Q.ぽんこつ優等生の作り方を求めよ

藤崎珠里

01. 優等生にも欠点はある

 優等生、という単語にどういうイメージを持つだろうか。成績がよくて、無遅刻無欠席で、真面目で、頼まれごとをよく引き受けて、とか、そんなとこ?

 自他共に認めるであろう優等生な私は、優等生であったことをちょっとだけ後悔していた。


「……なー、マジでやんの?」


 目の前で気怠げに頬杖をついているのは、クラスメイトの由良ゆら大雅たいがくんである。金髪、ピアス、だらしなく崩した制服。校則を破りまくっている彼は、私とは対角線にある存在――不良、なのだと思う。


「うん、本当にやります。とりあえず、この提出物片付けるまでは毎日」


 真顔でうなずき、教科書とプリントをぐいっと由良くんのほうへ押しやる。

 放課後、滅多に使われることのない、小さな講義室Eにて。

 私と由良くんは二人きりで、机を向かい合わせにして座っていた。


 事の発端は、先週あった中間テストだった。前期後期の二学期制であるうちの高校は、六月、十月、十二月、三月に定期考査がある。

 先週あったのは前期の中間テストのわけだが、由良くんはそのテストでそれはそれはひどい点数をとった。全教科赤点という悲惨な結果だ。危機感を持った担任の先生が由良くんと個人面談をするも糠に釘、暖簾に腕押し、馬の耳に念仏。

 そこで白羽の矢が立ったのが、全教科クラス一位を取った私だった。「椎名が勉強教えてやってくれない? 同級生のほうが反発しないだろうし」と意味のわからないことをのたまった担任は、私にこの教室の鍵と由良くんを押しつけやがったのである。めんどくさいことをよくも……あ、ちょっと口調崩れた、申し訳ございません先生。


「しーなさんがオレに勉強教えたって、なんも得しなくね?」

「……由良くん、私の名前知ってたんだ」


 関係ないことにびっくりしてしまった。由良くんみたいな不良は、私みたいなつまらない優等生の名前に興味もないかと思っていたから。不良に対する偏見だったかもしれない。これも偏見かもしれないが、椎名という名字が彼に呼ばれるだけでチャラく感じる。


「もう六月だし、そりゃ知ってるけど?」


 ちょっと眉をひそめる由良くんに、そっかー、と愛想笑いを浮かべる。六月になってもまだ、クラスの男子の半数以上顔と名前が一致していない私が駄目か。……いや、でも由良くんのことは知ってたし。問題はない。

 勝手に一人気まずくなってしまったのを咳払いでごまかして、「それで」と切り出す。


「私が由良くんの勉強を見てあげるわけですが、最初にまず、このプリントやってみてくれる? 教科書は見ていいから」


 担任の先生も、さすがにすべて私に押しつけるような真似はしなかった。全教科の先生からまとめプリントをもらっていたのだ。元々赤点課題のある数学と日本史以外、特にプリントは用意されていなかったようだが、担任が他の先生に頼み込んだらしい。

 それによってかなりの量になっているが、まあ、来週の締め切りまでに終わらなくもない。……由良くんが真面目にやれば、の話だが。


「やだ、めんどい」


 案の定、由良くんは顔を思い切りしかめた。


「つーかさぁ、先生バカじゃねぇ? こんな誰にも見つかんないとこで女子と二人っきりにさせるとかさ。しーなさんもバカだよ、危ないとか思わねーの?」


 予想外の言葉だったので、つい目を瞬いてしまった。

 確かに講義室Eは学校内でも一番端っこの、普通の教室からかなり離れた場所にあり、通りかかる人はほぼいない。だからこそ先生は勉強に適した場所だと考えたのだろうし、私だってそう思った。

 ……でもまさか、由良くんがこんなこと言い出すとは。


 意識はしていなかったが、うん、そうだな。人目につかないところで高校生男女が二人っきり。おまけに自分で言うのもなんだが、私は割と可愛い。私の双子の妹が超絶可愛いのだから、姉である私が可愛くないはずがない。

 だから、危ない、といえば危ないのだろう。

 しかし指摘された今でも、そう心配はないかな、と楽観視している。


「由良くんは危なくない不良だと思ったんだけど、違った?」

「……危なくない不良」


 オウム返しした由良くんに、うん、とうなずく。


「だって由良くん、頭緩そうだけど下半身までは緩そうに見えないよ」

「……ん?」

「不良にしては人間ができてるっていうか? なんていうか、馬鹿は馬鹿でも、そういう犯罪めいたことはやらないだろっていう信頼がある、みたいな?」

「…………ふーん」


 変な顔をする由良くんに首をかしげかけて、はっとする。しまった、はっきり言いすぎたか。あまり機嫌を損ねてはいないようなのが救いだ。……この口が悪いの、ほんとどうにかしなきゃ。

