23. どんなときでもが揺らぐとき
席替えが終わったら、次は文化祭についてだった。この学校は九月の半ばに文化祭がある。みなちゃんの学校の文化祭は九月の最初の週なので、ちょうどずれていてよかった。みなちゃんのクラスはお化け屋敷をやるらしく、そういう系が好きな私としては楽しみである。
「もうほとんど決まってますけど、今日はいよいよ、誰がメイドと執事をやるか決めまーす」
文化祭実行委員の子の言葉に、まばらな拍手が起こる。
夏休み前の時点で、うちのクラスの出し物はメイド・執事喫茶に決まっていた。係もある程度決まっているし、クーラーボックスや衣装などの手配も済ませてあるらしい。
残る決めごとはメインキャスト、メイドと執事のみなのだけど。
今時、メイド・執事喫茶を文化祭でやるとかなくない? 最初の提案者は風香だったはずだが、何を思ってメイド・執事喫茶をやりたいと思ったのか。……あ、少女漫画っぽいからかな。なるほど。納得してしまった。
「とりあえず、まだ係が決まってない人の一覧を書いた紙を回すので、そこから男女四人ずつ丸付けて投票してください」
周りと相談はしないで、と言われたので、配られた紙を前にうーんと考える。何の係もしていない人は二十人くらい。そこから男女四人ずつか……。
私も由良くんも、ついでに言えば風香や理央ちゃん、新開くんもまだ何もやっていない。けどたぶん、当日めちゃくちゃ忙しい役割だろうし、投票するのが申し訳なくなる。
ところでシフトってどう回すんだろう。二日間をその八人で回すのってつらくない? ウェイター・ウェイトレス業に専念すればいいなら、そこまできつくもない、のかな。受験前に文化祭見にきたりしなかったから、この学校の文化祭にどれくらい人が来るとかわかんないんだよなぁ。
「あと一分でお願いします」
慌てて思考を戻す。
申し訳ないという気持ちはあっても、やっぱり着てほしい人に投票したほうがいいよね、これ。だとしたら……うん、執事の一人は由良くんで投票しよう。由良くん絶対執事服似合う! 見たい!
執事服とはいっても、黒ベストをクラスの数人で手作りして、あとは白手袋を買い、下は黒のズボンならなんでも可、というなんちゃって執事服なのだけど。黒いネクタイは借りられる人は親に借りる感じだ。とはいえ普通は見ない格好であることは確かなので、由良くんがそれを着てくれたら嬉しいなぁと思う。
ちなみにメイド服のほうは、クラスメイトの伝手で四着だけ借りられることになったそうだ。デザインは全部違うらしいが、それはそれで可愛いだろう。
提案者ということで風香にも投票することにして、あとはぴんときた名前に適当に丸をつける。回収され、数人が集計してくれるのを待つ間は自由時間だ。
「やーでもこれさ、三人は出来レースなとこあるよね」
後ろから風香がそんなことを言い出すので、首をかしげる。三人……?
「由良君と新開君とまなかは確定でしょ」
「……はっ、私!? なんで!?」
思わず大きな声を出してしまって、周りの視線に身を縮ませる。ご、ごめんなさい。
由良くんと新開くんはわかる。由良くんはエセ不良とはいえ、言わずもがなイケメンだし、新開くんも少しチャラすぎるところはあるものの、由良くんに負けず劣らずだ。
が、そこにどうして私が加わるのか。そりゃあもちろん、私はみなちゃんと双子なのだから可愛いけど、眼鏡だってかけているしメイドをやるようなキャラではない。真面目な優等生として過ごしてきているので、クラスメイトにはとっつきにくいと思われているはずだ。だからこういうので投票されるなんてこと……。
――ありました。めっちゃ投票されてた。
女子の中でトップの得票数だった。うっそだろ。誰だ投票したの。
愕然としていたら、「わたしも投票したよ!」と風香にドヤ顔をされた。いや、まあ私もきみに投票したからそれは許す。結局風香も四人の中に入ってたし。
そして男子は、風香の予想通り由良くんと新開くんがトップツーで選ばれていた。
「……オレ、こーゆうの向いてねぇんだけど」
「えー、一緒にやろうぜ由良!」
「私も向いてないから別の人にしてほしい」
「やっ、ちょ、理央ちゃん!? 向いてる! めっちゃ向いてっから!」
