第一章6話
手術の翌日、菫のお見舞いに行くと面会謝絶だった。学校をサボって毎日のように病院に通っていると、何日目かで菫のお父さんが病室から出てくるところに出くわした。
おじさんは私のことを覚えていたようで、病院の談話スペースまで私を引き連れ、誰もいないそこに座って菫のことを話した。
「結果から言ってしまうと、赤子は産まれることなく亡くなったよ」
言葉の重みとは裏腹に、おじさんはどこか安心しているような面持ちだった。けれど、その表情はすぐに暗くなる。
「菫はひどく落ち込んでしまってね。今は塞ぎこんでいて、何を言っても答えてくれないんだ。それだけ、お腹の子に情があったのだろう」
おじさんは両手で顔を覆い、深くため息をついた。
「けれど、私にはそれが理解できないんだ。最低だと思われるかもしれないが、私は流産という形で終わったことに安心している」
それから、おじさんは私に説明するというよりは、自分に言い聞かせるように話し始めた。
「一〇代の妊娠といえば「産む」か「産まない」かばかりが議論されがちだが、私はそんなところに問題はないと思う。問題はどちらを選ぶにせよ、選択した答えの先にある。「産む」を選んだとき問題になるのは世間の目と産まれた子の成長だ」
世間の目、というのはなんとなくわかる。宿った命を殺すなんてとんでもない、と中絶反対を謳いながら、それでも若い母を見れば後ろ指を差す人は多い。
「成長されると困るんですか?」
「困るわけじゃない。けれど、未熟な親は子供の成長にともなう問題に耐えられるか、ということだ。成長すれば子は自我を持つし、進学する。成熟した大人であっても手こずる問題だからね」
産まれたばかりのころは家族ないし自分だけの閉じた環境に身を置いて守ることができるけれど、子が学校という逃れられない環境に所属したとき、そこで晒される目に親は耐えられるのだろうか。
私たちは命を尊重して「産む」という正しい選択をしたのだ、と思っていたけれど、世間一般で反対されている中絶を指示したおじさんに自分の正しさを証明できない。
どころかおじさんのほうが正しくさえ見える。
それはきっと、私はこの問題を他人事としか思ってなかったからだ。我が事として考えているおじさんには事物の正しさ以上に大切にしているものがある。それがなかった私は彼を説き伏せることはできない。
それに、一〇代の母だったシングルマザーの家庭で育った私は、周りの母親よりも格段に若いお母さんがどんな目にあってきたか、見ていたじゃないか。その苦しみを菫にも味わわそうとしていたのだ。
「まだ面会謝絶中ではあるが、菫を慰めてやってくれないか。私がなにかいうよりも、君からの言葉のほうがあの子にはいい気がするんだ」
そう言って私に微笑みかけるおじさんに一礼し、私はここ数日の間成し遂げようとしていたことが叶った。けれど、いざとなるとその足取りは重たくなり、なんと声をかけたらいいのかわからなくなる。
病室の扉を開けると、ベッドに腰掛けてほうけている菫が目に入った。陽光を受けた横顔は消え入りそうに見えた。
「先輩……よかった。嫌われちゃったのかと」
そんなわけない、と私は頭を振り、病室に入った。
彼女のお腹はもともと大きく膨らんでいたわけではないけれど、それでも喪失したものの大きさを物語るように薄くなっていた。菫は私の視線に気がついたように笑い、自身のお腹を撫でた。
「先輩。お腹のことを気に病んで、私が自殺しちゃうんじゃないか、とか思ってません? うちの親はそればっかりで」
「どうかな。消えてしまいそうだとは思ったよ」
菫は小さく笑い、涙をこぼした。
「私、流産って聞いたとき、安心したんです。宿った命を尊重するようなことを言っておきながら、私はただ自分の手で殺したくなかっただけなんです。最低ですよね」
私は菫の言葉を否定しようとして、けれどできなかった。彼女は私にそういった言葉を期待しているわけではないことがわかったから。だけど、私は菫に何をしてあげられるのだろう。
両手で顔を覆い、堰を切ったように泣き始めた菫の肩を抱いてやることしかできなかった。
「抱いてください」
悲しみの声が小さくなり始めたとき、菫はぽつりとそう呟いた。私は彼女の肩を抱く力を強め、自分のほうに身を引き寄せた。けれど、菫は自分の手を肩にあった私の手に重ね、首を振った。
「先輩のことを思い出すたびに、産まれなかったあの子のことを思い出してしまえるように。このことを忘れてしまう前に、私のことを抱いてください」
菫はすがるように私を見つめていた。
私は彼女の言葉に頷き、菫にキスをした。
「よかった」
何に対する言葉なのかわからないまま、菫の胸を締め付けるような切ない微笑みを見届け、彼女をベッドに押し倒した。
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