あったかもしれない前日談4話
夕食後、ちゃぶ台に数学のノートを広げて課題に取り組んでいると、正面に設置されたテレビから速報を告げる音が鳴った。
ドラマに夢中だった友香さんは不服そうに唇を尖らせ、画面の上部に表示される文字に目をやった。私も課題から目を離し、そちらを見やる。
どうせ地方都市の市長選の結果発表だろうと思っていたが、私が見た速報は、連日日本を騒がせていた連続レイプ魔の逮捕だった。
「ああ、そうか。ようやくか」
友香さんは安心したように肩を落とし、ちゃぶ台のうえにあった瓦せんべいに手を伸ばした。日本を騒がせたといっても、容疑者の活動範囲はとある田舎の一部地域なので、犯人が捕まろうと捕まるまいと私たちにはあまり関係なかった。
けれど、友香さんは自らも脅かされていた住人のひとりだと言わんばかりに嬉しそうだった。
「死刑かな。だといいんだけど」
友香さんは包装を破かないままの瓦せんべいを六つに割りながら頷いていた。失言したと思ったのか、私の視線に気がついたのか、友香さんはこちらに顔を向けて微笑んだ。
「食べる?」
友香さんは瓦せんべいの封を切り、欠片のひとつを私の口元に近づけた。私はそれをもらい、奥歯で噛み砕く。普通のせんべいと同じような食べかたをしようものなら前歯が折れてしまいそうになる硬度だ。
けれど、噛むたびに鼻を抜ける三温糖の香りや上品な甘さが実に良い。友香さんは動物に餌をやる子供のように幾度も私に瓦せんべいを差し出した。
そのとき、携帯の着信音が鳴った。友香さんは瓦せんべいを差し出す手を止めて袋に戻し、電話に出るため居間から退出した。仕事先からなのだろうか。私がいては妨げになるようなことなのだろう、と私は袋に残されていた瓦せんべいに手を伸ばす。
結局、六つの欠片全て私が食べることになった。九時を過ぎているからあまり食べたくなかったのに、手が止まってくれなかった。一枚でちょうどいい感じに満足させてくれるようにサイズが調整されているとは心憎い。
課題を終え、そろそろ寝ようかと片付けをし始めたとき、友香さんが電話を切って居間に戻ってきた。
「こんな時間まで仕事?」
「いや、実家からだよ。一回くらい帰省しなさいって話」
どうせお見合いでもさせられるんじゃないかな、と友香さんは肩をすくめた。彼女も他人から見れば独身なのだから、それも仕方ないことだろう。親がいないお母さんと違い、心配してくれる人がいるのは羨ましくもある。
「いつから帰ってないの?」
「一七年。実家を出てからずっとだよ」
友香さんはちゃぶ台のうえにあった空っぽの袋を丸めてゴミ箱に捨てた。
「私はそろそろ寝るよ。薫も、あまり遅くならないうちに寝なさい」
おやすみ、と言って友香さんは寝室に布団を敷き始める。私はいまだに同じニュースが続きていたテレビを消し、宿題の仕上げにかかった。
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