「恥ずかしいから嫌」
にべもなくそう言うのは理央ちゃん。得票的に三人目は理央ちゃんだったのだが、そこまで嫌なら、と女子五位の人が繰り上がった。え、断るとかできるなら私もしたいんだけど……。優等生は人からの頼み事をできる限り断らないものだが、それにしたってこれは……ちょっと。
声を上げようとしたら、隣の風香に「まなかのメイド服楽しみ!」と先回りされた。あ、はい、やります。風香からのブーイングは受けたくない。
理央ちゃんがメイドをやらないことに本気で落ち込む新開くんの横で、由良くんが口を開く。
「オレもやだ」
ぶすっとした顔で再度主張した由良くんは、お久しぶりの不良オーラをまとっていた。やればできるんだよな、と変な感心をする。まあ長くは持たないだろうけど。
しかし周りのクラスメイトは、不良由良くんにも一切動じない。実行委員を含め、文化祭の中心メンバーたち数人が「お願い!」だとか「絶対似合うから!」だとか、必死に頼み込んでいる。……頑張れ由良くん、そこで耐えなきゃエセ不良さえ失格だぞ。
まあ、いい子な由良くんがそこまで言われて断れるはずもなかった。
苦い顔でしぶしぶうなずいた由良くんに、周囲から歓声が上がる。不良オーラ出してさえまったく怖がられないって、由良くんそろそろ本気で身の振り方考えたほうがいいと思うよ……。
「なー理央ちゃん、マジでやんないの?」
「やらない」
「そっかぁぁ……」
へこむ新開くんを見て、理央ちゃんは不思議そうに、かすかに眉根を寄せる。
「他の可愛い子がやるんだからいいじゃん」
「……そーじゃないんだよ理央ちゃん……」
そのやりとりを、風香はきらきらした顔で見ていた。見すぎだぞ。
しかしなんというか、新開くんって理央ちゃんのことめちゃくちゃ好きなんだな。かなりあからさまなのに理央ちゃん本人は気づいてないところが、風香の言う少女漫画っぽいってことなんだろうか。
新開くん、確か入学式の日からすでに理央ちゃんに絡んでいたし、もしかして一目惚れでもしたのかなぁ。……一目惚れというとヒデを思い出す。フィクションの話かと思ってたけど、一目惚れって案外あるものなのか。
そんなふうにホームルームが終わって、お昼前だけど放課後になった。理央ちゃんと新開くんが話すのをなんとなく聞きながら(というか新開くんが一方的に話しているようなものだけど)風香とお昼を済ませる。
……今日どうするか決めてなかったけど、由良くんはどういうつもりだろう。さすがにいつもの時間まで字の勉強は、手が疲れるしやりたくない。
部活に行く風香を見送ってから、由良くんにちらりと目を向けると、気づいた由良くんがスマホで何かを打ち始めた。
すぐに届いたメッセージに目を落とす。
『今日は3時くらいまでにして、アイスでも食いながら帰らねぇ?』
……ナイスアイディア!
この時間に学校が終わる今日、三時という微妙な時間に帰る人はほぼいないだろう。つまりは帰宅時間をずらさなくても、知り合いに目撃される可能性は限りなく低い。……つまりは半分こして分け合う、チョココーヒー味のあのアイスを食べられるんじゃ!? みなちゃんとはよく一本ずつ食べる、というかみなちゃんとしか分け合ったことがないので、なんだかちょっとわくわくする。
由良くんがあのアイス苦手じゃなきゃいいけど、と考えながら、苦手じゃなければあれ食べない? と返信で提案してみる。
『ナイスアイディア!』
ついで送られてきた、デフォルメされた黒いトイプードルが「わーい」と言っているスタンプに、つい笑ってしまいそうになる。このスタンプは由良くんお気に入りのスタンプで、このシリーズしか使っているのを見たことがない。ので、私も空気を読んで、この前茶色いトイプードルのスタンプを買った。黒だと被っちゃって画面的につまらないし……けど一応トイプードルを、ということで。
普段使わないようなめちゃくちゃ可愛いスタンプなので、みなちゃんにはびっくりされたが、由良くんが使っているスタンプを見せたら納得してくれた。
喜んでいるトイプードルのスタンプを返して、職員室に行くために立ち上がる。アイスよりもまずはお勉強、である。……勉強は勉強でも、字の勉強だけど。
* * *
