「ご遺体」にする職業

最近、ちくま文庫の「本を読む人だけが手にするもの」という本を読んだ。著者の藤原はリクルートの元営業マンで、働き出してから様々な本を読むようになったという。学生時代はそう本を読む方ではなかったが、働く中で読書の大切さに気づいたそうだ。それでジャンルを問わず本を読むようになったそうだ。

藤原の読んで印象に残った本が途中に付記されていて、私も面白そうなものをメモって買うことにした。

まず読んだのが「ピーターの法則」という本で、これは結構面白かった。ピーター博士は彼自身が新たに創設した階層社会学について、魅力的に解説する。なぜ、明らかに不適格な上司や経営者が存在するのだろうか?有能な人ほど管理職にはなれない。階層社会の中では、あらゆる人々は昇進を重ねていくが、昇進するほどに人々は無能の階段を上がっていく。

「良き指導者は良き服従者」よく使われる諺であるが、こんなのは嘘っぱちだ。人は出世のためには上司からの指示に忠実に従う。だが昇進してからは部下に指示を下さねばならない。忠実な部下から、指示を下す管理者へ。全く異なる能力が求められるようになると、人は途端に無能をさらけ出す。

仕事とは、現実には少数の有能な人たちによって進められている。皮肉なことに、組織の中で真にリーダーシップのある人間は適切に評価されない。むしろ組織内の秩序を乱すものとして低いポジションに留まったままである。そして、極端に有能な人間は時として解雇の対象にもなる。組織内の論理から大きく外れる力を発揮するからだ。

世の中の不条理を階層社会学という新たな学問によって徹底的に問う内容である。



さて、今回読んだのは内容ががらりと変わって、「納棺師」という仕事を生業とする人のノンフィクションだ。「死体とご遺体」「おもかげ復元師」の2冊を読む。

何年か前に「おくりびと」という映画が流行ったが、納棺師とはまさにご遺体に仏衣を着せ、死化粧を施し、棺に納める仕事だ。

人は死ぬと、その体はそれだけでは「活動を停止したかつての生命体」に過ぎない。文化的社会的にも意味があり、ナラティブのある存在にするには納棺という儀式が必要である。そして、その過程は生きている人間にとってもその死を受容するために必要なものである。故人を通しての遺族と納棺師のやり取りは、体系だってはいないものの「グリーフケア」そのものだ。

「死体」から「ご遺体」へ。「死体とご遺体」の著者である熊田は元々はCM製作会社に勤め、自身で起業をしていた男性だ。だがバブル崩壊によって会社は倒産し、熊田は当初居宅入浴サービスに従事する。借金も2000万円ほどあり、そんな中で介護よりも実入りのいい湯灌師という仕事を見つける。湯灌師とは分かりやすくいえば故人を専用の浴槽に浸してマッサージし入浴させるための仕事だ。当時は葬儀業界でも湯灌部は珍しく数も少なかった。熊田はある葬儀会社で1年湯灌部に在籍し、その後自身で湯灌を行う会社を立ち上げる。

だが、単に故人を湯灌すればいいというものではない。故人に化粧を施し、宗派に沿って最期の服を着せなければならない。熊田が悩んだのは化粧の部分だ。死因や発見された状態によっては死斑が濃く出る。その場合は遺族が対面できるようにできる限り故人を生前のような状態に復元する必要があり、これも大切な仕事である。ただ、男性である熊田にはメイクアップの知識や技術まではなく、また故人が子どもや若い女性であった場合は男性よりも同性である方が望ましかった。そのため熊田は思い切って妻を誘う。ここに夫婦湯灌師が誕生し、二人三脚で依頼を請け負う。

特に女性による遺族へのコミュニケーションは興味深い。意図しているものではないだろうが、女性特有の細やかな気遣いや、遺族宅を訪れた時に瞬時に故人と遺族との生前の関係まで察知してしまう勘の鋭さは凄い。熊田自身も「僕は技術者として湯灌に専念させてもらっている」と語る。

この技術というものが凄まじくて、人間とは死んでなお自己主張の激しい生き物だと改めて思った。突然死の場合は内臓に残留物が多く腐敗ガスが発生する。それを注射針を刺して腹を押して体外に出すのだ。また目や口が死後数時間経つと開いてくる。これを閉じるのも湯灌師の仕事の一つである。また目や耳、口などから出血する時もある。凝血する能力が失われているので血は止まらない。布団をめくると血の海だったという事例もあるらしく、葬儀会社から突然呼び出されることも珍しくない。

「死体とご遺体」には熊田のパートナーである妻へのロングインタビューがある。これも興味深くて、本音を言えば「湯灌師はそろそろやめたいですねぇ」とのっけから鋭い。遺族には感謝されるけれど、そろそろ街中では湯灌とは関係ない、というような顔をして歩きたいのだという。辛かったことは、それまで親しかった人が湯灌の仕事を始めると打ち明けた後からあからさまに離れていったことだったという。

死と、死にまつわる職業は未だにタブーの色合いが強い。こうした既存の人間関係との途絶は辛いものだっと思う。

また、時代の世相を反映してか扱うご遺体は病院で亡くなった自然死である場合が多いものの、行き倒れ(ホームレス)や自殺、孤独死なども少なくない。その場合は遺体の損傷も激しく、また生前の写真もないまま顔の復元を行うこともあるという。また飛び込み自殺などは凄惨で、車輪によって頭が真っ二つになった遺体の修復も行ったという。眼球を元の場所に戻し、割れた頭を元のようにくっつけるのだ。これも技術であり大切な仕事だ。



もう一冊の「おもかげ復元師」の著者笹原も同じく納棺師である。湯灌師と行うことは同じである。本書で最も胸打たれるのは3.11で犠牲になったご遺体の修復作業だ。笹原はボランティアで約300体ものご遺体を修復し遺族の元へと戻した。

津波による遺体の損傷は特に酷く、また最も堪えたのは子どもの遺体であったと笹原は書く。このことは熊田も同様なことを書いていた。また、修復をしたくても身元不明の遺体は法的にそれができない。小さな女の子の身元不明遺体を見つけた際は、同じく身元不明の老年の女性のとなりに並べて「おばあちゃん、ごめんなさいね。この子が怖くないように天国まで手を繋いであげてください」と祈るしかできなかったという。笹原自身も連日の車中泊で体重は10キロ以上減り、また子どもの遺体との対面で精神的にもギリギリになっていく。そんな中でも修復したご遺体と遺族との対面ややり取り、また懇意にしている寺の僧侶からの激励などで再び復元師として向き合っていく。

津波による遺体の損傷は言葉にできないものも多く、3時間ほどかけて砂を傷口から洗い出し髪質まで生前に近い状態に戻していく。これは生半可なことではない。今年読んだものの中でも胸を打たれるものであった。

故人と遺族との間に納棺師が入ることによって、遺族同士の誤解やわだかまりが解けていく事例も多く紹介をされており、この仕事が単なる「復元師」を超えた存在であることがよく分かる。グリーフケアという言葉があるが、人の死を社会的文化的な文脈にしていく過程はケアである。

亡くなった人にとってはもちろん、それ以上に生きている人たちにとって欠くことのできないケアであり、職業である。

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