06. 気が緩んでも仕方ない

「まなかって、由良君と付き合ってるの?」


 風香ちゃんの言葉に、口の中に入っていた卵焼きを吹きそうになった。

 昼休み、私と風香ちゃんは大抵、それぞれの席で一人でお昼を食べている。それが今日は一緒に食べようと言ってきたから、どうしたんだろうなぁとは思っていたけど。……まさかの、そんな話題。

 興味津々に輝く瞳から、ちょっと顔を逸らす。


「付き合ってないよ。ただ、先生に頼まれて放課後勉強教えてるから、それでちょっと仲いいだけ」

「えー、でも……この前相合い傘して帰ってたって聞いたけど?」


 どこから漏れた!? 由良くんも気を遣って、お礼のお菓子は講義室Eに入ってから渡してくれたのに。あの相合い傘の日、誰か知り合いいた……? あっ、昇降口で私たちの会話見てた子いたな!? そこからこう、噂が変化した……のか? 噂って言うか、事実だけども。


 相合い傘で帰ったのはもう一週間ほど前のことだ。今まで特に誰からも突っ込まれなかったから、誰にも見られてなかったんだなと安心してたんだけど……ここにきて風香ちゃんから言われるとは。

 肯定はしたくないが、嘘もつきたくない。ごまかしが咄嗟に思い浮かばなかった時点で、私に残された答えは一つしかなかった。


「それは本当だけど、でもあれは、由良くんの傘がなくなっちゃったから仕方なくだよ。たぶん誰か間違えて持ってちゃったんだと思う」

「だとしても、わざわざまなかが由良君と相合い傘する必要はなくない?」

「一番手っ取り早かったから……」


 もごもご答える私に、風香ちゃんは「ふーん」と意味深な相槌をした。


「仲いいんだねー、なんか意外。確かに由良君、いい人だけど不良っぽいし、まなかとは気が合わなそうなのに」

「風香ちゃんも由良くんのこといい人って思うの?」

「あ、『も』ってことはまなかもなんだ。まー、そうだね。少なくとも、悪い子じゃないのは確かだよね。あんま関わったことはないけど」


 あんまり関わったことがないクラスメイトにばれてるよ、由良くん……。あまりに不良に向いてない。かわいそうになってきた。


「というかまなか、わたしのことは呼び捨てでいいよ」

「えっ、あ、うん……わかった、風香」


 ちゃん付けは優等生っぽい行動の一環だったが、友達にこう言われて呼び捨てにしないのは悪い。……実際、風香ちゃんってめちゃくちゃ呼びづらかったから、風香からこう言い出してくれて助かった。

 でもきっとみなちゃんなら、こういうときでも相手を傷つけないようにちゃん呼びを続けるんだろうな。いや、そもそも、呼び捨てにしてほしい、なんて言われないのかもしれない。そういうタイプの子っているじゃん? 人のことを丁寧に呼ぶのが似合う、可愛い子。


 ――向いてないのは、私も一緒なんだよなぁ。


     * * *


 昼休みにそんな話をしたせいか、由良くんも誰かから私とのことを訊かれていないか、と気になってしまった。……由良くんが迂闊な返答をしていないといいんだけど。

 由良くんから『春夏秋冬』を教えてもらいながら、ついちらりとその顔を窺う。


「冬で注意するのは、春と同じで払いだな。左払いと右払いが大体同じ高さになるよーに。最後の点二つは、下の方が長く、ほんのちょっと縦めにしたほうが安定すっかな……って、なに? ムズそう?」

