逝きし世

渡辺京二の「逝きし世の面影」という本を読んだ。内容は、幕末期などに日本に来日した外国人達から見た日本人(日本)を紹介するものだ。外国人たちの時に偏見や理想たっぷりの視線から描かれる日本とその時代は、「逝きし世」つまり、「すでにない日本」を描いたものに相応しい。

そこにあるのは、日本(日本人)であるのだけれど、日本ではない。それが私は読んでいて面白く、どこか哀しく思えた。

すでに喪われた文明としての日本人というのは、一様に「陽気で親切で礼儀正しい」。日本に批判的な外国人でさえも、その陽気さ親切さ、礼儀正しさには一目置いている。西洋人がとりわけ驚いたのは日本人の裸に対する羞恥心のなさ無邪気さである。混浴から始まり、若い娘の裸体への頓着のなさ、そういうものは時として性的放縦として写り、一方で「神に放逐される前のイヴ」のようにも写ったのだ。

外国人達の描いた日本は、間違いなく現代の日本ではない。それは時代の隔たり、という単純な境界線だけでは説明できないほどの異質さがある。同じ日本であって、日本ではないもの。だからそれは「逝きし世」であり、そこから見えるものは「面影」でしかない。

それは外側から観察されるものであり、私の内側にあるものではない。だから、どれほど「日本人」がそこで礼賛されようとも自尊心も愛国心もくすぐられることがない。

外国人達の描いた日本人は、日本人であって、日本人ではない。それは外側にある人々の素描であるのだ。

こういう、一見同じようなものに見えて実はそうでないもの、徹底的に隔たっている存在というのは異質で恐ろしい。それが現実的なもの、より具体的なものであればあるほど、怖さは増す。この場合は日本であり、日本人である。それは遠い私の祖先であるはずのものだけれど、「逝きし世の面影」で描かれる日本人達はとても今の自分と繋がりがあるようには思えない。私はあくまでそれを外側から眺めることしかできない。それは勢い、日本、日本人という記号に代表される「モノ」になっていく。それは「読む」という行為によっても補強されていく。だがこの「読む行為」そして、記号化された単語を通してでしか、「逝きし世」を知ることはできない。

これは哀しいジレンマだ。

誇らしい、というものを感じなかったのは多分そういうところにあるのだろう。




私が個人的に感じた「逝きし世」、すでにない日本は以前読んだ日経新聞の短いコラムの中にあった。

消費社会の巨頭。下品さの極みのような東の国の顔だった。

それは確か「日本とアジア」というようなタイトルだったと思う。ビジネス関連のコラムで、ようはアジアの中で沈みゆく日本の現状とガラパゴス化した国内のビジネス環境をアジアの諸外国と比較するような内容だったと思う。私が違和感を覚えたのは、まずタイトル、「日本とアジア」だった。日本もアジアの中にあるのに、どうしてそう対峙させるのだろうかと思ったのだ。コラム内では、日本の衰退を嘆くとともに、勃興はしているもののまだまだ未熟なアジア諸国をあげつらうような調子が随所にあって鼻についたことを覚えている。署名のないコラムだったから、誰が書いたのかは分からない。けれどなんとなく、文章の合間から過去を引きずる人間の歯ぎしりみたいなものを感じた。


ジャパン・アズ・ナンバーワン。


バブルの頃はそう日本は持て囃された。それが弾けて失われた20年に入るなんて、誰が想像しただろう。あと更に20年も経たないうちに、日本は間違いなく世界の主要プレイヤーの座から落ちてしまうだろう。今がその過渡期であることは、多分一度隆盛を体験した人間ほど受け入れがたい。


日本とアジア。


巨頭とその他大勢。それもまた、「逝きし世」であり、それを念頭に新聞に寄稿している人間がいる。


アジアの中の日本。


20年以上経って、世界はそんな風になったのだと思う。私はそんな風にして、自分の国を見ている。

正直なところ、私はこの国に希望は持てないでいる。この社会は、ある程度まで豊かにはなった。三島由紀夫の言葉にもあるが、「薬は完備され、交通事故以外では滅多に死なず、健康な青年を脅かした兵役と、病弱な青年を脅かした結核からは完全に免れている」社会だ。

だが何が本当に豊かで幸せなのか、分からない社会でもある。10代から30代の死因第1位は自殺だ。社会人は仕事一本で、勉強をすることもない。大学生だって、本を読む人はそういない。

私たちは何に向かって生きているのだろうか。生活か?社会か?人生か?それともそんなもの何もなくて、ただ他の大人の習性を見るにつけ、無批判にそれをなぞっていくだけなのか。

今の日本には、漠然とした不安と無知で溢れている。それは渡辺京二が紹介していた日本人達のそれとは全く異質なものだ。

いずれこの日本だって、「逝きし世」になってしまうのだろうけれど、それを懐かしむ人間はいるのだろうか。

それとも誰も、そんな時代のことなんか忘れて生き続けていくのだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る