12. 図書館では静かにすべきである

 みなちゃんが選んでくれたのは、白と水色の縦ストライプのノースリーブワンピースだった。白襟も含めて、夏らしい爽やかさがある。

 ウエスト部分のリボンも、ボリュームのあるスカートも可愛くて、さすがみなちゃんだなぁ、と思った。膝より少し長い丈なので、図書館に行くにも適しているだろう。真面目な優等生っぽい。


 そのワンピースを着て、ついでに麦わら帽子をかぶって、私は自転車に乗って家を出発した。つばひろの麦わら帽子も、みなちゃんチョイスのものである。顔に日焼け止めを塗るのが嫌いなので、夏場はほとんどこの帽子を使っている。

 図書館の開館時間に合せ、待ち合わせは十時。だけど念のため、十分前には着けるように家を出た。

 自転車で走って約十五分、図書館に到着した。自転車置き場に自転車を止めてから、そういえば時間は決めていたけど場所を決めていなかったな、と思いながらスマホを開く。


『図書館のどこで待ち合わせる?』


 送るとすぐに既読がついた。歩きスマホが駄目なのはわかっていながらも、その画面を見ながら図書館の入り口に向かう。まあ、十時待ち合わせなら無難に入り口前かなぁ。もし由良くんが遅れるようなら、暑いし中に入っちゃいたいけど。


「あ、いた、しーなさん!」


 急に聞こえた声に、びっくりして立ち止まる。顔を上げると、スマホを持った由良くんが、持っていないほうの手をこちらに振っていた。わ、私より先に着いてたのか……返信がめんどくさくなって、直接声をかけたというところだろう。

 駆け寄ってきた由良くんの格好を、じーっと見つめる。


「はよ……何? なんかヘン?」

「あ、いや、おはよう」


 たじろぐ由良くんに挨拶を返す。

 ……シンプルな服が似合うって、イケメンの証だよなぁ。率直に言ってかっこいいし、私が隣に立っていいのかわからないくらいだ。

 由良くんは白いTシャツにグレーのロングカーディガンを羽織り、黒のスキニーをはいていた。胸元には金のリング型ネックレスまで揺れている。色合い的にはシンプル、というか地味なくらいなのに、髪の毛が金色なので全然地味には感じなかった。そして顔に華がある。


「由良くんはかっこいいね……」

「な、なんだよしみじみと……ありがとー?」

「不良のする格好じゃないけど」

「また褒められてなかったのかよ!」


 唇をとがらせる由良くんに、ごめんごめんと軽く笑う。いや、でも不良ってこんな格好しなくない? わかんないけど……おしゃれな不良はこんな格好してるのかもだけど……。

 それにしても、スキニーパンツをはいていると、由良くんの足がいかに細くて長いのかわかってむかついてしまう。男子って足の細さおかしいよな、絶対。

 足のシルエットが見えない格好をしてきてよかった、と安心していると、今度は私のほうがじーっと見つめられた。……あ、これは。


「しーなさんは可愛いな」

「……ありがとう」

「なんで真顔」

「この展開は予想していたので」

「そっか……」


 予想していたのなら動揺することもない。どうだ、とドヤ顔をすれば吹き出された。変顔したつもりはないんですけど!?

 くくく、と笑い続ける由良くんにむむむっとしていると、ふと何か違和感を覚えた。……なんだ?


「由良くん、なんかいつもと違う?」

「そりゃ制服じゃねぇしな」

「そういうことじゃなくて……うーん? 気のせいかな」


 なんかこう、何かが違う気がするんだけどな……。

 首をかしげていれば、由良くんはああ、と何かに気づいた顔をした。


「これじゃね?」


 耳を見せるように頭を傾けて、指を差す。……これ? ピアス?


