02. 不良は案外教え上手

 結局その日は、勉強も字も教え合わず、話だけして帰った。初回はまあ、自己紹介ができれば十分だろうとはもともと思ってたし。

 家に帰ってから、クラスメイトに勉強を教えることになった、と言ったら、妹――みなちゃんが何かを探るように私を見てきた。じーっと見てくる彼女は、何を考えているのかわからないけど今日も可愛い。双子だから顔は似ていても、まとう雰囲気が私とは全く違うのだ。

 可愛いなー、と和んでいると、みなちゃんはほんのちょっと眉根を寄せた。


「……そのクラスメイトって、男子?」

「え、うん」


 うなずく私に、みなちゃんの顔がきゅっと可愛くしかめられた。


「男子と、放課後、二人で、過ごすの?」


 あー、そこが気になってしまうか。嘘ついておけばよかった、と思うが、もう手遅れだ。


「う、うん……いやでも、大丈夫だと思うよ? 由良くんっていうんだけどさ、ほら、去年みなちゃんナンパから助けてもらったじゃん? あのときの子なんだよ、たぶん」


 私が由良くんのことを『いい人』だと判断するに至った出来事は、それだった。


 去年の夏休みのことだ。受験生だった私たちだが、息抜きはしたいよね、ということで、二人で浴衣を着て花火大会に出かけたのだ。

 双子ではあるが、みなちゃんは綺麗系、私は可愛い系の顔をしている。浴衣を着てみなちゃんの普段の大人っぽさが倍増になっていたせいか、大学生らしき男の人二人にナンパされた。いくらみなちゃんが大人っぽいからって、中三をナンパする大学生、やばいと思う。


 割と強引な二人組だったため辟易していた、というか私はぶちぎれる寸前だったのだが、同い年くらいの男の子が助け出してくれた。チャラい雰囲気の、不良っぽい男の子。

 こいつらオレのツレなんで、と二人を睨みつけて、その子は私たちの手を引っ張って歩き出した。純粋に助けてくれたのか、それともこれをだしにして何かをされる……!? なんて私は警戒していたのだが、それは杞憂に終わった。

 しばらくして、彼は「それじゃ」とそのまま別れようとしたのだ。お前ら可愛いんだから気をつけろよ、なんて言って手を振る彼に、私たちは慌ててお礼を言った。

 たったそれだけの出来事だった。


 だから、彼と高校で会うまでそんなことは忘れていたのだけど。

 入学初日から、校則で禁止されてるのに金髪の目立ってる子がいるなぁ、とは思っていた。同じクラスになって、自己紹介があって。同じ市の中学校だとわかって、ふーん、と顔を見て、すぐに思い出した。黒髪から金髪になっていたが、あのときの子だ、と。

 ……なぜそんなにすぐに思い出せたのか。正直に言うと、黒髪の由良くんがすごく好みだったからという単純な理由である。

 髪色と同じように中身まで変わってるのかな、と思ったが、考えてみれば助けてくれたあのときから雰囲気は不良だったのだ。それにクラス内での様子をよく見ていれば、いい人だということくらいはすぐわかった。


