迫る乙女ゲームの影

 説明いたしましょう。

 アルバトゥルス学園とは、クレイン王国の国立教育機関です。

 貴族家出身の人間は15歳~18歳までの間この学園で机を並べてお勉強します。

 貴族以下の身分の人間も入学可能ですが、学費がべらぼうに高い為、裕福な商人の子供や貴族の援助を得た者しか入学できません。

 基本的に全寮制となっていますが、貴族街にお屋敷を持つ高級貴族の中には屋敷から通う人たちもいるようです。

「学生は皆平等」という教育理念を掲げており、学園内では家名を名乗ることが禁止されています。王家出身者も例外ではありません。

 生徒たちは学園に所属する3年間、身分を超えて友情を育み、競い合い切磋琢磨して己を磨くことが求められるのです。


 さぁ、皆さんも青春の世界に、レッツゴー!


 ◇ ◇ 


「助けてくれ…」

「何よ。藪から棒に」


 珍しく弱音を吐いて、少年がテーブルに突っ伏しました。万歳のポーズで顔面からです。言葉通り、けっこうまいっているようです。

 少女はそれを胡乱げに見ています。


 ここはアルバトゥルス学園にある談話室。何部屋かある中で、身分の高い人たちしか入れない特別な部屋です。

 ここに18歳になり三回生に進学した少年と少女の姿がありました。


 え? 「学生は皆平等」なんじゃないかって? 身分の高い人間しか入れない部屋があるのはおかしい? もちろん平等です。大体は。

 だって家名を名乗るのを禁止していても、ここに来る同世代のご令息、ご息女たちの中には顔見知りもたくさんいます。

 また顔を知らなくても貴族名鑑を読み込んでいたり、周りの様子を観察していれば、身分なんてある程度推測できてしまいます。

 すると、いくら平等をうたっていても自然とカーストはできてしまうもので、そうなると差をつけない訳にはいかなくなってしまうものでして。

 この談話室は、そういった部分を反映したものの一つというわけです。

 逆に、平民出身の人たちにとって、この辺の機微を察するのが最初の関門になるわけです。

 平等って難しいですね。


 おっと、話がそれてしまいました。

 少女はテーブルに向かって万歳をしている婚約者を置いて席を立つと、備え付けの戸棚に近づき、ちゃちゃっとお茶を二つ用意して席に戻ります。


「で、どうしたのよ」


 少女は左手のカップを差し出しながら聞きました。

 少年は顔を上げ、ソーサーごとそれを受け取って、一口、口に含みます。


「最近、変な女に付きまとわれているんだ…」

「あなたが女の子に絡まれるのなんて、いつもの事じゃない」


 少女は突き放したように言い放ちます。

 少女という婚約者がいても、少年は眉目秀麗の王子様、その姿に見惚れて近づいてくる女性は後を絶ちません。

 流石に深い仲になろうとする者はいなかったですが、やれ一緒にお茶を、やれ一緒に食事をなんて誘いはしょっちゅうで、その程度であれば少年は上手く捌いていたはずです。


「それがな、今回のは一味違うんだ。なんか馴れ馴れしくすり寄ってきて、インチキ占い師みたいに、本当のあなたを知っています~とか、私が力になりますから~とか言ってくるんだ。何度お断りしてもしつこくまとわりついてきて…」

