」

「優等生になりたいのはなんで?」

「……初恋って言っていいのかもうわからないんだけど、好きだった? 人が、付き合うなら優等生っぽい人がいいって言ってるの聞いて悔しくなったっていうか。いやまあそれだけじゃなくて優等生ってなんかかっこいいじゃん」


 なんとなく恥ずかしくなって早口で答えれば、風香は黙り込んだ。徐々にキラキラしていくその表情に、あれ、と顔が引きつる。

 こういう反応されるって、つまり。風香の少女漫画センサーに引っかかった?


「……まなかってやっぱり少女漫画向きだよね!?」

「知らない! どこが!?」

「全部!」


 予想的中だった。


「えー、ってことはもしかしてさ、由良くんも不良っぽい人になりたくてああいう感じでやってるの?」


 思わず無言になると、風香は「マジか~」と爆笑した。いえ、察しが良すぎてこっちのほうがマジか~なんですが。少女漫画読んでるとここまでわかっちゃうものなんだろうか。それでわかられちゃう私たちが単純すぎるのかなんなのか。


「く、ふふはっ、だいじょ、だいじょぶ、ふっふふふ、二人の秘密は守るから」

「なんも大丈夫な気がしないよ」

「だ……あっはははは大丈夫!」


 何がツボったの?

 呆れながら風香の笑いの発作が治まるのを待っていれば、彼女は「ぐっじょぶ」と親指を立てた。いや何がグッジョブなんだよ。


     * * *


 風香と別れ、途中でお見舞いのお菓子を買ってから由良くんの家にやってきた、わけだが。

 家の前であることに気づいてしまい、私はチャイムを押すことをためらっていた。

 昨日は由良くんが家に入っていくのを見送っただけだが、今日はこのチャイムを押さなければいけない。……由良くん以外に誰かがいたら、チャイムを押して出てくるのはその人だろう。由良くんの家族に会う覚悟まではしていなかったので、直前にその可能性に気づいてびびっているというわけだ。

 たぶん由良くんのお母さんはお仕事だろうから、出てくるとしたらお姉さん。大学生だと聞いているし、もしかしたらもう家に帰っているか、そもそも今日は全休の日かもしれない。


 とはいえ。

 手にぶら下げてきた紙袋に視線を落とす。お見舞いの品としてカステラも買ってきてしまったのだし、ここまで来て帰るわけにもいかないだろう。

 意を決してチャイムに指をかける――前に、念のため由良くんとのトーク画面を開くことにした。もし万が一あれが私の見間違えだったりしたら、お見舞いなんて恥ずかしすぎる。


「ん?」


 数分前に新しくメッセージが来ていた。


『ごめん椎名さん!!!』

『上のやつお姉ちゃんが送った!!!』

『おれじゃない!!!!』


 ……由良くん、じゃなかった?

 そろり、と反射的に一歩下がれば、タイミング良く、いやタイミング悪くドアが開いた。

 ドアが、開いた。


「あ、そろそろ来る頃だと思ったんだ~! いらっしゃい!」


 めっちゃくちゃ美人な女性が、私ににっこりと微笑みかけた。


「大雅に会いにきてくれたんでしょ? ありがとう、入って入って」


 この状況で断れる人がいるだろうか。いないだろう。

 お邪魔します、とおそるおそる家に足を踏み入れると、「大雅の部屋はこっちよ」と即座に案内される。えっ、怖い、なんか怖い。このお姉さんが由良くんのフリして私にメッセージ送ってきたと思うと更に怖い。

 持ってきたカステラは、「ありがとう、お茶と一緒に持って行くから入ってて」とさっと奪われ、問答無用な雰囲気で由良くんの部屋に押し込まれた。ぱたり、後ろで閉められる扉。