「……そんな人いたっけ?」


 しかし、その出来事はみなちゃんの記憶には欠片も残っていなかったらしい。たぶんみなちゃんが可愛かったから助けてくれたんだろうに、由良くん哀れ。


「花火大会のときだよ。覚えてない?」


 それでも一応もう少し訊いてみると、数秒考えた後「ああ」と声を上げた。


「え、あの不良っぽい子?」

「みなちゃんもそう思ったんだ……うん、その子」

「大丈夫!? 何もされてない!?」

「大丈夫大丈夫」


 へらっと笑う私に、みなちゃんはちょっぴりむくれた。


「あーもう、やっぱり心配だよー! 無理やりにでも私かヒデと同じ高校にしてもらえばよかった……」

「いやいや、何心配してるのみなちゃん」

「まなはしっかりしてるように見えてめちゃくちゃ抜けてるんだから! そこが可愛いけど、隙がありすぎなの!」


 私も大概シスコンだが、シスコン具合ではみなちゃんが上だ。というかこのやり取り、どっちが姉かわかんないな……。双子だし姉と妹にそこまで意味もないけど。

 ちなみにヒデというのは、私たちの幼馴染だ。本名、時川ときがわ英明ひであき。お隣さんなので、高校が離れた今でも割と交流がある。


「私はみなちゃんのほうが心配だよ?」

「私は自分でなんとかできるから!」


 自信満々なみなちゃんを、ほんとかなぁ、という目で見る。性格的には私よりもみなちゃんのほうがほわほわしてるし、優しいからいざというときに行動できなそう。


「……とにかく。なにかあったら、絶対私に教えてね」

「うん、わかった」

「約束ね?」


 念を押してくるみなちゃんにもう一度うなずけば、ようやく彼女は頬を緩めた。あー可愛い。

 みなちゃんは可愛い。私とは少し違う顔は美人系でクールに見えるのに、中身はすごく女の子だ。私みたいに口が悪くないし、私よりよっぽど料理もお菓子作りも、というか家庭科全般が得意で、おしとやかで、バイオリンが上手くて、字が綺麗で、笑い方が可愛くて、髪の毛も指先も綺麗に整ってて。


 私はそんなみなちゃんが好きだ。

 そして同時に――いっそ嫌いになりたいくらいに、彼女に憧れている。


     * * *


 次の日も、放課後由良くんと一緒に講義室Eに来た。

 黒板のほうを向いていた机を一つ逆向きにして、向かい合わせになった席に座るよう促す。


「それで、どっちから教えようか。あ、というか、何時まで大丈夫?」

「水金は五時までかな。あとは六時まで平気。しーなさんは?」

「んー、私は何時でも大丈夫だから、由良くんに合わせるよ」


 みなちゃんには絶対暗くなる前に帰ってきてね! と強く言われたが、今は六月だ。最終下校時刻の六時まで残っていたところで、家に着くまでに真っ暗ということにはならない。

 私の返答に、「まー適当に切り上げればいっか」と言って、由良くんはペンケースとルーズリーフを机の上に出す。

 そしていきなり、じゃんけんぽん、とかけ声が始まったので、慌てて私も左手を出す。反射的に出した手はグー、由良くんはパー。


「じゃ、オレからな」

「今のはずるくない!?」


 にっこり笑う由良くんに反論すると、「ずるくねーし」とますます笑われた。いや、まあ教える順番にこだわりはないからいいんだけどさぁ。それにしてもさぁ。

 むすっとしながら、とりあえず私も筆記用具類を出す。


「しーなさんはまず、字の大きさと中心揃えよーぜ。それだけで印象全然ちげぇから」

「……それは、揃えられるものなの?」

「オレの字見たろ。しーなさんの字は……めちゃくちゃだったけど。大きさについてはまあ、最初はひらがなは漢字より小さめってだけ覚えとけばいいよ」


 あー、確かに小中の書道の授業で、そんなこと習った……気が。あのころから優等生をやってれば、ちゃんと字もそれなりになっていたんだろうか。

 ちょっと後悔しつつ、「はい」と素直にうなずく。ん、と満足げにうなずき返した由良くんは、シャーペンを持った。


「じゃ、オレが書いたの真似してみて」


 そしてルーズリーフに書き出したのは、私の名前だった。……線の一本からして私とは違う。字の全体となるとますます違った。

 完成した縦書きの『椎名まなか』を、まじまじと見つめる。


「……私の名前を私より上手く書いてる」

「そりゃあな」

「今更なんだけど由良くん習字とか習ってたの?」

「習ってんだよ」


 当然、という感じの由良くんに気になっていたことを尋ねれば、そんな返事が。


「現在進行形!? うわ、意外すぎる」

「オレからしたら、ずばずば言ってくるしーなさんのほうこそ意外だけどな」

「……これでも大分抑えてるんですけど」

「え、マジ?」


 びっくりしたように目を丸くされて、「マジですぅ」と唇を尖らせながら答える。

 私の目標は、みなちゃんのような話し方なのだ。いや、話し方というか、みなちゃんそのものが目標だ。……う、うーん、そのものというとやっぱり少し語弊があるな。けど、みなちゃんが目標なことは事実だ。