 こほんこほんとまた咳払いをして、プリントを更に由良くんに近づける。


「ほら、とりあえず今日は数学だけでいいから。どこまでわかっててどこからわかってないのか把握しなきゃ、教えようがないでしょ」

「やだって。そもそもしーなさんがオレに教える必要ねぇじゃん。さっきも訊いたけど、なんかいいことあるわけ?」

「……なくても、先生からの頼みは断れないし」

「へぇ。マジメだな」


 今のマジメ、は明らかにこちらを馬鹿にしていたのでむっとしてしまった。


「いいから、やって」

「やだ」

「……やって」

「やだ」


 睨み合って、先に折れたのは私だった。


「じゃあいいよ、今日は私と話でもしよう」

「はあ?」

「私と仲良くなれば、由良くんもちょっとは勉強してくれるかなって」

「仲良くなれると思ってんの?」

「無理だろうねー。絶対的に気が合わないでしょ」


 にこにこ笑ってやれば、由良くんの顔が引きつった。

 優等生と不良って、つまりは水と油なわけだ。私と話すことでほんのちょっとは勉強してくれる気になるかも、とは思っても、仲良くなれるとはまったく思わない。無理。


「……話っつっても、何話すの」

「あれ、意外と乗り気? 私からだったら逃げられるんじゃない?」

「しーなさん百メートル十二秒ちょいじゃん。オレのほうが入り口から遠いんだし、逃げらんねーよ」

「え、百メートルのタイムまで把握されてんの? なんで?」

「運動部でもねぇのにそんなタイム、目立つに決まってんだろ」


 まあ、そうかもしれない? 

 ふむ、とりあえずこの場所取りは成功していたか。逃げられるんじゃない? とか訊きながら、逃がす気は最初からなかった。その意図が伝わっているようで何よりである。

 しかし、話、話なぁ。私から言い出しておいて、彼みたいなタイプとどんな話をすればいいのかわからなかった。

 うーん、と首をひねっていると、由良くんが口を開く。


「……んじゃ、しーなさんの字、見せてくんね?」

「……じ?」

「うん、字」


 じ。じ。……字?

 なぜいきなり字の話になったのか。ひく、と引きつる笑顔で小首を傾げる。


「な、なんで私の字なんて見たいのかなぁ?」

「別に? しーなさんみたいなマジメな奴だったら、字もキレイだろうなーって思っただけだけど?」


 こいつまた馬鹿にしやがった。別にいいんですけど。

 黙り込む私を見て、由良くんはプリントの一部を破ってシャーペンとともに渡してきた。……プリント破んなよ、それ提出物だぞ。

 受け取らない私に、彼は「ほら」と更に促してくる。あー、これ、は、正直に言ったほうがいいか。


「……あのね由良くん。意外かもしれないけど、私、めっちゃくちゃ字が下手でさ」

「なら余計見せて」

「なんで!?」


 これ以上に馬鹿にするつもりか!?

 うう、と呻き声を上げそうになるのを堪えて、しぶしぶ紙とペンを受け取る。


「……何書けばいい?」

「あ、マジで書いてくれんだ。自分の名前でいいよ」

「それならまだ……」


 よかった、とは言えないが、マシなのは確かだ。

 右手にシャーペンを持って、できるだけゆっくり丁寧に名前を書く。――へにょへにょで最高に不格好な『椎名まなか』ができあがった。


「……しーなさん?」

「なんでしょう」

「なんかもう、字に見えねーんだけどこれ。何書いたの」

「私の名前ですけどなんか問題でも」

「……しーなさん下の名前何だっけ。オレがこの漢字知らねーだけかも」

「ひらがなですが!?」


 嫌味でも何でもなく純粋に言われたのが逆に傷つく。え、いや、漢字に見えるほど!? かろうじて読めるよな!?

 自分の書いた字を睨みつけてみるが、うん、読める。読めるはずだ。


「椎名まなかだよ。読めない?」

「読めねぇ。わかってても無理」

「そ、そこまで……!? じゃあ由良くんも自分の名前書いてみてよ!」


 ここまで散々に言われているのだから、これでもし由良くんも字が下手だったら許さないぞ。

 仏頂面で紙とシャーペンを返却すると、由良くんは意外なほどに綺麗な持ち方でさらさらとペンを動かした。「ほら」となんてことのない顔でまた渡された紙には、めっちゃくちゃ綺麗な『由良大雅』が。

 ……マジで? マジでこれ由良くんが書いたの? いやまあ書いてるとこ見てたけど、え、印刷だったりしない? なにこれ。なんだこの私との格差。意味わかんねぇ。


 由良くんの字は、あまりに綺麗すぎた。誰がどう見たって、そういう感想を抱くしかないだろう。活字レベルに整ってるし、なんならむしろ活字よりも読みやすい。

 食い入るように字を見ながら打ち震えている私に、由良くんはぷっと吹き出した。


「すっげぇ顔してっけど、そんな意外?」

「意外だよ! 由良くんなんて金髪でピアスで不良なのに!」

「金髪とピアスは不良に並ぶんだ? 似合ってるからこーしてるだけで、別にこだわりはねぇけど」


 ないのなら、生徒指導の先生とバトる必要はないと思うんですが。

 ……確かに、由良くんは金髪もピアスも似合う。非常に似合う。認めるのはなんだか悔しいが、由良くんはかなりのイケメンだ。これでもし由良くんが黒髪だったら完全に好みだったし、今日だってもしかしたらもっと意気揚々とこの教室にやってきたかもしれない。


