16. エセ優等生は見栄を張りたかった

 七月も終わりに近づいたある日、由良くんに美術館に行かないか、と誘われた。――由良くん、真先輩、うらら先輩の三人と一緒に。

 美術部で夏休みに美術館に行きたいねという話になったそうなのだが、他の部員に呼びかけてみても、結局その三人しか集まらなかったらしい。そこで全員と知り合いの私にも声をかけよう、という話になったそうなのだけど。


「私美術部じゃないよ? 一緒に行っていいの?」

「しーなさんなら先輩たちも歓迎するぜ? つーかそもそも、三人で話した結果だって」


 夏休みに入る前に何度か部活にお邪魔させていただいていたとはいえ、それでもやっぱりそういう部活の行事に部外者がついていくのは申し訳ない。由良くんの言うとおり、歓迎してくれるとは思うんだけど……。

 むむ、と顔をしかめていれば、「ああ」と由良くんが何か納得したような声を出した。


「しーなさんの分の券はオレたち三人で金出すから、そこんとこは心配いらねーよ」

「更に申し訳ないぞそれ……」

「だってオレたちが誘いたくて誘うわけだし。三人で割り勘したら高くもねぇしな」

「いやそれなら私が払うよ」

「……来てくれんの?」


 ぱっと顔を輝かせた由良くんに、あー口が滑った、と思っても時すでに遅し。そもそも断りたい理由も申し訳ない、というだけだったのだから、三人がそこまで納得してくれているのなら別に問題はないのだ。こう見えて私、美術館とかかなり好きなんだよね。優等生を目指す前から、そこに関しては優等生っぽかったと思う。まあ、絵に関する知識はほぼ皆無なんだけど。


 行かせてもらいます、と答えた私に、由良くんは嬉しそうに笑った。……こういうとき、ほんっと嬉しそうに笑うんだよなぁ。可愛い。

 詳しい日時なんかはこれから決めるらしいので、アプリで『幽霊じゃない美術部』というグループに招待してもらった。私が加わって(4)という表示になった人数に、ちょっとだけ笑いそうになる。私は部員ですらないし、うらら先輩も厳密にはもう部員じゃないし……幽霊じゃない部員やっぱり少なすぎだな、美術部。


     * * *


 その次の火曜日、私たちは美術館に来ていた。土日は混むからと平日を選んだのだが、それでも入り口には長い列ができている。これ、土日だったら並ぶだけでめちゃくちゃ疲れただろうな……。

 横に五人が並ぶ太めの列だったが、運良く四人で横に並ぶことができた。右から順に、真先輩、うらら先輩、由良くん、私、の順だ。由良くんはうらら先輩の隣だということが気になるのか、真先輩の様子を窺いつつそわそわしていた。

 ……そりゃあ、好きな人とこんな近くにいたら、その彼氏さんの反応気になってそわそわもするよね。


「これ、もしかしたら三十分くらいかかるかもね」


 うらら先輩がちょっとげんなりした声を出す。列の進みはそう遅くないとはいえ、並んでいる人数が人数だ。確かに三十分くらいは覚悟しておいたほうがいいのかもしれない。

 うらら先輩のほうはあまり見ないことにしたらしい由良くんが、私に視線を固定して謝ってくる。


「無理に誘ったのに、こんな待たせちゃって悪りぃ」

「いや、由良くん何も悪くないじゃん? それにこういうのって、並んでる時間も含めて楽しむものでしょ。いつもみたいに話してればすぐだよ」


 私の言葉に、由良くんの向こうからうらら先輩が興味津々な表情で口を開く。


「まなかちゃんと大雅君、いつもどんな話してるの? 部活中はあんまり話してないよね」

「どんなって言っても……別に普通ですよ? そのときそのときに適当にって感じです。その中でも多い話題を言うなら、私は妹、由良くんは犬の話、ですかね」


 話題が続く限り話すし、会話が止まったらそのまま話さないこともある。本当に『適当』だ。

 なおも何か言おうとしたうらら先輩を、真先輩が呆れ顔で止める。


「うららさん、あんま後輩突っつかないでくださいよ。そんな顔で訊かれたら、椎名ちゃんも大雅も困るでしょ」

「えー、どんな顔?」

「それをここで言うのは、今うららさん止めた意味なくなるんで言いません」


 けち、と唇を尖らせるうらら先輩に、真先輩は「なんとでも」とふっと笑いながら返す。……相変わらずラブラブですね。

 ここに来るの断らないでよかった、と心底思う。もし私抜きの三人で来てたら、由良くんは二人のデートを邪魔しているようで肩身の狭い思いをしたことだろう。


 ちらりと由良くんを見れば、なんとなくちょっと落ち込み気味に見える。あー由良くんにそんな顔似合わないのにな! 先輩たちがいるところじゃ、直接的に慰められないのが悔しい。