 ベッドの上の、ぽかんとした由良くんと目が合う。

 数秒の沈黙、の後、由良くんはばっと頭まで掛け布団を被った。


「え、なに、どうしたの!」


 慌てて近づけば、布団の中からもごもごと言葉が返ってくる。


「しーなさんなんで来たの……」

「由良くんに顔見たいって言われたから……?」

「それおれじゃなくてお姉ちゃんだもん……おれじゃないし……」

「う、うん、それはごめん」

「おれあんな恥ずかしいこと言わない……」


 どの口が言う、とは思ってしまったが、流石に病人相手にそんな言い方はできない。いや、うん、疑いもせず来てしまった私が悪い、かな。悪いか? 悪くない気がするな。

 とりあえずベッドの傍の床にちょこんと座っていれば、ドアが開いてお姉さんがお盆を持って入ってきた。


「お待たせー、って大雅あんた何してんのよ。せっかくまなかちゃんが来てくれてんのに」

「お姉ちゃんが勝手に呼んだんじゃん……」

「いいからとにかく顔くらい出しなよ。失礼でしょ」


 しぶしぶ顔を出した由良くんの顔は、熱のせいか赤かった。

 小さなローテーブルの上に、カステラ二切れがのったお皿とお茶を二つずつ置いたお姉さんは、そこでようやく自己紹介をしてくれた。


「初めまして、由良都子みやこです」

「あ、えっと、椎名まなかです」

「うん、大雅からいっぱい、そりゃもう、いっぱい話聞いてるよ。もうわかってるかもだけど、さっきの送ったの私です。騙すように呼び出してごめんね? でもゆっくりしてってくれると嬉しいわー」


 それじゃ、と手をひらりとさせたお姉さんが、部屋を後にする。

 ……いっぱい、とは。

 由良くんが口を開こうとしないので、とりあえずそうっと部屋を見回す。勉強机、ベッド、本棚、ローテーブル。ベッドの枕元には目覚まし時計と、犬の写真の卓上カレンダーと、いくつかの小さいぬいぐるみが置いてあった。当然のように、私が取ってあげた黒トイプードルのぬいぐるみも混じっている。混じっているというかむしろ、その子を中心にして小さいぬいぐるみが集まっている感じだった。

 か、可愛い、可愛くないか? きゅんとして変な声が出そうになり、慌てて歯を食いしばる。


「……お見舞い、ありがと」

「あ、ああ? あー、うん、ううん」


 どう考えても挙動不審な返答をしてしまったが、由良くんは気にならなかったらしい。特に反応もせずにもぞもぞと体を起こして、さりげない仕草で髪の毛を整えていた。

 ぴょこん、と一房の寝癖が飛び出しているが、いくらやっても直っていない。鏡がないため気づけない由良くんは、そのまま手を下ろす。可愛いので私も指摘しないことにした。


「カステラ買ってきてくれたんだ」

「そう。嫌いじゃない?」

「すき」


 ふにゃっと笑った由良くんが「食べたい」と手を出してきたので、テーブルの上の一皿を渡してあげる。求められたタイミングで渡せるように、とお茶を持って待機していると、「しーなさんも食べて」と笑われた。

 ……この可愛さ、熱のせいなんだろうな。貴重な姿だろうから、熱で弱っている由良くんには申し訳ないが目に焼き付けておこう。ほんと可愛いんだけど、これを見ても理央ちゃんは「可愛くはないかな」って言うのかな……。