「あっ、いつもと違うやつか!」


 由良くんが今つけているピアスは金色の、十字架っぽいデザインのものだった。一見花のようにも見えるが、たぶん十字架、かなぁ? そのシルエットに沿うように十字に配置されているストーンが、日に当たってきらきらしている。

 かなり目立っているが、普段学校では、ピアスしてるなぁ、くらいの印象だった。どんなだったっけ、と思い出してみれば、銀の小さなリング……だった記憶が。ともかく、普段のピアスとは違うのは確かだった。


「そのピアス、かっこいいね」

「それは褒められてる?」

「疑心暗鬼になりすぎ」

「しーなさんのせーだろ」


 それはごめん、とくすくす笑いながら謝ると、由良くんは仏頂面をした。が、口元が緩みかけていたので、本気でそんな顔をしているわけではないんだろう。

 そうこうしているうちに十時になった。シンプルな黒い腕時計をちらりと確認した由良くんは、「入ろっか?」と小首をかしげた。……不良は腕時計しないと思います。様になってるのが逆に残念。


 中央図書館は、市内の図書館では一番利用者が多い。けれどさすがに開館直後だからか、それほど人はいなかった。

 目立たなそうなテーブルを探して、向かい合わせに二人で座る。そしてトートバッグに入れてきた宿題を取り出して開いたら、「は!?」と由良くんが小さな驚き声を上げた。


「えっ、しーなさん、それもう終わりかけじゃね……?」

「私、宿題は夏休み始まって一週間以内に終わらせる派だから」


 といってもそれは優等生になってから決めたことなので、これがその初めての夏休みだ。中学までは最終日ぎりぎりに終わらせていた。


「やば。もしかして図書館での勉強、今日が最初で最後?」

「うん? いや、由良くんの宿題終わるまでやるつもりだったけど」


 ? という顔で由良くんが首をかしげる。私も同じ方向に首をかしげた。


「オレが宿題やってる間、しーなさん何やんの?」

「何って……今までの総復習と課題テストの勉強とこれからの予習?」


 うっわぁ、とドン引きされた。その反応は薄々わかっていたので、はは、と苦笑しておく。

 夏休みだからって、優等生をサボれるわけがない。千里も道も一歩から、だし、優等生は一日にしてならず、なのだ。どっちも同じ意味だから『だし』で繋げた意味はないけど。

 シャーペンを無駄にころころさせながら、由良くんが頬杖をつく。


「しーなさん、夏休み勉強しかしねぇつもりかよ」

「え、遊ぶよ。みなちゃんとプール行くし、みなちゃんと猫カフェ行くし、みなちゃんと水族館行くし……あと風香とお祭り行ってくる。安藤あんどう風香ふうかね」

「付け足されなくてもクラスメートの名前くらいわかるって……。一瞬みなちゃ、んっうん、妹ちゃんとしか遊ばねえのかと思った」


 私につられてみなちゃんと言いかけた由良くんが、慌てて呼び直す。律儀に約束を守ってくれてる……。


「にしても猫カフェか……」

「あ、気になるのそこなんだ。写真いっぱい撮ってくるから、見せてあげるね」

「おー、ありがと」


 由良くんは嬉しそうにぱっと笑う。わんこっぽいなぁ、ほんと。

 が、そんなものでごまかされてやったりはしない。

 由良くんがころころ転がしていたシャーペンを、身を乗り出してがっと止める。


「さて、ここにはなんで来たか覚えてるかな?」


 にっこり笑顔を浮かべれば、由良くんの顔が引きつった。「勉強っす……」と小声で答えて、ちゃんと自分の問題集を開いて解き始める。うん、いい子だいい子だ。

 私といるときにしか勉強しないというのなら、私といるときくらいは勉強に集中してほしい。

 見つめられていると勉強しづらいだろうから、私も自分の勉強を始める。


 足音、子供の声、空調の音、かすかな蝉の声、貸出手続きをする声、近くの棚で本を探す音、楽しげな小さな喋り声、検索用パソコンのキーボードを叩く音――そしてすぐ傍から聞こえてくるのは、シャーペンを走らせ、ページをめくる音。呼吸音。身じろぎをする音。

 静かな空間だからこそ、色々な音がよく聞こえる。

 時折ちらりと視線を上げて確認すれば、由良くんは真面目に宿題をやっていた。一度集中するとちゃんとやりきるのは、以前定期テスト後の課題をやったときにわかっている。


 手を止めて、由良くんに見入る。

 髪型には詳しくないので、由良くんの髪型がなんという名前なのかはわからない。けれど少しだけ長めのその髪は由良くんにすごく似合っていて、顔がいい分、中性的な印象を受ける。ややアシンメトリーな前髪も、その印象に一役買っている気がした。さらさらな髪の毛にさわりたくなってしまって、うずうずする手をこらえた。


 ……こうやって真面目な顔してるとあんまりわかんないけど、笑ったら結構童顔なんだよなぁ。


 その笑顔を見せてしまったら、彼のことを不良と思う人は誰もいなくなるんだろう。いやまあ、今でもたぶんもうほとんどいないんだけど。とにかく、だからか知らないが、教室では私といるときのような笑顔を見たことがない。