 せめて私との会話で気を紛らわせてあげよう、と思ったところで。

 前に並んでいた人が、怪訝そうにこちらを振り返ってきた。


「……あれ、椎名?」


 へっ、と変な声が出た。

 その顔、その声は。


室崎むろざき!? え、久しぶり!」


 小学校も中学校も同じだった相手だ。人の顔と名前を覚えておくのが苦手な私でも、さすがにそんな相手のことは忘れない。まだ高一の七月だし……たぶんこれからもずっと、こいつのことは忘れないんだろうな、と思っている。

 久しぶり、とびっくりしたように返してきた室崎は、まじまじと私の顔を見る。


「眼鏡にしたんだな。お前って目良くなかった?」

「あー……うん、高校に入ってから急に悪くなった、感じ?」

「ふーん、なんか見慣れなくて変な感じだな。似合ってるけど」

「お、おお、ありがとよ」

「あ、っていうか髪も短くなってんじゃん! めっちゃイメチェンしたんだなー」


 うわっ、やめて、昔の私知ってる人にそんなしみじみ言われるとハズい。

 そう言おうとしたのに、室崎の隣の女の子が振り向いたことで、何も言えなくなってしまった。


「ケン、知り合い?」


 茶色い髪、しっかりメイクした顔、短いスカート。――チャラい。とてもじゃないけど、優等生には見えない女の子。


「うん、小中の友達。……じゃあ椎名、また今度同窓会とかで会えたらいいな」

「そう、だね」


 なんとか笑顔で答える。室崎は前を向いて、隣の……おそらく彼女、と話し始めた。さっきもこの喋り声は聞こえてたはずなんだけどなぁ……由良くんのほう気にしてたせいで、気づけなかったのか。

 横から猛烈に視線を感じる。由良くんか……? とおそるおそる右を向けば、こっちを見る六個の目。ぜ、全員分の視線だったか。


「友達ですよ。まさかこんなところで会うとは思いませんでした」


 苦笑いしつつ説明する。

 ……ほんとになー、なんでこんなとこで。しかも列の前後とか、運が悪すぎる。気づいてしまったら、聞かないようにしても前の会話が聞こえてきてしまう。やっぱりこの女の子は、室崎の彼女みたいだ。


 あーやだな、耳塞ぎたい。


 室崎の彼女が、みなちゃんみたいな女の子だったらよかったのに。なんで、そんなチャラい子。見た目だけで判断しちゃいけないっていうのは由良くんもいるしわかってるけど、それでももやもやしてしまう。

 甘えるような高い声、なんて、彼女の声がそんなふうに聞こえるのは、ただの僻みだろうか。

 綺麗だった思い出に、じわりじわりと変な色が滲んでいくような。そんな気がした。

 でも、たぶん。デートで美術館に来るくらいなのだから、ただチャラいだけでもない、のだろう。


「しーなさん」


 そっと名前を呼ばれる。

 視線を動かすと、由良くんは困ったような、心配そうな顔をしていた。


「えっと、しりとりでもしねぇ?」

「……しりとり」

「そー。絵しりとりじゃねーなら、しーなさんも普通にできるっしょ?」

「……それは私を馬鹿にしてるのかな?」


 気を遣わせちゃってるなぁ、と思いながらちょっと冗談っぽく返せば、由良くんはあからさまにほっとした。ごめん、と謝りたいのをこらえて、なんでもないようにしりとりを始める。