「厳しく断ってないからじゃない?」

「だってほら、俺って一応王子だし。俺が厳しいこと言っちゃうと周りも影響されちゃうだろ。それは避けたくて」

「確かにね」

「それにその女、微妙に引っかかること言ってくるんだ。

 俺が第一王子アニキと不仲なのを知っている~とか、俺がアニキに命を狙われている~とかな。

 もちろんそんな事実はないけど、もし俺が王位に興味ありませんって態度を取ってなかったら、あり得た未来だったんじゃないかって思ってな」

「それは、確かに気になるわね」

「あと、その女が言うには、俺はお前に騙されているんだと。最終的にお前は俺を捨ててアニキに乗り換えるらしいぞ」

「へ~え、それは楽しそうね。やってみようかしら」


 最後のセリフに少女は楽しそうに答えます。


「やめれくれよ。大変なことになるから」

「ふふふ、面白そうだと思ったんだけどなぁ。でも残念ね、決してそうはならない。

 だって私たちは“絶対に結ばれる”のだから」

「そうだな」

「それとも、久しぶりに試してみる? 私たちに“他の運命”があるかどうか、を」


 テーブルに頬杖をついた少女は、どこか挑発的な視線を少年に投げかけています。

 二人はしばらく見つめ合っていましたが、先に少年が目を逸らし、席を立ちました。

 そして、先ほど少女がお茶を用意した戸棚に近づくと、ポットに新しいお茶を入れなおしました。


「やめとくよ。第二王子って意外と忙しいんだ」


 二人分のカップに新しいお茶を注ぎながら少年が答えます。

 少女は、そんな少年の回答に肩をすくめ、


「そうね、私も今世は平和に過ごしたいと思っていたし」


 と返してから、少年が入れたお茶に口をつけます。そして、


「…薄いわね。ちゃん蒸らしてないでしょう」


 そう、文句を言いました。


「ははは、わるいわるい」


 少年は、そんな少女の様子に少し苦笑いです。


「まったく。あなたは器用なんだが不器用なんだか。

 で、そうね。第一王子うんねんの話は置いておいて、あなたに言い寄っているって女の子の事なんだけど。わたし、心当たりがあるの。

 その女の子って、ピンクブロンドのセミロングで、ブラウンの瞳の娘じゃない?」

「おお、まさしくそいつだよ」

「やっぱりね。

 わたしが女子寮の寮長をしているの知ってるでしょう? 何故だが知らないけど、寮生から悩みを相談されることが多くって。

 その中に、婚約者が変な女に寝取られたって相談が何回かあったのよ。そしてその話の中で出てきたのがその娘」

「僕以外にも粉かけてるのか。おとなしそうな顔してたけど、結構お転婆なんだ」

「お転婆で済めばよかったんだけど。

 相談に来た娘の話では、その女の子と話をすると、婚約者の男性はころっと態度を変えて、すぐその娘に夢中になっちゃうらしいの」

「へぇ~。確かにかわいい顔立ちしてたけどそんな程かな? 魅了の魔法でも使ってんのかと疑っちゃうな。この世界に魔法は無いはずけど」

「たまたまみんな好みが一緒だったんじゃない?

 まあ、いいわ。その娘には私から注意しておくから」

「頼んだ。そう言えば、そいつの正体を聞いてなかった」

「スプーンビル伯爵の娘、レイラ・スプーンビル。今年編入してきた編入生よ」


 後日少女は、件の女子生徒を寮長室に呼び出し、口頭で注意をしました。

 複数の男に粉をかけるような行いは、己の評判を落とすから止めるように。男女の付き合いは節度を持って行うように。そんな内容の話です。

 女生徒はシュンとした様子で、少女の説教を聞いていました。

 だから少女は最後まで気が付きませんでした。

 女生徒の俯いた顔、その口元に笑みが浮かんでいたことに。


 ◇ ◇ 


「厄介だね」

「面倒ね」


 学園の談話室。

 以前、少年と少女が女生徒の問題行動について話し合ったのと同じ部屋です。

 少年と少女は、またこの部屋で、額を突き合わせていました。

 話題は、


「ストーカーが悪化している」

「私のところに来る相談が増えてるの」


 これまた例の女生徒についてです。


「なぁ、本当に注意してくれたんだよな?」


 少年が半目で問いかけます。


「注意したわよ! あなたからお願いされた時の他に、3回も!」


 少女がキレ気味で答えます。


「しかもこの間の時なんて、講堂で私が注意しようとしたら、いきなりメソメソ泣き出して。そうしたら、どこからともなく彼女の取り巻きになった男たちがやってきて彼女を庇うの。しかもいつの間にか私が悪者にされた上、冷血女とか嫉妬見苦しいとか訳の分からないこと言われるのよ。やってらんないわ」

