第6話「きずく晩秋」
「父」
「ねぇ、あきらくーん。入っていい?」
「澪か、もちろん」
看護師に連れられ、七瀬澪が少年…九十九玲のもとにやってくる。
最近二人で、習慣として院内学級のあとは二人の時間を設けている。デート、というには少し趣が異なるが、
(まぁ、会って話が出来るだけ幸せだ)
そう結論づけ、眼前の恋人に微笑みをうかべる。
その恋人から、
「じゃーん!色々ハードカバーとか文庫本買ってもらったの!」
「あれ?澪ってそういうのが好きなタイプだっけ?」
(結構昔の文学が好きだったように思ったけどなぁ)
「いやぁ…なんというかね…?
君にはその分野では勝てないし、面白い本があったら紹介して喜ばせたいなぁ、って…」
「…あれ?前にコモンスペースにあった小説…」
「あれっ?…知ってたの!?」
「偶然ね」
「あれ一番好きだったから一番最初に読ませたかったけど…まさか、読んじゃった?」
「…うん」
「むー…君に読ませようって父さんに買ってきてもらったのにー。…そのせいで父さんにひどいこと言われたけど」
「なにそれ」
(何しろ初めて会った時は自己紹介もしてくれないくらい茫然としてたもんな…よくわかんねぇよ)
「うーん…あの時はみんな気が立ってたからね…仕方ないのかも」
「実のお父さんなんでしょ?仲直りしたら?」
「へ?」
「俺は実の父親なんて逃げられたからさー、血の繋がってる親がいないんだよ。
「え…あ、ごめん」
「いやいや、いいって。…あ、じゃあ許す代わりにお父さんと話してみようよ!仕事はいつ頃終わるの?」
「あ、父さんは専業主夫。母さんはあの時帰ってたけど、普段はかなり遠くで仕事するようになったのよ」
「え?専業主夫って…じゃあ…澪は、兄弟姉妹いるの?」
「それがね?いないのよ。なのに父さんは誰もいない家を世話してるの」
「……それって、お父さんには凄くキツいなぁ…」
「な…何で?」
「何でってそりゃ、さっきの口振りではお母さんは元々家にいたんでしょ?」
「うん」
「三人仲良く住んでた家に誰もいないとか…澪が居なくなるなんて悲しいよ。悲しすぎる」
「…考えたこともなかったかも。何だかなぁ、…うん、言われてみれば」
「というか、どういう流れだったの?」
「それは確か…」
…
「…うーん…言いすぎではあるよね…」
「でしょ!謝ってもらってようやく許したよー」
「澪は謝ってないの?」
「え?」
「澪も謝ろうよ」
「…う…た、確かにちょっと…うん…でも…」
「なにも今日とは言わないよ、1日猶予をあげる」
「少ない…」
「だってそうしないといつまでもお父さんと仲直り出来ないよ?ちゃんといるんだからさ」
「………わかった」
納得してくれて何よりだ。微笑みつつ澪のさらさらの髪を撫でる。
「親かぁ…ちっちゃいときから親がいないからなぁ、親子喧嘩ってどんなだろ」
「…あれ?でも玲君入院費は…」
「あぁ…先生が出してくれてるんだ。養子としてね」
「…そうなの!?よそよそしすぎだよわかんないよ!」
「まぁ、先生はなんだかんだで名前は変えなかったし、未だに九十九君呼ばわりだし…」
「先生がそう言ってるの?」
「だからなんか、父親って感じは全くしないかな」
「確かに…」
ふと時計をみると、もう結構な時間だ。
「お、時間だ。なぁ澪、これちょっと借りていい?」
「もっちろん!玲君と話題共有するにも読みやすいしちょうどいいかなって集めたもん」
「ありがたいなぁ」
「じゃあ、また明日!」
少年はいつもこの挨拶で出ていく。…少女が明日も生きている事を願って。
だから少女も、
「また明日!」
と返すのであった。
…
父、七瀬男史(だんし)はいつも通り、家の整理をしていた。