「あ、いや、そういうわけじゃなくてね」


 私の視線に気づいた由良くんに、慌てて首を振る。


「ごめん、ちょっと違うこと考えてた」

「いっつも集中してくれんのにめずらしーな?」

「そりゃ教えてもらってる立場だし……。今日はちょっと、うーん……うん、気になることがあるんだけど」


 もういいや、訊いてしまおう。


「この前の相合い傘、目撃されてたみたいで、由良くんと付き合ってるのかって訊かれたんだけど、由良くんはそういうふうに誰かから訊かれたりした?」

「んっ!?」

「あ、よかった。何も訊かれてないんならいいんだ。じゃあそう思ったのは風香だけかなぁ? 問題ないか」

「待って待った自己完結すんな」


 シャーペンを置いて、由良くんはちょっと微妙な顔をした。


「……それ、他に誰か言ってた?」

「風香だけだよ。あ、風香ってわかる?」

「しーなさんじゃねぇんだからクラスメイトの名前くらいわかる」

「その前置き必要だった!?」


 私だって男子の名字は覚えたんだからな! フルネームはまったくだから、どうやら女子もフルネームで覚えてるらしい由良くんに自慢はできないけど……。

 むすっとする私に由良くんは笑いながら「ごめん」と軽く謝る。


「んー、オレら友達少ねぇしな……訊かれてねーだけで、その噂広まってる可能性あっかな?」

「うわ、ありそう……」


 エセ優等生とエセ不良には友達が少ないのだ。ほら、優等生も不良もとっつきにくいキャラだから。直接訊いてくれるような人が風香しかいなかっただけかもしれない……。


「いやでも、私たちの噂なんて誰も興味ないよね?」

「とは思う……まー、あんま気にしなくてもよくね? 上の学年までは広がってねぇだろーし」

「上の学年まで広がってたら困るの?」

「……や、よく考えたら困りはしねーな? 別にいいや」


 由良くんが上の学年に知り合いがいるとしたら、部活の先輩だろうか。美術部だっけ。あんまり部員がいるイメージはないし、変な誤解が生まれないくらいに部員と親しいのかもしれない。

 ともかく心配事がなくなったので、『春夏秋冬』に取りかかる。さっきの由良くんの説明を思い出しつつシャーペンを動かしていると、由良くんが口を開いた。


「そーいやしーなさんって部活入ってんの?」

「同好会なら入ってるよー、ESS」

「え、なにそれ?」

「英語で話す同好会。洋楽聞いたり、映画見たりもするよ。活動は月一だけど、行っても行かなくてもいいし、まあゆるーいとこ」


 勉強の時間は確保したいので、本当は帰宅部にしようとも思ったのだが、せっかくの高校生活にそれだともったいないかなぁ、と思ったのだ。ESS同好会は行ったら楽しいし勉強にもなるし、まさに一石二鳥。

 ……ってあれ。

 今更気づいたんだけど、由良くんにほぼ毎日字を教えてもらってるって、もはや部活に入ってるも同然? ESS以外入らなかった意味がなくなってる? ……そ、そうだとしても、まあいいや。勉強をしておきたいのは成績をキープしたいからで、成績をキープしたいのは優等生でありたいからだ。こうして由良くんから字を教えてもらうのも優等生であるための役に立つし、というかむしろ今は勉強より字をなんとかしなくちゃだし、うん。問題ないな。


「へー、なんかカッケーとこ入ってんのな。他に入る気ねーの?」

「同じくらいゆっるいとこなら入ってもいいけど、勉強したいからなぁ。この学校で優等生やるにはめちゃくちゃ勉強しなきゃなんだよね。入るなら陸上部とかがいいんだけど、そうすると疲れて勉強サボっちゃうかもだし、休日大会で削れるだろうし」

「あー、確かに。そこまで考えて優等生頑張ってんの、マジすげぇ。しーなさんって頑張り屋さんだよなー」


 感心したように言う由良くんに、顔をしかめてしまう。だから、キャラ。最近マジで崩れすぎだと思うんですけど。せめてそこは頑張り屋じゃなくて頑張り屋って言うとこだろ。


「……エセ不良」


 ぼそっとつぶやけば、由良くんは自分がどんな発言をしたのか気づいたのか、慌てたように視線を動かす。


「あ、えっと、しーなさんって……えっと……よくそんな頑張るな?」

「うーん、不良として百点満点中五点かな」

「……しーなさんは優等生として百点満点中八十点」

「え、高っ」


 エセ、と言い始めたのは由良くんのほうだから、てっきりもっと低い点数かと思った。ちょっと嬉しい。

 なんでそんな高いの? とうきうきと理由を尋ねれば、うーん、と考え込む由良くん。そしてしばらくして、ゆっくりと語り出した。


「しーなさんはあんま、ムリしてる感じねーから、かな。優等生っぽくはねぇけど、なんつーか、でもなんか優等生っぽいっつーか……うん、優等生向いてんじゃねーの? そもそもなろうと思ってもなれねぇだろ、優等生なんて。いや、なれんのか……? なれねぇよな?」


