第3話「掴み損ねる晩夏」
蝉の声も聞こえない、病院のリハビリ室。
少年…九十九玲は周りの患者がゆるゆるとリハビリを続ける中、許されるぎりぎりまで運動をしていた。
何年も寝たきりであった少年は、新薬のおかげで病状が改善したために、歩行に向けて訓練を続けていく事になった。
ただ幼い頃から病院のベッドから動けなかった身では、歩行出来るのはかなり後だという。
だが、
(構うか)
少年には些細な差だった。
何しろ人生の大半を病院で過ごしてきた彼にとって、外に出られるなら時間がかかっても構わない。
…しかし、
『半年しか生きられないって…』
『その前に死んじゃうよ…!』
脳裏に蘇る声。それは、話をしたいと願い、少し本の話をして、…屋上で、寿命が少ない事を知り、嘆いたある少女の声だった。
(病状が悪化して俺の方が先に死ぬ事も普通にあるのに…)
そうやって、いつも通り死を理由に全てを諦める。何か得ても死ぬなら、得る理由などない。
…しかし…
(なーんか、モヤモヤする……あれか、ちょっと治ったら生きる事に執着するようになった、とか?)
わかんね、と少年は唇を動かしてからリハビリを再開した。
少年は、未だその感情が何の萌芽なのか、何を意味するのかを、知らない。
「はい、公式暗記テストやるよー…玲君?」
「あっづーいー……あっ」
「あーきーらーくーん?」
「すいませんすいません先生!」
「君は数学がまるで出来ないんだからせめて公式を覚えようか!」
「いやぁ…つい…」
…九十九君が先生にジト目で睨まれて暑さとは別の汗をかいている。これ学校では済んだ範囲なんだけどなぁ…
「あのー、九十九君はともかく私は出来るんですけどー」
「七瀬は進学校で習ったんだよね!?」
「先生、九十九君と進度が違いすぎて同じ授業は無理な気がしますー」
「うーん…でもさすがに院内高校生は君たちしかいないんだよね。小中学生ならちらほらいるんだけど…」
「七瀬が教師みたいにすらすら正解出しちゃうからなぁ」
(教師って…まあ人に教えるの、苦手じゃないけどさ)
「ん?満更でもない顔だね、七瀬君」
「え゛っ」
「ふふっ…七瀬、顔に出すぎ。」
…うっ…この流れ、嫌な予感…
「うん、そういう事なら七瀬君が教師になって九十九君に教えてあげれば」
「あ、いいねそれ!お願いっ」
(う…断りにくい空気に…)
「元気すぎるよこの元重病人…」
「現、ね」
「あ…」
(迂闊だった…九十九君、すっかり喋れるくらいに回復してるけど、まだいつ悪化するか知れないって…)
「悪く思わなくて良いからさ、数学、教えて?」
「…で、でも教材…」
「先生の借りればいいじゃん」
(あー…これは…自滅した…うん、まぁ、これは教えてやるしかないやつだ…)
「君と進度揃えるまでね!それ以降は先生!」
「よし、ラッキ」
「調子良いんだから…」
「じゃあ頼んだよー」
「先生はサボりたいだけじゃないですか!?」
「結果論だよ」
ぶつぶつ言ってはみたものの、何だかんだ教えるのは楽しかった。…何だか、九十九君と先生の思うつぼなのは悔しかったけど。
……そうして私の寿命は、実に、実に楽しげに削られていく。
そんな、ある日。
「あ、七瀬ー、悪い。」
「なにー?…あ、なんか壊したとか?」
「酷くない?…いや、違うって。明日は先生…医師の方ね、先生に呼ばれてるから院内学級来れないんだよ」
「いいよ、サボりじゃないなら」
「サボりじゃないって」
「まあ了解、…でも、暗記は次回分もね」
「うへぇ…」
「ん?九十九君は休みか」
「お医者さんに呼ばれて…」
「じゃあ七瀬君は一人の授業は初めてか」
「ですね…」
「七瀬君も九十九君がいないと青菜が塩かけられたみたいになるから、さっさと授業やっちゃって休も」
「はい、この辺教えて下さい」
「…ボケたのにつれないねぇ…ってん?…これ、高2の範囲じゃない?」
「中高一貫で早いんです」
「…早く言ってよ……ってあれ?じゃあ、なんで最初九十九君と一緒に…」
「そんなに進んでるなんて知らなくて…」
「あー、悪いことしたね」
…
確かに、そんなに進んでると知らなかったのは本当だ。でも、
(九十九君と授業受けてみたかった、なんて言えないよ)
(九十九君、来るとしたらここだよね…)
看護師に許可をとり、コモンスペースへ歩く。走ったら力が入らなくて倒れた時に困るからだ。
少女の身体は、徐々に言うことを聞かなくなっている。
(お医者さんは衰弱って言ってたけど…突然力が抜けると、なんだか欠落していくみたい)
昔ながらのゲームのドットみたいに四角いつぶつぶで出来ていて、一歩歩く毎にドットがパラパラと抜け落ちていくみたいな、そんな風に思えた。
「すいません看護師さん…よ、七瀬」
「九十九君」
待ち人はずいぶんと機嫌良く挨拶をしてきた。
(…最近は九十九君は、検査のたびに不機嫌だったのに。なんか…)
嬉しい?
いや、違う。
彼が検査をして不機嫌だったのは、病のせいだったのに。最近の彼の驚異的な回復を思い浮かべ…突然、嫌な感覚が身体中を走る。
「聞いてくれ七瀬」
「…………」
「七瀬?」
「まさか…回復の…」
「…ああ…」
恐れていた事は、現実になった。
彼は生き、私は…独りで、死ぬの?
「…なんで…?なんでなの…こんなの…」
「…」
彼が、背中に手を回す。が、
「やめてっ!」
「…ごめん」
「………九十九君が悪くないのはわかってる…」
「…」
「わかってるけど…わかってるけど…!」
彼は、目を真っ赤にしながら、唇を強く噛んでいた。
「こんなの…
出会わなければ、良かった…」
「それは間違ってる」
「じゃあ!何が正解なの!?私は死ぬのよ!?どうにかしてくれるの!?」
「いや…それ、は」
「死にたくない…死にたく、ないよ…」
ぐしゃぐしゃになって、ぼろぼろになって、しかし前のように気は晴れなかった。代わりのように晴れて輝く太陽は、暑さと共に私の残された体力を削るだけだった…
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