発達障害と少年犯罪、傷ついた脳をめぐって



「ケーキの切れない非行少年たち」というベストセラーがある。なかなかショッキングな内容だった。著者は確か少年院の精神科医で、一向に贖罪意識や反省の弁を述べない少年たちとの関わりを通して、彼らの脳や認知機能について疑問を抱くようになる。そこで簡単な計算問題や図形の模写、タイトルにあるようにケーキを三等分にするような問題を出す。

少年たちはこうした問題を解くことができなかった。なぜこうしたことが起こるのか?

「ケーキの切れない非行少年たち」では、少年たちは元々発達障害などなんらかの先天的な障害があり、それに対する無知や無理解、虐待やいじめなど、元々傷ついていた脳を更に傷つけるような体験の帰結として、犯罪があるとしていた。もちろんそれによって免罪されるわけではないが、社会の側が抱えるこうした子どもたちを取り巻く環境と制度については再考されるべきである。

さて、今回読んだのはこれとそうテーマの遠くない「発達障害と少年犯罪」というものである。著者の田淵は冒頭で、「発達障害が犯罪行為に結びついてしまったような事件や事例は、明らかに治療や教育の失敗が原因である」とはっきりと書く。教育に関しては、なんらかの教育支援が必要な児童の6割が支援を受けていないという。また児童精神医療の乏しさも問題である。



だが、発達障害という属性だけで即犯罪に繋がるわけではない。本書の中で重要な指摘は、「発達の障害とか凸凹だけでは、触法とか問題行動になることは非常に少ない」ということだ。ではなぜ、発達障害と少年犯罪とはリンクするのか?

犯罪へと結びつくには、発達障害という先天的な障害の他に「プラスαの要因」である。その要因とは端的に言って、「迫害体験」だ。

その具体的な内容は、虐待やいじめといったものだ。こうした迫害体験が加算された時に、発達障害を抱えた児童は「調子がおかしくなる」。


発達障害児と迫害体験に関しては、少年院に実際に送致されている子どもの6割以上が被虐待児であるとの統計からも明確な相関がある。そのうち虐待について、発達障害という「共感性、関係性の問題」を抱えた障害は特にその「リスク要因」となる。

「発達障害という先天的な脳の病気によって、子どもはいわれのない暴力や虐待を受ける可能性がある」というのだ。この点に関しては、家庭に対する支援が必要ではないか。

また虐待に関しては最近興味深い知見が得られている。

本書において、「虐待は正常な脳の機能を損なうだけでなく、生まれつきの脳の機能障害からくる発達障害をもつ子どもの悪い面だけを顕著化させ、負の症状を助長することに繋がる」と指摘されている。友田明美氏の著書にも、虐待(マルトリートメント)が子どもの脳に対していかに大きな悪影響を与えるかを指摘している。特に顕著な影響を受けるのは、海馬、扁桃体など記憶とその意味や価値付けを行う部位である。実際にハーバード大と東大の共同調査において、被虐待経験のある大学生とそうでない学生のグループの脳のMRIを撮影したところ、被虐待経験のある学生の脳は萎縮が見られたという。また前頭葉など、学習に関する部位も損傷を受けており、学習の定着や習熟にも悪影響を与えるということが分かっている。こうした部位に損傷を受けた児童は知的に問題がなくても、ADHDに特有の行動を行うようになったりなど、行動面に問題を抱えるようになるという指摘もある。

虐待が子どもの脳を「傷つける」という説は、仮説の段階から科学的に実証されつつある。

また「エピジェネティクス」という考えも興味深い。エピジェネティクスは「遺伝子の上に更につけ加えられたもの」といったような意味があり、一部のエピジェネティクスは、次世代へも遺伝することがわかってきたという。

虐待やいじめという後天的な迫害体験と、発達障害との関係を過小評価するべきではないだろう。それと同時に、こうした問題に対して未だ貧弱なシステムしか持ち得ない社会の側も問題とすべきではないか。

また本書において、杉山医師は、「『愛着障害→注意欠陥・多動性障害→解離性障害→多重人格』と障害が変化してゆくのに従って、行動も『問題行動→非行→触法行為・薬物依存などの犯罪行為』と変化してゆくというものである」との指摘をしている。この変化は、発達障害を抱える児童の問題がいかに深化していくかが分かるのではないか。犯罪とはいうまでもなく、最悪の帰結である。少年犯罪とはセンセーショナルな扱いを一般的にされる。だが加害者側の抱えるこうした問題に関して、考察する動きは乏しい。

発達障害と犯罪は免罪される理由にはならないし、必ずしも犯罪に走るということでもない。だが指摘されているように、迫害体験に遭うリスクがほかの児童に比べて相対的に高いことも事実ではないか。それは発達障害という関係性や共感性に困難さを抱える障害特性もあるが、それを受け止める側の無知や無理解も大きな問題ではないか。以前よりは発達障害という単語は耳に馴染みがあるといえるが、それでも社会の側にある教育、医療、家族支援は充分とはいえない。

「いちばん困っているのは本人」というのは、とあるNPO法人の言葉だ。「発達障害は脳が進化したからだ」という言葉も出てくる。「気遣いや人付き合いといった余計なことを考えなくてもよくなった脳の空き領域に、優れた才能が搭載されたのが発達障害という特性ではないか」というものだ。医学的根拠は措くとして、このような障害に関する発想・価値観の転換は必要なのかもしれない。



発達障害と少年犯罪との相関は、やはり無視できないものだろう。特に迫害体験と犯罪との結びつきはもう少し慎重に考察されるべきものである。虐待やいじめといった体験は障害の有無に関わらず人の発達に大きな悪影響を与える。6歳前後の体験や記憶は、生涯を通じてその人に影響を与えると言われている。特に幼少期にどのような環境に置かれていたかはかなり重要な要素になる。実際にニューヨーク市公衆衛生局の大規模な調査によると、就学前に虐待や両親の薬物依存、貧困など問題のある家庭環境に育った子どもは後に、生活習慣病や精神疾患、薬物依存などの問題を抱えているケースが多く見られたそうだ。

これは家庭に対する社会支援も急務である。エピジェネティクスという考えがあるように、望ましくない環境因子は次世代へと「遺伝」していくことがままある。それは、「人は自分がされたようにしか他人に対して接することができない」からだ。

障害というものが、特性や個性であるという考え方は以前よりも認められつつあるが、社会環境はそうした意識になかなか追いついていない。児童精神医療の乏しさについてもそうだが、本人への直接支援と家庭や教育、といった間接支援についても求められると改めて思った。

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