第五十二話:それは光か、絶望か

霧の中は薄く灰色のベールがかかっていて、人の目では2m先でさえはっきりと見えるかどうか怪しい。前方に手を伸ばしこちらに向けた手の平、その指先も若干だが霧でぼやけて見える。


シュカが俺の服の袖を掴み後方から付いてくる。


霧の中で視界が悪いとは言え、ここまで問題無く歩いてきている。正直周囲の状況(まだ森の中だとは思うが)については把握できている自信はない。


そんな不安をよそに俺たちを先導するのは、守り人と名乗る奇妙な民と、そのアードから「姉さん」と呼ばれていた不思議な少女だ。


アードについては、実のところ全く知識を持ち合わせておらず、初めて会った印象としてはいきなり『殺す』と言われたものだから最悪で、今のところ敵だという意識の方が強い。


先ほどまでの状況で、少女から逆に命令などされていたようだから、力関係としては少女の方が上なのだろう。


年齢としてはシュカと同じぐらいだと思うのだが、態度といい見た目通りなのかは怪しい。後で確認する機会があればぜひ聞いてみたい。


アードと少女は同じく獣の皮や骨を身に纏っていて、王都やノラ街に住んでいる者とは明らかに違った雰囲気を漂わせている。


狩った獲物の皮を剥ぎ、その獲物の一部をアクセサリーにして身に着ける民がいるとは以前読んだ文献等で知っていたが、実際に会ってみるとノラ街のクレイのような感じに近いと思ってしまった。


殺傷した生き物に対して死を悼み、且つその生命を頂くことに感謝する所作だという。儀式的なものだが、魔除けに近いものなのかもしれない。


正確に言えば、宗教者に近い何かを感じさせる。ノラ街で育った無神論者に言わせれば、神など信じないから、彼女らが信仰する神とやらに無礼な振る舞いを無意識のうちにしてしまうかもしれない。


時折、少女を覆う毛皮の間から首筋に変わった文様が刻まれているのが見えたが、やはり俺の知識には無いものだった。


かげひそむ~そいつらを~起こしちゃいけない精霊せいれいの~気配を感じりゃ振り向かず~我が故郷への道しるべ」


聞いたことも無い歌、不思議な旋律を口ずさんでいる少女。


場違いな陽気さと足取りで、まるで警戒心が無い。


俺の怪訝な視線に気づいたのか知らないが、シュカが後ろから声を潜めて話し掛けてくる。


「なんなんでしょうか、あれ」


シュカも自分なりに状況を整理していたのだろう。視覚が機能していない以上、別な感覚器官が鋭敏になっている。俺は視線を前に向けながら応じる。


「…分からない。現状、彼等から敵意は感じられないし、少女がさっき『付いて来い』といったのは彼等の住居アジトが近くにあるのかもしれないな。言葉通りに歓迎ムードなら良いけど、少女以外の者が皆そうは思わないかもしれない。もしかすると、一生この森から出さない気かもしれない」


「そうですね…。でも私たちを殺す気なら、さっき殺せたはずですよね。引っ掛かります。何かしらの意図があってでしょうか、それとも…」


「そうだな、半信半疑ではあるけど、まず言えることは何かあったらすぐ動けるように気は緩めないで居よう。最悪もしも彼等との戦闘が避けられないようなら、俺は先にシュカを逃がす。その後、俺が時間を稼ぐから、このことをギルドに伝えてほしい」


「それは、最悪の場合ですよね。彼らが無害だという確証は今のところ無いですけど、少なくともあの女の子の方からは、わたしは特に嫌な気配は感じていないです。これはシーフとしての、女としての勘です」


「ふむ…」


「それに、今は、ミラさんと合流ができるのかどうかも心配です」


「ああ…確かにな。でも、それについては問題ないと思う。彼女のスキルなら、ゴブリンを撒くぐらいなら造作もない。けど、数で囲まれれば厄介だ。もしかすると、木の陰に身を隠して、今も身動きが取れていないかもしれない。なんせこの霧だ。ミラの方も状況が悪くないとは言えない」


「そうですね…」


アードと少女は相変わらず速度を変えずに俺たちを先導する。


シュカとの話も耳に届いているのかは分からないが、届いていたとしても興味が無いのかもしれない。


なんにせよここは彼らの庭で、俺たちは何も知らない部外者だ。


どんな相談をしようが、彼等の手中にいるようなもの。


今のこの状況において、彼等の注意を引かせる手札は俺たちには何もない。



「あんたら、さっきゴブリンの奴等と戦ってたろ」


不意に口ずさむのを止め、振り向きながら少女が話し掛けてきた。


「たしか、あんたら三人だったよね、もう一人はどうした?もしかして、あいつらにやられた?」


シュカが声を上げそうになるのを制止する。


大丈夫だ、悪気はないと思う。


「姉さん、止めときましょうよ、冒険者と話すなんて」


アードが勘弁してくれというような表情で少女を諭す。

お互い苦労しているようだ。


「良いじゃん別に。冒険者が迷いの霧を抜けてくるなんて珍しいんだしさ。それに外の話もたまには知りたいじゃんさ」


アードが静止するが、少女は気にせずむしろ好奇心旺盛に、好意的に話してくる。


「どうだった、ゴブリンの連中は。やつら、みすぼらしく臭くて汚いが、狡猾で図太くて馬鹿で真っ直ぐだろう」


俺は返答に困る。訝しげに思っていた感情が揺さぶられて、どう反応して良いものか一瞬迷った。

それに、ゴブリンとの戦闘の一部始終をこの少女たちは知っている。


冷や汗が出た。


一体、いつから見られていたのか。それはゴブリンの襲撃に気づいたときからなのか、それとも探索を止め引き返すタイミングか、もしやこの森に入るときからか。


…分からない。


気配はまるで感じ取れなかった。


こいつらは俺たちの行動を、俺たちが知らないときから監視していた。


危険なのか…。


俺の本能が直感するが、同時に理性がいや待てと訴える。


現状、彼等から敵意は感じられない。しかし、好戦的な奴等だったら、俺たちは今もこうして呑気に歩いていたのだろうか。


「敵の情報、自分との力の差は細かくは考えない。略奪、強姦、殺害。生物の本能を剥き出しに欲望のまま向かってくる。それがゴブリンさ。それがときに野蛮で残酷で人の牙になる。まあ生きるか死ぬかの戦いさ、やつらもムキになるのは分かる」


俺たちの心の内を知るはずもなく、少女は言葉を続けていた。

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