 憧れていることをみなちゃんにはばれたくなかったから、口調やその他もろもろをみなちゃんに似せるよう頑張り始めたのは、高校になってみなちゃんと学校が離れてからだった。そのせいで、まだボロが出てしまう。

 ふーん、と面白そうに相槌を打つ由良くん。


「じゃーさ、今日は抑えずに喋ってみてよ。どんな感じになんの?」

「ぜっっったいやだ」

「してくんないなら、今日はもうオレ帰る」

「……脅しかよ」

「お、いい感じいい感じ」


 何がいい感じなんだよコノヤロウ。こっちが嫌がってんのわかんねぇのかな……。

 しかし、由良くんは今日はと言ったのだ。本当に今日だけでいいのなら、その脅しに屈してやってもいい。


「……今日だけだよ。でも抑えずにって言っても、基本は普段どおりだからね? むかってしたときとかに口悪くなっちゃうだけだから」

「今はむかってしてねぇの?」

「してんに決まってんだろーが。いいからさっさと教えて」


 遠慮せずに言った後、目に入ったのはぽかんとした表情。……やばい、やりすぎたか? このオレに舐めた口ききやがってとか、そういう展開になる? いやいや、でも昨日から割といろいろ言っちゃってたし、それなら昨日の時点でそうならなければおかしい。だからたぶん、大丈夫、なはず、だよな? えっ、怖いんですけど。

 戦々恐々する私に、しかし由良くんはげらげらと笑い始めた。あまりの笑いっぷりに、今度はこっちのほうがぽかんとしてしまう。


「い、意外すぎんだろ……はぁぁ腹痛ぇ。く、はは、はは、そっちのほうがいいじゃんしーなさん」

「……で、これ真似して書けばいいのね?」


 笑い続ける由良くんをスルーして、彼が書いた『椎名まなか』をゆっくりと模写する。えっと……どんな感じだ? ふむ、こういう形、か……?

 …………違うなぁ。なんか違うなぁ。どっかが絶対的に違うなぁ!

 なんだ、何が悪い? どこが悪い? 下手なのはわかるが、なんで下手なのかわからない……。何を気にすればいいんだろうか。字の全体を見てるはずなのに、まったく似ても似つかない字ができあがってしまった。下手なのはわかる。逆に言えば、下手なことしかわからない。

 覗き込んできた由良くんが、微妙な顔をして口ごもった。


「あー……うん、まあ最初はそんなもんだよな。なんも教えてねーんだし」

「スミマセン」

「いいって、オレが教えてたくて無理矢理教えてんだから。んで、まずな。この字、どこ気をつけて書いた?」

「……どこに……? 全体の形……?」


 首をかしげながら答えれば、「全体の形……?」と由良くんまで首をかしげる。そして沈黙。……字が上手い人と下手な人って、もしかしてわかりあえないんじゃないか?


「んー……えっと、じゃあ次は、線の長さと角度、どこで線が交わってんのかと、とめはらいに注意して」


 急にそんないっぱい!? とは思ったものの、言われるがままにまたシャーペンを動かし始める。

 線の長さ……ふむ、角度……そしてどこで交わってるか、とめ、はらい。普段全然意識してなかったけど、なるほど、確かにお手本を見ながらそういうのに気をつけると、割と上手く書ける気がする。

 まなかの『か』まで書き終わって、これは今までの人生で一番上手く書けたのでは、と一瞬だけ思った。一瞬だけ。

 ……一文字一文字は、悪くはない。私にしては上出来だ。けれど中心も大きさもバラバラで、おまけに文字全体の角度まで一文字一文字ずれている。お世辞にも上手いとは言えなかった。


「不甲斐ない生徒でごめん……」

「や、さっきよりは良くなってるって! 次は何回か、オレの字なぞってみて? それで中心と大きさ揃える感じわかるかもしんねぇし」


 由良くん、意外と優しい先生だ……ありがとうございます。

 感謝しながら、由良くんの字にルーズリーフを重ねる。見づらいが、なぞれないほどでもない。ゆっくりゆっくりなぞって……完成したあまりに綺麗な字に、「ひょわ……」と変な声が出てしまった。


「す、すっごい! なぞっただけだけど、私が! 私がこの綺麗な字を! えっ、すごっ!? えーっすごい!」


 重ねていたのをずらして、下の字を見てみる。うん、どう考えても由良くん本家の字のほうが上手いんだけど、それでも、私の手でめちゃくちゃ綺麗な字を書けたことに感動してしまった。

 見て! と喜び勇んで由良くんに見せれば、由良くんはまた笑い出す。


「なんで笑うの!?」

「や、く、ふふ……しーなさんめっちゃ喜んでるなって……ははは、あは、そんな喜んでくれたら教え甲斐あるわ」


 もしかして由良くんって笑い上戸なんだろうか。イケメンにそんな笑われると心臓に悪いのでやめてほしい。由良くんが黒髪のままだったら危ないところだった。

 ぶすくれながら何度か由良くんの字を数回なぞり、最後に自分だけで書いてみる。

 えっと、まず木偏の一画目はこれくらいの長さで……ちょっと右寄りのとこに縦線……うん、このくらいの長さ、止め。で、はらいが……この角度、で、この辺りでシュッ!


 そんな感じでお手本を見ながら一画ずつ丁寧に書いていけば、それなりの字が完成した。……こ、これは今度こそ感動していいやつでは!? 喜んでいいやつでは!? 大きさも中心も割といい感じだぞ!


「由良くん見て!」

「おー、結構上手いじゃん。あれだな、しーなさん、字の才能がねぇってよりは、字の書き方わかってなかったんだな」

「ってことは希望はある!? 私も字上手くなれる!?」

「なれるなれる」


 適当な返事に聞こえたが、字が綺麗な由良くんが言うのなら嘘というわけでもないんだろう。へへへへとだらしなく笑ってしまう。


「じゃ、次は細かいとこ。椎の右部分の空間、大きさほぼ同じにしてみて。オレの由とかもなんだけど、こういう空間ってほぼ一緒か、下の方がちょいちっちぇーくらいなんだよ」

「そうなの!? 知らなかった……」

「んで、名は……んー、口部分、最後は横画が出るんだよな。四角いの書くとき、中になんか入ってたら横画は縦画ん中に収まって、ただの口だったら横画が右に出んの。回るって字だと……こーなる」


 ほ、ほう……そんな決まりが。実演してくれた字を見て、また「知らなかった……」とつぶやく。綺麗な字には色々決まりがあるんだなぁ。


 そんな感じで、由良くんは私の名前を一文字ずつ丁寧に教えてくれた。他の字に応用できる気はしないが、それでも短時間でめちゃくちゃ字が上達した気分だ。

 嬉しくなって何度も自分の名前を書いていると、由良くんが立ち上がった。


「じゃ、今日はこの辺で」

「へ?」


 いつの間にやら帰り支度を終わらせていたらしい。はっとして腕時計を見るも、まだ四時だ。えっと……今日は金曜だから、五時まで大丈夫、なはずじゃなかった?

 じゃあなー、とひらひら手を振る由良くんに「おい待て!」と立ち上がったが、気にする素振りもなく出て行ったのを見て、諦めて席に座り直す。……元から勉強する気なかったなあいつ!

 追いかけて連れ戻してもいいが、たぶん今日はもう勉強してくれないだろう。


 くっそ、月曜は絶対私から教えてやる……。




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