フロイト「自我論集」より、否定

抑圧された表象の内容や思考の内容は、「否定される」という条件のもとでのみ意識に到達することができる。否定は抑圧されたものを認識するための一つの方法なのである。否定とは、本来は抑圧を取り除くものであるが、抑圧されたものを受け入れることはできない。否定の助けを借りて、一つの抑圧プロセスの結果を解消することができるが、抑圧された表象や内容は意識には到達しない。これにより、抑圧の本質的なものは存続しつつも、抑圧されたものを知的に承認できるようになるのである。


思惟の内容を肯定するか否定するかが、知的な判断機能の課題である。この判断において何かを否定するとは、「これは私が最も抑圧したいことである」ということを意味する。

判断機能は基本的に二つの決定を下すものである。あるものに対し一つの特性を認めるか、拒否するかである。次にある表象が現実に存在するか否かを決定する。判断が決定を下す特性は、本来な善いか悪いか、有益か有害かという特性だったと考えられている。


判断とは知的な行為である。運動行為の選択を決定し、思考による行為の延期を終わらせ、思考から行動に移行するためのものである。自我の中に取り込むプロセスと、自我から排除するプロセスは快感原則に従って行われる。判断は目的に適った形でこのプロセスをさらに進める。

肯定は自我との統一に対応するものであり、エロスに属する。否定は排除を引き継いだものであり、破壊欲動に属する。


判断の機能が実行できるものとなるためには、否定の象徴が作り出されこれにより思考が抑圧されたものの結果から独立性を獲得し、同時に快感原則からも解放されてからである。こうした考え方は、精神分析において無意識の中に「いいえ」を見出すことはできず、自我の側からの無意識の承認は「否定の形式」によって表現されるという事実に符合する。

「私はそうは思いませんでした」「私は絶対にそれについて考えていませんでした」と反応した場合ほど、無意識的なものが発現されるのである。

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