もう十分には動けない愛娘は帰る事がなく、妻も今まではほとんど帰って来なかった。これからは貯まっていた有給を使って娘の所にたまに行くとの話だが、しかし場所からしてこの家に帰ってくる事は稀だ。
(この家に三人揃ったのはいつが最後だったかな…)
父は昔の事に思いを馳せる。
娘の澪が産まれた時を契機に、当時は少し背伸びした一軒家に引っ越した。…その頃は全てが満月のように満ち足りていた。しかし澪が幼稚園に入る時だったか、
「男史さん!ついに私、本部勤めになるんだって!!」
「本部だって!」
彼と妻が勤めていた会社は結構な大企業で、妻の方はそこの広報に勤務していた。…かなり出来る人だったが、まさか本部に抜擢されるなんて、と思うとこちらまで誇らしくなったが、
「待って…本部って…確か…」
「台湾」
唖然とした。国外じゃないか…
「み、澪は…」
「提案があるの。…あなた、家業に専念出来る?」
「なっ…」
専業主夫、ということか。しかし、妻は元々かなりのポストに居たため、元々忙しかったため、家事はわりとやってきたので、
「わかった。君の活躍を祈っているよ」
「あったり前でしょ、私だもの」
ということで、妻は家を出た。
最初のうちは我慢出来たが、娘は手がかかるやんちゃな子で色々と苦労した。…母親はエリートと言うのにふさわしいため、このまま娘がやんちゃなままではいけない。
まずピアノを習わせた。これはかなり熱中し、コンクールではたまに優秀賞を貰うくらいにはなっていた。…よくわからないけど。
小学校中学年あたりからまたわがままになりだした。服を買って欲しい、あのゲームがしたい…
妻がいない中で娘のわがままに対処するのが嫌な事と、妻は本部でも活躍しているというプレッシャーは彼を摩耗させた。
…彼は、いつしか娘に一切の遊びを禁じていた。勉強をしろ、ピアノは、ちゃんと寝ろ…大人になったら遊べるから。
しかし。
その中で、突然娘が倒れた。半年の寿命と言われた。
…彼には、耐えきれなかった…
ショックから娘に辛く当たり散らし、結果飛んで帰ってきた妻から
「大…馬鹿ぁ!!」
全力のグーパンチを貰った。何度も。凄い痛みと共に、辛すぎる現実が押し寄せてきた。
しかし、彼は泣けなかった。…あまりにも喪失が大きすぎた。
妻はマウントを取って殴りながら号泣していて、殴られながらその涙を見ている事しか出来なかった…
「我ながら最悪だ」独り、呟くと掃除に戻る。
(今日の分…庭の手入れも終わっているし、妻の部屋の掃除も済ませたから…後はテレビ台かな)
ワイパーで拭き取っていると、
RRRRRR
電話の音がする。
(狭花かな)
「はい」
「父さん?」
「ん?澪か」
少し気まずい…
「えーとね、今日の夕方、来てくれない?…予定ある、よね…」
「…ないぞ。病室に行けばいいのか?何がいるんだ」
「いや、何かいる訳じゃないの」
何だか良くわからないが、仕方ない。財布だけ持って車を飛ばし、病院へと向かう。
「澪、入るぞ」
「はーい」
ドアを開け、澪のベッドに向かう。そこには、
「父さん、まともに紹介出来てなかったから。…九十九玲君よ」
「お久しぶりです」
少年がいた。…滅茶苦茶気まずい!一応あの誕生日(なのか結婚式なのか)に居たことは居たが、莫大な情報についていけず良くわからなかったのだ。
(…まぁ、でもあの時の澪の表情からして、澪を失意から救ってくれたんだろう)
「呼んだのは君かな?」
「いえ、それは澪さん本人です」
「…じ、じゃあ要件って…」
「うん…
私、父さんの事あんまり考えずにひどいこと言っちゃった。傷つけたよね、ごめんなさい」
…………
魂が抜けたように思えた。
どういう事だ?
