04. エセ不良はキャラ作りが甘すぎる

 うちの高校は、なぜか男女一緒に水泳の授業をやる。六つあるコースを半分ずつ使うらしいので、さすがに同じコースを泳いだりはしないようだが、それでも嫌だ。

 ……何が嫌って、素顔を見られることだ。今の私のアイデンティティである眼鏡を外さなければいけないのが、心底嫌だった。


「わー、まなか眼鏡外してる!」

「うん、プールだからね……」

「まなかって目どんくらい悪いの? これ何本?」

「二本……」

「当たってるー!」


 今日からプール開きだ。六月後半は普通に過ごす分には暑いくらいだが、プールに入るにはまだ少し寒い。

 だというのにテンションを上げて私に話しかけてくるのは、クラスメイトの安藤あんどう風香ふうかちゃんだ。私がクラスで一番仲良くさせてもらっている子である。

 といっても、いつも一緒にいてべたべたしているわけでなく、割とさっぱりした関係だ。すごく居心地のいい距離感。


「まなか、コンタクトにしないの?」

「あー……うん、目になんか入れるの怖いし」


 そもそも私、両目とも1.0なんだよね。伊達眼鏡だとバレるのは恥ずいので言わないけど。

 そっかー、とうなずいた風香ちゃんと一緒に、更衣室を出てプールサイドに向かう。今日は風がちょっと冷たい……水温どんくらいだろ。


 着替えるのがちょっと遅かったせいか、もうほぼ皆並んでいた。屋根とベンチがあるほうに女子、というのが男女格差を感じる……。

 列に加わり、向かい側の男子たちが目に入って、ちょっと視線を下に逸らしてしまった。男子の水着姿って、なんか直視しちゃいけない気がする。


 音楽なしのラジオ体操、屈伸などの準備体操を終え、プールに入る。水の冷たさに、そこかしこから悲鳴に近い声が上がった。

 さっむ……さむ……いやこれプール開き絶対早いって……。

 冷たさに慣れたところで先生に言われたとおり水から上がると、途端に風がさらに冷たく感じて、皆して震える。晴れているのだけが救いだ。これで曇りとか小雨だったら無理……。


 一人ずつクロールのタイムを計るということなので、短い辺のほうのプールサイドに移動し、三コースに並んでいく。うわこれ、待ってる間めちゃくちゃ寒いじゃん。

 両手で腕をさすりながらぶるぶるしていると、どこからか視線を感じた、ような気がした。みなちゃんがモテモテだったので、一緒にいた私も人の視線には割と敏感になっている。

 気のせいかもしれなかったが、なんだか気になって周囲を見回す。

 ……視線が合った。


「まなか?」

「あ、うん、なんでもない」


 私の後ろに並んでいた風香ちゃんが怪訝そうな顔をしたので、慌てて首を振る。もう一度そっと同じ方向を見てみたが、すでに視線は外されていた。


     * * *


「……あのさ由良くん、今日のプールのとき、こっちめっちゃ見てなかった?」


 放課後、講義室Eに着いてからそう切り出す。

 そう、プールのときの視線の主は由良くんだった。結局あの後、由良くんは何度かこっちを見ていた、と思う。これで気のせいだったら恥ずい。


「ん? 見てたけど。気づいてたんだ」

「……うん、まあ、うん。あれは気づくよ」


 気のせいじゃなかったかぁ。

 真顔になる私に由良くんは首をかしげた後、はっとしたように目を見開いた。


「や、そーゆうんじゃねぇし! 眼鏡取った顔とか初めて見たから!」

「あ、顔を見てたのね。ならいいや……ってなると思ったか! むしろ顔のほうが見られたくなかったの!」

「そうなの!?」

「そうなんだ!」


 由良くんのことだから、こう……下心があってのことじゃないだろうとは思っていたが、まさか顔のほうを見られていたとは。思わず隠すように顔を両手で覆ってしまった。

 だからプールは嫌だったんだ……。女子に見られるのはそりゃあもうどうしようもないけど、男子にまで見られる可能性があるわけで。というか見られるわけで。……できるだけ素顔の目撃者は少なくしたかったのに。これくらいで揺らぐような優等生具合ではないが、それにしても優等生っぽくないと思われるのは耐えがたい。


「その眼鏡って顔隠すためにしてんの……?」

「顔隠すためっていうか、優等生っぽく見せるため。優等生っぽいでしょ、この眼鏡」

「もしかして伊達?」

「です」


 うわって顔された。そこまでして優等生に見られたいのかって思ってる顔だ。しっつれいな! きみに言えることじゃないだろ!

