第2話「嘆く盛夏」


「待って!まだパジャマ、着替えしてから!」

「別に病院行くんだしパジャマでよくないか?ほら行くぞ」

「はぁ!?風邪じゃないんだから駄目に決まってるじゃない、すぐ着替えてくる!」


デリカシーがない父さんにいらいらしながら適当な服を見繕う。

(ちょっとアクセサリーがないのは寂しいから、お気に入りのネックレスをかける。花のヘアピンはちょっと子供っぽすぎるかな…)

「遅いぞー!」

「ゴメン!今行く!」

(まぁ、病院って言っても貧血だしそのくらい良いか…)

(また小言を言われるのも嫌だなー)とか思ったけど、不思議な事に父さんは注意をしなかった。

「ゴメン、怒ってる?」

「ん?…いや、怒ってはない」

という割には父さんはちょっとピリピリしてる。

(貧血でそんなピリピリするもんじゃないから、やっぱり怒ってる気がするんだけどなぁ…)


「失礼します」「失礼します」

父さんが入るためにドアを開け、入ってからドアを閉める。

(私の検査でなんで父さんのために…)

と考えていたけど。


(空気が妙に重い…)


(なんだろう、前は穏やかな笑顔を浮かべてた猫背のお医者さんが、背をきちんと正して真剣な顔してるし、黙っていた父さんといい、なんだか…


私になにか重大なことでもあったみたい…)


そう思った瞬間、全身の血が引いていくような気がした。

(いや、そんな…でも…)

すっかり混乱している私に告げられた言葉は、思考を停止させるに充分だった。

「娘さんに、筋肉の異常が見られます…かといって、筋ジストロフィーなどに見られる症状が全く見られないのですが…」

「この状態では手足が突然動かなくなる、というのも納得です、というより手足で済んで良かった。心臓に異常が見られたら死んでいたでしょう。…いつ心臓に異常が起こるかしれませんが」

「一度手術をすれば延命は可能ですが…延命と言っても、この状態では半年が関の山です。…少し、延命治療をするかどうか話し合って下さい」


え?


死ぬ?

私が?

(ちょっと待って、私が…死ぬ?)

父さんの、『お前が大人になった時のためだ!』という口癖を思い出す。

(ねぇ、父さん…私、大人になったら好きな事ができるって言われたから頑張って来たんだよ…!?

半年って…半年って…!!

…大人になれないじゃん…!)


どうしていいか分からなくなった私の横では、父さんがみっともなく涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。

(やめてよ…泣きたいのはこっちなのに…)

検査入院の時に話した同い年の少年を思い出す。

握力がないのか震える手で書かれた文字には、彼がひどい病気にかかっているというのに、希望が溢れていた。あんなぼろぼろで、もう治りそうには見えなかった身体で…。


彼は希望を持っているからこそ、治療に耐えれるのかも知れない。

(少なくとも、私は希望なんて残ってない。大人になったら、で支えられてきたのに、もう私は…大人になれない。

こんなの、生きてても同じじゃない。)

(……延命なんて無意味だ。どうせ半年なんて誤差だ、つらくなるだけだ、出来ないことに思いを馳せて死んでいくだけだ……)

しかし、医師に言われた通り相談をする事になると、


「延命治療をお願いするぞ」

「父さん…!?」

父さんが、延命を提案してきた。

(…こんな、無意味なまま、生き永らえるの…?)

「なんだ?まさか死にたいとか言うんじゃないだろうな」

「えっ、と…いや…」

(そんなの、死にたい訳ない。でも…)

「なら異論はないな。…ないな!」

(質問の意味、ないじゃん…)

「…はい」


「…というとこで先生、よろしくお願いします」

「はい。治療費は…」

そのあとの会話は、何も耳に入ってこなかった。


その後の私の[管理]は、滞りなく行われた。まだまだ健全な足で歩き、寂しげな廊下を渡り、案内された病室へ入る。ずっと暮らすにはあまりに味気ない部屋。生を拒絶するような消毒液の匂い。遠くの足音もかすかに響くような静寂。おしゃれしていった訳ではないけど、はるかに野暮ったい入院患者用の服。