「私から、りでいい? あ、うらら先輩と真先輩もやります?」

「やりたい。しりとりなんて久しぶりだなぁ」

「時間つぶしにはいいっすよね。……俺もやっていい?」

「もちろんですよ、じゃあ最初、り……んー、リトアニア。はい、次由良くん。並び順で行きましょう」

「えっ、初っ端からリトアニア!?」


 せっかくだから絵しりとりには使わない単語を使おうと思ったのだ。

 私、由良くん、うらら先輩、真先輩、の順にしりとりをしていく。


「アメリカ……」

「カナダ」

「……あー、大韓民国」

「え、国名縛り始まってます? ク……クロアチア」

「またアかよ!? えっと、アフリカ……」

「カタール」

「ル? ……ル、ル、ルクセンブルク」


 私たちが若干詰まってるのに、ノータイムで続けるうらら先輩がちょっとかっこいい。由良くん、うらら先輩頭いいって言ってたもんな……。そしてまたアかよ、と言いながら、またうらら先輩に『カ』をぶつける由良くん。気づいてないんだろうな。

 謎な国名縛りは、数回で私が責任を持って終了させた。途中途中で野菜縛りやお菓子縛りが始まったりして、なかなかに変なしりとりとなった。たまにやると楽しいな、しりとり。


 三十分ほどして、ようやく中に入れた。この展覧会の目玉作品のところには、またも長い列がある。それ以外のところは並ぶ必要もないようだが、やっぱり人が多い。

 四人ばらばらで見て、見終わった人から出口で待機ということになったので、足早に移動する。

 ……室崎、私の前に並んでたから、さ。普通に順路通りに回ると、いちいち視界に入ってくるのだ。そうならないために、ある程度進んだところから絵を見始める。


 印象派の作品だけを集めた展覧会なので、どの絵を見ても、ふわっと綺麗だなぁ、と思う。綺麗なものを見ると心が落ち着くのでいい。

 と、後ろに誰か立った。邪魔になってるかな、と少し横にずれると、「しーなさん」という小さな声。


「……由良くん? もう最初のほう見終わったの?」

「あー、や、なんとなくしーなさんと同じように見て回ろっかなって。いい?」


 ……そこまで気を遣わなくていいんだけどなぁ。

 とはいえ、由良くんからの心配を無下にするほど、動揺は残っていない。むしろもう、冷静といってもいいくらいだ。


 特に喋ることもなく、ゆっくりじっくり絵を見ていく。

 モネ、マネ、ドラクロワ、シスレー、ルノワール……有名どころの名前しか知らないが、名前を知らない作者でも心引かれる作品はもちろんあって、そうっとスマホにメモをとった。マナー違反だとは思うが、さっと出してさっとしまったので許してほしい……。

 由良くんは私の少し後ろからついてきて、室崎が私の視界に入りそうになったら、さりげなく室崎の姿を体で隠してくれた。ほ、ほんとめちゃくちゃ気ぃ遣ってくれてる……申し訳ない。


 一通り見終わって、売店でお土産を見繕う。家族用にクッキー、みなちゃん用に睡蓮の扇子を買った。由良くんはポストカードを数枚買っていた。

 土産選びも終わり、やっと一息つく。室崎たちが先に出ていったのは確認しているから、もうびくびくする必要もない。……元からそんな必要ないけどな!


「しーなさん、大丈夫?」

「うん? 何が? 大丈夫だよー、一緒に回ってくれてありがとう」


 笑顔で言えば、それ以上由良くんは何も聞いてこなかった。由良くんならそうだろうとは思っていたけど、とてもありがたい。

 出口付近の邪魔にならない位置で、うらら先輩と真先輩を待つ。



 どうして私があんなに動揺してしまったかといえば、単純な話。

 中学時代の私が、室崎のことがちょっとだけ好きだったというだけの話だ。小学校のときから仲が良くて、それがいつの間にか『たぶん恋』と呼べるものに変わっていた。はっきりと気づいたのは、中学二年生のときだった。

 気づいてからは室崎と話すだけで楽しくて、毎日キラキラしてて。何もせずに終わらせた恋だったけど、今の今まで、綺麗な思い出として大切にしていた。


 なのに。

 出そうになるため息を抑える。由良くんにこれ以上、心配をかけたくはなかった。


 私が恋を終わらせたのは、室崎が他の友達と話してるところを偶然聞いたからだ。付き合うなら私じゃなくて、みなちゃんみたいな『優等生』っぽい、大人っぽい子がいい、って。