 オーバル型のシンプルな黒縁眼鏡は、これ優等生っぽい、とぴんっときて買ったものだ。みなちゃんはこれを初めて見たとき、どうせならもっと可愛いのにすればいいのに……とちょっと不満げだったが、「似合ってるよ」とのお墨付きをくれた。なのできっと、私にすごく似合ってるんだと思う。

 そんな私の眼鏡を由良くんはじーっと見て、それから視線を逸らし、何かを考えるような顔をした。


「……なんかさー、よくあんじゃん。少女漫画で、眼鏡取ると美人ってやつ」

「えっ、由良くん少女漫画読むの? ウケるんだけど」

「ウケんなし」


 もはやここまでくればギャップでもなんでもなく、普通にああそうなんだ、としか感じないのが面白い。


「お姉ちゃんがいるから、その影響で」


 ちょっとむっとしながら言い訳をする由良くんに、生温かい目を向ける。うん、さすがはエセ不良だ。姉貴でも姉ちゃんでもなくお姉ちゃん呼び。由良くん、気づいてないだろうけど育ちの良さが出ちゃってるぞ?


「うんうん、それで?」

「なんだよその顔……なんつーか、しーなさんはまー、眼鏡してても美人だけど、眼鏡外すと可愛い系になるよなって」


 ……眼鏡してても美人だけど、眼鏡外すと可愛い系になる? とは? え? こいつこれをなんのためらいもなく、恥ずかしげもなく? 天然か? ……天然だったわ、知ってた。


「……そういうさぁ、そういうさぁ……そういうとこだぞ由良くん……」

「は?」

「なんでもねーよ……」


 あ、いけないいけない、やっぱり由良くんといるとどうにも口調が崩れる。心の中から気をつけなくては、みなちゃんみたいになるなんて夢のまた夢だ。みなちゃんは怒っているときだって口調は崩れないし、相手のことを考えるし、決して自分の感情を人に押しつけたりしないし、とにかくすごいんだから。