夏休みで時間が空いたので、最初はひらがなから復習することにした。お手本なしで、五十音順に書いていく。一応夏休み中も字の練習は続けてたんだけど、それでもお手本がないとなると全然自信がないな。
頑張って思い出しつつ字を書きながら、教室では訊けなかったことを訊いてみる。
「由良くん、いつの間に新開くんと仲良くなってたの?」
「ん? 夏休み中にぐーぜんばったり会って、なんか絡まれてから、かな。つーかなんで仲良くなったのわかんの」
「あれは見たらわかるよ……」
ふーん。偶然。ばったり。絡まれて。仲良くなったのか。
確かに理央ちゃんに対する新開くんの言動を見ていると、あの調子で関わってこられたら由良くんは絆されそうだなぁ、とは思う。
「……なんか気になる?」
「そういうわけじゃないけど、それにしてはすごい仲良く見えたから」
同性と異性じゃ仲良くなるスピードとかが違ってもそりゃあ仕方ないけど。ちょっと面白くないのも確かだった。……私のほうが先に由良くんの可愛さに気づいてたし、いい子だって知ってたし。
「新開く……新開、チャラいから最初ちょっと怖かったんだけどさ」
「ふっ……ふふ、不良の言うことじゃないね」
「うっせー。まー、話してみたら案外気が合ったんだよ。それにアイツお喋りだから、こっちがあんま喋んねぇでいいのも楽だし」
「……その感覚はわかるけど」
私たちはどっちもエセなせいで、口調がぶれやすい。相槌を打ってるだけで楽しく会話が進むのは、気を張らなくていいから楽だと思うし、由良くんもそうなんだろう。
とはいえ楽なだけで、やっぱり私的に楽しいのは一緒にわいわい話すことだ。だから由良くんが相手だと、あまり気を遣わずに好きなだけ話せるうえに、口が悪くなってもすでにばれているのだから関係ないので、すごく楽しい。
「私は由良くんと話すのが一番楽しいよ」
ぽろっとそう零すと、由良くんは目を瞬いて、それから照れくさそうに笑った。
「そこは妹ちゃんなんじゃねーの」
「……あ」
そこでやっと、私が今何を言ってしまったか気づいた。
私にとっての一番は、どんなときでもみなちゃんだった。そのはずだった。
でも今……私、は。みなちゃんのことが頭から抜けていて。無意識のうちに、由良くんと話すのが一番楽しいとまで言ってしまった。
――そんな大きな感情を抱いている相手が、ただの友達として好きなんて、ありえるんだろうか。
「……しーなさん?」
名前を呼ばれて、はっと我に返る。
心配そうにこちらを窺う由良くんに、持っていたシャーペンを机に置く。何かを言おうと口を開いて、何も思い浮かばずに、結局そのまま閉じることになってしまった。
「体調悪りぃ? 今日も暑いもんな……水分塩分補給は? した?」
「……大丈夫、だと思う」
「そーは見えねぇけど……。飲み物ちゃんと持ってる? スポドリ買ってこよっか?」
過剰なくらいに心配してくれてるな、と思うと、さっきの自分のシリアスな思考が馬鹿馬鹿しくなってきた。
私が由良くんのことを好きなのは友達として、だ。これから先も友達として仲良くしていきたいけど、先のことなんてわからないんだから、とりあえず今のことだけ考えていればいい。せっかく久しぶりに、由良くんに字を教えてもらっているのだ。時間を無駄にしたらもったいないだろう。
「ありがと、ちゃんと持ってきてるから大丈夫だよ」
笑いながら返せば、由良くんは納得していなそうな顔で「ならいーけど」と引き下がってくれた。
「にしても、やっぱしーなさんマジメだな」
「うん?」
「色々忘れてるかと思ったら、それなりにちゃんと書けてっし。夏休み中も練習してたってことだろ。偉い偉い」
「……もっと褒めて」
「おー、いいぜ! しーなさん、優等生になるためにいっつも頑張っててめっちゃ偉い! 字も教えたこと忘れねぇように努力してるみてーだし、文句なしに優等生だな! エセじゃねぇ優等生」
にっこにこの笑顔で褒めてくれる由良くん。
……ほ、褒めすぎじゃない? 照れる。私の字に関しては『それなりに』ちゃんと、と微妙な言い方をしたってことは、後に続けた言葉もお世辞ではないだろう。わかってたことだけど、褒め上手だな……。
