「三島由紀夫没後50年」

今年は三島由紀夫没後50年の節目だった。そんなことも吹き飛ぶほど、今年は年初から色々とあったわけだが、改めて三島由紀夫について考えたい。

個人的に、私は日本人作家の中で最も好きなのが三島由紀夫だ。私が初めて彼の作品を読んだのは15歳の時で、折しも病気で療養をしていた頃だった。手に取ったのは「金閣寺」で、その前に谷崎潤一郎や太宰治、芥川龍之介なんかも読んでいた気がするけど、その誰とも違った文体と日本語の使い方に驚いたことを覚えている。だがなによりも私を惹きつけたのは、屈折した学僧の心の描き方だ。流麗な日本語、そして三島独特の美学と観念に貫かれた世界観と解釈が当時の私にとって、かつてないほどショックを与えてくれた。今でも好きなのは、金閣寺を焼いて山に逃げ込んだ学僧が、煙草を吹かす場面だ。彼は死ぬ為ではなく、「生きる為に」金閣寺を焼いた。

そして、生きようと思うのだ。

これは私にとって、ある意味「本当の」読書体験だったのかもしれない。そして、そんな体験を与えてくれた三島由紀夫という人は、私にとって文学を考えるとき、絶えず念頭にある人物になったのだ。

三島没後50年という節目にあって、三島と東大全共闘の映像や本を読んだ。角川文庫から出版されているものを先日読んだ。三島の晩年ともいえる時期に、左翼の知性の最高峰とも言われた東大全共闘との議論は今でも緊張感のあるものだ。そして、恐らく明確に自らの死、最期、日本的なものへの思索と葛藤を深めていく三島自身の観念とがその中で吐露されている。

三島由紀夫という人は、強烈なコンプレックスを持った人であるが、こと肉体に関しては三島にとって生涯にわたる問題であり続けた。三島は30代にボディビルや剣道、空手といったものに目覚め、自らの肉体を改造していくのだが、そのことは三島個人の問題を越えて、人間にとって普遍的な精神と肉体との問題へと変化していく。東大全共闘との議論の中で、この精神と肉体の問題、言うなれば主観と客体、西洋世界から伝統的に根強く続くこの問題について三島独自の観念が明らかにされる。



「三島:そして私自身の存在というものは、自分の肉体の皮膚の外へたった一ミリも自我を拡張することができない。その閉ざされた肉体の中で精神の自我だけが無限に異常に、ガン細胞のように増殖して拡がっていく。そしていわゆる文学者というものは、そういう肉体を無視した精神の増殖作用に一生の仕事をかけて、自分があたかも精神によって世界を包括し、支配したような錯覚に陥っている。……私はなんとかしてその肉体を拡張してみようと思った。それからそれをやってみましたところが、肉体というものがある意味で精神に比べて非常に保守的、そして精神というもは幾らでも尖鋭に、進歩的になり得るのだけれども肉体というものは鍛えれば鍛えるほど、動物的な自己保存の本能によって動いている。

肉体の「縁」というところには一体何があるのだろうか。私はそのボーダーライン、国境に非常に興味を持った。われわらの皮膚がここにありますね。皮膚の外に世界が接触している、その接触点に何があるのだろう。これは私が考えた一番の疑問だった」


三島の言うボーダーラインは、自然に(生まれながらにして)引かれたものではなかった。ボディビルによって、彼がようやく強靭な筋肉を纏えたように、それは人工的意図的に作られた、あるいは引かれたものであった。そのことが、彼にとって、一つの「縁」であり、保守性というものの極致だったのではないか……。

三島は早熟の天才と謳われ、その精神面での発達は異様なほどであったことは論を俟たない。

彼が意図的に拡張したその肉体には、一体どんな意味があったのだろうか。少なくとも初めは虚弱であった自らの肉体改造であったかもしれない。またその裏側には、そうした「男らしからぬ」貧弱さの内に巣食う自らの「女らしさ」というような女性性への徹底的な殲滅もあったのではないかと、私には思えてならない。それは単純に女性性への否定という意味を持たないがゆえに、複雑だ。男らしさ、筋肉や強靭な肉体への羨望と、「しらっこ」とからかわれた自らの肌の白さ、華奢な線、女らしさへの屈辱と劣等感とは表裏一体となったものだ。そうした屈辱と劣等感こそが、三島の流麗な日本語を産んだことは明らかであり、同時に「女らしさ」というものへの鋭敏な眼差しをも産んだ。それは三島が自身のエッセイの中で平安文学について書いた文章に現れている。彼は日本文学に特有なのは「女らしさ」に代表される陰気、陰湿、暗さといったものであり、こうしたものがふんだんに現れた平安文学がその後の日本文学を貫いていることは「憎むべき」ことである、とまで書いている。