 首をひねりながら、由良くんは言う。


「でさ、不良はただグレればいいだけなのに、オレはそれもできてねぇくらいだし、だからしーなさんすげぇなーって。元のしーなさんがどんなだったかわかんねぇけど、今みたいになるために、やっぱめちゃくちゃ頑張ったんだろ?」


 ……ぽかんとしてしまう。

 由良くんの言葉は要領を得なくて、正直何が一番言いたいのかはよくわからなかったけど。

 向いてんじゃねーの、と言ってくれたのだけは、かろうじて頭に入ってきた。いや、もしかしたらそれが一番言いたかったこと、なのかもしれない。

 向いている、なんて言われるとは思っていなかった。だってどう考えたって私の性格は、優等生とはほど遠い。由良くんには一番優等生らしくない部分をたくさん見られているのに、それでどうして、そんな感想を抱くことになるんだろう。


「わ、たし……たぶん、優等生には向いてないと思うんだけど」


 声が震えそうになった。視線が下に落ちる。

 そんな私に、由良くんは「え、そーか?」と不思議そうにする。


「優等生になるために頑張れるって、それもう、優等生向いてるっつーことじゃねぇの?」

「優等生は、頑張ってなるようなものじゃないんだよ!」


 優等生だとかそんなことを意識せずに、ただ自然に過ごして。その結果優等生と呼ばれるようになる人が、『優等生』なのだ。……みなちゃんのように。

 私は昔からがさつで、短気で、口も悪くて、勉強もできなくて。

 確かに今は、優等生と呼ばれるようにはなった。けど、それでも私はずっと、『エセ優等生』でしかない。――私は、本当の優等生にはなれない。みなちゃんみたいにはなれない。双子で、どんなに生まれたときは似ていたって。憧れて、そうなろうと努力しても、私は……みなちゃんみたいには、なれないのだ。


「……なるほど」

「な、何がなるほどなの?」


 納得の声に、ちょっとたじろぎながら視線を上げる。


「ん、やー……ううん。だいじょーぶ、しーなさんはすげぇ奴だから」


 ……何が大丈夫なんだよ。訊いたことに答えてくれないと反応に困るんだけど。

 優しく笑った由良くんから、そっとまた目をそらす。なんだか見ていられなかった。見ていたくなかった、のほうが正しいかもしれない。


「ほら、字だってこんな短期間で超上達したじゃん? 普通、あんな下手な字ぃ書く奴ってここまでも上達しねーもん。しーなさんはすっげーよ、大丈夫」

「すごくない」


 確かに私は頑張ってきた。勉強も、口調も、仕草も、字も、色々と。……みなちゃんを、目指して。それでも未だにボロは出るし、優等生とはどうあるべきかを毎日必死に考えなくては、優等生らしく行動できない。

 そんなの、すごくもなんともない。誰だって、やろうと思えばこれくらいにはなれる。やろうと思う人が少ないだけだ。


 みなちゃんだったら絶対、私くらいに努力したら、ずっとずっと遠くに行ってしまうだろう。みなちゃんが努力していないと言いたいわけじゃない。だって、彼女の努力を一番知っているのは私だ。

 だけどみなちゃんの努力は、『そうなる』ための努力ではなく、『そうある』ための努力なのだ。そこが、みなちゃんと私の決定的な違い。私は『そうなる』努力をし続けて、自分を優等生であるように見せかけている。

『そうなる』ための努力は、誰にだってできるものだ。だから私は、すごくない。すごいのは、『そうある』ための努力ができる、みなちゃんのような人のことを言うのだ。


 ――なのに。


「……すごいよ」


 由良くんがわざわざ、きっと素の口調で、またそんなことを言ったから。

 思わず、かっとなってしまった。



「――すごくねぇんだよ! こんくらいの努力、誰にだってできるだろ! めちゃくちゃ頑張ったって、私はどうせほんとの優等生にはなれないし、すごい人は他にもっといっぱいいる!」