 ……まだまだだなぁ、私。このままじゃ、みなちゃんに憧れてる、ってことすら誰にも言えやしない。

 深呼吸をして頬の熱を冷ます。うん……由良くんと友達になったからには、こういうのにも慣れなくちゃだよね。いちいち動揺するなんて馬鹿らしい。


「……でも、眼鏡かけてると美人系に見えるならよかった」

「よかった? なに、可愛い系に見られんのヤなわけ?」

「別に嫌ってほどじゃないけど」


 眉をしかめると、「そんなふーには見えねぇけど」と不思議そうに言われた。……そうですか。


「いやほんと、嫌、ではないんだよ。……でも、可愛いより美人のほうが優等生っぽいでしょ」

「しーなさんのその優等生へのこだわりなに?」

「うるさい、このエセ不良!」

「エセ優等生には言われたくねぇな……」

「私より由良くんのほうがエセじゃん」


 うっ、と悲しそうな顔をされたので罪悪感がわく。言いすぎたか、ごめん。ちゃんと口に出して謝ると、「こっちこそごめん?」と疑問系で謝られたのでさらに罪悪感が。

 と、とりあえず、雑談はこれくらいにしておこう。由良くんの提出物の〆切は明日に迫っているのだ。


「で、由良くん。プリントはちゃんと持ってきた?」

「……持ってきた」


 しぶしぶ、といった様子で由良くんはプリントを出す。


「おー、偉い! ちょっと貸してー。……うん、国数英、日本史、現社、生物、全部持ってきてるね。そして見事に白紙だね」


 昨日のうちに教科書類も全て持ってくるようにきつく言っておいたのだが、素直な由良くんはそれもちゃんと持ってきていた。偉い。


「……やんなきゃダメ?」

「私の顔を立ててくださーい、由良先生」


 はーい、と嫌そうに返事をした由良くんはおとなしく筆記用具も出してプリントに向かった。

 何か訊かれるまでは宿題と予習・復習をしておこう、と私も勉強道具を出す。


 シャーペンの音と、教科書をめくる音。外から小さく聞こえてくるのは、運動部の声だろうか。

 そんな静かな空間で、黙々と勉強をして。どちらも一言も発さないまま、二時間ほどが経過した。


「……っし、終わった」


 ……数学以外は教科書にほぼ答えが載っているようなものだとしても、早い。

 由良くんは嬉しそうに顔を上げ、ん、と私にプリントを渡してきた。それにさっと目を通していく。お、汚い字……にしようとしたのはわかるけどどうしても達筆に見える字だ。ぷっと笑いそうになるのを堪えて、答え合わせを始める。とはいえ解答はもらっていないので、私の頭頼りだ。

 合ってる、合ってる、まる、まる、まる、まる……。

 数学は私も軽く自分のルーズリーフで計算してみたが、それも全問正解だった。


「……どう?」


 ちょっと不安そうな由良くんに、どうもこうもねーよ、と返しそうになって咳払いする。危ない。しかし応用問題ほぼなしとはいえ、全問正解かぁ。

 私の咳払いに由良くんが更に眉を下げたので、笑顔を見せてやる。


「全問正解、大変よくできました」

「わーい!」

「……由良くんほんっとエセ不良……」


 わーい! って何だよ。そんなこと言う不良がいていいと思ってんの? キャラ作りしっかりして? 私を見習ってほしい。まだマシなはずだ。

 にっこにこな由良くんは、「じゃあ次はオレが教える番な!」とやる気に満ち溢れた声で言った。


「まあ、あと一時間あるしねー。あ、でも今日でこういう勉強会? も終わりだし、応用利きそうな漢字教えてほしい」


 ひらがなを教えてもらうのは先週の金曜に全部終わったので、そろそろ漢字に進みたい。偏とかつくりになるような漢字なら、結構応用できそうだよなぁ。

 なんて思っていたのだが、「終わり?」とぽかんとした由良くんに目を瞬いてしまった。


「だって課題終わったし、由良くんなら私が頼めば次のテスト赤点取らないでしょ?」


 ほんとは次のテストまでできるだけ毎日、って思ってたけど、その必要もなさそうだし。

「それはそうだけど」と由良くんはぼそぼそと答える。


「……マジで、今日で終わり?」

「もうこの教室の鍵ほぼ顔パスで借りられるけどさ……。何も勉強教える気ないのに借りるのは駄目でしょ」

「ここじゃなくて、どっか別の場所でもよくね?」

「わざわざ私が由良くんに字を教えてもらうために? なんとなくの基本はわかってきた感じだし、これ以上面倒見てもらわなくて大丈夫だよ」


 この一週間ちょっと、教えてくれてありがとね、とお礼を言えば、由良くんは「ん……」小さくとうなずいた。あまりにしょんぼりしているので可哀想になってきてしまった。


「……そんなに私に字教えたいの? 由良くんだって放課後ずっと拘束されるのやでしょ?」

「確かに課題終わったから部活も行きてーし、たまには遊びてぇけど、しーなさんに教えるの楽しかったし……」

「いや、私も楽しかったけどね? っていうか、あれ、由良くん部活入ってたの?」


 てっきり帰宅部かと思っていた。部活に入ってるなら尚更これを続けるのは大変じゃないか?

 何に入ってるのかな、と思ったら「美術部」と言われ、あー……と納得した。……いや、ほんと、キャラ作りもっとしっかり? 美術部入ってて納得されるようじゃ不良失格じゃない? それを指摘して追い打ちをかけるような真似はしないけど。


「美術部の活動日は?」

「火・水・金。けどオレは大体火曜だけ行ってた」

「活動日的には問題ない、かぁ」


 そうつぶやく私に、由良くんの顔が期待で輝く。

 ……だから! キャラを! 崩すな!