「いや、なんか、すまん」


 少女の剣幕に、少年は思わず謝ってしまいます。

 少女はしばらく少年を睨んでいましたが、ため息をついて姿勢を正します。


「実際のところ、私からじゃあ効果がないの。次はあなたから言ってもらおうと思って」

「それしかないか」

「彼女に声をかけられて、婚約者を裏切った男子生徒の数も増えてるの。

 騎士団長のご子息、法務大臣ご子息、宮廷医師長ご子息、御用商人ご子息、隣国の外交官のご子息。

 私が相談を受けただけでこれだけ。みんな有力者の後継者候補ばかり。そろそろどうにかしないといけないわ」

「わかった、ちゃんと俺から話すよ。はっきり注意するから」

「お願いね。あと、実はもう一つ気になってることがあって。

 彼女の取り巻きになってるその連中。私の他にも、第一王子兄上様の批判を口にしているらしいの」

「俺への口説き文句にもアニキがどうのって話があったな。事実無根な噂を広められるのは困るし、そのあたりもきつく言っておくさ」

「くれぐれもお願いね。私たちの卒業式も近いんだから」


 そうして、この日の少年と少女の会議は終了したのです。


 ◇ ◇ 


 少年は一人で学園の裏庭に来ていました。

 ベンチにだらしない姿勢で腰かけ、空に流れる雲を眺めています。

 時折通りかかる学園の女生徒は、そんな少年の姿を見て、その物憂げな様子に頬を染めます。

 もしそれが少女であったなら「なにボーっとしてんの」といって、頭を叩いてくるのだろうな。少年はそう想像して、心の中で小さく笑いました。


「ユーリ様~」


 少年に、みみざわ…甘ったるい声がかけられます。

 少年が声のした方向に視線を向けると、学園の制服を纏った一人の女生徒が走り寄ってくるところでした。

 走るたび、緩くカールしたピンクブロンドの髪が小さく跳ねています。ブラウンのたれ目が穏やかそうな雰囲気を作り出しています。

 彼女こそ、レイラ・スプーンビル。ただいま少年と少女の間で話題沸騰中の女生徒です。


「やあ、レイラさん」

「いやだ、ユーリ様。レイラって呼び捨てにしてください」


 少年の近くまで寄って来たレイラが言いました。

 小さく腰をひいて、握った両手を顎下にもってくる。至近距離から見上げてくる上目遣い。

 可愛らしいはずなのに、何処か計算されたあざとさをその仕草の中に感じ、少年の口元が小さく引きつります。


「ユーリ様からお話なんて、いったいどうしたんですか~」


 少女は熱に浮かされたような様子で少年に尋ねます。

 そう、今日は少年が女生徒を呼び出したのです。

 先日、少女と話し合った通り、少年は今日、自分たちを悩ます問題にけりを付けようと思っているのです。

 女生徒は何かを期待するかのように、少年に熱い視線を向けています。

 少年は、自分を見上げてくるブラウンの瞳としっかり目を合わせ、はっきりとした口調でいいました。


「レイラさん。最近の君の行いはいい加減目に余る。

 婚約者のいる複数の男性に声をかけていること。第一王子と第二王子とのありもしない噂を吹聴して回っていること。そして、僕の婚約者を不当に貶めていること。

 今までは、僕の立場から注意することは避けていたのだけど、それももう限界だ。

 レイラさん。今までの行いを反省し、根拠のない噂を撤回すると、ここで誓ってほしい」


 女生徒はその言葉を受けて、しばらく微動だにしませんでした。

 少年はそんな女生徒の様子に、少し言い過ぎたかな、なんて思い、ばつの悪そうな顔をしています。

 幾度人生を経験していても、基本的にこの少年は、女性の扱いが下手くそなのです。そんなことだから、今だに少女の事を怒らせてしまうのでしょう。


 ボソボソとつぶやく声が少年の耳に入ります。

 いつの間にか女生徒は、背中を丸め顔を伏せてしまっています。

 少年は焦ります。泣かせてしまったと思ったのです。

 慌ててフォローの声をかけようとしたのですが、頭を上げた女生徒が浮かべる表情を見たことによって、それを口にすることができませんでした。


 女生徒は笑っていました。

 しかし、それを笑みといってよいのでしょうか。両の瞳は大きく開かれ、唇は裂けたように吊り上がっています。頬にあった赤みは無くなり、雪の様に冷たい色になっています。

 少年はこの笑みに見覚えがありました。いつか人生の時に見た、危ない宗教の狂信者たちが浮かべていた表情によく似ていました。


 言葉をなくしている少年へ、女生徒は視線を向けます。

 少年の背筋に、冷たい汗が流れました。


「そう。そうなのですか。まだ足りないのですか。