 みなちゃんと私が、男子の中でたびたびそういうふうに話題に上げられることは知っていた。だって、みなちゃんも私も可愛いのだ。そして性格が全然違うとなれば、どっちが好きか、という話になるのだって納得はできた。


 だから、仕方ないな、と思った。友達として好かれてはいても、それだけだということはとっくに知っていたから。

 ――まあでも、それが悔しかったから、こうして今『優等生』をやってるわけなんだけど。いつか室崎を見返そう、なんて思っていたわけではない。私だって優等生くらい演じられる、と誰にでもなく自分に、見栄を張りたかっただけ。

 私が優等生を目指すようになった理由なんて、そんな子供っぽいものだった。


 だから、室崎の彼女さんが、まったく優等生に見えない子だったからといって。

 ほんの少し裏切られたように感じてしまうのは、すごく、勝手な話なんだろう。


     * * *


 四人で昼食を取ってから、駅で私と由良くん、うらら先輩と真先輩に分かれた。先輩たちがまだどこかデートに行く、というわけではなく、単に反対方面の電車なだけだ。


「じゃあね、今日はありがとう、まなかちゃん、大雅君!」

「またな」


 二人は軽く手を振りながら、もう片方の手で恋人繋ぎをした状態で去っていった。人目のあるところで恋人繋ぎ、すごい……さすがらぶらぶだ。

 真先輩の耳元で、うらら先輩が何かささやいているのが見える。途端に真先輩はうらら先輩の手を振り払おうとし、しかしうらら先輩はそれをぎゅっと体全体で押さえた。にやにやするうらら先輩、顔を赤くする真先輩。


「いいなぁ……」


 二人を見送っていたら、つい口から声が漏れた。小さなその声を、由良くんは聞き逃してはくれなかった。


「しーなさんも、あーゆうのに憧れんの?」

「……も? ってことは、由良くんもってこと?」

「や、オレは別に。女子ってよく恋バナしてっけど、しーなさんはあんま興味なさそーなイメージだったから」


 そんなイメージを持たれていたのか。

 言葉を探しつつ、答える。


「……興味なくは、ない。誰とも付き合ったことないから、ああいうの見るといいなぁ、ってちょっと憧れる、かな」

「え、彼氏いたことねぇんだ?」

「由良くんのほうは?」


 なんとなく今自分の話をするのが気まずくて、訊き返す。


「まあオレも、そーゆうのはなんもなかったけど……」

「えっ、うっそでしょ。マジで言ってる? 告白されたりは?」

「……三回、は」


 うっわ、リアルな数字。かっこいいもんなぁ。おまけに中学のときは素だったんだろうし、そりゃもうめちゃくちゃ可愛かっただろう。


「モテモテじゃん。私のほうは一回もなかったよ!?」

「マジ? おかしくね? しーなさんめちゃくちゃ可愛いし面白ぇのに?」

「べた褒めだなきみ……」


 だからさっき、彼氏いたことなかったことにびっくりしてたのか。そう言ってくれるのは嬉しいが照れくさい。面白い、という言葉が少しだけ引っかかるけど、まあ由良くんが私と一緒にいることを楽しんでいてくれているのなら嬉しい。

 だって、と何か続けようとした由良くんが、一瞬はっとしたように固まる。


「……あー、なるほど」

「え、何がなるほど?」


 首をかしげても、由良くんは何も答えてくれなかった。代わりに、なんだか生温かい目で見られる。な、なんだよ……。

 気を取り直して、気になったことを訊いてみる。


「でもなんで三回も告白されたのに、誰とも付き合わなかったの?」

「好きじゃねーのに付き合うって、不誠実じゃん」

「……その考え方にはめちゃくちゃ同意するけどさぁ」


 今だったらどうなんだろう、と思った。不良に誠実という言葉は似合わないし、好きではない相手に告白されたら、適当に付き合ってしまうのが『不良』なんじゃないだろうか。それか、めんどくさがってこっぴどく振るか。

 ……由良くんがそんなことをするとは思えないから、きっとそのときだけは素の由良くんが返事をするんだろうな。


 どうしたって由良くんは不良に向いてないし――どうしたって私も、優等生には向いてないのだ。




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