第四十七話:森に蠢く影

トウヒっていうのは常緑針葉樹のことで、主に山岳地帯に自生しており、所謂モミノキに類似している。


主人に連れられて炭鉱から遠目で見たときには、一面深緑で、ああ森だなあというぐらいの印象でしかなかったが、近くから見ると中々木深く圧巻である。


森深く迷い込んでしまったら、抜け出すのは厄介そうなので注意しながら進む。


ミラを先頭に、シュカ、俺といった順で隊列を組んでいる。この辺りは炭鉱のときと同じだ。


照りつけていた太陽の熱が弱まってきたように感じた。


周囲を木々に囲まれた状態にあるのなら尚更だ。


炭鉱にいたときよりも幾分じめっとしている。時折、枝葉から木漏れ日が見えるが、夕刻が迫ってきているのだろう。


暗くなる前に任務を終えて、この森を抜けなければならない。


炭鉱の爺さんの心遣いで気持ち休むことができたとは言え、早朝からの出立と戦闘で体力は消耗している。


シュカは表情に見せないが、気張っていることはなんとなく分かる。


夜になり視界を奪われれば、どんなモンスターから襲撃を受けるか分からないし、まともに戦闘もできないだろう。


もちろん万が一に野宿という選択肢もあるが、この森に関する情報は多くないし、いざというときにそこまで戦い慣れていない新人を抱えていては攻撃を回避して逃げるのは厳しそうだし、どうしたものかと正直思っている。


草木をかき分けながら進む。


決して足場は良くないが、ここまで特に問題なく進めているのはミラのスキルのおかげだろう。


所謂、探知系のスキルらしい。魔力や生き物の気配を感じ取るもので、通常の冒険者と比べてその辺りのアビリティが高い。


「なあ、ミラ。周囲に異常はないだろうか。結構歩いているように感じるんだが」


無意識に不安を感じていたのだろうか。我慢に耐えかねて、先を行くミラに声をかける。


「んー…」


後ろを振り向き、渋い顔をしている。


「生き物の気配はあるけど、鳥やネズミといった小動物のものばかりな気がする。モンスターの気配は今のところ無さそう…」


ミラの答えも期待しているものとは程遠い。


「ラトさん、心で感じ取るんですよ。こういうのは。目で見た情報が全てとは限らないんですから!」


シュカが得意げな顔をして、話に入ってくる。ここまで疲労を見せずに根気よく付いてきている。大したやつだ。


「心ですね、はいはい」


だいぶ慣れてきた証拠だろう。


現在のところ特に収穫が無いことも合わさって、シュカに対する絡みは少々雑になってしまった気がする。


シュカはその辺りの勘に鋭いようだ。まあ俺もそういうところ顔に出やすいからな。


「あー!今適当に返しましたよね!ひどいですよ!ラトさん!」


案の定すぐに指摘してくる。


俺とシュカのやり取りを聞いていたミラがシュカに訊ねる。


「それで…シュカ、心で感じ取って何か分かったの…?」


ちょっと棘のあるような口調だ。ミラ、やっぱり不機嫌…?