「でもしーなさん、ほんっとヘッタクソなのな」


 ははっと笑う由良くんに、仏頂面になってしまう。こんな字が綺麗な人に言われたら、もうなんにも言い返せないけど。


「なあ、こうしねぇ? しーなさんがオレに勉強教えるんじゃなくて、オレがしーなさんに字ぃ教えんの」

「……なんで」

「高校生にもなってこんっな字ぃ汚ねぇ奴、そのままにできないっしょ」


 ひっでぇ。けどやっぱ言い返せねぇ……。

 でもわざわざそんなことをしてもらう義理はない。字が綺麗な由良くんからしたら、私の字はとても耐えられないものなのかもしれないが、そこは頑張って耐えてもらおう。

 いや待て、この感じだと由良くんは字を私に教えたくてうずうずしてないか?

 じっと由良くんの顔を見ると、楽しそうに「どう?」と首をかしげられた。くそ、あざとい。自分の顔の良さを自覚してやがる……。


「じゃあ、代わりに私が勉強教える」

「別にオレが教えたいだけだし、代わりとかいらねーよ」


 そう、つけいる隙があるとしたらそこだろう。私たちはお互い、教わりたいわけではなく教えたいだけなのだ。予想通りの返答に内心でドヤ顔をしながら、表面上は仏頂面を崩さずに主張する。


「対価もなしに教えてもらうのがやなの! それにもし由良くんがバカなままだったら、教えたはずの私もバカにされるじゃん。私のプライドが許さない。せめて由良くん、全教科赤点回避して」

「ムリ」

「即答すんな」


 私と同じ高校に入るくらいの学力は元々あったはずなのだ。だとすれば、地頭は悪くない。ちゃんと真面目に勉強すれば赤点回避くらい余裕だろう。苦手な教科の赤点は仕方ないかもしれないが。


「……つーか案外、口悪りぃのな。オレ、しーなさんみたいな人には割と怖がられるんだけど?」

「私みたいな人?」

「地味で大人しいってこと」


 ……眼鏡かけてるし、優等生だし、確かに他人からしたらそう見えるかもしれない。しかし大人しいはまだしも、地味って。妹に似て可愛い私に地味って。由良くんの目は節穴か何かかな? それか私の醸し出す雰囲気が悪いのか。

 むかっとした気持ちを落ち着かせて、冷静に返答する。


「まあ、私も由良くんのこと、最初は怖いと思ってたけど」

「あ? ……そーなんだ」

「今は怖くないよ。案外、いい人だし」

「ええ? どこ見て判断してんの?」

「さあね」


 適当な返しに由良くんは納得していないようだったが、しばらく何かを考えるような顔をした後、嫌そうに口を開いた。


「まー、いいや。オレはしーなさんに字を教えて、しーなさんはオレに勉強教える。ひとまずそれで」

「えっ、いいの? どんな心境の変化?」

「しーなさんはマジメだから、オレが教えたらぜってーマシな字書けるようになるっしょ? んで、オレは教えてもらったってどうせ勉強しねぇ。だったら別に、教え合うのも悪くはねーかなって」

「いや悪いよね!? 私が由良くんに勉強教える意味は!? 教えても赤点取られたら、プライドどうこうじゃなく普通に悲しいけど!?」


 私は中学までは妹に教わる立場だったが、妹――みなちゃんは、とても教え上手だ。その真似をすれば、いくら頭の悪い人だってそれなりに成績は上がるだろう。だからもし由良くんが赤点をとり続けるのなら、私がみなちゃんの真似をできていないか、そもそも由良くんが私の話を聞き流しているということになる。

 前者は前者で悲しいけど、後者も後者で悲しい。私、割と頑張って教えるつもりだったんだけど……。

 ちょっと想像だけで落ち込んでいると、「あー」と由良くんが気まずそうな声出した。


「んー……おっけー、赤点回避な。してやるよ」

「……やっぱり由良くんって、案外いい人だよね」

「だからどこ見て判断してんだよ」


 困ったように笑った由良くんに、そういうとこだなぁ、と心の中でだけ返す。

 見た目不良の由良くんは、しかし案外、いい人だ。それを知っていなかったら、いくら私が優等生だからって先生の頼みを断っていただろう。

 まあどうやら由良くんのほうは、私が彼を『いい人』だと判断するに至った出来事を覚えていないみたいだけど。私にとっても大事な思い出、というわけではないので、別に構わない。


「んじゃ、これからよろしく?」

「うん、よろしく」


 そんな感じで、私と由良くんの親交は始まったのだった。




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