07. エセ優等生は画力も壊滅的

 日曜日、私は久しぶりに幼馴染の時川ときがわ英明ひであき――ヒデと会っていた。みなちゃんも合わせて三人で、近所のファミレスでご飯を食べている。三人とも学校が別々なので、時々家の近くですれ違うことはあっても、三人で会うのは高校生になってから初めてだった。


「たまに会うたび思ってたんだけど、マナ、なんでダテメなんてかけてたの? 髪まで切ってるし」


 メロンソーダを飲みながらヒデが不思議そうに訊いてきたので、ぎくっとしてしまう。……今日はわざわざ眼鏡をかけないで来たっていうのに、意味がなかった。それとも、普段すれ違うとき、何も突っ込まれないように早足で「じゃ!」と逃げてたのがあだとなったか。

 私の隣に座っているみなちゃんが、「まなは眼鏡かけてても可愛いでしょー?」とにこにこと言う。


「今の髪型、まなにめちゃくちゃ似合ってるよ! 眼鏡は、まなだったら赤いのとかも似合いそうだよね。他の眼鏡は買わないの? 私、まなの眼鏡選びたいなー!」

「あー、私もみなちゃんに選んではもらいたいけど、学校にはあれでいいかな。気に入ってるし」


 赤い眼鏡はいかにもファッション、という感じがして、優等生としてはちょっと避けたい。でもまあ、みなちゃんと出かけるときとかにはかけてもいいかな。どうせ学校の人に会ったりはしないだろうし。


「確かに似合ってたよな、あれ。マナが選んだにしてはセンスいいじゃん?」

「私だってたまにはいいもの選べるんですぅ」


 わいわいしながら食べるのが楽しい。あー、実家って感じだ。この三人で会うのすごく好きなんだけど、なぜか私が誘わないとこのメンツでは会えないんだよなぁ。みなちゃんもヒデも、私しか誘わないか、もっと大人数で、という話になってしまう。三人で会いたいなら私が予定を立てるしかないのだ。

 ハンバーグを食べながら、そういえば由良くんもハンバーグ好きって言ってたな、なんてぼんやり考える。由良くん、お子様ランチにテンション上げそうなイメージを勝手に持ってるんだけど、それはさすがに失礼だろうか。

 ごめんねー、と心の中で由良くんに謝っていると、ヒデから衝撃発言が飛び出してきた。


「実は俺、彼女できたんだよね」


 ドヤ顔で放たれた言葉に、みなちゃんと二人して「えええー!?」と叫ぶ。一気に思考が引き戻された。

 え、彼女。ヒデに彼女? うわ、どんな物好き? いや、性格はいいけど、ちょっとデリカシーないし、アホだし、雰囲気イケメンなんだよな。……雰囲気イケメンは違うか。顔はそれなりにいいけど、中身の残念さが漏れ出てるとでも言うのかな。

 というか早くないか。まだ七月なんだけど。高校の子じゃなく、元からの知り合いとか?


「一目惚れして猛アタックかけました!」


 ぐっ、とサムズアップするヒデに、うわぁ、と顔をしかめる。


「彼女さんかわいそ……」

「え、なんだよその反応。そこは俺に、頑張ったねー、って言うとこだろ! いや、ほんっと可愛いから、見て見て、今日はもう自慢しまくりたくってさ~」


 緩みきった顔で、ヒデがスマホをこちらに向けてくる。そこに映っている女の子は、文学少女、という印象の大人しい見た目の美少女だった。わ、可愛い。困ったようにはにかむその表情からは、写真に慣れていないことが窺える。

 思わずヒデと彼女さんを見比べてしまう。ヒデのにやにや顔がキモい。


「……やっぱ彼女さんかわいそ」

「なんでだよー!」


 猛アタックされたら、こんな子は押し切られちゃうよな……。無理やりじゃないことを願うしかないが、果たして真相はどうなのか。

 ヒデに冷ややかな目を向ける私を、みなちゃんが「まあまあ」となだめる。


「幼馴染に彼女ができたことを素直にお祝いしようよ、まな。ということでヒデ、今日私たちの分おごってくれない?」

「お祝いしてくれるんじゃないのか!? なんで俺がおごらされるの……!? っていうかみなか、一気に機嫌良くなったな!?」

「当然でしょう、だって、ねー? 嬉しいよね、まな」

「そりゃあそうだよ。おめでと、ヒデ」


 笑顔のみなちゃんが「おめでとう」と続き、ヒデは微妙な顔で一瞬黙った後、「ありがと……」とどこか疲れたように言った。……今のやりとりに疲れるような要素あったか?