 そう考えるとなんだか勝ち誇るような気持ちになると同時に、もったいないなぁ、と思ってしまった。もっと皆、由良くんが可愛いって知ればいいのに。本人に知らせる気がない……というか可愛い自覚がないのが駄目なんだな。


 しばらく観察していると、大きめの瞳とばっちり目が合ってしまった。

 ぱちぱち目を瞬く由良くんに、ごまかし笑いを浮かべてみせる。


「えっ、なに、何見てた!?」


 わずかに顔を赤らめて焦る由良くんに、今度こそ手が伸びるのを我慢できなかった。

 ――が。

 一度、二度。

 由良くんの頭の上で手を動かして、すぐに正気に返る。


「……しーなさん?」


 手の下から、由良くんが上目遣いでこちらを窺ってくる。


「いやっ、えっ、ちが、ちがっ!?」


 ……私は何を!?

 はっと、浮かせていた腰を下ろしてぶんぶん首を振る。人目もある場所で何やってんだ私、ここをどこだと思ってる、図書館だぞ! 勉強しにきたんだぞ!

 あー、顔が熱くなってきた……うっ、はっず、私は何のつもりで由良くんの頭をなでたの? お母さんかよ。それとも由良くんのこと小動物として認識しちゃった?

 周りの人からの視線を痛く感じるが、きっとこれは自意識過剰だろう。そうにちがいない。そうじゃないと恥ずすぎる。


「ちょ、っと、外で飲み物買ってくるね」


 財布だけ持って、さささっと撤退する。確か図書館を出てすぐ右のところに、自販機があったはずだ。飲み物は持ってきているけどお茶だから、甘い飲み物でも買おう。たぶん糖分が足りてなかったんだ。

 由良くんは呼び止めるような仕草はしたが、図書館だから大声を出そうとはしなかったらしい。そのまま追いかけてもこなかったので、私は一人のろのろと出口へ向かった。


 ……学校じゃないからって気が緩んだかなぁ。

 自販機に小銭を放り込みながら、ため息をつく。

 付き合ってもいない男子の頭をなでる。完全アウト。せっかく相合い傘のときは耐えたっていうのに。そういう意図がなかったとしても……いやそもそもそういう意図ってどういう意図だよ。駄目だ、まだ頭が混乱してる。


 飲み物を決めるのさえ面倒だったので、どれにしようかな、をやっていったら、無糖の缶コーヒーが当たってしまった。糖分求めにきたのにマジか……いや、むしろ頭がすっきりしていい?

 とりあえずそれを買って、その場で一気飲みをする。本がある場所に缶の飲み物なんて持って行けない。

 苦みに顔をしかめて、飲み終わった缶をゴミ箱に放り込む。カッラン、と間抜けな音がした。

 ちょっとぼんやりしてから戻ろうとも思ったが、帽子まで置いてきたせいでかなり日差しがきつかった。頭を冷やそうにも物理的に熱せられたら無理だ。おとなしく戻ろ……。


「あ、おかえり」

「……ただいま」

「あれ、飲み物買いにいったんじゃねーの?」


 私が何も持って帰らなかったことに目ざとく気づかれた。缶だったから飲んできたのだと言うと、「ふーん」とうなずかれる。

 ……その顔がまだちょっと赤いのを見て、あーやってしまった、と思う。たぶん由良くんのことだからそんな気にしてはいないだろうけど、もしかしたら今日一日気まずくなってしまうかもしれない。やらかしたなぁ……。

 これくらいで照れないでよ、と思うのはめちゃくちゃ身勝手な思いなわけで。そんなのは早々に頭から追い出した。

 追い出した、が。……もしかしてこれ、さっきのことについてなんかふれたほうが、気まずくないんじゃない?