 だってみなちゃんは、と口走りそうになって、口を閉ざす。そんなことも、こんなことも、由良くんに言うようなことじゃなかった。

 あーやだ、なんで由良くんと一緒だとこんなふうになっちゃうんだろう。かっとなったままの頭のどこかで、冷静にそう思う。嫌だ、やだ、こんなの優等生じゃない。

 さっと頭が冷える。顔が歪んでいく。唇を引き結ぶ。

 ……八つ当たり、してしまった。最低だ。

 何が、何がすごいんだ。おまえに私の何がわかるんだ、って。そう思ってしまった。馬鹿な話だ。わかってもらうことを求めちゃいけない。だって私は、わかられようとしていないから。何も言っていないのだから、由良くんがわからないのは当然なのだ。


「ごめん」


 ぽつりと謝って、うつむく。

 悪いのは完全に私だというのに、由良くんはすごく申し訳なさそうな声を出して謝り返してきた。


「や、今のはオレが悪りぃよ。ごめんな、煽ったみてーになった」

「どこが? 全面的に私が悪いよ。褒めてくれたのに、ごめん」

「うん、じゃあもっかい褒めておくけど、しーなさんはすげーから。すげぇ奴が他にいっぱいいるっつっても、そーゆうのって人と比べるもんじゃねぇだろ。しーなさんはすげぇ、それでおしまい」


 顔を上げて、な? と笑った由良くんの表情を見たら、なぜか視界がにじみそうになった。人前で泣くとか冗談じゃないので、なんとかその衝動をやり過ごす。


「……由良くんは……絶対不良に向いてない……」


 涙声にはならなかったことにほっとする。由良くんだったら私が泣きそうになったら絶対動揺するだろうし、「あはは、知ってる」と軽く笑っているということは、気づかれてはいないんだろう。

 小さく深呼吸をして、完全に涙が引っ込んでから続ける。


「仮にも不良を目指すなら、私の前でもずっと不良っぽくいるべきでしょ」

「こんな褒めた後でうと自画自賛っぽくなっけどさー、オレとしーなさんって同類じゃん? 似たものどーしっつうか……からさ、一緒にいたら気ぃ緩んでもしょーがなくね?」


 にこにこ言われ、それはしょうがないねー、と返してしまいそうになった。あー、あー、ばかわいい。ただ可愛いって思うのはなんか悔しいので、ばかわいいと思っとこう。由良くんの言葉と表情に和まされちゃったな……八つ当たりしてしまったのがほんっと申し訳ない。

 咳払いをして、それでも一応「私の前以外では気をつけなよ?」と言っておく。気をつけたとこであんまり意味はないだろうけど。


「おー、気をつける、つーか、気をつけなくてもしーなさんの前以外でそんな喋んねぇし、大丈夫じゃねーかな」

「……由良くんの場合は喋らなきゃいいってもんじゃないんだよ?」

「えっ、なにが?」


 本気でわかっていなさそうなので、生温かーい目で見てやった。困った顔をされた。ごめん。

 話が一段落したところで、『春夏秋冬』の練習を始める。春からすでにムズい……。間隔が全部同じになるように気をつけると、どうしても線がふるふるしてしまう。

 その様子をじっと見ていた由良くんが、「あれ」と声を上げた。


「なんでこんな流れになったんだっけ? オレなんか言いかけてたんだけど……」

「えっ、そうだったの? 完全に私が話逸らしたな……何話してたっけ」


 二人して首をかしげて、思い出そうと頑張る。濃い会話をしてしまったせいで、その直前の会話を思いっきり忘れてる……。


「……あ、部活の話じゃない?」

「それだ! しーなさんに、美術部見学しにこねぇ? って言おうとしてたんだよ」


 美術部、見学。その単語に顔が引きつる。……想像できると思うんですけど私絵もめちゃくちゃ下手なんですよねぇ! そんなことくらい由良くんだって想像できると思うんだけど。

 どう断ろうか考えていると、由良くんがにぱっと笑顔を浮かべた。


「一年、オレ以外皆ゆーれい部員でさー。先輩は一人マジメな人がいるし、楽しいんだけど、しーなさんもいてくれたらもっと楽しそーだなって。一回見にきて、合わなそうだったらやめればいいし。な、来てみねぇ?」

「……行きますぅ」


 断れなかった。




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