05. 相合い傘はちょっと恥ずかしい
六月もそろそろ終わる、しかし梅雨明けはまだ遠そうな、そんな時期。
今日も由良くんによる字講座を終え、二人して講義室を出た。
「うわー、雨ざあざあ降りだね」
講義室の中にいたときから音はすごかったが、あんまり窓の外を見ていなかった。こうして廊下に出てみて、初めてすごい大雨だと認識する。朝は曇天ではあったものの雨は降ってなかったし、六時間目が終わった時間も小雨だったんだけど……。この中を帰ると思うと憂鬱だ。
私と一緒に顔をしかめ、由良くんも「だな」とうなずく。
「しーなさん、傘ちゃんと持ってきてる?」
「そりゃあね。朝あんなだったのに持ってこないのは馬鹿だよ」
「新開く……新開は忘れたっつってたなー」
「……誰?」
くん付けをぎりぎりのところで耐えた由良くんに、首をかしげる。由良くんは呼び名について私に指摘されたときから、なんとか男子だけでも呼び捨てにしようと頑張っているみたいだ。
私の問いに、由良くんは目を丸くした。
「え、
「宮野さん……ああ、
犬みたいなテンションで「理央ちゃん理央ちゃん!」と理央ちゃんに話しかけている男子の姿がぱっと浮かぶ。チャラチャラしているが、由良くんみたいな不良っぽい雰囲気はない子だ。まあ、由良くんだって慣れれば不良っぽさは全然感じないんだけど。
どう見ても理央ちゃん引いてるのによくやるなぁ、と常々思っていた。そっか、あの子が新開くんか……よし、覚えた。
「もしかしてしーなさん、まだクラスの奴らの名前覚えてねーの?」
ウソだろ、みたいな表情をされてしまったので、そっと顔を逸らす。
「……女子は覚えてるけど、男子って由良くん以外全然関わりないし。ほら私、優等生だから」
「それ理由になんなくね?」
「優等生はあんま異性と親しくしない……と思う」
みなちゃんも、仲のいい男子は幼馴染のヒデと……彼氏くんくらいだ。中二の夏頃から付き合い始め、違う高校に通うようになった今でもまだ付き合っている。私も面識はあるが、優しそうではあってもどことなくぱっとしない印象の子で……あっ、彼氏くんのこと考えると複雑な気持ちになるからこの思考やめとこう。
とにかく、優等生……特に女子の優等生は、男子とあまり仲良くしないイメージだった。
「オレはいーの?」
「由良くんは、んー……もう友達になっちゃったしな。男子、かつ不良の友達ってとこがぶっちゃけちょっとあれなんだけど」
「……どれ?」
「正直なところ距離を置きたい」
「えー……」
「まあ、置かないけどね」
しょんぼりしていた由良くんは、それだけで嬉しそうに笑った。……そろそろクラスの皆が、由良くんがエセ不良だって気づき始めてること、わかってないんだろうな。三ヶ月経つ前にエセが見破られる不良ってどうよ?
それに比べて、私はたぶん、まだ優等生だと思われている。はず。自信はないが、由良くんの前で以外ボロは出していない。はず。うん、大丈夫大丈夫。
「置く必要もないからなー、由良くんだと」
「不良なのに?」
不良じゃないからだよ。内心そう答えながらにこっとごまかしておく。由良くんみたいな子のことを、ばかわいいと言うんだろう。
「それじゃ、また明日ねー」
「おー」
昇降口付近で別れ、私は職員室に鍵を返しにいく。近くにいた他クラスの担任の先生に「今日も熱心ね」と微笑まれたので、愛想笑いを返しておいた。実は熱心なのは由良くんのほうなんですよねぇ……。
由良くんは今どこら辺を歩いてるかなぁ、なんて考えながら、昇降口に引き返す、と。
由良くんが困った顔で立っていた。最終下校時刻になり、部活帰りの人でいっぱいの中で立ち尽くしているのはかなり目立っていた。
「……え、どうしたの」
「傘がねぇ……」
さっきの会話からして、忘れてきたということはないだろう。
「どういう傘だったの?」
「でっけービニ傘」
「目印とかは」
「持ち手のとこに花柄のマステ貼ってた。お姉ちゃんに借りたやつ」
目印のつけ方女子かな……?
近くの傘立てにそれらしきものがないのをぱっと確認して、他のところの傘立ても見て回る。ない、ない、ない……。ちゃんと目印をつけてたなら、間違えられたという可能性も低い。
つまりは、借りパクされた?
「ここに入れといたんだけどなぁ。しーなさん、傘二つ持ってたりしねぇ?」
「しないね……」
「だよなー」
肩を落とす由良くんに、借りパク犯への怒りがふつふつとわいてくる。
こんな梅雨の時期に、朝からめちゃくちゃ曇ってた日に、降水確率百パーだった日に! 傘持ってこないなんてばっかじゃないの!? 人の傘盗んでんじゃねーよ!
