あったかもしれない前日談6話

 お母さんが死んだ。私はお母さんを抱っこし、途切れ途切れに語られる言葉を聞きながら彼女の頭を撫でていた。

 やがて言葉よりも沈黙のほうが長くなり、話している途中で眠気に負けてしまった幼子のような、引き際の良い最後だった。

 いつもお母さんが帰ってくる時間帯にセットされた目覚まし時計より五分早く目を覚ました友香さんが救急車を呼んだときにはもう手遅れだった。

 そこからの私はまったくもぬけの殻で、魂が抜けたようにうつろだったけれど、そう見えたのは外見だけの話で、意識はむしろはっきりとしていた。

 葬儀中の光景もよく覚えていたくらいだ。それだけ意識がありながら、けれど体は私の思うとおりに動いてくれなかった。骨や筋肉が抜き取られたように全身が弛緩して、終始壁にもたれているだけだった。

 救急車に乗って病院に行き、手術室前の椅子まで看護師に運ばれて横たわってからずっとそうだった。

 お母さんの死を改めて確認して家に帰る時も友香さんに運ばれていたし、葬儀中は往来の邪魔にならないようにと部屋の隅の壁に立て掛けられていた。

 通夜の間、友香さんは人形のようになった私を抱きしめながら、

「大丈夫だ。大丈夫だから」

 と泣きながら私に言っていた。けれどそれはどちらかといえば自身に対する言葉であったのかもしれない。通夜も葬儀も私たち以外はお母さんの同僚が来ただけの寂しいものだった。

 火葬のあと、残ったお母さんの骨を葬儀屋が用意した壺の中に箸でつまんで入れた。体の小さなお母さんだったけれど骨はしっかりしていたらしく、壺にすべて収めることができなかった。

 だったらもっと大きなものを用意しろよと思いつつ、同意を得るために友香さんを見やると、彼女は残った骨のごく小さいものを口の中に入れていた。

 私に見つかったことに気がつくと、いたずらっぽく舌を出して照れ笑いを浮かべた。私もそれに倣っておそらく人差し指の先端だろう骨をひと舐めした。

 おはじきを飴に見立ててしゃぶる子供のように、それを口に入れてその後を過ごした。

 ペットの骨は焼却後、炭素を抜き取って思い出のダイヤモンドを精製することができるらしいという話を思い出し、お母さんの骨でもできるのかと思っていたが、壺に収まらなかった骨は掃いて捨てられた。

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