 おかしいわ。他のみんなは上手くいったのに。推しのユーリ様だけ攻略できないなんて。

 きっとあの女のせいね。あの女がバグなのね。性悪腹黒ビッチのくせに、悪役令嬢らしいことをあんまりしてこないと思ったらバグだったのね。

 こうなったら仕方ないわ。可愛くないからしたくなかったけど、私の物語を正しい流れに戻さないと」


 女生徒はそう呟くと、急に慈愛に満ちた表情になって、黙り込んでいる少年の手を取り、握り込みます。


「ユーリ様。私は貴方の事なら何でも知っています。怒りも苦しみも悩みも、全部ぜーんぶ知っています。

 大丈夫です。ユーリ様。必ず私がお助けいたしますから。待っていてください」


 女生徒は、一方的にそう言うと、くるりと踵を返し走り去っていきました。

 後には、立ち尽くしたままの少年が残されました。

 少年には女生徒の言っていたことが、何一つ理解できていませんでした。

 だから少年は、女生徒の様子を、王子である自分に注意されて、気が動転していたんだろうと考え、また後日話をすればいいやと軽くとらえていました。


 ◇ ◇ 


 その時、少女は女子寮の中庭で、友人たちとアフタヌーンティーを楽しんでいました。

 この友人たちというのは、寮長である少女に婚約者の不義を相談していた女生徒たちです。

 彼女たちの抱えた問題は残念ながら解決はされていませんが、共通の悩みを抱えた者同士、愚痴や不満を言い合っているうちに、彼女たちは少女も含めてすっかり打ち解け、友人になったのです。

 むしろ今では、呆れた婚約者達の存在は彼女たちにとって、黒歴史のような扱いになっています。


 ガールズトークが花開く、和やかながら姦しい、そんな平穏な時間は突如として破られます。

 中庭に、押し入ってきた集団があったのです。

 人数は10人ほどもいるでしょうか、全員が腰に剣を下げています。下げているどころか何人かはすでに抜いていました。全員が年若い男たちです。

 そして、武装集団は少女たちのいたテーブルをあっという間に取り囲んでしまいました。


 中庭に、女性の悲鳴が響きます。

 少女は、素早く立ち上がると、友人たちを庇うように男たちに向き直りました。

 ティーカップがテーブルから零れ落ち、タイルの上で粉々に砕け散ります。


「何者!?」


 少女が鋭く誰何します。

 すると、集団の中から一人の男が歩み出てきて、少女に剣を突きつけました。

 上背のある男です。この男は確か、


「アルヴァン!?」


 背後に庇った友人の一人が声を上げます。驚き故か声が裏返っています。

 アルヴァン。目の前のこの男は、騎士団長の息子で、声を上げた友人の婚約者。レイラに声をかけられ、婚約者を裏切った男の一人です。


「まさか…」


 とある可能性に思い至った少女は、素早く周囲を囲む男達に視線を走らせます。

 すると案の定、自分たちを取り囲んでいるのは、レイラの取り巻きとなった男たちでした。

 法務大臣の息子、宮廷医師長の息子、御用商人の息子、隣国の外交官の息子。相談を受けていた不貞者たちの他にも、王の甥にあたる若手教師。第二王子の護衛の暗部の男までいます。


「お前たち全員、俺たちと一緒に来てもらう。抵抗はするな」

「…デートのお誘いとしては不合格ね」

「お前のような女を誘うつもりはない!」


 目の前の男が言います。有無を言わさない強い口調です。

 憎しみすら籠っているようです。

 少女は再度、視線で周囲を探ります。男たちは皆殺気だち、何をするかわかりません。


「…分かった。抵抗するつもりはないわ。みんな、ここはこいつ等に従いましょう」


 少女は、そういうと両手を上げて自ら男に近づきます。


「へぇ、性悪のお前にしては殊勝な心がけだ」

「…私のことはいいわ。いったい何が目的なの?」

「お前たちには餌になってもらう」

「餌?」


 少女が、再度尋ねようとした時、


「いたい! やめて!」


 友人の女生徒の悲鳴が聞こえ、少女は振り返ります。

 見れば、男の仲間の一人が女生徒の腕を乱暴に引っ張っています。


「乱暴はやめなさ…」


 少女はそれを止めるため、一歩踏み出そうとしますが、


「抵抗するなといったはずだ!」


 男の怒声と共に衝撃が頭を貫きました。男が剣の柄で少女を力いっぱい殴ったのです。

 体から力が抜け、少女は倒れ込んでしまいました。

 意識が暗闇に覆われる中、心に浮かんだのは、ずっと昔に失われたはずの一つの名前でした。

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