03. 外見から作る二人

 月曜日の放課後、私は先手必勝! とこの前の由良くんと同じ手を使おうとした。つまりはいきなりのじゃんけんで、パーを出すあれだ。人間、咄嗟に出すのはグーが多いらしいし、私も普通に引っかかったから。


「最初はグー、じゃんけんぽん!」


 そして結果は、私はパー、由良くんはチョキ。

 ……なんで!?


「最初はグー、の時点で、あーアレ根に持ってたんだなってわかったから」


 あっけらかんと言う由良くんに小さくうめき声を返す。そうか、じゃんけんぽんだけにするべきだったか……思えばあのときの由良くん、最初はグーとか言ってなかった気がする。

 私がわかりやすすぎたのが敗因、とはいえ。


「この前は勝ったほうから先に教えたから、今日は負けたほうからね!」

「あ、へー。そうくるかぁ。いいけどさ、別に。さすがにカワイソーなことしたかと思ってたし」

「ちなみに訊くけど、課題プリント持ってきてる?」

「今日そもそもスマホしか持ってきてねぇ」

「は、マジで!? むしろなんで学校来た!?」


 一時間目から六時間目まで何してたんだ!? 同じクラスではあるが、由良くんは私よりも後ろの席だから、授業中の様子をうかがうことはできない。

 訊けば、「寝てるかぼうっとしてた」という返答。……うっわ、え、だって一時間目始まるのが八時半でしょ? で、六時間目終わるのが十五時だから……六時間半? 間に昼休みの一時間があっても、寝てぼうっと過ごしていい長さじゃない……。


「不良だ……」

「だろ? しーなさんは優等生だよな」

「でしょ?」


 数秒、二人して黙り込む。

 今の会話でシンパシー的なものを感じてしまったんだけど、もしかしてこれはもしかする……? だとすれば納得する部分は多いものの、ちょっと複雑というか、嫌だなぁ、というか。

 あのさ、と声を出したのは同時だった。視線で先を譲り合い、結局口を開いたのは由良くんで。


「しーなさんって、優等生始めたのいつ?」


 その質問で、さっきの感覚が間違っていなかったことが証明されてしまった。優等生は普通、始めようと思って始めるものではないだろう。そんな質問が出てくるということはつまり、そういうことなのだ。

 顔をしかめながら、小さく答える。


「本格的に始めたのは高校から……」


 なんせ、中学まではみなちゃんとほとんどずっと一緒にいたもので。


 みなちゃんのことは昔から好きだし、すごいと思ってきたが、憧れ始めたのは中二のあるときからだ。

 そのときから、周りにはあまり気づかれないように、みなちゃんのような優等生目指して頑張り始めた。それまで定期テストの結果は下から数えたほうが早かったし、課題も〆切破るのが常という有様だったので、めっちゃくちゃ頑張ったのだ。

 この高校だって、中三の最初の面談のときには先生にも厳しいだろうと言われていた。みなちゃんは私が彼女と別の高校を目指していると知ったとき、とても悲しそうにしていたが、まながそうしたいなら……と納得してくれた。


 そして高校に入ってからは伊達眼鏡をかけ、少しでも頭がよさそうに見えるようにした。私は外見から作るタイプなのだ。

 みなちゃんは眼鏡をかけていないのでちょっと迷いもしたけど、結局優等生っぽく見えることを優先した。それに、あまり真似しすぎたらバレたときに恥ずかしいし。更にバレないようにということで、ロングだった髪の毛も少し長めのボブくらいまで切った。


 授業も課題もまじめにこなし、家での予習復習もしっかり完全に理解するまでやり、そして迎えた最初の定期テストがこの前のテストだった。

 ……まさかクラス内とはいえ全教科一位を取れるとは思わなかったけど! 嬉しさのあまり、帰ってすぐにみなちゃんに抱きついて報告したら、みなちゃんは我がことのように喜んで小さめのケーキを作ってくれた。おいしかったけど、私は到底ケーキなんて作れないので、みなちゃんみたいになるにはまだまだだなぁ……と少ししょんぼりしたのはみなちゃんには秘密だ。


 そんなふうに、私の『優等生』は作られたものだ。だから優等生だと言われるのは嬉しいし、こうやって先生に頼まれて同級生に勉強を教える、なんて展開も、面倒くさいとは思うが実は少し嬉しかったりもする。


「それで、由良くんはいつ不良始めたの?」

「……本格的に始めたのは高校から」


 私と同じ答え。二人で顔を見合わせ、あ、こいつたぶん同類だ、とうなずき合う。

 なんとなく気が抜けて、はー、と長い息を吐く。なんだー、そうか、そうだったか。じゃあきっと、由良くんが不良を目指した理由も割とくだらないものなんだろう。


「なんで不良になりたいって思ったの?」

「……だってカッケーじゃん? しーなさんは?」

「……優等生ってかっこいいじゃん」


 互いにそれだけの理由じゃないことは察しながら、それでもその理由が大きい、ということも察してしまった。さらに気が抜ける。うっわ、由良くんと似たもの同士とかなんか嫌なんですけど……。

 その気持ちのままに表情を崩す私に対し、由良くんはなんだか楽しげだった。


「ふーん、しーなさんってエセ優等生だったんだ。どーりで面白いと思った」

「その感想はちょっと不本意だぞ、エセ不良くん」

「あ、もしかして、誰のことも呼び捨てにしてないのって優等生のふりの一環?」

「ふりじゃねーよ、私は優等生です。……でもまあ、正解」


 みなちゃんはあだ名で人を呼ぶこともあるが、誰のことも呼び捨てにはしない。私を呼ぶ『まな』だって、幼馴染を呼ぶ『ヒデ』だって、呼び捨てには近いがあだ名の一種だ。

 私は中学までは基本的に、女子のことは下の名前呼び捨てかあだ名、男子は名字呼び捨てかあだ名、という感じだった。ちゃん付けとかくん付けとか体がかゆくなる……。まあ、今はやってるんですけど。さすがに女子を名字プラスさん呼びはかゆすぎなので、下の名前にちゃんをつけて呼んでいる。


「今までは特になんとも思ってなかったけど、話してみるとしーなさんこんな感じだし、由良くんって呼ばれんの違和感あんなぁって思ってたんだよな」

「見透かされている……え、でもそれ言うなら、なんで由良くんは私のこと椎名さん呼びなの? 不良だったら普通は呼び捨てじゃない?」


 そう言うと、由良くんはきょとんとした後に口元に拳を寄せ、「確かに」とつぶやいた。


「気づいてなかったのか」

「や……今までの人生で人のこと呼び捨てにしたことなかったから……」

「そんな人いるんだ……」

「口調崩すの頑張ってたから、呼び名とかまで気ぃ回らなかった」


 どんだけいい子だったんだ!? というかそんなんなのに不良目指すとか、何があったんだろう。さっきはどうせ私と似たくだらない理由だろうと思ったけど、もしかしたらちゃんとした理由があったのかもしれない。

 そんなことを考えていたとき、ふと気づいてしまった。

 ……きっと由良くん、中学まではちゃんといい子だったんだよな? 私がめちゃくちゃ頑張って入ったこの高校に入れてるし……もしかしてこいつ、勉強できないわけじゃない? 不良っぽくするためにやってない、だけ……?


「……由良くん、正直に答えてください」

「え、なに」

「勉強、わからないとこある?」

「高校入ってから勉強してねーから、なんもわかんねぇよ?」

「訊き方が悪かったな……。由良くんはやればできる子ですか?」


 途端に困った顔になった由良くんに、確信する。


「――私いらねーじゃん!? 何!? これは私が字を教えてもらうための会!? 同級生に勉強教えるとか初めて……めんどくさいけどちょっとわくわくする、って思ってた私は何だよ!? バカ!?」

「大丈夫、オレ、元からしーなさんに勉強教わるつもりはなかった」

「何が大丈夫!? 赤点回避の約束は!?」

「赤点回避くらいなら前日に教科書読めばいけるだろって……」


 これが不良の発言とは思えない。信じられない。こいつ不良目指してるくせに何言ってんの? 去年一年死に物狂いで勉強して、今年に入ってからもめちゃくちゃ頑張ってる私に喧嘩を? 売ってる?

