あったかもしれない前日談1話
人間とは思いのほか丈夫なのだと知った。
部活の先輩の自主練習に付き合って、帰りが遅くなった日のことだった。日は完全に落ち、あたりは暗闇に包まれていた。こんな時間であれば、下校中に一度でも車とすれ違えば珍しくて、二度あればもはや事件だった。
通行量の少ない夜道をすこしでも明るい場所を歩こうと、公園の中を通っているとき、原付バイクのエンジン音が聞こえてきた。
振り返ったときにはすでに原付は目の前にいて、わたしは横腹に肘がくい込む勢いで追突された。
地面に頭を打ち付けて一回転したのか頭部の痛みが激しく、公園の隅にある芝生に伏せて動けなかった。
地面を舐めるように視線を少しずつわたしがもといた場所のほうに進めていくと、芝生と広場の境界線を標すレンガにやたらと成長した藻が生えていた。と思ったらそれは髪の毛で、なるほどわたしはあそこで頭を打ち付け、その拍子に頭皮がズル剥けてあの場に置いていってしまったのだ。
どうりで頭が痛いわけだ。わたしは歯を食いしばって頭蓋の痛みをこらえながら、這うようにすこしずつそのレンガに近づいた。
頭皮をそのままにしておけば髪の毛が失われてしまう。わたしはなんとしてもそれだけは避けたくて、自分のはげ落ちてレンガと一体化した様子の頭皮の回収を急いだ。
そのとき、人影が見えた。わたしをひいた犯人が逃げずに心配に来てくれたのだろうか。なんにせよありがたい。ひき逃げをせずにいてくれただけわたしの生存率があがるのだから。
過失を責めるのは助かってからにしてやろう、と寛容な気持ちになった。わたしはその人の足を見つめながら、そこの頭皮を拾っていただけませんか、と言おうとしてそれができないことに気がついた。
痛みをこらえるために食いしばった歯を少しでも緩めてしまうと、わたしは自分が意識を保っていられないだろうことに気がついたからだった。
冬山で寝たら死ぬぞではないけれど、わたしは自分の頭皮を回収する前に気絶することだけはできなかった。
なぜなら、他人にとってわたしの頭皮はさして重要なものではないだろうから、わたしが意識を失っている間に救急車でもきたらきっと頭皮は取り残されてしまうだろう。
そのとき、地面が隆起したのかと思うほどの勢いでわたしは再び転がされ、頭皮との距離が開き、仰向けにされた。犯人がわたしの安否を確認するためにしたのだろうけれど、そんなに乱暴にされると頭皮がはげ落ちたところに芝生や木の枝が刺さって痛い。
私の顔を覗き込んだ人はフルフェイスのヘルメットをしていて顔はわからなかった。
けれど、その華奢な体は未発達な一〇代にも見えたし、心労で極限までやせ細った四〇代にも見えたし、病身で食が細くなって骨と皮だけになった八〇代にも見えた。いずれにせよわたしにわかったことは、相手が男であるということだけだった。
その男は手を伸ばし、まず触れたのはわたしの胸だった。革の手袋が窮屈そうに軋む音が聞こえてきそうなぎこちない手つきでわたしの胸を揉み、やがて満足したのか衣服を剥ぎ、自身もズボンを脱いでいた。
四〇や八〇に思ったことが申し訳なくなるほど若く猛々しい下半身をわたしにこすりつけてきた。口を塞がれるまでもなく声は出ず、足を掴んで逃げないように押さえ込む必要さえなかった。
なにも横髪のかわりに血をたれながして呻いている女を犯さなくたって、風俗に行けばいくらでもできるじゃないか。
けれど、そんなわたしの意思とは関係なく男は興奮していた。もう諦めるから、せめてわたしの頭皮だけは回収しておいて欲しい。遠ざかる意識の中、それだけがわたしの願いだった。
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