「うんうん、これでもう安心だな~」


 ふふふ、とご機嫌そうに笑うみなちゃんに、ヒデは呆れ声を出す


「お前は警戒しすぎだったんだよ」

「警戒? 私はただ、幼馴染に彼女ができてほっとしてるだけだよ」

「……よく言うよなぁ」


 けっという顔をするヒデに対し、みなちゃんは変わらず満面の笑みだ。

 この二人、仲悪くはない、というか普通に仲いいはずなんだけど、たまーに会話にトゲが混ざるんだよな……。みなちゃんがこんな態度を取るのはヒデに対してだけだから、こういうところを見るとちょっと微笑ましくなる。みなちゃんにも気楽に言い合える相手がいるというのはいいことだ。

 にしても警戒って何の話だろう。ヒデに警戒するようなことなんかあったっけなぁ、と考えつつも、とりあえずもぐもぐハンバーグを食べ進める。会話の間にちょっと冷めてしまっているが、チーズインなので私にはこれくらいがいい。こういうの食べるときってほぼ毎回舌やけどするんだ。


「マナは相変わらずだよな」

「可愛いでしょ?」


 胸を張るみなちゃんのほうが可愛い、がヒデ、相変わらずって何だ。褒めてないのだけはわかるぞ。……まあ、彼女ができたのはおめでたいし、今日のところは見逃そう。


「みなかはまだ続いてるんだろ? マナはなんかないの……ってふーん、あったんだ」


 食べていたせいで耳から耳へ流しかけていたくらいなのに、いきなりそんなふうに言われてびびる。何もないし、なんも反応してないんですけど……?

 怪訝そうな顔に気づいたのか、ヒデは「みなかの反応見ればわかる」とからりと笑った。みなちゃんに目をやれば、どことなく悔しそうな表情……うん。こういうのがあるから、二人は仲いいんだなぁと思うのだ。


「いや、でもほんとなんもないけど……?」


 首をかしげると、ヒデは「あー」と納得した声を上げた。


「なるほど、そういう。みなかがまた勝手に警戒してるだけな」

「こ、今回は勝手にじゃないよ! だってまなったら、放課後ほぼ毎日、男子と二人で勉強会してるんだよ!?」

「由良くんとは友達だし、絶対何も起きないよ?」

「……どうかなぁ」


 怪しむみなちゃんは、普段はそうでもないのに、私が関することになると途端にとても心配症になる。嬉しいけど、そんなに心配してると気が休まらないんじゃないかと逆に心配だ。


「由良? って奴とは仲いいの?」

「んー、もしかしたら高校で一番仲いいレベルかな」


 風香とも仲はいいけど、由良くんはなんというか、私と同類だから。素を見せているイコール仲良しというわけでもないが、楽に楽しく話せるのは由良くんとだった。


「お、マナがそう言うってことはめっちゃ仲いいんだな。夏休みとかでいいから、一回くらい会ってみたい」

「なら私も会いたい!」


 ヒデの発言にみなちゃんが食いつく。……それ、由良くんめっちゃアウェーにならない? せめてどっちか一人と……あ、そっか、別に四人で会う必要もないな。うん、みなちゃんとヒデには別々に会ってもらおう。そのほうが由良くんも気が楽なはずだ。

 そう伝えると、みなちゃんとヒデは揃って苦笑いした。えっ、なに?


「マナがこうだし、やっぱお前の警戒ムダなんじゃない?」

「……警戒するに越したことはないんだよ。いいの、このままで。違う学校だから、警戒するにも限度があるしね」


 由良くんを警戒するのはムダじゃないかな……。あんな無害の塊みたいないい子、なかなかいないだろう。

 そう思ったが、口には出さないでおいた。私が言ったってみなちゃんは納得してくれないだろうし。私に関することではなーんか頑固なんだよなぁ、みなちゃん。そういうところも好きだけど。

 とりあえず、「心配してくれてありがとう」とお礼を言うと、二人に微笑ましいものを見るような目で見られた。

 ……あっ、今気づいた。こういう目、二人にはよくされてたけど、今は私が由良くんによくしてる。やっぱ同類なんだなぁ私たち。こんな感じで思い知らされるのはなんかちょっと複雑だ。


「あーでもどうせ俺、そっちの高校の文化祭行くつもりだし、そんときでもいいかも」

「そっか、確かに。それなら彼女さんも連れてきてよ」


 そうお願いすると、ヒデは「予定が合ったらな」とうなずいてくれた。


     * * *


 約束通り、火曜日は美術部の見学に行くことになった。

 由良くんから先輩や顧問の先生には話が通っているらしく、六時間目が終わった後すぐ、由良くんと一緒に美術室に向かった。この時間帯は廊下が人であふれているので、私と由良くんが近くにいたって特におかしく思われることはない……はずだ。けれど念のため、由良くんとの距離は二メートルくらいは空けておく。講義室Eに行くときもいつもこんな感じだ。


 私は芸術の授業は音楽選択なので、美術室は場所さえ把握していなかった。南校舎一階の端、二教室分よりも広く思えるようなスペースに、美術室はあった。

 ちわーっす、と言いながら入っていく由良くんに続き、「失礼します」とおそるおそる入る。

 しかし、中には誰もいなかった。


「あれ、由良くん、私が見学するってこと伝えてくれてたんだよね?」


 顧問の先生はあまり顔を出さないと聞いてはいたが、真面目だという先輩は活動日には毎日いるという話だった。

 広い教室を見渡して首をかしげれば、由良くんはあっ、という顔をする。


「あー、そっちはしてたけど、悪りぃ、しーなさんに言い忘れてたわ。今日OBの先輩来るみてぇで、まこと先輩……この前言ったマジメな先輩だけど、その人駅まで迎えにいくんだってさ」

「え、わざわざ?」

「そ、わざわざ」


 ……OBの先輩が極度の方向音痴で、毎回案内しないとここまで辿り着けないとか? いや、OBってことは三年間この学校通ったってことだし、さすがにそれはないよな。

 ちょっと眉を寄せて考える私に、由良くんが笑う。


「付き合ってんだよ、先輩たち。で、二人だけで話す時間長くしてーから、オレがいる火曜日は毎回真先輩が迎えにいってんの」

「うわー、仲良しカップルなんだ。っていうか毎回って……OBの人、そんな頻繁に来るの?」

「オレでも二週に一回は会ってっかなー」


 毎週火曜日にしか部活に参加しない由良くんでも、二週間に一回会えるのか。OBさん(女性ならOGが正しいのだろうけど、OBのほうがなんとなく言いやすいのでこっちの言い方をする)、めちゃくちゃ来てるじゃん。彼氏さんに会いにきてるってことなんだろうか。らぶらぶだな……。


 美術室のテーブルは大きくて、下に背もたれなしの四角い椅子が収納されていた。

 由良くんがそれを出して座ったので、私も真似して隣の椅子を出して座る。


「ゆっくり歩くとして、ここまで往復四十分くらいだよね? 由良くんはそれまで絵描かないの?」

「描きてぇけど、オレのことだけ見ててもしーなさんつまんなくね? あ、絵しりとりとかやるか」

「やらないよ!? 無理だよ! 私の画力は私の初期の字と同じ程度と思っていい」

「え、マジかよ……」


 そこで引いた顔すんな、傷つくだろ。さすがに字よりはマシだよ。

 しかし絵しりとりとは、かわいらしい提案だな……。由良くんが絵しりとりでどんな絵を描くかはちょっと気になる。乗ってみてもよかったかもしれない。


「そこまでゆわれっと気になんだけど、じゃありんごだったらどう描く?」

「あ、馬鹿にしてるな! りんごはさすがにそんな画力いらないじゃん、ちょっと待って」


 乗りやすかったので乗ってしまった。

 やる気になった私に、「画力いらねぇ……?」と由良くんは何か言いたげな顔をする。……えっ、りんごって画力いるの? ちょっと待ってと言ってしまった手前、描かないわけにもいかないんだけど。

