#2
地獄はここにあるんです、と誰かが言った。曰く地獄は意識のなかに、前頭葉の脳皮質に埋め込まれている、と。
父は悟っていたのだろう。あの光景も、地獄も、単なる
火星でのテラフォーミングが始まってようやく半世紀。大気はやっとのことで酸素が十パーセントまで上昇し、
シグウルド・マグスマン。旧マリネリス峡谷の東端に位置する、火星第三位の
アルフレッド・ベスターのSF小説に出てくる
地表面を
これからは人の手による、人のための食料生産の時代となる、と。わたしを含めた大勢の火星住民はうすぼんやりと思っていた。火星のみならず、
だからわたしはよく、アカデミー帰りに
ここではないどこか。推定わたしの生まれた
元の遺伝情報をいっさい喪失した野菜たちは、
ケリーはわたしのそんな奇行を把握してくれている数少ないクラスメイトの一人なので、点数稼ぎのボランティア活動がない日には時々こうしてそぞろ歩きに付き合ってくれることもある。主に食べ歩き目的ではあるけれど。
「ここではいっつも
ケリーはあっけらかんとした調子で、
「そういうふうに
「対ソーシャルネットワーク用アイドルAI~あなたの膿み疲れたハートにTOKI★MEKIバーニング~。つまり略してSNIっ娘だってば。公式でそう呼ぶの。それに、」
アクリルガラスの通路の下に広がる
「
この級友は少しばかり頭が緩かったことを思い出し、食べ歩いていたソイ・ホップ載せコーンクレープの容器の底を使ってケリーの側頭部を小突く。ラズベリーソースがケリーのブレザーに付着し、げ、とケリーの顔が青くなる。
「父さんの仕事の話は極力伏せてって言ってるでしょ……」
「ちぇっ、別に隠すようなことでもないのに。むしろ自慢するでしょ、
「あんたみたいにAstanaの公開ログでひけらかしたりしないもの。それもVRの拡張子付きでなんて。呼び出し六回もくらったのはどこのどなたでしたっけ」
不服そうなケリーを横目に見ながら、わたしはまたコーンクレープを口に運んだ。ラズベリーのソースは甘すぎなくて、それでいて生き血のようで、好みだった。
飢えと隣り合わせだったかつての発展途上国の人々の日々。
明日の食が約束されない日常。
わたしの当たり前が崩落していた世界。
現在の地球上にも、ほぼ残っていないだろうその世界は、飢えることに嘆き、満たされることに喜ぶことのできた世界は。わたしにとって少しだけ魅力的にすら思えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます