この1冊:C.ライト・ミルズ「社会学的想像力」

もし、「今まで読んできた本の中で印象に残ったものを5冊あげるとしたら?」と聞かれたら、私はライト・ミルズの「社会学的想像力」をその1冊にあげると思う。

社会で起こっていることは、私にも関係のあること…両者は密接につながっている。そんな風に言ってしまうことは簡単だが、それはどこか抽象的で現実味のないことでもある。私の家庭、私の生活、私の幸福や不幸に一体社会の何が関係しているのか?

大人ですら明瞭には説明できまい。社会とは巨大に複雑になっている。そして、その背後にある歴史もまた捉えがたいものだ。ミルズは端的に現代の人々が置かれている状況を以下のように指摘する。



「人々は普通、自分たちが抱え込んでいるトラブルを、歴史的変動や制度矛盾といった観点から捉えようとはしない。また享受している幸福について、自分たちが暮らしている社会全体の大きな浮き沈みに関わるものだとは考えない。普通の人々は、自分たち一人一人の生活パターンと世界史の流れとのあいだに複雑な繋がりがあることにほとんど気づかない。

彼らには人間と社会、個人史と歴史、自己と世界の関わり合いを理解する上で極めて大切な思考力が欠けているのだ」



だが、誰がこうした現代人の矮小さや無知蒙昧さを責められるだろう。いまだかつて、社会や歴史が捉えがたい速さで進み形成され、その一切をあらゆる人々が受けるという時代はなかったからだ。そもそも、「人間の能力とは自分が大切にしてきた価値に見合うように自分自身を方向づけていくものだが、いまや能力以上のペースで歴史形成の方が進んでしまっている」といえよう。その中で、人々が家庭や生活、個々人の幸福や不幸の中にのみ留まることはある意味では必然ともいえるかもしれない。私たちに必要なことはなんだろうか。それはミルズ曰く、「世界で何が起こっているかを、彼ら自身の中で何が起こり得るかを概観できるように情報を使いこなし、判断力を磨く手助けをしてくれるような思考力」なのである。これをミルズは「社会学的想像力」と呼んでいる。

本書はそうした「社会学的想像力」を論じたものなのである。



さて、ミルズのいう「社会学的想像力」のための思考力を妨げるものとして、「グランド・セオリー(壮大な一般理論」と「抽象化された経験主義」がある。これはどちらも人間の思考を制約し、支配してしまうものであり、社会科学の責務の放棄するものである。グランド・セオリーは形式的で曖昧なものを招く。そして、抽象化された経験主義は形式的で中身のない巧妙さ…概念へのフェティシズムとでもいうべきものを作る。これはどちらも私たちが社会や人間についてあまり学ばないようにすることでもある。

こうした病理は社会学そのもの、そして社会学者たちにも見られるものである。

だがそうした病理から抜け出て、私たちは(そして社会学と社会学者たちは)人間の多様性について思考しなければならない。ミルズはこう指摘する。



「社会学的なものは、全体の概念を得るために、その特徴を他の特徴と関連づけようとする絶え間ない努力である。社会学的想像力は、かなりの部分、この種の努力を重ねた賜物なのである」



社会学は大きく3つの問いかけを続けてきた。

1.この社会を全体として見たとき、その構造とはどのようなものか?

2.この社会は、人類史のどのような地点に立っているのか?

3.この時代、この社会において、現在どのような種類の人間たちが顕著になってきていて、これから先それがどうなっていくのか?

以上の3点である。そして、こうした問いかけから、どのような「人間性」が明らかになるのだろうか。そして、社会のありとあらゆる特質は、その人間性に対して、どのような意味を持つのか。そうしたことを社会学は「社会学的想像力」を基礎にして考察すべきなのだ。

社会科学は、個人史、歴史、社会構造における交差の問題を扱う。そしてこのような研究は、人間の本質についての問題も含んでいるのだ。

私たちの生活というのは、その個人が生きられる制度との関係なしに理解することはできない。個人史は、端的に言えば「獲得、落伍、軌道修正、一つの役割からまた別の役割への移動」の記録であるからだ。また人生の大半は特定の制度内部で様々な役割を演じることからなっている。だが、人間を社会的創造物として捉えることで、個人史を社会的役割の連続として理解するよりも深く理解できる。ミルズは、「近年の心理学と社会科学で最もラディカルな発見は、人間の最も内面的な特徴のいかに多くが社会的にパターン化されており、教え込まされてさえいるのかという発見である」と述べている。ここで扱われるものは、前述したように「人間の多様性」であるが、その多様性は私たちの知る心理学、理論、基本的な人間性の原理をもってしても説明のつかない多様性である。私たちは自分たちが知るほど人間については多くを知ってはいない。私たちの持っている知識は人間の持つ多様性の謎めいた部分を完全には取り除いていないことを自覚するべきなのである。



社会学的想像力は、一見関わりのない事象同士から関係性を探る思考力のことである。より分かりやすく言えば、「社会の中で起こっていることと、自分の中で起こっていることを関連づけて考えられる力」だろうか。

だが現代は不安と無関心の時代である。人々は掌に収まる生活圏の中で思考を完結させる。それは学問領域も例外ではない。極端に一般化され分かりやすくされた理論や単一の結論を求める傾向、官僚化された研究者たち…概念への拘泥。

だが私たちは「人間の多様性」をここで扱うべきなのだ。人は社会的創造物である。その実像は捉えがたい。加えて、不安と無関心を基礎単位とした時代の中で私たちは生きている。その中で人は、学問は…社会科学とは何を考え定式化できるのだろうか?

私たち自身が直面している問題と、この社会が直面している問題、つまり私的問題と公的問題に取り組むべきではないのか。その思考の基礎こそは社会学的想像力であるのだ。

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