「……由良くんの髪、めっちゃさらさらだね。羨ましい」

「っはい!?」


 あ、素っぽい反応出た。目をまん丸にして叫びつつも、ちゃんと声を潜めているところが偉い。


「シャンプーとかトリートメント、何使ってるの?」

「え、わっかんねえ……家にあるの使ってる。今度見てこよっか?」


 そこまでしなくていいよ、と笑いながら答えれば、由良くんはあからさまにほっとした。そこまでしなくていいと言われたからではなく、おそらく私が普通に笑ったからだろう。うん、この選択は合ってたみたいだな。


 それきり黙って、また二人で勉強を始める。私は数学の課題があと一ページのところまできていた。終わったら間違えた問題復習しよっと。

 課題は効率性重視で、学校でやるとき以外は左手で書いている。そのせいで、数学のように左から右へ字を書く教科だと手が黒くなってしまう。

 ノンストップで課題をやり終え、丸付けをする前に汚れた手の黒さを確認していると、視線を感じた。顔を上げる、と由良くんと目が合う。しかも、こちらに手を伸ばしかけている状態の。

 一瞬、二人して固まってしまった、


「……さっきの仕返し?」


 戸惑ってそう言えば、由良くんの顔がぽぽっと染まる。即座に手を引っ込めた由良くんは、さっきよりもよっぽど赤くなっていた。


「そ、そーゆうんじゃなくてっ、う、うん? わっかんねぇ……」

「いやまあ、さわるなとは言わないよ? 私はさわっちゃったわけだしね、さりたいならさわるがいいさ!」

「……あんだよその口調」


 何って照れ隠しですけど。言いませんが。


「私もなんでさわっちゃったかわかんないし、そういうことあるよね……あるよね?」

「うん、ある……ある……よな?」

「よしじゃあそういうことで課題やろう」


 そういうことになった。これ以上騒いで、図書館の他の利用者に迷惑をかけるわけにもいかない。今までの会話はすべて小声でやってきたが、それでもちょっとは目立ってしまっているだろう。

 その後はほぼ一言も話さず、勉強に集中した。おかげでかなりはかどった……と言いたいところだが、また変なことをしてしまわないように気を張り詰めていたので、進捗の割に疲れが激しい。

 十二時過ぎに図書館を出て、そのまま別れた。


 そして家に着くと、みなちゃんが待ち構えていた。


「まな、おかえり! 勉強進んだ?」

「ただいま、結構進んだよ」


 手洗いをしながら答えると、よかったね、とにこにこ笑顔で言われた。可愛い、癒される……。

 みなちゃんはお昼を食べるのを待っていてくれたようで、二人分のオムライスをささっと作ってくれた。両親は共働きなので、平日のこの時間は基本いない。


「由良くんとは今日、どんなお話したの?」

「どんなっていっても……勉強しにいったんだから、あんまり話してないよ?」


 二人でオムライスを食べていると、みなちゃんがそんなふうに尋ねてきた。ぱくり、と口にオムライスを運びながら答える。

 みなちゃんのオムライスは、卵がとろとろでとってもおいしい。上に描いてくれたハート型のケチャップをなるべく崩さないようにしながら食べ進める。


「……可愛いとか言われた?」

「うん? 言われたよ」

「わあ、よかったね! まな、制服姿も可愛いけど、今日は私服だったもんねー! 可愛くて当然です、ふふ」

「あはは……。まあでも、前にも可愛いって言ってくれたことはあったからなー。そんなに私服は関係ないかも」


 みなちゃんの笑顔が一瞬固まった気がした。しかしすぐにまたにこにこ自然な笑顔になったので、気のせいかな、と結論づける。


「……由良くんは見る目あるよね、ほんとに!」

「みなちゃんに似てるんだから、私も可愛くなきゃね」

「もー、私が妹なんだから、私がまなに似てるんだよ!」


 むくれるみなちゃんが今日も可愛い。

 けれどいつも綺麗な食べ方をする彼女にしては珍しく、オムライスの一部がぐしゃりとスプーンで潰されていた。会話に夢中になっちゃったかな……?

 私の視線に気づいて、みなちゃんは慌てたように「わわ、潰れちゃった」と眉を下げる。


「やっぱり食事中は、静かに食べないと駄目だね……!」

「だねー。でもみなちゃん、いつもはおしゃべりしててもすごい綺麗な食べ方なのに」

「オムライスって、食べるの簡単でしょう? だから、つい」


 えへ、と恥ずかしそうに笑うみなちゃんに、確かに、と納得する。オムライスはスプーンだけだもんな……油断してしまってもしょうがないだろう。それに、いつもの食べ方が綺麗すぎるだけだし、もう少しくらい普通に食べたっていいと思うのだ。

 みなちゃんはそういうところまで完璧なんだよな、と思うと、やっぱりちょっと自分が情けなくなった。




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