あったかもしれない前日談・終話

 墓石を買っていなかったので家に持って帰った遺骨を二人で抱きしめながら居間で寝転がっていると、友香さんの携帯から着信音が鳴った。

 友香さんは起き上がることなくちゃぶ台に手を伸ばしたけれど、その間には骨壷と私がいたので手が届かなかった。代わりに私は後ろ手を伸ばし、何度か的を外しながら携帯を取って友香さんに渡した。

 もしもし、といつもよりも無気力な応答で電話の相手をしていた。私に聞かれまいと別の部屋に移動する気力さえないようで、発信者の声が私のほうにもかすかに届いていた。相手の声は低く、老人とまではいわないにしてもそれなりに年のいった男だろう。

「薫は寒いところ苦手?」

 友香さんがマイク部分を指で隠し、通話相手に声が届かないようにしてから少しだけ頭をもたげて私に訊いてきた。私は特別好きではないけれど苦手でもないという意思を伝えるため、頭を振って答えた。友香さんは頷き、

「実家に帰ろうか」

 と質問のような報告のような、曖昧なことを言う。彼女が答えを求めているのかどうかもよくわからなかったので、私は曖昧に頷いて目を閉じた。

 お母さんと結婚していなかったとはいえ、連れ子の面倒を見なくてはならなくなった友香さんは運が悪い。

 きっとこれからの人生の足かせになるのだろうなと思いつつ、捨てずにいてくれることに感謝した。彼女の両親に、私はなんと紹介されるのだろうか。彼らは血の繋がらない私を受け入れてくれるかが心配だ。

 幼子ならば養子でも可愛がってくれるのだろうけれど、気難しい高校生がいきなり飛び込んできて馴染めるとは思えない。邪魔にならない程度にお手伝いして、気に入ってもらえるように振舞わねば。


 しばらく学校を休んだ。一親等が亡くなった場合、一週間近く休んでもいいらしく、その休みを最大限利用して引越しの準備を行った。もともと家財道具も衣類も多くはなかったので時間はかからなかった。

 けれど、そのなかでひとつ問題が発生した。お母さんの所持品だ。アクセサリーは売るなり身につけるなりすればいい。だが、仕事で着ていた派手なドレスたちはどうするべきか悩んだ。

 友香さんが着るには丈が短いし、私が着るにはサイズが大きい。もしも着ることができたとしても、普段着にするにはあまりにも周囲の目を引きすぎる。

 仕方がないのでお母さんの職場に連絡し、お母さんを慕っていた人たちに形見分けとして引き取ってもらった。

 サイズがぴったり着られそうな人はいなかったけれど、彼女らが喜んでくれていたので安心した。私が思っていたよりもお母さんは人望のあるひとだったのだろう。


 とうとう引越しの日が来た。

 新幹線に乗っておよそ二時間。新幹線が進むにつれて街の雰囲気は変わっていき、田園地帯に入って民家がまばらになってきた。

 かと思うと山が見え、すぐに窓の外は木々に覆い尽くされていた。森の隙間を縫うように河が現れ滝が見え、これ以上山奥に進むなんてどんな田舎だろうという不安が芽生えた。

 しかし、目的地が近づいてくるにつれて樹木は減り、民家が再び現れ始める。盆地に入ったのか立っている家々の高低差が激しく、またその数も増えてきた。

 アスファルトの道路が目につくようになるとそこを走る車もそれなりに見つかり、私が当初想像していたところよりも田舎ではなかった。

「そろそろ降りるよ」

 友香さんはそう言って座席の上にある棚からスーツケースを下ろした。新幹線を降りて辺りを見回すと三六〇度山に囲まれており、すり鉢状の地形であることがわかった。

 囲まれている範囲がそれなりの広さを持っていることもあってか、ふさぎ込んで澱んだような空気は感じられず、むしろ自然が近いぶんだけ澄んだ空気に感じられた。

「冬は多少寒くなるけど、夏は扇風機もいらないていどには過ごしやすい場所だよ。これより北の町と比べて雪も少ないしね」

 友香さんはスーツケースを引きながら、故郷を懐かしむように辺りを仰ぎ見ていた。私がいた頃とは違っているかもしれないけれど、と前置きをしてから風土気候について話し聞かせてくれた。