文句なしに優等生だというのは言い過ぎにしても、努力を認めてくれる人がいるというのは嬉しいものだ。以前に優等生に向いていると言われたときにはキレてしまったけど、あれから私も変わった、ということだろうか。あまり自覚はなかったが、なんとなくいい変化のように思える。
それはきっと、由良くんのおかげだった。
私もお返しに褒め返そうと思って……困った。
由良くんをただ褒めるだけならいくらでもできるのだ。ただし、由良くんと同じような褒め方……つまり、不良としての由良くんを褒めるとなると、どこも褒めるところがない。素が出すぎだし、可愛すぎるし。
せいぜい、ずっと綺麗な金髪でいてすごい! くらいだ。よく知らないけど、金髪ってほっとくとプリンみたいになるんだよね? 由良くんの金髪はずっと一定の色で綺麗だから、それだけ気を配ってるんだと思う。
……いや、よく考えたらこれは由良くんの几帳面さを褒めてるだけで、不良としての由良くんのことは褒めていない気がする。えーっと、だとすると後は、先生に注意されても金髪とピアス続けてるのすごい、とか……。
「…………ありがとう」
「あんだよその反応……嬉しくなかった?」
「めっちゃ嬉しかったよ」
嬉しかったけど褒め返せないのが申し訳ないんだ。もはや突っ込みもしていないが、私のこと完全にしーな
気を取り直し、シャーペンを再び手に持つ。ひらがなを書き進めながら、話題を文化祭へと変えた。
「由良くんの執事姿楽しみだなー」
「……思い出させんなよ」
由良くんはげんなりした声を出す。
「そんな嫌なの?」
「……ハズいじゃん。しーなさんはハズくねぇのかよ」
「そりゃ恥ずかしいけど、もう決まっちゃったんだからやるしかないでしょ。理央ちゃんみたいに完全に拒否できなかった時点で、私たちの負けだよ」
「そーだけどさぁ」
ため息をつきながら、由良くんがだるそうに頬杖をつく。
……うん?
…………ん?
今ちらっと、見えるはずのないものが見えた気が。
「…………由良くん?」
「何」
きょとんとする由良くんの首元を、おそるおそる指差す。
今まで気づかなかったけど、その、シャツのボタンを開けた隙間から見えるそれは、もしかして。
「もしかしてネックレス、つけてる?」
途端に、由良くんが顔をぱあっと輝かせる。
「気づいた!?」
……ええ、気づいてしまいました。
いやでもまだ確定じゃないし、と心の中で保険をかけていたら、続く言葉に撃沈した。
「しーなさんにもらったヤツ!」
「――やっぱりかよ!」
学校につけてきてほしくないからネックレスにしたっていうのに! きみ今までネックレス学校にしてきたことなかったじゃん!? なんなの!?
うっわぁ、由良くんの不良行為に加担してしまった……。悔しさよりも、わざわざつけてきてくれたことに対する嬉しさが勝っているのが、こう、なんだか嫌だ。
「あのね、私は優等生なわけですよ」
「え、はい」
「その私があげたネックレスを、校則違反と知りながら、学校につけてくるってどうなんですかね」
「……ダ、ダメだな!? 悪りぃ!」
「うん、嬉しいけど駄目なものは駄目なんだよ……」
それに没収されたりしたらどうするの、と言えば、由良くんは更にしょんぼりした。わかってくれればいいんです。
……私も簪学校につけてきたいな、と思ってしまったけど、ネックレスと違って確実にばれるし、優等生のやることじゃない。うーん……だとしたら。
「文化祭でだったら、多少のアクセサリーは見逃してもらえるよね。私も由良くんにもらった簪、つけてこようかなぁ」
その手があったか! という顔で、「オレもそーする!」と由良くんは宣言する。
「でもネックレスは服の下にしまっとけばいーにしても、簪とメイド服ってどーなんだ?」
「あー、デザインが和っぽければいける気がするけど……見せてもらってないしな、どうだろうね」
「そっか、メイド服にも和と洋があんのか。しーなさんならどっちでも可愛いな」
……また、こいつは!
いい加減こういうのにも慣れなきゃいけないんだろうけど、一生慣れる気がしない。
アリガトウゴザイマス、と片言で返した私に、由良くんは不思議そうに首をかしげた。
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