「え…いや…父さんはもっとひどいことを言ってしまったんだぞ…」
「私が許したの!他の誰に許しを必要とするの?神様?そんなの不要でしょ?」
…
「あ…あ、ゆ、許してくれるのか…!」
「お父さんお父さん!澪に返事」
少年が囁く。そうだ、返事…
しかし、
「あ…あ…あ…うぅ…み…お…あり…がと…うぅ…許…して…くれて……お前…は…悪く…な…あ…あ…」
みっともない号泣に紛れて、よく分からなくなってしまった。
少年が背中をさする。優しい手つきと、細くしなやかで大きい手は…
(俺を…救ってくれたのか…澪だけじゃなく…)
澪のお父さんが泣き止み、しきりにありがとうと言いながら退出していった後。
「玲君はずるい」ちょっと拗ねた澪が言う。
「な、なにがだ…?」
「皆に人気でいいなぁって」
苦笑しながら、
「妬くなって…いいじゃん澪がいるからこそだもん」
「ハイハイ」
「じゃ、また明日ね」
「また明日」
そして夜は更けていく。
「覗き」
毎日の、デートというにもちょっと寂しい話し合い。
「澪は学校どこだったの?楽し…あ、いや…ごめん」
「ん?」玲君が口ごもる。
「…いや、高校入ったばっかだからわかんないかと思って」
ああ、玲君は私が高校入ってすぐ入院したから高校はわかんないって思ってるのかな。
「あー…いや違うよ。中高一貫」
「どういう事?」
「中学で入ると高校に試験なしで上がれるの」
「えー…!なにそれ、堕落しそう」
確かにごもっともだ。まあ…
「うちの皇(すめらぎ)中、皇高はわりとしっかりしてたから堕落って感じじゃなかったかなぁ…でもそういう学校のなかには堕落まっしぐらみたいなところも多いらしいね」
「なるほどなぁ…」
「私学の中では歴史があるみたい。120年だったかな?」
「凄いな」
「強いて問題があるって言うなら女子がね…」
「陰湿なの?」
「いや…」
なんとなくちょっと悔しくて言いづらい…
「教えてよー」
…言わなきゃ駄目かなぁ…
「ス…スタイルが良すぎなの…あの人たち…」
「…ふふっ…」
「ちょっと!笑わないでよぉ!」
「いやいや…可愛いなぁと思って」
「な…」
ここでそういう事言う!?
「というか、俺には澪も相当体型良いように見えるんだけど」
「そんな…今痩せ過ぎててね。ガリガリなのよ。ちょっと自分でも引くくらい、ね」
「なにそれ。ちょっと見せて」
「見せるわけないでしょ!」
「ちぇ」
男の子っていうのはどうしてこんな単純なの…
「本当に、ちょっと辛いのよ」
「そんなに?」
「…玲君は体はどう?一緒にリハビリしてるけど、ちょっとずつ回復してるでしょ?」
「う…うん」
「逆なの。頑張っても足が動かなくなったりするから…どんどん筋肉は衰えてくの。ご飯もそんなに食べれないし、本当に…可愛くなんかないのよ」
「そっか…」
ん?…強情な玲君があっさり引き下がった。…あれかな、自分が寝たきりでひどい状態だったのが気になるのかな…?
…
リハビリを終え、自分の病室に戻る。
もう暑さはとっくに去っているが、それでもリハビリで汗はかく。
元々は看護師が拭いてくれるけど、朝晩されるのはさすがにまだ動ける身としては嫌なので朝は自分で拭く事にしている。
「あつ…」
濡れたタオルで全身を拭いていく。手の力があまり入らないから何度も落とすけど、毎回看護師にされるのはさすがに嫌だから頑張って自分で拭いている。
まぁ私の病室に来るのは親や看護師や医師か玲君くらいだし、前3つは絶対にノックする。玲君が来てもあの老朽化した車椅子ではキイキイ鳴って丸わかりだし大丈夫。
…しかし。
「よーう!」
「……………」
カーテンを引いて出てきたのは玲君。なんで?車椅子の音はしなかったよ?というか…………
「覗かないでよ!」
プラスチックの桶を投げる。力は出ないからひょろひょろと飛んでいくが、鼻にクリーンヒットする。…あ、痛そう。
じゃなくて!
「なんで!?」
「え、歩いてきた」
…はい?
「辛かった」
「馬鹿!なんでよ!」
「だってさ、覗いたらわかるじゃん。…やっぱり、君は綺麗だよ」
………………
「…う~…」
何よ…
嬉しいのと恥ずかしいので頭が働かない。
「…」
「…」
「…良いんだけどさ。…見えてる」
「馬鹿ぁぁぁぁ!!」
もう一度桶が飛んでいく。自業自得だ。
(…油断ならないなぁ…!…
でも、ちょっと、言われて嬉しかったのは秘密。)
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