内心で口汚く罵ったあと、むかむかする勢いのまま乱暴に自分の傘を手に取る。
普通だったら生徒会室で傘の貸し出しをやっているはずだが、この時期はあまりに借りパクする人が多いらしく、貸し出しを禁止している。と、なれば私が取れる手段は一つ。
「一緒に帰ろ、由良くん!」
「え、オレ傘ねぇんだけど」
「ここに傘が一つあります」
「……人は二人だけど?」
「おっきくはないけど、まあ二人でもなんとか入れるよ」
不思議そうな顔をしていた由良くんは、私の言わんとしていることがわかったのか、はっとした様子でぶんぶん首を振る。
「ゆ、優等生はんなことしねーだろ!」
「優等生は困ってる人を見捨てません!」
「困ってねぇし……駅まで走れば五分じゃん」
「早いな……いやそういう問題じゃないよ。こんな雨の中で五分って、すっごい濡れちゃうでしょ?」
私の足で徒歩二十分のところを走って五分か。……私、足速くても持久力はないからなぁ。私だったら走って十分ってところだろう。
しかし今はそんな話をしているわけじゃない。
「じゃ、じゃーオレ、他の人の傘入れてもらうから」
「……そんなやだ?」
相合い傘なんてそんな恥ずかしくもないと思うんだけど。……今までなんで由良くんと別々に帰ってたのかを考えれば、これが私にとっていい手段じゃないというのはわかる。知り合いに目撃されたら、えっ付き合ってるの!? と思われるだろうし。
だけどこんな拒否されたらちょっと寂しい。その気持ちをわざと素直に表情に出せば、由良くんは途端にうっと黙る。ちょろい。
クラスメイトの一人が通りがかって、私たちのやりとりを怪訝そうに見てきたので、そちらに向けてにこっと笑っておく。男子だったら由良くんは助けを求めただろうけど、幸か不幸か女子だったので、現状に変わりはない。
「……ヤ、では、ねぇけど」
「はい、ならいいよね? 一緒に帰ろ。いつまでもここでこうしてたら人の邪魔になるし、皆が傘さしてる合間縫って走るのも迷惑になるかもよ?」
それが最後の一押しだった。いい子な由良くんはしぶしぶうなずく。思わず頭をなででやりたくなった。顔や雰囲気的に一見背が高く見えるけど、たぶん由良くん170ないんだよな。私が162だから、なでるのはそう難しくない。やらないけど。
割と時間を食っていたので、昇降口には人が少なくなっていた。外に出れば傘で顔が見えづらくなる、はず、だし、ささっと帰ってしまおう。
傘を開いて、はい、と由良くんに託す。一応背が高いほうに持ってもらったほうが、お互い入りやすいだろう。
「しーなさんの傘カワイイな」
「でしょ。お気に入り」
ちょっとドヤ顔を返す。
私の傘は白地で、ふちの部分にぐるりと黒いレース、そしていろんなポーズの黒猫がプリントされているものだ。持ち手には鈴のチャームもつけているし、それも含めてとても可愛いと思う。チャームはみなちゃんからもらったものだ。さすがセンスいい。
そんな可愛い傘を受け取った由良くんに、私はどんな顔をしていいかわからなくなった。
……見た目だけなら、めちゃくちゃアンバランスなのだ。もし私が由良くんと友達じゃなくて、道ばたでたまたますれ違ったりしたら二度見することは間違いない。
だけど中身を知ってるとな……似合っちゃうんだよな……。この傘が似合う不良って何?
「由良くん似合う」
「……お礼ゆうべきなの?」
「いや、褒めてない」
褒めてねぇのかよ、と由良くんはちょっと唇をとがらせた。お礼言うべきなの? と訊いてきたということは、由良くんもうっすら察していただろうに。
まあまあ、と笑いながら、「行こ?」と促す。
外に出ると、雨は少しだけマシになっていた。これなら相合い傘でもそんな濡れないかも、とか思っていたら当然のように由良くんが私側に傘を傾けてきたので、銀の部分を持ってぐっと押し返す。
「由良くん、半分こ! 濡れるでしょ!?」
「どう考えたって、男子より女子のほうが濡れちゃダメだろ」
「はー? 謎に紳士? 濡れないほうがいいのは男女関係ないし」
「それにこれしーなさんの傘じゃん」
「それが何か。私の傘なので使い方は私が決めますけど?」
堂々と言うと、由良くんはしゅんとした。私の傘を借りている手前、あんまり強く反論できないらしい。
大人しく傘をちゃんと持った由良くんの頭に、思わず手が伸びかけた。
「ん? なに?」
「……なんでもない」
あっぶねぇ……付き合ってもないのに男子の頭なでるのは、優等生としてアウトだ。きょとんとしている由良くんが、何をされかけたのか気づいていないのが幸いだった。
伸ばしかけた左手を、無駄ににぎにぎする。
ちょっと一人で照れくさくなってしまった。相合い傘自体は別に恥ずかしくないんだけど……恥ずかしくな……えっ、もしかして恥ずかしい? そういや男子と相合い傘は、ヒデともしたことなかったや。
……気づいたら急に恥ずかしくなってきた。みなちゃんには黙っといたほうがいいか。
