10. 愛犬家なエセ不良はとても可愛い

 七月ももう三分の一が過ぎ去った。うちの高校は十五日から……つまりは今週の土曜から夏休みなので、学校中にそわそわした空気が流れている、気がする。

 今日も今日とて講義室Eで由良くんに字を教わっていたのだが、ぴろん、と私のスマホが鳴った。「ちょっとごめん」と断って画面を確認すれば、ヒデからのメッセージだった。


『どうしよ』

『マナ、ちょっと相談乗って、、、』


 なんだなんだ。またたぶん面倒くさい、なおかつしょうもない相談なんだろうな、というのは経験則でわかるものの、無視するわけにもいかない。とはいえ今は教えてもらってた最中だし……。スマホで時刻を見れば、17:32。あと三十分弱、か……うーん、キリもまあまあいいところなんだよなぁ。

 既読はつけないまま、由良くんにちらりと視線を向ける。


「ごめんね、今日これで終わりにしてもらっちゃってもいい?」

「うん? いーよ、なんか用事入った?」

「用事っていうか、相談事? あるみたいで」


 スマホに目を落とすと、『ゆうねが』『あ、彼女なんだけど』『ゆうねがなんか、俺の幼馴染が女子だって知って、落ち込んじゃって』『どうしたらいいかな、、、』とみるみるうちに通知がたまっていく。

 ……いや、どうしたらいいって。それをなぜ私に訊くの? アホなの? 彼女さん……ゆうねさん、漢字どう書くんだろ、とにかくゆうねさんが落ち込んでる原因が私たち幼馴染なら、私に連絡取るのって悪手じゃない? 考えなしなの?


 知らず知らずのうちに眉間に皺が寄っていたらしく、由良くんが「だいじょーぶか?」と心配そうに訊いてきてくれた。


「なんか深刻な感じ?」

「や、ただのアホなやつ。あー、アホだ、アホだ……」


 落ち込んでるってことは、この前三人でお昼を食べたのもゆうねさんはたぶん知ってるってことだろう。そりゃあ説明もなしに彼氏が女子二人とランチしてたとか、幼馴染だとしても気分良くないよな……。ヒデが悪い。最低。

 ため息とともにトーク画面を開けば、既読がついたのをすぐに察して『!!』『マナ様!』なんて言ってくる。


「誰から?」

「幼馴染」

「幼馴染って実在すんだ……」


 なんかよくわからない感心をしている由良くんは置いといて、返信を打つ。


『アホかよ』

『なんで私に相談すんの?』

『ゆうねさんが落ち込んでる原因に、ゆうねさん本人に弁解する前に相談するって何?』


 おそらくゆうねさんが落ち込んだことに動揺して、ろくな説明をしていないだろう、と思って送れば、案の定だった。『あ』じゃねーよ……。

 眉間の皺を指で広げる。うん、落ち着こう。ヒデは女心がわからない奴なのだ。彼女を作ったからにはわかるようになっていてほしかった。

 とにかく、もう私はこの相談に乗るしかないだろう。ないだろう、といっても、いい解決策なんて思いつかないんだけど。


『とりあえず、夏休みにゆうねさん含めて会おう』

『私とみなちゃんから、まったく、まっっったく心配しなくていいって伝えるから』

『なんなら私も彼氏いることにするし。だったらゆうねさんも安心でしょ』


 みなちゃんには元々彼氏がいるから、嘘をつく必要もないだろう。私もできれば嘘つきたくないんだよな……優等生は嘘つかない……。

 しかし、自分の優等生としてのプライドと、幼馴染の彼女さんの心の平穏だったら、後者を取らなくてはいけないだろう。ゆうねさん何っにも悪くないしな。


『まじで!!!!!』

『ありがと!!!!!』


『びっくりマーク連打うざい』


『ごめん!!!!!』


 だからうざいって言ってるだろ……本気で言ってるわけじゃないけどさぁ。全部同じ数ってところから、予測変換からそのまま打ってるのがわかるのがむかっとする。


『ところでゆうねさんって漢字でどう書くの』


 訊けば、結音、との返答。可愛い。見せてもらった写真どおりの、文学少女っぽさを感じる。

 しかし結音さん、ほんっとかわいそう……。ヒデなんかを好きになっちゃうと大変だな。

 じゃあ夏休みよろしくな!!!!! というメッセージに適当なスタンプを押して、アプリを閉じてスマホもロックする。


「終わりました」

「え、早くね?」

「内容が内容だったしなぁ」


 そっか、とだけ言って、その内容を訊いてきたりはしない。ヒデだったら絶対訊いてるだろう。由良くんを見習ってほしいよ、ほんと。

 ……さて、想定より早く終わったはいいが、もう教えてもらうほどの時間もない。「帰ろうか」と筆記用具などを片付け始めたとき、コンコン、とノックの音がした。そんなことは今までなかったので、二人して思いっきりびくっとしてしまう。