 へぇぇ、と笑顔を浮かべれば、由良くんは顔を引きつらせた。


「や、でもまあ、別に勉強会やめる必要はねぇっつうか?」

「勉強やらずに私に字教えたいだけですもんね! それもはや勉強会じゃねーけど!」

「……しーなさん、一回教えただけでちゃんと上達したし、オレも楽しかったから」

「素直かな? 中途半端な不良めぇ……」


 私もちょっとやっただけで見るからに自分の名前を上手く……上手くはないけどマシに書けるようになったので、楽しかった。できればこれからも、字を教えてくれたら嬉しいなぁとは思うんだけど。

 ……教わるだけはなんかな、駄目だよなー。対価がなきゃ。うーん、何がいいだろう。あ、っていうかまた口悪くなってたわ……。由良くんが悪いとは言わないが、どうも由良くんといると駄目だ。


「……字は、由良くんが飽きるまで教えてもらえたら嬉しいけど、私は何すればいい? なんかお返ししたい」

「こっちが楽しいから教えんだし、別にいーって」

「よくない。自分の技術安売りしないの。わざわざ放課後に時間とって教えてもらうんだから、何か返すのが当然でしょ」


 由良くんに字を教えてもらうって、それはもう習字教室に通うも同然だ。本当なら月謝的な何かを渡せればいいんだけど……。

「でもなー」と困った様子の由良くんをちらりと見て、たぶんお金は受け取ってくれないだろう、と判断する。だとすれば物。……むっずいなぁ。由良くんが何も言ってくれなかったらヒデに相談するか?


「んー……やっぱそういうのいーよ。楽しいし、オレもオレで勉強になるし。納得できねぇならさ、ほら、友達のよしみっつーことで」

「え、友達?」

「え、ちげーの?」


 ショックを受けた表情の由良くんに、どう返せばいいものか迷う。いや、だって話したの先週の木曜が最初だったし、あとは金曜と今日の放課後しか話してないのに。確かにシンパシーは感じたけども、それはそれ。友達認定されるにはまだ早すぎるし、優等生が不良と友達ってどうかと思う。

 ……けど、相手に友達だと思われているのに、こっちが友達じゃないと思うのも悪いよなぁ。


 たぶん私たちは気が合う、のだと思う。木曜には「絶対的に気が合わない」と言っておいて、という感じだが。

 私は由良くんの前だとかなり口の悪さが出てしまうけど、言ってしまえばそれは素を見せられている、ということだし。優等生になると決めてから、そういう部分を見せたのは由良くんにだけだ。むかつくことも多いが、由良くんと話すのは結構楽しい。


 でも、友達、友達かぁ。やっぱりまだ早い気がするんだよな。今はせいぜい、ただのクラスメイトだと思うんですけど。

 が、しかし。明らかにしょぼんとしている由良くんにそれを言うほど、私は鬼畜ではない。


「優等生になってからの男友達は初めてだなー」


 私の言葉に、ぱあっと顔を輝かせる由良くん。えっその笑顔可愛いからやめて。由良くんイケメンの自覚持って? うっかりときめいたらどうしてくれんの?