「……相合い傘、する前はあんだけ嫌がってたのに、今は普通だね?」
おまけに歩くスピードも私に合わせてくれてるし、車道側歩いてるし。私よりよっぽど余裕があるんだろう。
「しーなさんが気にしないなら、まあいっかなって」
「……へー、ほー」
気にしてることをばらして照れさせてやろうかとも思ったが、それだと私も道連れになる。やめとこ。
ちらちらと周囲に目をやる。うん、知り合いはいなさそう。そもそも私は知り合いが少ないから、クラスメイト以外ほぼ警戒しなくていいのが助かる。人付き合いが多くなるとそれだけ優等生を頑張らなきゃいけないので、疲れるのだ。
傘に入りきっていないときにきょろきょろしたせいで、眼鏡の内側に雨が入ってくる。
「あう、眼鏡濡れた……」
「あ、マジだ。見えづらそー。雨の日って、眼鏡そんななるんだな」
小さく笑う由良くんに、はは、と私も笑う。相合い傘のせいだ、と言ったら絶対気にするだろうから、「たまにねー」と言うしかなかった。
眼鏡を外し、ハンカチで水滴を拭く。視線を感じたのでちょっと横を見上げれば、またもこっちをじっと見ている由良くん。
「……もう一回見られてるから別にいいんだけどさ、そんな見て面白い?」
「おもしれーよ。眼鏡だけでこんな変わんだなーって」
「そ、そうか……」
「美人で可愛いってすげぇよな、しーなさん」
ぶわりと顔に熱が上りそうになったのを耐える。耐えた。よし。耳は熱いが、まあ気づかれないだろう。何食わぬ顔で眼鏡をかけ直す。
…………しかし何がすごいんだ!? なに!? この前も言ったことをもう一回言う意味! なんっだよ!?
そっと由良くんとは反対側に顔を向ける。また眼鏡が犠牲になるかもしれないが、ちょっと今はこうしていたい。
「ん? なんかあったか? そっち向いてっとまた眼鏡濡れね?」
「濡れたら由良くんのせいだ……」
「なんで!?」
「なんでも……。ところで由良くんは自分がかっこいいって自覚はおありかな?」
「きゅ、急になんだよ……」
私がそっぽを向いてしまっているせいで表情は窺えないが、声音がちょっと照れていた。これくらいで照れるなら美人とか可愛いとかさらっと言わないでくれます!? アホ!?
「や、まあ、自覚っつーか……言われること多いし、そーなのかなって思ってっけど……しーなさんも思ってたんだ?」
「思ってませんでしたー全然思ってませんでしたー」
なんかイラッとしたので大人げない返事をしてやった。即行でばれるウソなのに、由良くんは気づく様子もなく「そっか?」と言っている。ばかだ……。えっ、私今日、由良くんのこと内心めちゃくちゃけなしてない? 優等生として以前に人として駄目だ……気をつけよ。
反省して、とりあえず顔を由良くんのほうに向ける。
「大丈夫、由良くんイケメンだって思ってたよ。黒髪だったらなお完璧だった」
「えっ、あり、がと? 今は褒められた?」
「褒めてる褒めてる」
「おー、ありがとー」
にぱっと笑う由良くんに、こっちのほうがたじろぎそうになる。今度は照れないのかい。わっかんないな……。まあでもかっこいいかっこいい。
「黒髪なー、中学まではそうだったんだけど、やっぱ不良って金髪じゃん? 似合わねぇならやめよーって思ったけど、まあ似合ったしいっかなって」
……黒髪のほうが似合ってたけどなぁ。
去年のことを思い出して、ちょっと残念に思う。まあ、私が好みだったってだけだ。実際、由良くんは金髪もピアスも似合ってるし。イケメンは何やってもかっこいいからずるい。
「しーなさんは髪染めたりしねーの?」
「優等生は?」
「髪染めねぇな……」
納得してくれたようで何よりだ。
そんなふうに雑談をしていれば、駅までの道はあっという間だった。雨は大分マシになっていたが、由良くんは念のため改札近くのコンビニで傘を買って帰るらしかった。私と由良くんは同じ路線で、しかも隣駅なので、これ以上一緒に帰ることにならないようにという気遣いかもしれない。
「じゃあなー、今日はマジさんきゅ、助かった」
「うん、無理やり一緒に帰ろうって誘ってごめんね?」
「いーよ、楽しかったし」
……そういうのもさらっと言うんだよなぁ。苦笑いする私に由良くんが首をかしげたので、「また明日」と手を振って別れる。
さて……右半身だけ微妙に濡れてるこの状況、帰ってみなちゃんにどうごまかそうかなぁ。
次の日、由良くんからはお礼にお菓子をもらった。最後までチョコたっぷりのあれだ。
「お姉ちゃんが手作り菓子作るっつって張り切ってたけどやめさせた」とちょっとげんなりした様子で話す由良くんに、顔が引きつったのも仕方ないと思う。相合い傘したことお姉さんに言ったんですか……そうっすか……。
ちなみに私はなぜかみなちゃんに全部ばれ、ちょっとしたお説教をくらいました。なんでばれたんだろ……。
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