 県でもっとも栄えた駅であるこの場所でも熊がそこそこの割合で出没するから気をつけなさい、家はここよりも田舎だから明かりが少ないけれどそのぶん星が綺麗だ、などなど。

 ローカル線に乗って駅から離れて行くと民家の割合が高くなり、代わりに全国展開しているような店が姿を消していった。

「車がなければコンビニにも行けないんだ」

 友香さんは言葉の上では辟易としてみせたけれど、その表情は少しだけ明るくなっていた。

 電車を降りるとそこは無人駅だった。切符を通す改札もなく、どうやってここから出るのだろう、と私はもたつき、田舎の洗礼を浴びた気がした。

 友香さんは慣れたように改札のようなものを素通りし、すぐに行き着いた待合室じみた空間に置かれたベンチに引っ掛かっていた「切符入れ」と書かれたアルミの箱に切符を捨てるように投げ入れた。

「どうした? こっちにおいで」

 私がついてこないことに気がついた友香さんは振り返り、微笑みながら手招きした。

 私は改札のようなものを通過した途端にブザーが鳴らないかと恐る恐る歩き、何もなかったことに胸をなでおろしてから友香さんに倣って切符をアルミの箱に捨てた。

 友香さんは私の一連の行動を見届けてから満足そうに頷いた。

 私が幼かったころを思い出したのか、ノスタルジックな気分にあてられたのか、私が横に並ぶと私の手を取った。別段悪いことではなかったので、私はその手を振り払うことなく繋いだまま駅の外に出た。

 駅の外には白っぽい砂利が敷かれており、ある程度の範囲がそれで埋め尽くされていた。

 アスファルトは出入り口付近の坂道から始まり、どうやらこの砂利は駅の敷地内を示すものらしい。

 駐車場には車が三台停まっていて、黒いバンと年季の入った白いアルトジュナの向こう側にこれまた白いワゴンRが停車していた。そのワゴンの横には夫婦と思しき年配の人がいた。

 友香さんはその人たちに気がつくと繋いでいた手をそのまま軽く挙げて夫婦に挨拶して近寄った。

「お久しぶりです」

「ええ。ほんとうに」

 何年ぶりかしら、と友香さんとおばあさんが再会を懐かしんでいるなか、おじいさんは厳しい顔で私を見下ろしていた。

 友香さんは普段私のことをどう話しているのだろう、と気になった。おじいさんの表情は私を歓迎していないのは明らかだと思ったから。

「それで、そちらは?」

 とおばあさんが私を見た。友香さんは私の手を離して、さらに距離を詰めるように私を抱き寄せた。

「私の娘。そして」

 友香さんはおじいさんの目を見つめ、たおやかに微笑んだ。

「あなたの孫です。お父さん」

 おじいさんは一瞬、胸を締め付けられたような、泣き入りそうな表情になった。けれど、一度目を伏せ、再び開かれた時に涙はなかった。その瞳は娘の恋人の連れ子、ようするに他人に向けるような目ではなく、私はなぜかとても温かな気持ちになった。

「そうか。その子が」

 立ち話もなんだから、とおばあさんはため息をつき、私を見つめて動かないおじいさんを促して車に乗った。私たちもそれに続き、おじいさんは車を走らせた。

 しばらく走っていると友香さんは後部座席の窓を開け、車内に空気を入れた。

「カレー工場、まだやってるんだな」

 入ってきた空気にはカレーの匂いがあった。レトルト食品を作っているのか、友香さんが学生の時からこの道を通ると必ず匂いがしたらしい。

「洗濯物に匂いつかない?」

 友香さんは私の質問に笑い、さすがに家のほうまでは届かないから大丈夫だよ、と私の頭を撫でた。

 対向車が来たら対応に困りそうな細い坂道を登り、天然の木よりも庭に植えられた背の低い植物のほうが多く見られるようになったとき、友香さんは一軒の家を指さした。あれが実家だよ、と。

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月に咲く菫の色は 音水薫 @k-otomiju

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