 この前は自覚ありであざとい動作してるのかと思ったけど、今日わかった、これ天然だ。こわ。


「オレは女子の友達が初めて!」

「へ? それは今までの人生でってこと?」


 力いっぱいうなずく由良くんに、マジかぁ、と思わず顔を覆ってしまう。こんなにイケメンで、たぶんめちゃくちゃいい子で、なのに不良目指しちゃうようなアホな子なのに、女友達私が初めてか……。そうか……。

 いきなり顔を覆った私に、由良くんは「え、どうした?」と心配そうに訊いてくれる。うわ、いい子。やっぱいい子だこの子……友達になりたい……あ、もうなってた。


「なんでもないっす。ええっと、まあ、もしも勉強でわかんないとこあったら私に訊いて?」

「訊く訊く!」

「それじゃあ、字のほうに移ろっか。本日もよろしくお願いします、由良先生」


 せ、せんせい……と戸惑いつつも、由良くんは嬉しそうなむずむずとした感じの表情をしていた。……不良っぽく繕わなくなってきたのか? 可愛らしいボロが出てますけど?


「今日はじゃあ、あいうえおとかきくけこからな。漢字はさすがに全部教えんのムリだけど、ひらがななら全部教えられっし」

「えっ、五十音あるのに?」

「五十音くらいすぐ終わるよ」


 いったいいつまで私に字を教えてくれるつもりなんだろう……。

 にこにこしている由良くんに、それ以上反論はできなかった。まあ、世界史日本史覚えるよりは字の特徴覚えるほうが簡単、か? 簡単だと思おう。

 よし、と気合を入れて、由良先生の講義に集中する。


「オレの書き方が絶対っつーわけじゃねぇから、まあそこは臨機応変に?

 まず、あ。最初の横画はあんま長くしない。で、次の画は反りすぎねぇようにな。しーなさんならほぼまっすぐって思って書いたほうがいいかも。

 その次の画は……この辺から。横画の終筆のほぼ下ら辺。で、この方向性で、横画の始筆の下辺りで止めて、左斜め上に上がる。行きすぎねぇように気ぃつけて。あ、始筆と終筆っつーのは、その画の書き始めと書き終わりのことな。でー、最後の払いまでの流れはまあ、オレの字なぞって感覚掴んでもらうしかねーかなぁ。丸くすると子どもっぽくなるから、割と鋭めに」


 ……『あ』だけでこんなに言われると、ちょっと遠い目になってしまう。

 差し出された『あ』の字を穴があきそうなほど見つめて、今言われたことを反芻する。うん、うん……頭では理解できた……。

 名前のときと同じように、またなぞりから始めて、何回か書いた後に由良くんに見せてみる。


「んー……。結構上手く書けてるけど、最初の横画、斜めになりすぎねーように。三画目がそれにつられて右上がりになりすぎてるから。そのせいで最後の払いまで高い位置になってるっしょ? 一画目って大事なんだよな」

「ふ、ふむ」

「ちょっと手ぇ貸して」


 立ち上がってこっちに来た由良くんに、手? と疑問に思ったときにはもう、私の手はシャーペンを正しく持たされ、その上に彼の手を重ねられていた。

「こんな感じ」とやや上から聞こえる声と共に、私の手が動かされる。


 ん、んん……。怒るべきなのか困るべきなのかそれともスルーするべきなのか。

 わっかんねぇぞこれ。わかることは一つ、この光景をみなちゃんが見たらぷんぷん怒るだろうということ。


「どう? 感覚掴めそ?」

「掴ませたいならその距離感どうにかしろ……」


 数瞬の沈黙の後、ぱっと手が離れた。


「あ、や、これは、アレ、うちの先生、よく子どもにこうやって教えてて、それ真似しちゃったっつーか、ただついやっちゃっただけで、なんも考えてなかったっつーか!」

「うん、由良くんがなんにも考えてなかったのはわかったから子ども扱いされたことは気にしないよ! けど不良目指してんならこんくらいで照れんな、こっちまで今更照れがくるだろ!?」


 あたふたする由良くんに、顔に熱が上ってくる。

 いや、パーソナルスペースは狭いほうなので、普通ならこれくらいなんともないんだけど、ここまで相手に照れられるとさすがに恥ずい。

 悪りぃ、と謝ってくる由良くんに、そっぽを向きつつ「気にしないで」と言っておく。


 由良先生の講義は丁寧でためになるのだけど、なんか……苦労しそうだ。




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