「ど、どうぞ!」


 なんとか返せば、ドアを開いたのは担任の先生だった。


「おー、もう帰るとこか? 今日もお疲れ、偉いぞ由良。椎名もありがとなー」


 にこやかな先生に、はあ、と曖昧にうなずく。ぬ、抜き打ち審査的なのやめてください。びびるわ。もう片付け始めてるところでよかった……。

 どうしてここに来たのか、と訊くのははばかられて、戸惑いがちに視線を向ければ、にっと笑われる。


「椎名がほぼ毎日由良の勉強見てくれてるからなー、どんな感じなのか見にきた。と、もう一個、椎名に頼みたいことがあるんだ」


 えっ、なんでしょう。なんか嫌な予感。


「なあ由良、お前夏休みの宿題やる気あるか?」

「……ねぇっす」

「ってわけだ椎名、由良に宿題やらせてくれ。数学と英語は課題確認テストもあるから、な? 頼む」

「………………あっ、はい」


 それ以外に何と言えただろうか。「やってくれるか! やー、ありがとうな! ほんと助かる!」と嬉しそうに言い残して去っていく先生を見送り、黙り込む。

 ……なぜ? なんで? なんで私に頼む? 夏休みもって。え?

 由良くんが「しーなさん……」と気遣わしげに名前を呼んでくる。その瞬間、抑えていたものが爆発した。


「なんっなの!? なんで夏休みまで由良くんの宿題見なきゃなわけ!? 別にいいけど、先生どんだけ他力本願なの!?」


 ここで叫んだところで、どうせもう聞こえない位置まで行っているだろう。遠慮なく叫んだ私を、由良くんは呆れたように見てくる。


「しーなさんが断ればいいだけじゃん。つーか断らないにしても、実行する必要ねぇだろ」

「それで由良くんが何か一つでも宿題忘れたら私の責任じゃん! っていうか由良くん、私が断れないことはわかってるでしょ!?」

「そりゃわかってっけどさぁ……」

「頼まれたこと達成できないとか優等生として駄目なので、由良くん、それもわかってるよね?」


 じーっと睨みつけるように見つめるが、由良くんはうなずいてはくれなかった。難しい顔で黙って、それから口を開く。


「オレも夏休みの宿題やってくとか、不良としてダメなんだけど」


 ……それを言われてしまうとつらいものがある。由良くんには優等生としての私を随分尊重してもらっているし、私も尊重しないわけにはいかない。

 うー、いやでも、頼まれちゃったし、はいって言っちゃったし……どうしよう……。

 困る私を見て、由良くんはしょうがねーなぁ、とでも言いたげな顔でふっと笑った。


「けどまあ、優等生さんにそこまで必死に言われちゃーな? 夏休み、オレはしーなさんと一緒にいるときだけ宿題するってことでどうよ?」


 つまりはいないときには一切しないと。……うーん、うん、うん、折衷案としては十分なくらいだ。それでいこう。同じ市の中学出身なのだから、というか最寄り駅が一駅しか違わないので家も割と近いだろうし、夏休み中も会いやすいはずだ。


「えー、じゃあどうするか。中央図書館とか、しーなさん近い?」

「んー、自転車で十五分くらいかな。由良くんは?」

「オレもそんくらい」


 なら中央図書館で宿題するか、となったところで、二人揃ってはたと気づく。……私たち、友達になってほぼ一ヶ月経つっていうのに、連絡先交換してないな?

 うなずき合ってスマホを持ち、QRコードで連絡先を交換する。どうせクラスグループからも辿れるから、今こうして登録する必要もないんだけど。


「今更だったね……」

「だな……気づいてなかったわ」

「うん。もともと私、こういう文章で話す系苦手だし、事務連絡とかにしか使わないんだよねぇ」

「わかる、めんどいよな」


 おお、わかってくれるか。さすが由良くんだ。


「じゃああんま話しかけねぇほうがいい感じ?」


 同意してくれたのは何だったのか、そんなことを訊いてくる由良くん。話しかけてくれる気満々か? ほぼ毎日会ってるんだから、アプリで話す話題なんてほぼ残ってないと思うんだけど。

 しかし断る理由もないので、「話しかけられれば返事するよ」と返す。自分から話しかけるのが苦手なだけだから、話しかけてくれるのならちゃんと対応できる。


「あ、でも、毎日はやめてね? ほら、さっき言った幼馴染……ヒデって呼んでるんだけど、ヒデが一時期毎日メッセージ送ってきてさー、めちゃくちゃ面倒臭かったんだ。由良くんならそういうことしないとは思うけど」


