第4話「すれ違う初秋」


「うんうん、腕の筋肉は普通よりちょっと貧弱、くらいに回復してるね…もともと本は手放さなかったからねぇ。喉の早期回復は予想外だったけど、こっちはだいたい予想通りだね」

「あとは足ですか」

「まあね…軽い運動はあったとはいえ、ベッドから出られなかったんだ。足の筋肉なんてほとんど無くなっているよ」

「とりあえず、腕の筋肉は回復したんだし、車椅子で独りで動くのは…」

「駄目だよ?何かあった時に自分で動けないんだから、ちゃんと看護師さんについてもらいなさい」

「げー…」

「はい、以上だね。検査終わり!」

猫背の医師の先生が、膝を叩いて立ち上がる。

「ありがとうございます」

「君は今から院内学級だっけ?」

「…先生、わかってて言ってますよね」

「行くまで何回でも言うよ」

(院内学級だと七瀬に会うじゃん…

…合わせる顔が無いっての)

九十九玲は、内心頭を抱える。医師が、検査を受ける度に院内学級の話を仄めかすのだ。

まだ暑さが残っていた時に、彼は七瀬澪と喧嘩…といっても、お互い悪くないことはお互いが知っている…状態にあった。

(会ったとして、どう声をかければいいんだよ…)

そういう訳で、ここ最近、彼は院内学級をサボってコモンスペースで本を読んでいた。

(はぁ…今日も本読むか。昔通り、昔通り…)

看護師にまたコモンスペースへ行くと伝え、しぶしぶコモンスペースへ車椅子を進める。

彼はまだ気付いていない。…昔通りと言い聞かせなければならない時点で、もう昔通りではない事に。


「出来ました先生」

その少女…七瀬澪は無表情で問題集を解き続けていた。

「はいはい…ったく、九十九君がいないからやること多いし難度が上がって面倒だよ」

「ぼやいてないで仕事してください」

ひたすら問題集と睨めっこする。死ぬから無駄だけど。無駄でも、没頭出来るものが欲しい。

こんな理不尽から目を背けたかった。

すでに院内での転倒が多くなり、車椅子が必要となってしまっているこの身体。仲間だと思っていた少年が、回復すると知った現実。

隣の席に目が行く。九十九君、どうせまたコモンスペースで本読んでるんだろうな…

「おーい、起きてるか七瀬君」

「…はい」

授業はひどくつまらなかった。


「澪、頼まれてた本だ」

「はーい」

病室に戻ると、父さんがむすっとした顔で本を渡してきた。

「全く…最近の本は内容が薄いんだから、読むのならこんなチャラチャラした本ではなく昔の本をだな…」

「最後なんだしいいでしょ」

父さんの顔が一気に渋いものでも噛み潰したような顔になる。

「母さんはなんて」

「今は抜けるに抜けられないけど、一区切りついたら有給取ってこっちに戻ってくると言ってた」

「で、働きもしない父さんはわざわざ私の所に来て文句だけつけて帰るのね」

最近のイライラと、死ぬ間際まで遊ばせまいとする父さんの態度が無性に腹が立ち、言い方も刺々しくなる。

「なんだその言い方は!父さんはちゃんと家事と遺品整理をして…」

…………………

「遺品…………って…言った?」

「あ、いや、あ…」

「何よ!!本人には遊ぶな真面目な本を読めって言いながら勝手に私を死んだことにしてるなんて…最悪!私はまだ生きてるよ!馬鹿!大馬鹿!!私は父さんの人形じゃないのよ!?」

「な…親に向かって馬鹿とは何だ!訂正しろ!」

「はぁ!?…家事って言っても母さんも私も家にいないのに、よくそんな大口が叩けるね!さいっあく!!」

「…お前に言われたくはないっ!!回復の見込みもない、入院費は馬鹿高い!お前にかかる金で車が一台買える位じゃないか!この………疫病神がぁ!」

疫病神。

疫病神。

疫病神…?

私が…?

疫病神…??

父さんに…そう、思われて…

目眩がした。

「もう…帰って!!」

カーテンを閉め、父さんを閉め出す。

最悪、最悪、最悪、最悪、最悪、最悪…


コモンスペースの端。もう少しで授業が始まるけど、買ってもらった本が面白くてつい熱中してしまう。

とりあえず授業のために本から目を離し、そして考えてしまう。

…売り言葉に買い言葉なのは容易に想像がつく。

でも、それは本音なのだろう。

少女は、思う。

(私は、生きてるんだよ…誰か、誰か、見つけて…)

…1人、いる。

少年の顔が、よみがえる。言葉が、笑みが、文字が…

少女は、切実に思う。

(会いたい…会いたいよ…)

(…会って…)


(好きだって、言いたいよ…)

少女は、切実に、想う。



少年は、院内学級から逃げるようにコモンスペースへと車椅子を進めてもらう。が、

(ん?知らない本…)

最近の本だった。病の少女と平凡な少年のラブストーリー。…つい面白くて読みふけってしまった。

読み終えた最後のページ。

蔵書表がある…

書かれてある名前に目線が吸い込まれ、釘付けになった。

(七、瀬…)

嫌でも少女の一挙一動を思い出す。

思い出す。

苦しい。

仲直りしたい…

仲直り?いや、違う、なんだろ、

仲直りでは足りない…

あの子を守りたい?違う。

あの子に教えられたい?足りない。

あの子と笑い合いたい?足りない。


(あ…)

少年は、想い出す…

(これは、恋…か…)


少年少女の想いは、しかし、自身の理性に阻まれる。

((いや…でも…

今さら、どうにもできないよ…))


少年少女の想いは合致し、しかし平行線のように交わらないまますれ違い続ける。

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