無味乾燥という言葉が相応しい、個性のない空間。


(…暇だなぁ…)

テレビはあってもカードを買わないと見れないらしい。父さんに聞いてみたが、教育上良くないからと却下された。もう意味ないのに。


(こんな殺風景なとこ嫌だなぁ…)

「あの、看護師さん…どこか、気晴らし出来る所ないですか?」

「うん、屋上があるね。でっかいフェンスがあるけどここよりはましじゃない?」

「ありがとうございます。行ってきます」


…無表情な階段。当たり前だけど、アパートの階段のようにカンカンと音が鳴ったりしない。

ドアノブを回して、屋上へ上がる。

見慣れた青空、干してある大量のシーツ、言われた通りの高いフェンス、………そしてあの、少年だった。……まだ、いたんだ。良かった。

「あ…ひさし…ぶり…」少年は車椅子のまま、か細い声で…声?

「あれ、君、声出せたの?」

「いや…つい…最近だよ…」

「良かったね」

「…うん…あり…がと」

少年の顔には、出来る限りの笑顔が浮かんでいる。その笑顔があまりに眩しくて、つい目を背けてしまう。

「どう…したの…?」

「ん?ちょっとね」

「…検査、入院…あんまり、良く、なかった…?」

「…うん。


……………いや、あんまりでもないね。凄く、良くなかった」

私は何を重病患者に話しているんだろ…

いや、私こそが重病患者か。

(もういいや、面倒臭い…話して……しまえ、ば……)

なにか、箍が外れた。

「あのね…私…頑張って生きてきたんだよ。凄く、頑張ってきた…!父さんが、頑張ったら、大人になったら好きなだけ遊べるから、今は頑張りなさいって、言うから…!!私、頑張ったのに…半年しか生きられないって…半年って何なんだろうね!?私、遊べるんじゃなかったの!?その前に死んじゃうよ!生きたかった、生きたかったのに!!…もう…最悪だよ…最悪…本当…うう、ううぅ…」

…ヤケっぽくなったからか、堰を切ったように自分の身に起こった事を話している気がするけど、もう涙が止まらない…

「…まだ、話す、ことが、あるなら…聞く」

彼は、声を紡ぐことすら精一杯なはずなのに、私に声をかける。そのゆったりした口調やぎこちない笑顔が何だかあったかくて、私は泣いた。…何だか、言葉は出なかった。ただただ、泣いた。涙と鼻が顔をみっともないことにしているだろうけど、気にしない。

私が泣いている間ずっと、彼は側にいた。


…泣き止むと、

「…気は、晴れた?」

「…うん。ごめんね?えーと…」


今さらながら私は少年の名前を聞いていなかった事を思い出し、愕然とした。

(なんで聞いてなかったんだろ…

私……名前も知らない少年に向かって号泣してたんだ…)


「あ…名前?…俺、は…

九十九 玲(つくも あきら)。

君、は」

「…七瀬。七瀬 澪(みお)。君は確か同い年だったね。…ありがとう」

「…いやいや…俺は、何も…」

「いいのよ。…ん、そろそろ病室に帰らなきゃいけない時間じゃない…」

「あ、ほんと…じゃあ、」


またね。


他ならない彼だからこそ、その言葉は希望に溢れていた。


「よし、検査終了。ごめんね、手間かけて」

猫背の先生はカルテに軽く記入しながら軽く謝る。

「いえいえ、大丈夫ですよ。ありがとうございます」

「すまないね。…さて、真面目な話が続いて悪いが…君、院内学級って興味ない?」

(いんないがっきゅう…病院の中の学校って事かな。)

「学校…みたいな感じですか?」

「うん。といっても、高校1年生は一人だけだから君が来ても二人だけだがね」

「あれ…高校1年生って、もしかして九十九君ですか?」

「ん?九十九君を知ってるのか、話が早いね。どうだい、悪くないだろう?ずっと病室に篭ってたら気が滅入るし」

「うーん…そうですね。お願いします」


(彼がいるなら、こんな最悪な暮らしも。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ………


悪く、ないかな。)

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