 あれは高校に上がる直前、ヒデがスマホデビューした頃だった。

 中二のときにはもうスマホだった私とみなちゃんを羨んでいたヒデは、やっとスマホを買ってもらえたのが嬉しかったのか何なのか、毎日毎日どうでもいいメッセージを送ってきたのだ。あのときはいっそブロックしようかと思った……。さすがにそんなひどいことはしなかったけど、私が一週間で耐えきれなくなってやめてもらった。


「……ヒデ?」


 怪訝そうに首をかしげた由良くんは、そのまま数秒黙った。どんどん微妙な顔になっていくんだけど、どうしたんだ。


「……女子にしては、珍しーあだ名だな?」

「え、男子だよ。英明だからヒデ」

「男子かぁ」

「うん、男子」


 幼馴染の性別なんてそんな大事かな、と思ったが、そういえば由良くんは結構少女漫画を読む人なんだった。だとしたら、少女漫画みたいな幼馴染を想像しているのかもしれないなぁ。その幻想は打ち砕いておきたい。


「幼馴染って言っても、ただの腐れ縁だからね?」

「……ふーん」


 その反応は何なんだろう……。

 ところで、と話題を変える。


「由良くん、犬飼ってるの?」


 連絡先を交換するときに見た由良くんのアイコンは、黒のトイプードルだった。めちゃくちゃ可愛いが、さすがに突っ込まなきゃいけないだろう。不良が愛犬家丸出しにしちゃ、それこそ駄目でしょ。

 そう言うつもりだったのに、ぱあっと顔を輝かせた由良くんに、つい口を閉ざしてしまった。


「可愛いだろ!?」


 自慢げに言った由良くんは、素早い動作でスマホのカメラロールを見せてくれた。びっくりするくらい画面が黒い。つまりはトイプードルちゃん……くん? の写真ばかりだった。

 緩みきった顔で「コレ一番気に入ってるやつ」と画面を指差す由良くん。穏やかな顔をしたトイプードルが、たんぽぽの傍でお座りしている写真だ。

 ……トイプードルも可愛いんだけど、何より今ここにいる由良くんが可愛いんだよな。何を狙ってるんですかね。私はどこまで突っ込んでいいの? これ突っ込んじゃ駄目なやつ?


「うん、可愛いね……」


 なんとかそう絞り出す。


「だっろ!」


 ご機嫌な由良くんに、生温かい笑顔を向けた。私、もう突っ込みません。

 トイプードルは女の子で、モコという名前らしい。「もっこもこだろ」とにこにこ笑う由良くんは、金髪・ピアス・着崩した制服という要素があるのに、まるでちっちゃい子を見ているような感覚に陥った。はぁぁ、このエセ不良め!

 ともあれ、モコちゃんのおかげで由良くんの様子はすっかり元通りになった。さっきの反応は何だったんだろう、と気にならなくもないが、今の由良くんが可愛いので、ほじくり返すような真似をする気にもならない。


「ちなみに由良くん、モコちゃんのことなんて呼んでるの?」

「ん? モコとかモコちゃんとか、色々」

「その色々の部分が知りたいなー?」


 ぐっと困ったように由良くんは言葉に詰まった。それでも待ち続けていれば、小声で答えてくれる。


「……モコさんとか、モコモコとか、モコたんとか、モコたまとか……」

「可愛い」

「そう、モコ可愛いんだよ」


 思わず出てしまった『可愛い』を、由良くんは違う意味で捉えたらしい。いや、違くもないけどね? おそらくキモいとか言われなくてよかった、とほっとしているのだろう由良くんには、説明しないでおいた。

 写真のモコちゃんを見つめて、この子をモコモコって呼ぶ由良くんかぁ、と想像する。絶対満面の笑みなんだろうな。モコモコー、と呼びながらしゃがんで、頭なでて、顔こすりつけて……不良っぽさはまったくといっていいほどなかった。皆無。ゼロ。

 ただの想像だが、きっとそう外れてはいないだろう。


 今度実際のモコちゃんに会ってみたいな、とちらっと思った。そんな機会は訪れないだろうけど、会いたいなーと思っていれば万が一の可能性でも会えるかもしれない。由良くんの家族がモコちゃん散歩してるとこに出くわすとか? ……いやそれ、家族の顔知らないと無理だな。


 結局この後、モコちゃんの話を最終下校時刻ぎりぎりまで聞いていたのだった。

 きらきらした顔で語る由良くんが大変可愛かったと言っておきたい。もう不良やめようよ。それは言わないけど。




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