三島にとって、肉体の問題は性の問題であり、同時に文学上の問題でもあった。そのように展開をしていく肉体という器を持った肥大していく精神を、三島はどのように感じていたのだろうか。

あえて彼は精神の肥大に枷をはめ込むように、「日本人」というボーダーラインを提示し、ほこに自らを強固にはめ込む。ここに、東大全共闘と三島との明快な違いというものが現れている。



「全共闘C:あなたはだから日本人であるという限界を越えることはできなくなってしまうということでしょう。


三島:できなくていいのだよ。ぼくは日本人であって、日本人として生まれ、日本人として死んで、それでいいのだ。その限界を全然ぼくは抜けたいと思わない、ぼく自身。だからあなたから見ればかわいそうだと思うだろうが。

……だけれどもぼくは国籍を持って日本人であることを自分では抜けられない。これはぼくは自分の宿命であると信じているわけだ」



私はここに、三島自身がもしかするとすでに自らの最期を決めていたのではないかとすら感じるのだ。三島自身が辿り着いたのは、自らの肉体の最初に刻み込まれたDNAであった。それは文化的、民族的なものである。そして、彼にとってそれは「日本」であり、「日本人」でしかあり得なかった。まさに、日本人であること、そして日本という空間の中で生きることは、彼にとって宿命的なことであった。

そして、最もその象徴的な意味合いを与えられたのは「天皇」であった。それは人間宣言をした裕仁天皇ではなく、戦前戦中の「すめらみこと」であった。だが、時代は高度経済成長を謳歌していた。その最中にこうした思索に陥ったことが、三島にとってどのような意味合いを持っていたのか。

虚無という言葉が私には思い浮かぶ。三島は孤立と虚無とを深め、そこに自らの個人的内面的な問題というものを越えて、時代特有の病を見出していったのではないか?それはやがて、日本文化の危機、日本人の危機、日本という国の危機へと発展していく。ボーダーラインの問題は、個人の肉体という縁を越えて、観念的、物理的なものへと成っていったのだ。

そんな最中にあっても、三島はやはり文学、そして小説家という生き方に何かを託そうとしたように思える。そして、若い人々の情熱というものにも。東大全共闘との議論の終わりにあって、彼はこんなことを言っている。



「言葉は言葉を呼んで、翼をもってこの部屋の中を飛び廻ったんです。この言霊がどっかにどんな風に残るか知りませんが、私がその言葉を、言霊がとにかくここに残して私は去っていきます。そして私は諸君の熱情を信じます。これだけは信じます。他のものは一切信じないとしても、これだけは信じるということは分かっていただきたい」



これは悲愴な響きを帯びて聞こえる。もしかすると、三島はすでに「他のものは一切信じない」境地にあったか、その予感がすでにあったのかもしれない。それでも、「諸君の熱情」は信じるのだ。そして、それを「分かっていただきたい」と言うのだ。しかもそれは保守派の人間の前でなくて、東大全共闘の面前で言うのだ。私はここに、三島の純真さと晩年の悲愴を考えずにはいられない。

角川文庫の「三島由紀夫vs東大全共闘」の最後には、三島由紀夫と東大全共闘それぞれが議論を終えての文章が収録されている。

「砂漠の住民への論理的弔辞」において三島はこんなことを書いている。


「したがって、現在の一瞬一瞬への全精神と全肉体の投入は、決してそこの一点のみにとどまらず、自己を現在へつなぐ過去の意識を越え、潜在意識をさへ越え、自己の属する時代をさへ越えて、すなわち近代的思考や意識のあらゆるものを越えてまで、そこに一つの現在結晶が成就されるというのが私の考へである」


三島にとって、それは具体的には政治的活動および行為というものだったのかもしれない。それはイデオロギーを越えたものであり、自分自身の生命をも越えていくもの、いくべきものであったのかもしれない。私はこのように生きた作家というものを、ほかに知らない。それこそが、私が三島由紀夫という作家、人物に今も惹きつけられる理由なのかもしれない。

また、東大全共闘側は「三島由紀夫と我々の立場 ー禁忌との訣別ー」において、こんなことを書いている。


「今日私達が暴力学生と呼ばれるのは暴力に陶酔するとか人間性の復活とかではなく、暴力によってしか自己が完結しない冷厳な時代の事実があるからだ」


「暴力によってしか自己が完結しない冷厳な時代」を、三島はどう捉えたのだろう。経済復興を越えて、その繁栄を謳歌する時代の行き着く先が暴力による自己の完結であったとするならば、三島の行為はそのことを学生たちに知らしめたのだろうか?

割腹という衝撃的な最期とその方法は、今をもって考察され尽くしたとはいえないだろう。さらに考えれば、三島の抱えていた空虚や葛藤というものを考察することのできる知性や感覚というものが今この時代にあるのかと、思ってしまう。それが私の空虚感と言えるかもしれない。

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