「それが、私の優秀な索敵、偵察スキルを活用して何か異常はないかと探しているのですが、まだ特には何も」


ミラはため息をついたかと思うと、すぐにいつものように表情を戻して、棒読みになる。


「そう…、…シュカはタヨリニナルネ。ガンバッテ」


「ああ!ミラさん今ちょっとこいつ使えないなとか思ったりしました!?」


「思ってないよ。可愛い可愛い」


不敵な笑みでシュカを見つめているミラ。ちょっとトウヒの森よりも怖いんだが…。


パーティの雰囲気は相変わらず悪くない一方で、今のところ、トウヒの森に特に異常を見つけることができないでいる。


ギルド側の勘違いという話は勿論無いと思うし、俺らが見落としている可能性の方が高い。もう少し探索を続ける。


ウッ。


危うく足を踏み外しそうになった。


足元は若干ぬかるんでいる。


普段冒険者を寄せ付けないような場所だ。


モンスターの脅威もさることながら、この森という自然の脅威に対しても警戒をしなければならない。


偵察であるのだから隠密に行動しなければならないが、やはり森の状況把握が大事。


視覚、聴覚、嗅覚で相対する世界に対して神経を研ぎ澄ます。


異変の正体はモンスターなのか。あるいは自然の脅威なのか。


戦場では気の迷いは捨てる。


話が通じる相手ならばまだ猶予はあろうが、モンスターともなれば少しの油断で終わるだろう。


息が詰まりそうだ。


一体俺たちは何を追っているのか。


目標が明確ならもっと効率よく絞れるのだろうが、なにせ情報不足なものだから慎重に動くしか術がない。


「シッ」


突如ミラが静止する。パーティに緊張が走る。


俺の指は剣に触れ、いつでも抜く準備はできている。


キャンッキャンッ。


何かが木の陰から空に向かって羽ばたいた。野鳥か…?


息を吐き、筋肉が一瞬弛緩する。


しかし、次のミラの言葉で一気に意識は戻る。


「…そっちじゃない」


「ギャハハハ」


下品な濁った声で嗤うような声がした。


人間のような言葉を話すが人ではない。


モンスターだ。


…ゴブリンか。


2、3体いるようだ。


鳥が羽ばたいのは奴らが近くにいたからか。


装備と体格は大きく無いので、倒せない相手ではない。


しかし、ゴブリンが数体で行動する場合には大抵偵察目的で、敵の本隊が別にある可能性の方が高い。


まだまだゴブリンがうじゃうじゃいる可能性があるので、安易に攻撃することは避けたい。


こちらに頭数と火力があれば問題無いが、そのどちらも足りていない現状は俺たちにとってリスクが大きい。


あくまで偵察であり、この森では俺たちはアウェーだ。


「…やつらが異変の正体なのか?」


声を潜めて、ミラに聞いてみる。


「…わからない。ゴブリンはどこにでも拠点を作る。森にこいつらがいることは別に不思議なことじゃない」


あからさまに嫌悪感を隠さないミラ。


まあゴブリンは基本野蛮なやつらだから好きなやつはいないと思うけど。


「私、本物のゴブリン初めて見ました。案外小さいのですね」


シュカが結構冷静に見ている。


「個体にもよると思うが、彼らはそれほど大きくはないらしい。しかし、臆病だが、性格は暴力的なので侮ってはいけない。過去、ゴブリンを甘く見て帰ってこなかった冒険者も中にはいる。ルーキーなら尚更だな。結末は想像がつくと思うが、男であれば必要以上に拷問され、女であれば死ぬまで凌辱され続けるようだ」


「…キモ過ぎ。排除すべき」


ミラがさらに嫌悪感を募らす。


「私もミラさんに同意です。そんなやつら生かしておくべきではありません。でも、今は偵察がギルドから預かった私たちの任務です。ここは落ち着きましょう」


正論だ。


「分かってる」


納得は出来ないようだが、少しミラも落ち着いたようだ。


シュカに続ける。


「俺もミラに同意したいところだけど、ここは抑えよう。奴らの集団での攻撃はこのパーティでは防げない。あのゴブリンだちを殺ったところで、他のモンスターを呼び寄せるだけだ」


ミラとシュカが頷く。草木を陰にしてゴブリンが去るのを待った。


 暫くして、霧が出てきたようだ。更に視界が悪化する。


ゴブリンたちはどこかに行ってしまった。上手くやり過ごしたらしい。


偵察任務を続行したいところだが、これ以上の深入りは危険だと判断する。


既に夕刻は過ぎ、まもなく夜になる。


予想はしていたが、だいぶ遅くなってしまった。最悪の事態は回避しなければならない。


「引き返す。一旦元来た道を戻ろう。これ以上の深入りは危険だ」


俺たちは元来た道を戻ろうとする。


ミラとシュカのクラススキルがあれば、夜道でもなんとか森を抜けるぐらいはできると思う。


「わたし、もうお腹ペコペコです!!」


シュカが我慢できずに空腹のアピール。


収穫は無いが、一つゴブリンの生態は確認した。


ギルドが言う偵察とはゴブリンとは無関係に思えるが、一応情報として持ち帰ろう。


元来た道を引き返す。

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