 はぁぁ、とため息をついてうつむく。そんな顔をされたって、これはたぶん、私が決めることじゃないのだ。

 先生がいつまでのつもりで私に頼んだのかはわからないが、最短でこの課題が終わるまで、最長でも由良くんが次のテストでもっとマシな点数を取るまでだろう。その『最長』は生徒に頼むには長すぎるし、さすがに先生もそんな無責任なことはしないはず。……しない、よな? あの先生ならありえなくもないが、まあないだろう。


 頼まれないのなら、こうして放課後に男子と二人きりで勉強会……なんて体裁が悪い。優等生としてそんなことをするわけにはいかなかった。

 顔を上げる。由良くんと目が合う。いい? いい? という目で、こてんと首をかしげる由良くん。やっぱ絶対不良向いてないよ。

 ……申し訳ないが、心を鬼にしよう。


「そのプリント、明日先生に出すでしょ? そのとき、由良くんはもう私と勉強しなくても大丈夫そうです、って言っておくから」

「……じゃあこれ出さねぇ!」

「出しなさい」

「……しーなさんが、由良くんは私がいなきゃ勉強まったくしません、って言えばいーんじゃね?」

「優等生は嘘つきません」


 むぅ、とする由良くんに、「はい、この話終わり!」とぱちんと手を打つ。これ以上だらだら話して時間を無駄にはしたくない。

 教えてください由良先生~、とおねだりすれば、いい子な由良くんは不承不承講義の準備を始めてくれた。


「……なんか……テキトーに……好きな字教えて……」


 めっちゃテンション下がってる。なんだこれ。……そんなに私に字教えるの楽しかったのか。確かにいっつも楽しそうにしてたけどなぁ。

 しかし、好きな字かー。なんだろう。好きな字とか考えたことなかった。好き、ってことはみなちゃんを連想させる字? 可愛い、綺麗、好き、憧れ、お菓子、家庭的、癒やし……ん、んんん、応用効きそうなの特になさげ? あるのか? それさえ私じゃ判断つかない。

 てっとり早く名前にするにしても、椎名みなか、だと私と一文字しか変わんないしなぁ……。あ、名前、なら由良くんの名前は? 由良大雅、だと雅以外はたぶん簡単だし、雅も偏とつくりのバランスとる練習だと思えば。それに、椎名の椎の右側の復習もできる。うん、いい感じかもしれない。


「じゃあ、由良くんのフルネーム練習したい」

「……オレの名前好き? そんな字面いいか?」

「あっ、ごめん、思考飛んだだけ……。いい名前だとは思うけど別に好きではない」

「そっかー……」

「えっ、ごめん」


 二回も謝ってしまった。もうちょっと考えてから口に出したほうがいいな、反省。さらに落ち込ませちゃってごめん、由良くん……。


 そしてその後は最終下校時刻まで、『由良大雅』をゆっくり丁寧に教えてもらった。なんで私は由良くんの名前をこんな練習してるんだろ……と正気に返ってしまった瞬間はあったが、まあ、タメになった。有意義な時間でした。

 由良くんを先に帰らせ、鍵を返してから一人で昇降口を出る。いくら友達とはいっても、一緒に帰るところを誰かに見られて恋人と思われるのは嫌なので、いつもこうしていた。

 ……最後なら、一緒に帰ればよかったかな。




 翌日の放課後。

 由良くんが課題を提出していくのについていって、先生に向かって口を開こうとしたときだ。


「おお、ちゃんとやってる! ありがとなー、椎名。やっぱお前に任せて正解だった。これから一年、由良のことよろしくな! ヒマなときは勉強見てやってくれ、鍵いつでも貸すから」

「……は、い?」


 え。そうくるか。まさかの最長予想まで超えてくるか。マジか。え?

 呆然としたまま職員室を出て、由良くんと顔を見合わせる。うわっ、こいつめっちゃ嬉しそうな顔してる。なんか悔しい。

 ……でも、私も案外嬉しかったみたいだ。

 にへっと笑って、小首をかしげる。


「そういうわけみたいだから、これからもよろしく?」

「よろしくなー!」


 そんな感じで、私たちの関係はこれからも続いていくことになったのだった。




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