「このカステラおいしいね」


 ふにゃふにゃ笑う由良くんは、思いきり素が出ている。


「……それは、よかった。機嫌直った?」

「機嫌?」

「私が来たの嫌そうだったじゃん」

「いやなわけないでしょ。かっこわるいとこ見られたくなかっただけ」

「んっ……可愛いなもうほんと」

「しーなさんのほうが可愛いし」


 むすぅ、とした由良くんは、カステラを口に運んだ途端表情を緩ませる。

 ……駄目だ、こんなとこにいられない! 可愛すぎて困る! 顔を見せてカステラを渡すという目的は果たしたんだから、早いところお暇してしまおう。

 自分の分のカステラとお茶に急いで口をつけていると、由良くんがじっとこちらを見ていることに気づいた。


「……由良くん?」

「んー……おれの部屋にしーなさんがいるって、変な感じ」

「まあ初めて来たしね」

「これからも来る?」

「こっ!? いやうん、来てほしいなら来るけど、来たところで何するの」

「おしゃべり」

「おしゃべり」


 もうこの由良くんと話すのやめよう。可愛い。

 そう決めたというのに、由良くんの視線がお喋りしようと訴えてきていて、無視もできなかった。


「……今日ね、風香に話したんだ。伊達眼鏡かけてるのは優等生っぽく見せるためだって」

「うん」

「そしたら流れで、由良くんがエセ不良だってこともバレた」

「なんで?」

「ねー、なんでだろうね」


 はは、と乾いた笑みを返す。


「安藤さんって案外鋭いんだな」

「あー、案外とか風香に失礼だぞ。あの子めちゃくちゃ鋭いからね」

「こわいな」

「ね」


 ぽつぽつと会話をしながら、カステラを食べ進める。甘くて柔らかいが、ザラメのシャリシャリ感が強くて美味しい。初めて買ったカステラだが、このお店は当たりだな。

 二切れといってもそれほど大きくないので、すぐに食べ終わった。お茶を飲んで一息ついて、そろそろ帰るか、と立ち上が――


「もう帰っちゃうの?」


 座った。


「由良くんがいいって言うまで帰らないよ」

「……別に、帰ってもいーよ」

「そんな声出して説得力ないって」

「えっへへ」


 熱の出てる由良くんには近寄らないほうがいいな、これ。可愛いと思いすぎて心臓に悪い。

 しかし食べ終わってしまったらなんとなく手持ち無沙汰だ。由良くんはゆっくり食べているのでまだ一切れ残っているが、それもなくなってしまったら、私は由良くんとこの部屋で何をすればいいんだろう。いや、話せばいいんだろうけど……病人相手にそんな長話もなぁ。


「しーなさん可愛い」

「あーはいはい、ありがと」

「かわいい」

「おまえのほうが可愛いわくそ」

「ねむい」

「うん、食べ終わってから寝ようねー」


 ん、とうなずいた由良くんは黙々と食べ、お茶を飲み、「ごめんおやすみ……」とすやっと眠りについた。……やっぱり無理させちゃってたのかな。

 すやすや眠る由良くんは、不良っぽさが一切なくて子供みたいだった。そっと覗き込んで、ちゃんと寝ていることを確認してから、ちょんちょん、と指先でその頬にふれてみる。柔らかくて、熱かった。

 ……やっぱり可愛い、よなぁ。


 ため息をついて、食器類をお盆にのせて部屋を出る。お姉さん、どこにいるかな。他人の家を歩き回るのは失礼だし、できるなら私が部屋を出た空気を感じ取って現れてほしい。

 由良くんを起こさない程度の声で呼んでみようか、と口を開きかけたとき、由良くんの隣の部屋の扉が開いた。


「まなかちゃん、もう帰る?」

「は、はい。お邪魔しました」


 タイミング良すぎないか。もしかしてこのうち、隣の部屋の音丸聞こえだったり……しない、よな。由良くんとの会話がお姉さんに聞こえていたとしたらかなり恥ずかしいんだけど。

 お姉さんはにこにこしたままお盆を受け取って、それをキッチンに置いてきた後玄関まで送ってくれた。


「大雅とは付き合ってどれくらいなの?」

「……はい?」


 靴を履くと、そんな変な質問をされた。


「えっと、すみません、そもそも付き合ってないです」

「…………え、付き合ってないの!?」

「友達なんですよね……」

「うっそぉ、じゃあ私、付き合ってないのに大雅の部屋に女の子入れて二人っきりにしちゃったの!? 高校生の男女を!? しかも男側が風邪で正気じゃないときに!?」


 焦った表情を浮かべたお姉さんは、勢いよく私の肩を掴んだ。


「ごめん、ほんっとごめん! まさか付き合ってないとは思わなかった! なんもされてない!? いや可愛いお喋りしてたのしか聞こえなかったから大丈夫だろうけど、うわぁ……ごめんね……」

「やっぱり会話聞こえてたんですね!?」

「うち、壁薄いから。勝手に聞いちゃってごめんなさい」


 お姉さんは申し訳なさそうに眉を下げる。

 ほんとごめんね、と何度目かになる謝罪の言葉を受け、お姉さんに見送られて由良くんの家を後にする。……そっか、私と由良くんが付き合ってるって誤解してたから、あんなメッセージで私をおびき寄せたわけか。そんな誤解するような話って、由良くん何話してんだろ。


 駅に向かって歩きながら、今日の由良くんを思い出す。ひたすらに可愛かった。

 でも、可愛い、と思うのが変なのだとしたら。

 可愛いと思ってしまう理由に、向き合わなくてはいけないのかもしれない。――向き合わなくてはなんて考えている時点で、答えは出ているも同然なのだけど。

 その答えと向き合う覚悟は、まだできていなかった。




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