 不安になりながらルーズリーフとシャーペンを出して、さっとりんごを描く。丸に短い棒を突き刺せばりんごに見えるはずだ。

 じっと私の描いたりんごを見つめ、そして目を瞬く由良くん。


「……せめて葉っぱ描かねぇ? これじゃアレ、電源ボタンじゃん……」

「あれっ、りんごに見えない!? 結構自信あったんだけど」

「えっ、マジで言ってる? ちょ、こっから絵しりとりしよーぜ」


 了承の言葉も待たずに右に矢印を書いた由良くんは、さらさらとペンを動かす。


「……リス!? すごい、リスだ!? うま……」

「しーなさん、次なんか描いてみて」

「っていうかりんごから始めたなら次はごなんじゃない?」


 あ、という表情で由良くんが黙る。……私のりんごがあまりに下手すぎてスルーしちゃったってところだろうか。申し訳なさそうにする由良くんがかわいそうだったので、そのまま続けることにする。


「まあいいよ、す? すかぁ……じゃあスリッパ」

「絵しりとりって何描いたか言っちゃダメだかんな?」


 そんなルールがあったのか、やったことないから知らなかった。つ、次からは言わないということで。

 スリッパスリッパ、えっと、楕円二つ描いて線引けばいいかな。矢印を書いて、その横にスリッパを描くと、隣の由良くんが眉根を寄せ、そのまま無言でパンダを描き始めた。笹まで描いてる、上手い。

 しかし、「だ」、「だ」か、私にも描けるものとなるとなんだろ。だ、だ、だ……。あっ、団子! 団子なら三つ丸描いて間に線引けばいいよね。


「……団子?」

「あ、わかった? まあわかるよね」

「……さっきからしーなさん、丸と棒しか描いてなくね?」

「丸と棒組み合わせて描けるものしか描けないよ?」


 困った顔をされた。いや、私最初に画力ないって言ったじゃん……。

 そっと矢印とゴリラを描いた由良くんは、無言で私に続きを促した。由良くんなに、一人で動物縛りでもやってんの。上手いなゴリラも。私もライオンとかラクダとか描けたらいいんだけど、それは無理だしなぁ。あっ、っていうかライオンはそもそも「ん」じゃん。危ない。

 ら……ラップ。長方形描いたら伝わらないかな。難易度鬼か。……いや、いける?


「………………ラップ?」

「すごっ、わかったの!?」

「うん……」


 由良くんはちょっと考えた後、プードルを描いた。やっぱり動物縛りしてる……ハンデくれてたんだろうなこれ。まったく活かせなくてごめんね?

 る、る、る……。あ、ルーレット。丸の中にいっぱい線引けばいけ、る?


「……………………ルーレット」

「正解……!」


 こんなので伝わるとか由良くんすごい!

 感動していると、疲れた顔をされた。


「……あんな?」


 気まずそうに、由良くんは目を合わせてくる。


「……なんでしょうか」

「これうのはさすがにひでぇかなって思うんだけど」

「不良がそんなこと気にしなくていいよ」

「そっか、うん、だな。美術部誘われてしーなさんめっちゃ困っただろ? 悪りぃ」

「それはなんか別の意味でひどいし心にくるんですけど……」


 私の感動を返してほしい。

 ぶすくれる私に、由良くんは慌てたように続ける。


「や、でも字と同じで絵も上達するかもだし、な? 諦めねぇで入ってくれたら嬉しい……」

「さっきからひどいぞ由良くん!!」

「だからひでぇかなって言っただろ!」

「考えてたベクトルと違ったんだよ!」


 私諦めてるとは一言も言ってないのに! むしろ字よりは希望持ってたわ!

 えー、そんな駄目か……駄目なのか私の絵……。字よりはマシだと思ってたのに。

 とりあえずその後も絵しりとりを続けていたら、四十分くらいあっという間だった。私が描いた車(凸に黒丸を二つつけた)の後に、由良くんがクオリティ高いマントヒヒを描いているとき、ドアががらりと開けられた。


「こんにちはー!」

「よー、大雅。見学の、えっと椎名ちゃんだよな、待たせてごめん」


 入ってきたのは一組の男女だった。いかにも真面目そうな、しかし癖毛にちょっと寝癖が混じっていることから意外とずぼらなんだろうな、とわかる感じの男の人と。

 ……お色気たっぷりなめちゃくちゃ美人な女の人を見て、私の思考は一瞬固まった。


 何この超絶美少女!? この二人がカップルって意外すぎるんだけど!?




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